わたしは分断を許さないのレビュー・感想・評価
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分断を乗り越えるためにまずは知ること
インターネットは近い意見の人が集まる「エコーチェンバー」を引き起こし分断された状況を生んでいると言われることが大い。その意味で、本作のテーマはとりわけ現代的を言えるのだろうが、ジャーナリスト堀潤は、分断の現場をネットではなく、歴史ある土地に見出している。この映画には世界の様々な地域で起きている分断をカタログ的に見せていくが、パレスチナや沖縄、香港、シリアなどなど、昨日今日始まったわけではない分断の現場が数多く登場する。さらにメタ的にそうした世界の過酷な状況とそれを知らない観客の間にも分断があると指摘する。戦場ジャーナリストの安田純平氏へのバッシングがそれだ。国際情勢に関心をもはや示さない人間が大勢いるのだ。 どうすれば分断を乗り越えられるのか明確な答えを出さないところが本作の良い点だ。最も印象に残ったのは、福島から沖縄に移住し、基地反対運動に加わっている女性が、米軍基地のフェスティバルを訪れるシーン。普段、反対をしている相手にも家族があり生活があることを知り、言葉を失う。分断を乗り越えるためには、わかりやすいバッシングよりも、この「言葉にならない感情」をこそ共有するべきかもしれない。
繋がることが大事かを改めて感じる
何故、人は他人を殺すのか? 何故、作り上げたものを壊すのか? 何故、人は他人を虐げるのか? 誰かが得をするため 誰かが欲を満たすため 『分断』を使うのだ。 正しい人が『繋がる』ことが 怖いのか? 不都合なのか? 「主語を小さくする」 とても素敵な言葉。 一人一人を 観て 聴いて 感じよう 何に困っているかを。
ディスコミュニケーションが「分断」をもたらす
フリージャーナリストの堀潤が、東日本大震災後の福島をはじめとする、シリア、パレスチナ、朝鮮半島、香港、沖縄など、国内外の様々な社会課題の現場で生まれた「分断」をテーマに取材。 一番大きいのは、堀自らカメラを持ち現地取材を敢行している点で、単にスタジオ席にふんぞり返って偉ぶるだけのキャスター(アンカーマン)やコメンテーターと違う。 「分断」の理由は多々あれど、突き詰めていけば人同士のコミュニケーション齟齬、いわゆるディスコミュニケーションが大きいのではと思わせる。 劇中で安田純平が語る、日本国民が他国事情に関心を示さない見解が痛いところを突く。これも一つの「分断」なのかも。 シリア内紛は『プライベート・ウォー』、難民問題は『ヒューマン・フロー 大地漂流』などと併せて観ると、事の起こりがより理解できると思う。 元々NHK出身だけあってか、構成が『NHKドキュメント』を思わせる作りで、映画というよりテレビ番組を観ている感覚になる。でも扱っているテーマ的に、今のテレビメディアでは取り上げにくい。 映画という“表現の自由”を使い、堀は「分断」を埋めようと試みる。
気持ちを寄せる
本作を観る前は、 分断を許さないというのは、 格差や差別を許さない、 あるいは、 それに繋がる偏った考え方などを許さない、 そんな内容だろうと予想していた。 少し違った。 【大きい主語ではなく、小さい主語を使わなければ、真実は見えない】と監督の堀氏。 大きい主語ではなく、 小さい主語は、 小さい涙にピントも絞りも集約されていた。 国境も思想も年齢も性別も超えた小さい涙、 その小さい涙を目前にして、分断してる場合ではないでしょと言われてるような気がした。 それをカメラに収めて、 集客してスクリーンで拡散する。 ほぼ満席の客席に確かに小さい涙の意味は拡散されていたように感じた。 まとめると、 小さい主語の主役は人間、 目的語も人間。 基地、原発、紛争その他の専門家、政治家は人間を見てますか? 人間の人間による人間の為の、 気持ちを寄せない、共感を裂くような 分断は許さない、という映画だった。 こういうと主語が大きくなるので、 主語は小さく、小さい涙に気持ちを寄せよう、かな。 う〜まとまらない、、、(−_−;)
情報伝達手段としての映画の必要性
映画は、その性質からエンターテインメントに傾倒してしまうことには仕方がないのですが、ただ情報の伝達ツールとしての役割は未だあるべきだと思っています。 今ではTVがその性質をもっていることが多いのですが、情報がスポンサーや作り手により内容が変わらざるを得ないことはあります。純粋に作り手の思う世界を提示する、出来るというのは映画、そしてYouTubeといった媒体の方が強いのではと思っています。 映画は当然のことながら、お金を払って、そして観る手が好んで観る媒体です。 だから観客も興味がある人です。 映画監督は堀潤さん、また題の”わたしは分断を許さない”という題で、この人の伝えたいことは何か?を知りたく、映画館に足を運びました。 本で「主語は大きくなく、なるべく小さい方がいい。その方がダイレクトに伝わる。」ということを具現化した映画で、それぞれの当事者は何をどの様に考えていたか?を知ることが出来ました。 TV、報道だけではない、そこにある真実がわかりやすく伝わってきます。 いろんな観点、目線から、今ある出来事を見る必要性を改めて気づかせてくれるいい映画です。 情報伝達としての一つの方法としての映画、これを体感していただければと思います。
香港、福島、沖縄、カンボジア、シリア、北朝鮮。世界中あちらこちらで...
香港、福島、沖縄、カンボジア、シリア、北朝鮮。世界中あちらこちらで起こっている分断の現場に、堀さんはカメラを持って乗り込む。860時間にも及ぶ映像を105分に短縮し、描きたかったのは、わたし、という小さな主語で語ることの重要性。わたしは、こう思う。わたしはこう考える。わたしはこうする。そのことを表明してこそ、向こう岸にいるかのように思える相手と対話できる。それがこの不条理と不正義がまかり通る社会を変える唯一の道だ というメッセージがつたわってきた。 圧倒的な力をもった国家権力(企業の理不尽な行為も結局は国が見逃している)によって、人々の幸せが打ち砕かれる。どんなに抗っても、何も変わらない。人々は分断される。その現実を見るのがつらくなる。しかし、それに目をそむけず、わたしはおかしいと思う、と言い続けることがいかに大切か。その価値を再確認し、勇気をもらえる映画だった。 かつてNHKで、NHKの看板アナウンサーとして活躍していた堀さん。3.11以後に彼は退職し、「わたし」となった。政治権力の腐敗を忖度して報道できないメディアの記者たちにも「わたし」を取り戻してほしいと、この映画を見ながら思った。 次々とあまりにいろいろなことが起こり、当事者ではない人間は、悲惨な出来事や事件を忘れてしまう。しかし、それらはすべて現在進行中だ。それを改めて確認させてくれる映画でもある。
堀潤氏 次回作お願いします
モーニングクロスのキャスターで、何時も、視聴しています。氏の知識の広さ深さ、仕切りの上手さが抜群で、且つ、上品。 映画ですが、もっと、堀氏の想いを前面にだして、主張してほしいと思いました。 マイケルムーア監督とは、スタイルが違うと思いますが、ドキュメンタリー映像の迫力有る映像と、監督ならではの、切り口で語って下さい。 次回作、より一層のパワーアップ、期待しています。
タイトルなし
表面をさらさらなでた取材という印象。力不足感がすごい。ニュースの特集でいいやん?なんで映画にしたん?いや、これじゃニュースの特集にもならんかも! 有名人とトークイベントして、宣伝に金かけて、ツイッターが派手という映画はまじ印象操作はんぱない。 とにかくひどくて、感性が瀕死状態で、耐えられず、60分経過時点で人生初の途中退席。残りの部分で来てよかったと思えるシーンがあるかもとそこまで我慢して見てたけど、辺野古移設を丁寧に解説するCGで、知っとるわ!っていうかここまで全部知ってることしかやってないやんけ!これからもずっとそうやろうことを確信したわ!と見切りをつけ、退席にいたりました。
分断とはを考えさせられた好ドキュメント
元NHKアナで、フリージャーナリスト堀潤氏のドキュメントわたしは分断を許さないを鑑賞した。個人的にはあまり期待していなかったが、正直本編を観て予想以上に良かった。福島、沖縄、ガサ、香港、北朝鮮などの取材を通じて分断とは何か考えさせられた。印象に残ったのは北朝鮮取材。日本と北朝鮮の学生の交流のシーンが印象に残った。堀氏の取材姿勢は日本の市民でも北朝鮮の学生でも取材対象の視点にたって話を聴く。この姿勢は好感をもった。北朝鮮の学生でも予想通りのコメントの中に本音も出るシーンは堀氏の人柄や取材姿勢に現れていた。このドキュメントで、堀氏のナレーションで今、主語が大きすぎないかを盛んに強調していたが、初め観ていて意味が分からなかったが、上映前に堀氏のインタビュー記事を観てから本編を理解できた。私も鑑賞後、主語が最近大きすぎるな特に今のご時世を含めて痛感。最後に伝えたかった事をエンディングでまとめれば文句なしだったが。好ドキュメント。おすすめです。分断はこのドキュメント以上にすすんでいるのではと個人的に感じています。
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