「天才が再現する“こまかすぎてつたわらない”記事」フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
天才が再現する“こまかすぎてつたわらない”記事
カットごと構図をキメるのが小津っぽい。
すべてが意識的な矩形(スクリーンorモニター)の絵になっている。
その“絵”がマンガのように次々に切り替わってストーリーが語られる。
芸が細かく、ウェス・アンダーソン監督、病状がさらにすすんでますね──てな感じの映画。
架空の街、架空の雑誌の編集長が急死した。
かれの遺書により4記事と追悼文が掲載された。──という話。
情報によると本作は監督の雑誌「ニューヨーカー」にたいする愛情に触発されており、記者や記事などじっさいのものから着想を得ている──とのこと。
とはいえ、アンダーソン監督のこだわりは、おそらく一般庶民にとっては「小津安二郎の赤ケトル」みたいなものでしかない。よってそれぞれが感じたままにたのしむのが適切だと思われる。
記事ごとの私的な気づきを挙げる。
①サイクリングレポーターはオーウェン・ウィルソン演じる記者が自転車で街を巡り過去と今を比較する地元記事。The Bootblack District、The Bricklayer’s Quarter、The Butcher’s Arcade、Pick-pocket Cul-de-Sac。過去と未来がスプリットで並ぶ。並べたかったんだろうな──と強く感じた。
②コンクリートマスターピース──の記事。
気になったのはエイドリアン・ブロディの鼻とマロングラッセ。
子供の頃お土産にもらったマロングラッセを食べたことがある。
三年に一度ていどしかまみえない稀なお土産だった。
どこに売っているのか知らない。
おおきめな栗が丸で個包装されている。
ビニールをやぶるとべとべとした糖膜。
ほおばると少しリキュールをまとった複雑な蜜がひろがる。
栗はやわらかくて甘く、それをふくんでいるあいだは幸せだ。
で、もう一個ということになるが、マロングラッセにはかならず厳格な制限がもうけられていた記憶がある。
その記憶からするとマロングラッセが獄舎で看守を買収するお金の代わりとなったとしても不思議はない。──とシモーヌ(レア・セドゥ)がもぐもぐするのを見ながら思った。
③あるマニフェストの改訂版──の記事で萌えるのはジュリエット(リナ・クードリ)のゴーグル付ハーフヘルメット。このクラシカルなヘルメットを女の子が被るとやたら映えることはオー、モーレツ!のCMによっても立証されている。(という例えが伝わるか解らないが・・・)
喫煙率の高いこの“章”では英語とフランス語が交互に飛び交い、夭逝したチェスの達人兼革命家ゼフィレッリ(ティモシー・シャラメ)をクレメンツ記者(フランシス・マクドーマンド)が回想する。
④警察庁長官の私的な食事会──の記事。ジジが捕らわれているアジトに娼婦がいる。シアーシャ・ローナンが演じていた。物置に拘束されたジジは彼女に眼の色をたずねる。小窓から覗くときパートカラーになった。その鮮やかな青い眼!。
アニメは横視点のメトロイドヴァニア風だった。
編集部ではエリザベス・モスの射る目つきが主張した。
ラストシークエンス、バックミュージックのピチカートがとても決まる。
モーゼス(ベニチオ・デル・トロ)の抽象画もエピローグのイラストもいい。
映画っていうよりウェス・アンダーソンという一個のメディア。
ところで知識層にウケる欧米のものが日本に入ったとき、ほんとは万人向けなのに、(日本国内では)権威をまとってしまうことがある。ウェス・アンダーソン映画もその性質をもっている。もちろん映画自体に罪はない。映画がおしゃれと抱き合わせで語られてしまうようなスノビズムがきらい。
(伝わるか解らないが)つまり──わたしはこの映画をそれなりに楽しんだ。だけど「おいらは田舎の百姓なんでウェス・アンダーソンの映画はわかんねえや」──という労働者の率直な感想もわかる。──という話。