BOLTのレビュー・感想・評価
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福島原発事故とその後の福島を描いた映画は多い中、おそらくは現実に近い空気感を描いた映画
様々なジャンルの監督が、311・東日本大震災と福島原発事故について、同時代に起きた大きな出来事として、一本は映画を撮らなくてはというお気持ちになるようですが、こちらは林海象監督が、山形の芸術工科大学で教えておられる学生さんとともに撮られた作品。
京都と山形と二か所で教えておられた監督が、山形の学生さんたちが、東日本大震災による心の傷を受けておられることを感じ取ったのが、この映画を撮ろうと思ったきっかけとか。
三つの短編からなりたっていますが、全体を通して伝わってくるのは、東日本大震災と福島原発事故後のどうしようもない福島の人たちの空気感というか心象風景で、観ていてつらい気持ちにもなりますが、きっとこれが現実に近いのではと想像しました。
原発で働く現場を描いた「BOLT」は、よくぞこんな映像を生み出せたという奇跡の映像です。黒澤明の映画を思い出しました。
芸術としてこだわって作られているので、重い現実が描かれていますが、みるものは何かを受けとれる気がします。芸術の良さを改めて感じました。
安直なホラー仕立て
東北芸術工科大学制作、理事長は映画監督の根岸吉太郎、監督の林海象が教鞭をとっている、撮影は学生たち、美術は京都芸術大学で教鞭をとるヤノベケンジ、低予算なので高松市美術館への出品を兼ねて原子炉への廊下に使われたセットを造ったそうだ。
プロットはあの原発事故に触発されたのだろう、主人公はベテランの原発作業員、被ばく量が限度を超え、仲間たちが東京五輪の建設現場に移った後も現地に残り被災者住宅の遺品整理の仕事をしていたが耐えかねて自動車修理業に転身・・。
過ちを風化させないためにも事故の映画化は大切なこととは思うが、映像表現としては余りにも稚拙、まるで宇宙服のような防護服に明らかに顔の表情を見せるための過剰なフェースライトは玩具のようだ。
緩んだボルトをスパナで締めると言うアナログ技、映画の半分はボルト締めの苦戦です。
ただ、ベントに失敗した2号炉が爆発しなかったのは、たまたま容器の蓋のボルトが緩んだせいで圧力が抜けたからでしたから微妙です。技術監修もなく安直なホラー仕立ての演出が鼻につきます。
他のエピソードも不自然極まりない、新年とタイヤメーカーのロゴをひっかけたのは広告どりか、人魚の妄想も意味不明、まあ、社会派ドラマというより悪夢として描きたかったようですね・・。
タイトルなし
大地震による原発内の冷却水漏れ事故を描く「BOLT」
原発事故後の避難地域のある残された民家での出来事を描く「LIFE」
車の修理工場で起きるある出来事を描く「GOOD YEAR」
撮影から完成まで7年かかったという3つのエピソードからなるのが本作品『BOLT』
緩んだボルトを締めに行き、戻ってくるというとてもシンプルな展開の「BOLT」
高松市美術館にセットを組み撮影されたビィジュアルや、2001年宇宙の旅を彷彿させる描写、防護服の息苦しさと、メルトダウンという緊迫感が映像からひしひしと伝わってきます。
佐野史朗さんが「Fukushima50」とは真逆な役なのも面白かったですし、同じくFukushima50に出演した佐藤浩市さん(声のみ)、金山一彦さんも本作に出演しています。
「BOLT」から繋がる
「LIFE」、「GOOD YEAR」
幻のように写るナマズと人魚
「GOOD YEAR」のネオンの
「O」の一つが点灯しない「GOD YEAR」
3作品を通し、東日本大震災、福島第一原子力発電所事故を幻想的かつ現実味のある人間臭さも表現した内容は個人的に好みでした。
3作品全てに出演していた永瀬正敏さん。
永瀬さんの表情もよかったし堀内正美さんの登場もよかった。
【”東京オリンピックの議論も必要だが、その前に”未だ終わっていない事”があるだろう!”と言う激しい怒りを静謐で、哀しきトーンで描いた連作。】
■作品は、episode1 ~3の短編で構成されている。
だが、そこでは一貫してある問題が提起されている。
それは、【福島第一原発事故処理は、全然収束していない】
という事である。
1.episode1 『BOLT』
・被災直後の福島第一原発から流出する汚染水を食い止めようとする作業員たちを描く。只。このパートは突っ込みどころ満載で、永瀬正敏、佐野史郎たちの演技がヘルメット越しという事もあり、伝わって来ない。
あのチープなボルトを必死に閉めようとするシーンは、原発施設の稚拙さを揶揄したものなのだろうか?
2.episode2 『LIFE』
・3作の中で、最も良かった作品。
放射能汚染により住めなくなった地域に最後まで住んでいたお爺さんが亡くなり、彼の家の清掃をする二人の作業員(永瀬正敏・大西信満)が描かれる。
お爺さんが、唯一綺麗にしていた部屋に足を踏み入れた男(永瀬正敏)は、彼が書いた”海に向かう坂道”を描いた絵を目にし、更に幻の老人の死体を目にし、彼の日記に殴り書きされた言葉を見て、暗澹たる表情になる。
もう一人の男が呟く、”今は東京オリンピックの工事でも良い金が入るからな・・”と言う言葉と、市役所員と思われる男が二人に告げる”あの人の家族は全員津波に飲み込まれましたから、遺品を渡す人はいません・・”と言う言葉が重く心に残る。
3.episode3 『GOOD YEAR』
・彼の地で、車整備工場を一人で営む男。(永瀬正敏)
机の上には、彼の妻であったと思われる女性の写真が飾ってある。容易に、津波にさらわれてしまった事が分かる。
そこに、派手なスポーツカーに乗った女(月船さらら)の車が、パンクのためガードレールに突っ込み・・。
そして、北海道に行くと言って去って行く女の姿を見送った後、男が呟く言葉。”あれ、お前なんだろう?”
不思議な余韻を残す作品である。
<世間では、福島第一原発事故はすでに過去のものになっている気がする。だが、福島県庁に勤める友人たちによると、復興は全然進んでいないと言う。
私も、出来るだけ当地に足を運ぶようにしているが、確かに"非居住地域”はそのままであるし、作業員が東京に集まっている事実も人材派遣会社の営業マンから聞いている。
この国は、あの”人災”を忘れてしまったのであろうか?>
<2021年2月21日 刈谷日劇にて鑑賞>
あの現場にいた人間の苦しみ
映画「Fukushima50」では、東日本大震災とその後の津波で壊れ果てた原子力発電所で、なんとか被害の拡大を防ごうと、所長や所員たちが空しく奮闘する様子を描き出していた。
本作品では、事故の初期対応でボルトを締めればなんとかなると思って奮闘した所員たちが、努力も虚しく原子炉の溶解に至った現実に、為す術もなく無力を思い知らされる経緯が、強烈な光とともに描かれる。そして原子炉に近づけなくなるほど被曝したひとりの所員のその後を追う。
妻は死んだ。たったひとりの家族だった。虚しさを埋めるように被曝地に近い場所で死んだ人の家の片付けをする。家族を失って親戚も死んで、たったひとり、希望もなく生きて、そして死んだ人だ。その人の家を片付けて処分する仕事である。誰もやりたがらない仕事だからギャラはいい。しかし思うのだ。自分とあの死んだ老人は何が違うのだろうか。タイミングが違ったら立場が逆になっていてもおかしくない。生きている自分と、死んだ老人。
それでも生きていく。生きていく以外に自分にできることはない。原発の真ん中にいたのに不思議に永らえた命だ。死ぬ選択もあるし、多分すぐに実行できる。しかし死なずに生きていくのだ。妻の面影は自分の中でずっと生き続けている。自分の面影は妻の中で生き続けているのだろうか。優しい妻は話しかける。あなたのことは忘れない。
永瀬正敏はうまい。人間の不幸のすべてを背負って生きているような悲壮感がある。実際に原発事故の現場にいた東京電力の所員は、責任感と罪悪感の間(はざま)で苦しんでいただろうし、いまも苦しんでいる人もいると思う。現場の状況を知らない経営陣との実感の乖離は相当なものだっただろう。すぐに現場に行った菅直人はそれなりに頑張ったと思うが、本人は自分の力不足、準備不足を認めていた。
福島原発に10m以上の津波が来たらどうするのかについての国会質問が、2006年に共産党の吉井英勝議員から出されている。当時の総理大臣はアベシンゾウ。アベはそんな事態は考えられないと一蹴し、役人が作成した「今後とも原子力の安全確保に万全を期してまいりたい」という紋切り型の答弁を繰り返した。総理大臣に国民の安全を守るための無作為は許されない。福島原発事故について本当に罪があるのは誰か明らかである。しかし実際には現場の人間や事故当時の内閣が責められた。理不尽な話である。アベシンゾウの口癖は「悪夢の民主党政権」だ。しかし本当の悪夢の政権の総理が誰なのか、今となっては誰にも判る。
改めて、戦争や原発事故は語り継がねばならないと思った。被害を風化させると、また悪徳な人間が戦争を始めたり原発を造ったりしかねない。本作品は変化球ではあったが、あの現場にいた人間の苦しみを十分に伝えてくれた。その意義は大きいと思う。
林海象らしいハードボイルド映画。
ハードボイルドを貫いた林海象監督らしい作品。
3部構成っていうのも、濱マイクを感じさせる。
シナリオがどうこうという作品ではなく、
所謂、雰囲気映画なので、細かいことを気にしない人にお勧め。
唯、気を抜くと寝てしまうので要注意。
最初のエピソードで40分って、自分には長すぎた。
内容的に半分でも良かった気がする。
あと、アベマリアの件が、キツかった。
動くヤノベケンジ
ボルトを締めるだけの映画なのかと心配させるパート1。
名もなき主人公のその後を心配させるパート2。
主人公がなんとなく自分を取り戻しつつあるパート3。
災害と原発事故が重なる不条理に押しつぶされる個人の理不尽さ。
しかし
最後は自分で決着をつけなければならない。
脱原発エンターテイメント
林海象監督のインタビュー記事(ハーバー・ビジネス・オンライン)を読んで、観に行った。
もしその記事がなければ、この3部形式には大いに困惑しただろう。
“福島原発事故に係わる話”として観れば、エピソード1から、エピソード2、エピソード3に進むにつれて、時系列としては正しくても、明らかに“尻すぼみ”なのだ。
実際は、制作順は逆だ。
一夜限りの幻想譚であるエピソード3がまずあって、その主人公の前日譚としてのエピソード2が作られ、そして2016年のヤノベケンジ展(高松市美術館)をきっかけに、最後のエピソード1の制作が動き出したという。
それを後から編集によって、一人の男の物語の体裁に仕立て上げたのだ。
原発事故がテーマとはいえ、監督自身が「脱原発エンターテイメント」と語るように、エピソード2以外は“アート系”の作品だ。
特に、エピソード1「BOLT」は、映画館で観ないとダメだと思う。
驚いたことに、「ボルトを締めに行く」という冗談のような話は、実話だという。
しかし、金属的な効果音とSF世界的な美術があいまって、アドベンチャーゲームを観ている感覚がある。
そして、緑、青、赤紫の蛍光色で光る汚染水の描写は、不気味な映像美を追求していると言って良いだろう。
永瀬正敏が演じる主人公が共通なだけで、テーマも世界観も異なる3つの作品をつなぎ合わせたという点では、不満が残る。
しかし、インディペンデントの映画制作は厳しい。
始めから、様々な制約の中で作られ、まとめられた作品ということを分かった上で観れば、「1粒で3度美味しい」作品であるとも言えるのである。
しかしそれでも生きていく
林海象×永瀬正敏
「私立探偵 濱マイク」のコンビと聞いて見逃す訳にはいかない。鑑賞したが非常に自分の好みの映画で面白かった。
永瀬演じる「男」を描いた3つの短編で、全て3.11関連のエピソードだ。
ep1「BOLT」
タイトル通り、放射性物質を垂れ流す原子炉のボルトを締めるというだけの話なのだが、緊張感が物凄い。2001年宇宙の旅を彷彿とさせる防護服を身にまとった男たちが命懸けでボルトを締める。
劇場で観ている自分も放射能に汚染されるのではないかとソワソワしてしまった。
それだけ9年前の出来事は日本人にとってトラウマということだろう。
ep2「LIFE」
福島県の避難地域。孤独死した老人の遺品整理をする「男」。汚染されても、主人がいなくなっても、アルバムや絵はそこに残り続け、かつてはそこに生き物がいた、生活があったということを物語る。
ep3「GOOD YEAR」
福島で寂れた自動車修理店を営む「男」。その店の水槽には人魚がいると巷の子どもたちに噂されている。
突然、店の前で女が車で事故を起こす。男は女を助け、車を修理して、北海道まで行くという女を送り出す。
「私はマリア。覚えておいて。私はあなたのことを忘れない」
男は女が去った後に死んだ妻に呟く
「さっきの女、お前だったんだろ」
全編に漂っているディストピア、非現実。癖になる作風。
永瀬正敏がカッコいい。
どんなことがあっても、生きていくしかない。
三つに分けずに1つに集約すると評価が変わるかな?な作品です。
林海象監督作品と言えば、「私立探偵 濱マイク」や「探偵事務所5」と言ったハードボイルドな探偵モノの作品のイメージがありますが、結構好きな感じなのと、今作が7年振りの新作と言う事もあって観賞しました。
で、感想はと言うと難しい。
全部で三部作なので、三部作総合の感想で言えば、結構思っていたのと違う感じ。
エピソード1のタイトルにもなってる「BOLT」はかなり好きですが、後の2作に関してはイメージが先攻して作られている感じなので、好みが分かれるかな。
俳優陣は豪華で、林監督作品常連の永瀬正敏さんを主軸に置いて、作られてますがどっしりとして感じの重厚感はあります。
エピソード1の「BOLT」はまさしくこの作品のイメージその物。地震により津波が発生し、原発中心部のボルトが緩んだ事で原発汚染水が流れる事を食い止める男たちの物語。
青紫の電熱がバチバチと入るオープニングがカッコいい!これだけでテンションが上がってきます。
何処かレトロ感があるでっかい宇宙服の様な放射能防御作業着で作業する様はまんまSF。
そこに作業員がでっかいスパナを持って作業に入るギャップがたまらんw
本当にでっかいボルトを締めるのに手作業でやるのかは分かりませんが、機械でやるには味気ないので、映画的には手作業ででっかいスパナを持って挑む事で絵になるんですよね。
もうそれこそ、絵柄的に最終場面で強大な的に立ち向かうかの様に。
ガイガーカウンターが鳴り響き、否が応にも心拍数が高まり、緊張感が走る。
放射能汚染を考慮して作業時間が1分も決めた筈なのにそれでは何にも出来ない。
決死の思いでタイムリミットを無視して、ボルトを締める作業を行うが、締めては漏れ、締めては漏れの繰り返し。
もう、それだけで無情感が充満してやるせないし切ないんですよね。
それを淡々と挑み、粛々と諦める様の熱演に観入ります。
正直、このエピソード1が真骨頂でメインかと思うだけに、個人的には後の2作はオマケみたいな感じですかね。
エピローグ2の「LIFE」は震災後に自身の無力さを感じながらも生きる為に震災後の避難指定地区での遺品整理の特殊清掃につく男の話で、エピローグ3「GOOD YEAR」は生きる為に車の修理工の仕事をする男が謎の女と出会う話なんですが、それぞれに面白い所はあるんですが、どうにも蛇足感が感じるんですよね。
エピソード分けをせずに「BOLT」1本の中のお話に組み込まれているのであれば問題無いんですが、エピソード分けをした事で変にトーンダウンと言うか、レベルダウンしている様にも感じられる。
「LIFE」は震災直後に被災地に生きる人のリアルな現状を描いているかと思いますし、「GOOD YEAR」はある意味ボーナストラックな感じでクリスマスプレゼント的なファンタジー要素があるエピソード。
ただ、何故「GOOD YEAR」と言う、既存のタイヤ会社の名前も含めたタイトルにしたかは林監督なりの意図があって命名したと思うのである程度深読みもするんですが、店舗のネオンの「GOOD YEAR」の「O」の文字の1つが消えかけていて、GOOD YEARではなく、GOD YEARに読めるのは、震災で原発が爆発したのは神が人間に与えた罰の年であった事を意味して「GOD YEAR」を暗示させたと言うのは…深読みし過ぎですかね。
同じタイヤメーカーの名前を付けるなら「ブリジストン」や「ミシュラン」では…締まんないんでしょうねw
ただ、どちらにしても「男」のその後と再起を描いているんですが、エピソードにする理由もまた2つに分ける理由も薄い感じなんですよね。
個人的なこの作品の解釈は震災で起こった原発事故からの永瀬正敏さん演じる男のモノローグであり、エピソード1の「BOLT」がプロローグなら、エピソード2・3の「LIFE」「GOOD YEAR」はエピローグ。
タイトルにドーンと「BOLT」と付けてるからエピソード1がメインであるのは間違いないと思うんですが、もう少し膨らませても良かったかなと思うし、エピソード2・3がなんか足を引っ張っている感じもしなくはないんですよね。
なので、エピソード分けせずに1つにした方が良かったのでは?と言うのが個人的な感想ですが…そうするとエピソード3が異質な感じで浮いている様にも見える…難しいなあ。
個人的には林海象監督の描く作品は結構好きですし、ハードボイルド風でありながら、原発と被災地を描く作風は林監督の新たなる挑戦かと思いますが、なかなか惜しい。
でも、妙に引っ掛かる作品でもありますので、ご興味がありましたら如何でしょうか?
生きることのやるせなさに溢れた作品
短編作品を3つ集めて1つの作品に編集したものらしい。
どの作品も人間の無力感に溢れた作りとなっていて、映像表現が独特。水の音と電気音が効果的に使用されています。
エンターテイメント性はなく、じっくり静かに映像を噛み締める感じなので、油断すると寝落ちします(笑)
【人間、神】
あの原発事故以来、僕達は何かを変える事が出来たのだろうか。
この作品は、こうした疑問を皮肉混じりに、しかし、郷愁をもって僕達に問いかける。
作品は3部構成からなる。
episode1: BOLT
巨大セットを建て撮影されたと説明がある。
冷却汚染水を食い止めるため、緩んだボルトを締め直すため、拙い装備で立ち向かう男たちの姿が描かれる。
しかし、人間の力は無力だ。
結局、人間は原子力という「神」の力を手に入れることも、制御することも叶わなかったのだ。
人間は、神になることは出来ないのだ。
episode2: LIFE
放射線が未だ残る避難区域に指定された被災地の民家。
老人が退去を拒み、ひとり、ひっそりと逝った。
残されたもののなかには、なまず。
この時点では、地震を象徴するものかと考えていた。
episode3: GOOD YEAR
世界的なタイヤブランドだ。
冬、自動車工場。
タイヤがパンクして、雪の中に突っ込んだ赤いオープンカー。
気絶している女。
助けた女は、おそらく妻だ。
デスクの上の写真たてのなかの妻。
既に、この世にはいないのだろうか。
ネオンの GOOD YEAR の二つ目のOの字の電気が消えかかっている。
子供が幽霊の仕業のように言うが、そうではない。
なまずの、そう、2番目のepisodeのなまずは、電気なまずで、二つ目の Oの文字は、その拙い電力で光っていたのだ。
あの亡くなった老人は、公共インフラも消失した避難区域にある家で、電気なまずの電力を利用しようとしていたのだろうか。
再生可能エネルギーを導入すると高らかに宣言しても、原発を止める決断もしない。
いつのまにか、再生可能エネルギーへのモチベーションも低下してしまったことを皮肉っているかのようだ。
原子力は「神」の領域だ。
二つ目の Oの文字の電気が消えたネオンは、
「GOD」YEAR
原子力への夢も、妻の幻影も、人に見せたのは、神だったのだろうか。
いずれにせよ、どちらも、手元に置いておくことは叶わないのだ。
全体を通して、
使命感、故郷、特定の人との思い出に縛られて抜け出すことの人間の哀れさを、新たなエネルギーに踏み出せない僕達の現状をメタファーとして対比させ、人間の現実を見つめたユニークな作品だと思う。
episode1は、巨大セットとのこと。
舞台的な感じが強く、巨大なレンチも、人間の非力さも、既に原発の中をカメラを通してニュースなどで目撃している身からすると、ちょっとリアリティとして、どうかと思ったり、どうしても違和感は残ってしまった。
ただ、とても示唆的で意見は分かれると思うが、僕は割と好きな作品だった。
スパナの使い方からしてねぇ…。
3つの異なるエピソードの短編集。
BOLT
地震による津波で機能を停止した原発から漏れ出した冷却水を止めるべく活動する男達の話。
LIFE
原発事故により避難区域となったが、そこに住み続けた老人が死に遺品を回収しに行く話。
GOOD YEAR
クリスマスの夜に車の修理にやって来た女と修理工の話。
3作ともカッコつけ過ぎのスカシ過ぎて寧ろカッコ悪くて、THE雰囲気映画という感じ。
出ている俳優陣は豪華なんだけどね…。
尺的にもタイトル的にもBOLTがメインという位置付けなんだろうけど、ツッコミどころ満載で、これが1番残念。
そこで気分が下がってしまっての後2作だからねー…。
何から何までリアルにとは言わないし、伝えたいことはそこじゃないにしても、もう少し下調べをして制作して欲しいものだ。
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