「望月氏を「i」にすると、世界が歪んだ。」i 新聞記者ドキュメント 珊瑚に刻まれしKYさんの映画レビュー(感想・評価)
望月氏を「i」にすると、世界が歪んだ。
フェイクドキュメンタリー「新聞記者」を鑑賞し、ホンモノを感じたく思うに至り、鑑賞して来ました。
ほかの鑑賞者が誤認してるようですが、本作は映画「新聞記者」の続編でも何でもなく、別監督による実在する記者を取材したドキュメント作品と銘打たれていますが、「映画『新聞記者』は、はじまりにすぎなかった」という謳い文句から勘違いされてもまぁ仕方ないように思います。
物事の見方はそれぞれ思想的な偏りがあるものですが、マスコミ各社の記事が信用に足るか怪しくなったときは、左右の派閥の主張を見比べ、客観的に信用できる方を信じます。相手のことを知らないと批判も出来ないという考えから、複数の新聞を購読しています。
私はこれで万全を期したつもりでしたが、森友学園問題の時に籠池夫妻にこぞって取材し、確たる証拠もとれてないうちから山本太郎氏の「アッキード事件」という過激な表現を好んでとり上げ政権批判に明け暮れた記者たちを見て、右も左も関係なく、我が国のジャーナリストは客観的に信用に足る確たる証拠もなしに、疑惑だけで息を吐くように嘘をつく組織なんだと見切りをつけるようになりました。
そんな彼らがどんなことを考えてあの日あのように行動したのか、自責の念はあったのか、自浄の兆しはあったのか等、色々興味がありました。映画「新聞記者」では、毒ガスだのネット工作室だの、政権の陰謀論めいた話を盛ってジャーナリズムの自己正当化をはかっており、不快な出来映えとなっていました。
今作はと言うと、「政権にもマスコミにも思惑があり、嘘をつきあっている。そんな中でマスコミ側としてたくましく考えて生きている記者にカメラを向けた!」という森監督の強い思惑を感じました。ドキュメンタリーだと自称した監督ですが、彼もまた平然と嘘をつくのです。記者のたくましい面ばかり切り取って時事ネタを追求する様子のみ魅せることで鑑賞者に多面的な問題を提示しつつも、結局はジャーナリズムに強く与する作品ととることが出来ましょう。これは、ドキュメントですか?
「ドキュメンタリーの意味分かっとらんだろ」みたいなことを書いてる重鎮レビュアーの皆様にも問い返したいです。
この作品、見世物としてはなかなか目を引く作品であり、斬新な構図になっておりましたが、これをドキュメント作品だと力説される方々は危険です。というか作品を撮った森監督ですが、紹介の中で「目薬を使って望月記者が泣いてるとこ撮ろうとした」とか自白してる時点でドキュメント作品を撮る監督として問題があります。完全な密着取材によるドキュメントでこんなことする必要、ないですよね?改めて問います。これ、ドキュメントなんですか?
カメラの向いた先である望月記者と聞いて思い出されるのは、今年2月頃にあった質疑応答を巡る極めて醜いニュースです。いつまでも本題に入ろうとしない氏に苦言を呈された点を、まるで鬼の首をとったかのごとく被害者として喚き散らす姿勢は、社会人として強く軽蔑するものでした。悪い意味で印象的な記者として記憶しており、彼女にカメラを向けた本作はある種、ジャーナリズムの自浄能力を問う指標となると思い、鑑賞を決意したものです。
残念ながら、「今、あなたに問う」のは結局国家の批判が主であり、「記者団も、政権も、欺瞞に満ちており、闇をを抱えている」「それに着目した俺の作品、すげーだろ」という監督の褒めてほしい一心からくるドヤの連続に思えました。結局はケンカ両成敗風に見せかけて片方を糾弾していました。朝日新聞が外交問題のニュースでよく我が国に対して見せる論理展開と酷似しており、思想的には歪んで見えました。
この映画を通して、「美化と自己正当化」をはかった記者側のことがさらに嫌いになるだけでなく、監督のひとりよがりめいた作風も目に付く事とりました。この点もふまえ、ドキュメンタリー作品としては最低評価にしたいです。もしもファンタジーとしてみるならば、☆3つくらい行った作品だと思います。
極端に思想的に歪んだ立ち位置に居る氏を「i」に据えたことで、世界そのものが歪んで見えた気がします。彼女の立場から世界を見ていると、政権は打倒すべき相手でありましょう。記者クラブにすら陰謀論めいたものを感じました。しかし私はこの認識そのものに忌避感と違和感を覚え、共感出来かねます。
作品の中であっちこっちの問題にふれ、誰を信じればいいのか、という問いについては、今後も「少なくともジャーナリストの喚き散らしには期待はしないよ」というスタンスを強化する結果となりました。
まあ期待はしておりませんでしたが、お金と時間を無駄にした気分です。