ワンダーウォール 劇場版のレビュー・感想・評価
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”劇場版”と呼ぶには追撮部分が少な過ぎた佳作
1ヶ月前の先月の7月13日(月)に、イオンシネマ京都桂川まで、ちょうどイオンシネマで使用可能なdポイントが貯まって来ていた事もあり、2018年7月にBSプレミアムで放送された、NHK京都放送局制作による「京都発地域ドラマ」の『ワンダーウォール』という渡辺あやさん脚本の単発ドラマに一部追撮を加えた劇場版の鑑賞に行って来ました。
今更ながらになりますが、あくまでも備忘録的に記録に留めておこうかと思います。
原案自体は、京都大学の吉田寮をモデルにした、百年以上の歴史のある京宮大学・近衛寮を舞台に、本物の吉田寮と同じく”変人の巣窟”と呼ばれ、敬語禁止、ジェンダーフリーのトイレ、全員一致が原則の会議など、学生自治によって運営されている自治寮であり、一見無秩序のようでいて、”変人たち”による”変人たち”のための磨きぬかれた秩序が存在し、一見すごく面倒くさいようでいて、私たちが忘れかけている言葉に出来ない”宝”が詰まっている場所。
そんな自治寮に、老朽化による建て替えの議論が巻き起こるのですが、寮舎を補修しながら残したい寮生側と、他の建物に建て替えたい大学側との対立を軸に描いた物語です。
従いまして、端的に言えば、大学側の一方的な京都大学吉田寮の寮生追い出し問題を題材にしており、本ドラマで描かれていた状況と同じような事が実際に起きていたことはニュース報道などで知ってはおりましたが、確かに大学内における自治問題には違いないのですが、学生側にとっては、学生時代の最大8年間のみの問題であって、ずっと住み続ける訳では無いので、余りにも分が悪いと思って観ていました。
台詞がかなり少ないので、行間を読みながら観ていく必要があるドラマとも感じました。
でも、意外に台詞が少ない割りには登場人物が皆キャラクターが立っていましたので、決してお話に付いていくのに困ることはなかったです。
主人公キューピー(須藤蓮さん)に対して志村(岡山天音さん)が語る理論立てた台詞が、寮生側と大学側の双方を隔てる<見えない壁>の存在の無力感をよく表していたと思います。
この作品が「大きな力に居場所を奪われようとしている若者達の純粋で不器用な抵抗。その輝きと葛藤の物語。」と謳う通り、お話しに結論づけることがなかなか難しいテーマの中で、ドラマ版では、やはり中途半端な終わり方をしていましたが、学生達の寮への愛情がよく伝わるドラマでした。
そこを補うべく、劇場版ではわずか数分ながら<未公開カット>や<近衛寮のその後の物語>の追撮を加え、またクライマックスには、ドラマ版に共感された人々が一同に介して参加するセッションシーンが実現。
後半に進むにつれて、大学側と寮生側の双方に各々の言い分がある状況は、あたかも大袈裟に言えば、中東のパレスチナ自治政府とイスラエルの関係の様にも見えて来て、より普遍的な問題として問題提起なされるべきとも思えなくもないドラマでしたので、つい引き込まれる様なお話しでした。
しかしながらも、自由な校風を標榜してきた印象の旧帝国大学でさえも、学生による自治まで資本主義の合理化の波にあらがうことが出来ない現実はあまりにも悲しすぎました。
私を含む多くの観客の声は、成海璃子さん演じる女性の励ましのメッセージに込められているのではと思いました。
私的な評価としましては、
お話しに結論づけることがなかなか難しいテーマであり、普遍的な問題を採り上げてながらも、そんな中で、少しでも抵抗しようと不器用に頑張る若者たちの姿をよく描いていたと思います。
但しながらも、京都を舞台にしたご当地ドラマでしたが、贔屓目に見ましても、追撮部分があまりにも少な過ぎて、単発ドラマを映画化した劇場版と呼ぶには惜しい映画に感じましたので、五つ星評価的には、★★★☆の三つ星半評価に止まる評価とさせて頂きました。
【旧帝国大学の寮は古くてボロくて建築基準法を満たしていないが、蒼き青年たちを育んだ歴史があるのだ!”人間の幸福にとって必要な何か”を有する「歴史的文化遺産」を守るのは行政の仕事だろう!】
ー私事で恐縮であるが学生時代、大学側との”団交”に臨むときには、決意が必要であった。
何故なら、その”団交”は午後6時から始まり、延々と夜を徹して続いたからだ・・。自分達の”城”を守るために・・。-
■物語は、”ある旧帝国大学の”地区100年を優に超える、吉田寮・・じゃなかった近衛寮が舞台となっている。
1.近衛寮の魅力というか、欠点というか・・を幾つか。
・寮生の多くが謎過ぎる人々である事。
-おじさんは誰ですか?という人が普通に生活している。何回、留年したのかな?-
-旧帝大生は、他の旧帝大の寮に泊まることが出来たという理由も有るかもしれない。”〇〇大学の方が来られました!”という、館内放送も懐かしい・・。-
・寮内に、色んな生き物が徘徊している・・。
・トイレは男女共用。しかし、”ある理屈で”清潔感はしっかり保たれている・・。
-時代より、50年は先駆けた思想と、建物構造。-
・一番、面倒なのは寮の規則を決める際、全員一致である事が大原則である事。で、ごみ捨てルールを決めるのに、延々と議論する・・。
-皆、大好き、延々と続く不毛な議論・・。-
・掃除をしない・・。気が付いた人がする・・。こたつの上、周囲の一升瓶林立状態・・。
・敬語禁止
2.そんな歴史ある寮に、大学側が突き付けた事。
・建築基準法を満たしていないので、建て替え。もしくは寮の撤廃。
-が、実は大学側の本心は・・。-
3.当然、寮生側は学生部に抗議に行くのだが・・、そこには幾つもの”壁”が・・。
-寮の代表者三船と大学の事務員(鳴海璃子さん)との関係性・・。-
<青臭い学生たちの、寮を守ろうとする”全然一致団結しない”姿。
だが、寮をそれぞれのスタイルで深く愛する学生たち一人ひとりの姿が、愛おしく感じる作品。
NHKBSにて2018年7月25日に視聴し、DVDにコピーし、時折見直していた作品が、まさかの劇場公開とは・・。嬉しき哉。>
■蛇足
・最近、気になっている、”千松信也さん”も、この寮に住んでいた・・。
力のない正義は無力。正義のない力は圧力。
築105年の京宮大学近衛寮。言わずと知れた京都大学吉田寮がモデル。変人の巣窟とよばれ、敬語禁止、ジェンダーフリーのトイレ、全員一致が原則の会議、など学生自治によって運営されている。端的にいえば、馬鹿な学生ばかりなら犯罪の温床になるだろう。しかしそこは、かれらこそ本邦における頭脳の雄山、憂慮は無用だ。むしろ、安寧と堕落にむさぼる快楽こそが彼らの敵。その危惧は、存続交渉の彼らの態度に現れている。かつての学生もこんなヤワだったのか?ってくらいグダグダだ。たぶん、先日、映画で観た三島と討論を交わした学生たちを覚えているからであろう。退寮要求に無関心な学生もそりゃいるだろう。だけど、せめて何人かは一本気な強弁者はいなかったのかと歯がゆい。戦略の見えない抗議に苛立つ。厭だ厭だと駄々を捏ねてばかりじゃなくて、せめて建築関係や自然環境や心理学等々の学友を巻き込んで代案を出せないのかとジリジリした。裏返せば、すでにもう無理だと諦めていたのだ彼らは。利益を求める大学の進める方針に抗うつもりがないのだ。堅苦しい大人たちと隣り合わせに生きている、自由を謳歌する若者たちに過ぎなかったのだ。
鑑賞後、人間の幸福にとって必要な何かって何なんだ?って漠然としながら、久々に渋谷の宮下公園の横までやって来た時、変わり果てた宮下公園の現状を目の当たりにして驚いた。数階建ての商業ビルとなり果てた姿を見て、これじゃない、と思った。屋上に緑地があるが、そうじゃない、と思った。宮下公園は、木陰で一息出来て、側には空き缶拾いのオッチャンが座り込んでいて、気が休まるんだけどそれでいて夜はうら寂しい、そんな渋谷の異空間でなきゃだめなんだよなあ、って。ああここにも経済至上主義の波が、と思いながら、それは僕個人の勝手なノスタリズムであることも自覚した。そうか、近衛寮もこれを求めていながら、世の趨勢に逆らうことの愚を悟ったのか、彼らは。
ガンバレ熱い駄々っ子たち
世界では人々を隔てる壁はなくなってきているイメージなのだが、現実には逆の状況が身近なところでも起きていることを告発する作品。旧い大学自治寮の存続運動をめぐる若者達の姿を、打ち込む者あり、冷める者もあり、モテるためにやる気になる者あり、と青春期の熱情を交えながらごく自然に描いていて好感が持てた。自由を標榜してきた印象の、大きな国立大学でさえ資本主義の波に逆らうことができない現実は悲しすぎる。私を含む多くの観客の声は、ラストの成海さん演じる女性の励ましのメッセージに込められていると思った。
ノスタルジックな魅力満載
もどかしくて切なくて大好きだ
とてもよかった
70年代の学生の生活に強い憧れがあるので、現代でもそのようなむさ苦しい生活があることに驚いた。冒頭、京都の観光ガイドのような場面展開で始まるので苦手なやつだと思ったら、逆だった。あんな寮に暮らしてみたいのだけど、実際家賃がタダに近いような額だろうし、それで居座っているのも自分本位な感じがする。自分たちでお金を積み立てるとかOBにカンパをしてもらうとか、もしくは建築科の生徒に設計してもらってDIYで改修補強工事をするなどすれば交渉の余地もあるのではないだろうか。音楽が素晴らしく開放的で、寮の雰囲気に合っていた。
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