「信仰のジレンマ、無力感、告解、沈黙、そして…その先」2人のローマ教皇 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
信仰のジレンマ、無力感、告解、沈黙、そして…その先
多分、あまり注目されてない映画のように思うが、予想以上、期待以上の物語だった。
僕の表現力不足で、上手いキャッチも見つからないが、まず、ベネディクト教皇を演じたアンソニー・ホプキンスと、ホルヘ・マリオ枢機卿(今のフランシスコ 教皇)を演じたジョナサン・プライスの演技も光る。
物語は、先般、来日したフランシスコ教皇が枢機卿の際の、ベネディクト教皇との対話が中心だ。
そのなかで、2人の信仰のジレンマや、政治との関わりのなかでの無力感、告解、神の沈黙、疑問、相対主義の台頭、そして、赦しと新たな大きな一歩が綴られる。
フランシスコ教皇は、日本では、広島と長崎での祈り、核兵器の根絶や原発の見直しを訴えたことが主なニュースとして取り上げられたが、僕は、来日より前の難民の日に向けた、先進武器輸出国を強く非難する声明が、的を得て強烈な印象だった。
大量の武器を作って輸出し、紛争を後押しして、紛争地で多くの命が失われ、そして、多くの難民が生まれるのに、その難民の受け入れを先進武器輸出国は一体拒否することができるのかという強い非難の内容だったように思う。
2人の対話からは、ローマ教皇も、普通の人と同様に、好きなことや趣味があり、健康や日常の周りの人々の作業にも気を配る一方、職責を全うするために様々な葛藤や苦悩を抱え、その感じ方は、僕達のそれとほぼ一緒ではないのかということが感じ取れる。
しかし、やはり、自分自身にも信仰のジレンマがあることや、世の中が変化していくなかで教会はどうあるべきか逡巡する姿、神父たちの小児愛を巡る教会としての不適切な対応、トランスジェンダーなど新しい価値観の挑戦、相対主義の台頭による影響、そして、政治とどう向き合い、どのように政治に影響を与えていくのか、やはり葛藤は大きい。
ベネディクト教皇は元ナチ呼ばわりされ、ホルヘ・マリオ枢機卿は右派軍事政権に加担したとして批判も受けていた。
一方で、ベネディクト教皇はルールを重んじる保守派、ホルヘ・マリオ枢機卿は改革派として対象的に語られらる場面もある。
しかし、2人きりの対話を通じて共通の価値観を見出そうとする姿を見ると、今僕達に一番足りないと思うものを感じるし、神と人間の物語の描かれたシスティーナ礼拝堂での2人のやりとりは、ここにまた、ひとつ、神と人間の物語が一場面として追加されるのだと期待させられる。
神は実は沈黙などしていなかったのではないか。
システィーナ礼拝堂に一瞬ジャズが流れる。
システィーナ礼拝堂にミケランジェロが描いた神と人間の物語は、本当に多くの場面が表されていて、異なる個性的な音が融合して躍動するジャズのようなものだと思わせる。
そして、ベネディクト教皇とホルヘ・マリオ枢機卿はアルゼンチン・タンゴを踊る。
ビートルズだって好きだ。
音楽が時代とともに変遷したように、宗教も変わって構わないのだ。
多くの価値観が生まれ、対立を乗り越え調和が生まれるのは必然なのだと考えさせられる。
良きものは残し、他を変化させることは可能なのだ。
こうした2人の教皇の引退と就任に至るまでの背景にあった対話の物語を観ると、改めて、カトリックが相対主義を乗り越え、魅力的な宗教に脱皮しようとしているように感じるのは僕だけではないように思う。
僕達のその先は、悲観するようなことばかりではないはずだ。
「流す涙は嬉し涙が良い」
フランシスコ 教皇の言葉だ。
※再び、Netflixにやられた感があった。