劇場公開日 2020年2月21日

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「女の一人称映画」Red keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5女の一人称映画

2020年3月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

商社マンの夫と娘、夫の両親と何不自由なく裕福な環境で安穏に暮らす主人公・村主塔子という女の、徹底して一人称の映画であり、彼女を通して三島有紀子監督が描く、女であることの苦悩と女であるゆえの煩悩を、粘液的にねっとり絡みつくように映像化した抒情詩が本作です。

毛穴がはっきり見て取れるほどの極端な人物の寄せカット、手持ちカメラの長回し、暗然とした色調、更に台詞が極端に少ない映像は、自ずと官能的で蠱惑的な情炎を内に滾らせ、観客が冷静にスクリーンを眺めることを許しません。台詞が少ない、ト書きの多い脚本であり、従い役者のドウサ(演技)の演出は監督の独壇場となり、三島監督の制作意図が直截に表現されたと思います。
引きのカットは殆どなく、また決して女の煽情的な衣装やアクションは皆無ゆえに、却って女の心の奥底で醒めた炎が消炭の中に熾り続けているような、予測不能な不気味さに慄然とします。少なくとも男の私にとっては・・・。

10年ぶりに再会した男は、多分消炭を熾らせた触媒に過ぎず、己も無自覚に鬱屈していた女は理性では動かず、感性、更に言えば子宮で行動するのでしょう。男との情事のシーンの長回し、これも台詞はなく、ただ濡れ場が延々と続くものの、その描写は極めてソフトで胸部や下半身は一切見せません。
女性視点である所以ですが、繰り返される情事は全て男の射出感覚ではなく、女の分泌感覚で描かれており、突出した一瞬の爆発ではなく、終わることのない濃密で粘っこく絡みつくような描写で終始します。

劇中「男は1000年経っても男のまま」という台詞があります。男は、少年のままに齢を重ね、遂に老年に至り少年のままに死を迎える一方、女は一生涯変貌し続けるということでしょうか。全く異なる生き物と言っても良いのですが、それ故にこそ、実に微妙なバランスの上で共存し共栄してきたのでしょう。

冒頭、雪景を疾走するトレーラーの、長尺荷を警告するための真っ赤な(Red)布が烈風に激しく靡く様、そしてラストでは遂にその赤い布が風に吹き飛ばされてしまう、その血の色を連想される“Red”こそ、本作に相応しいエスタブリッシング・ショットでした。

keithKH