「点滴で 溺れ死ぬより 枯れて死ぬ」痛くない死に方 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
点滴で 溺れ死ぬより 枯れて死ぬ
患者をただ生かすことが盲目的な至上命題となっている医師、延命治療で患者の苦しみを経営の土台としている大病院、在宅医療で苦しんでいる患者家族。終末期医療の現場で起こっている様々な問題を見事にエンタメに昇華させた作品。
主人公河田は開業への足掛かりに在宅医師になったものの、その多忙さ故に妻には逃げられ、いつしか仕事もおざなりになり、担当患者への接し方も事務的になっていた。
そんなとき河田の患者が激しい苦痛の末に亡くなってしまう。遺族に責められた河田は先輩医師長野のアドバイスを受け、自分の苦痛緩和処置にミスがあったことを知り愕然とする。
病院のカルテだけをうのみにして自分の目で患者と向き合っていなかったことに気づき、彼は遺族に謝罪する。
本来、医師のほうから謝罪するのは裁判で不利になるため自殺行為だ。しかし、遺族は彼を訴えなかった。
それから二年が経過し、長野の下で終末期医療に携わる河田の姿があった。今彼が担当している患者は元大工の本多で昔ながらの職人気質の人間だ。
本多は末期の肝ガンであるにも関わらず、生来の性格からかあるいは周りを気遣ってか、常に明るく振舞い周りを和ませる人懐っこい存在だ。また付け焼刃で彼が読む川柳もユーモアにあふれていてそれが心を和ませる。
しかしそんな彼にも死の恐怖は訪れる。弱気になりそれが川柳の文字に現れそうになるのをこらえて消しゴムで消す。
時には川柳を楽しみ、時には縁側で花火を見ながらの晩酌、そして煙草もふかす。そこには終末期の悲壮感は一切感じられず、ただ死を迎えるまでの穏やかな時間が過ぎてゆく。
そして本多にもついに「死の壁」が訪れる。終末期医療にとって最後に越えなければならない壁だ。それを乗り越えたとき安らかな死が待っている。
患者が苦しむ姿を目の当たりにした家族はついつい救急車を呼んでしまう。しかしそうすれば待っているのは大病院によるチューブにつながれた延命治療という無間地獄だ。
そこには本人の意思など関係ない、ただ病院側の都合で生かされ続ける、まさに生きる屍とされてしまうのだ。
「死の壁」を乗り越え安らかに逝った本多。大病院は断片である臓器を見る、しかし自分は患者の物語を見る、つまり患者の人生に寄り添うということ。師匠である長野のその教えを全うした河田はかつて自分を訴えなかった遺族の期待に応えた。
私たちが経験したような辛い死を迎える患者を二度と出さないでほしい。そんな遺族の切実なる思いが河田には伝わっていた。
在宅による終末期医療を描いた本作。前後編に分かれた二部構成。前編はとにかく終末期医療のつらさをこれでもかと見せつけられる。病人を演じた役者さんの演技はすさまじく、介護する側の演技もリアルで、それを見せられるほうも精神的にかなり疲れる。
その苦しみの原因の一端を担った医師の成長を描く後半は対照的にユーモアに溢れた救いのある内容になっていて、他のレビューでも書かれていたが、「おくりびと」を彷彿とさせた。
重いテーマをエンタメ作品に昇華させた高橋監督による見事な作品。今は無きテアトル梅田で鑑賞。再投稿。
素晴らしいレビューですね。
筆が乗ってて読みやすく分かり易いし、要点を纏めてらして見事です。
本当に考えさせられました。
レントさんの、
〉見事にエンタメに昇華した作品・・・
そうだと思います。
ちょっと心配になったのですが、
死にかけている家族を、救急車を呼ばずに放置、黙ってみていられるか?
・・・そこで在宅医が登場するという事ですね。