積むさおりのレビュー・感想・評価
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妻の不満 夫の無神経
2019年公開作品
初鑑賞
U-NEXTで鑑賞
監督と脚本は監督と脚本は『血を吸う粘土』『血を吸う粘土 派生』『歩女』の梅沢壮一
粗筋
結婚してから5年近く経ったバツイチ同士の幹村夫妻
妻さおりの夫に対する小さな不満が積もりに積もっていく
ある日犬の散歩途中で見かけた林の土手の穴
それからさおりは耳鳴りが
夫への不満はピークに達する
夫と死体を穴に捩じ込み踏みつけるさおり
妄想だった
40分弱の短編
監督は黒沢あすかの夫
子供が3人いる
映画監督というより本業は特殊メイクアーティスト
上映中の『カラダ探し THE LAST NIGHT』にも参加
最近でも『岸辺露伴は動かない 懺悔室』
過去にも『映画 怪物くん』『映画 妖怪人間ベム』『のぞきめ』など
不協和音
黒沢あすかの威圧感
夫は浮気をするわけでもなく暴言暴力もなし
無職でもないしギャンブルにハマっているわけでもなさそう
ブーブーオナラをするわけでもない
二人の間には子供がいないようだ
結局離婚はしない模様
それが1番ちょっと怖い
配役
慶介の妻で42歳の幹村さおりに黒沢あすか
さおりの夫で47歳の幹村慶介に木村圭作
余白に感じる邦画の力
解説には中編サスペンスとあったが、サイコロジカルな作品だった。
すべてがサオリ一人によって作られているので、それ以上分類できないように思う。
あらかじめ背景として設定されているバツイチ
これは視聴者にある種の思い込みを抱かせるためだけのように感じた。
冒頭でわざわざナレーションする必要などないように思う。
またそれぞれがなぜバツイチになったのか?
それは物語で想像できる。
夫のケイスケ
彼本来のガサツな気質、自分がしたいことだけを優先的にして、共同生活委に対する配慮は微塵もないことが、「それ」だろう。
一方サオリ
彼女は生真面目で夫の些細な問題にもいちいち反応しないようにしている。
この物語の主人公で、彼女の内面こそ監督が描きたかったこと。
彼女の離婚原因を彼女の日常から探すことはできない。
そうであれば、夫の不倫と相手方の賠償問題が原因だろうか?
結婚をリスタートさせた二人
しかしケイスケの毎日に些細な言動やノイズが不満となって溜まっていく。
この積み上げるように溜まっていった不満を、木の枝とそれを積み上げて巣にしているのを見て、自分との一致に気づいた。
これが耳が遠くなって聞こえにくくなったことを引き起こした。
自分自身の内面
夫の嫌な言葉や音だけがはっきり聞こえたのは、それをまた「積んだ」からだろう。
こうして考えると、サオリは夫のすべてが嫌いだという感じだが、実際にはそうでもない。
彼女はウェディングプランナーの仕事の絵を上手く描けなくなった。
新郎の顔を夫の顔にした。
自身の腕を切り取ってシャベルのようなものを作った。
そしてあの巣のようなものの中をほじる。
押し殺してきた自分の声
犬の糞となって出てきた夫の頭部
それを穴に蹴り入れる。
サオリは、自分自身が黙って抱え込んできたものの正体を見た。
彼女が5年近くかけて積み上げてきた「夫像」
それは醜いものだった。
しかし、
夫がくれた耳にいいサプリや結婚記念日の花束
穿った見方をしていた自分自身
サオリが離婚した本当の原因は、勝手に作り上げてきた「夫像」
確かにあった不倫だが、その事実が色眼鏡となってわずか7日程度で離婚した。
夫に寄り添うことなどしなかった当時の自分
夫の言葉など一切聞こうとしなかった自分
そうして、また同じようなことになりそうだった。
サオリは、いつもの夫の仕事の愚痴に少しだけ耳を立ててみた。
そして初めてアドバイスしてみた。
その反応に少々驚いたケイスケ
このありふれた夫婦の日常
なかなか奥深く余白があって考えさせられる作品だった。
ただ、感じ方はそれぞれあるので、やはり多義的ではある。
最後のシーン 割れたペン立てが直されていた。
これがこの物語が伝えたかったことであるのは間違いないだろう。
よくあること。
『積みゲー』と『詰みゲー』
“「積みゲー」が単純に未クリアのゲームを指しているのに対して、「詰みゲー」は『クリアする意思と時間があってもクリアできない』という状況も含めたワードになっているのが大きな違い”とのこと。始めに本作タイトル通りだと、前者の意味合いなのだが、どうも印象としては後者の“手詰まり感”の方が後半支配的になるのではと思ったのだが…
40分という作品としては短編なのは、どうも10分の他作品を作っていたのだが、とある映画祭に於いて持ち時間が余ってしまう理由で今作品を作ったらしい。かなり実験色の強い、裏を返せば、観客には余り寄り添わない出来となっている。カタルシスが得られそうで、結局ラストのシークエンスは現実なのか夢オチなのか、それともループものなのか、解釈が分かれるモヤモヤ感が施されたオチだからだ。確かにこれでは、『世にも奇妙な物語』では採用ならないなぁと、尺だけの単純な発想である(苦笑
大胆且つ鮮明さとくどさが表現されていた音効、そのスクラッチ音や、人間の発する音等がクライマックスで一つのBGMとして編成されていく作りは興味深い。それと編集処理や早送り・巻き戻し・フラッシュetcの多用と、目まぐるしさの渦はトリップ感さえ感じさせる。そしてそのテーマは、“単なるパートナーの我慢できない所作”。メニエール病を匂わせる様なイメージも表現されているが、深掘りしていないのは、観客を納得させられる程の同情を、敢えてなのか尺的なのか表現されていないので、実はそのテーマ性も深読みする必要はないのではないだろうか。単にトリガーとしての様々な“気に障ること”の積み重ねで、最後は“詰む”。とはいえ、生活は続くのであって、そのストレスをどうやって解消したらよいのか、それを『王様の耳はロバの耳』の如く、木の洞に巨大な耳かきを突っ込むという、何かのメタファーを表現したという作りであろう。で、前述のように、ラストはまた普段通りに二人で生活。クライマックスシーンでの漫画チックな数々の特殊造形は、狂気と気持ち悪さをぶつけてきたのだが、これを表現する必然性をとやかく言っても仕方がない。なにせ監督は特殊メイクアップアーティストらしいので。いわゆるオカルト漫画やグロテスク系、いわゆる“リョナ”系の猟奇的エッセンスを実写化したらこうなったという内容なのではないだろうか。何せ、お互いのパートナーの気に入らないところを論う話はそれ以上でもそれ以下でもないしね・・・。
ほじくりほじくり
うわーー結婚したくねええええーーー!!!
地獄!地獄!ファック!結婚!家庭!クソ!
でも、なんだかんだ、夫婦って良いものなのかも。いい関係って築けるものなのかも、やっぱり結婚したいかも、結婚したかも。
バツイチ同士の夫婦、結婚5年の記念日を目の前にした妻を突如襲う、潜在的不満の爆弾。
家のものごとを妻に丸投げし、行儀が悪く、人の迷惑や負担を考えず、声が大きく、生活音が大きい夫。
とにかく不快感と嫌悪感を積みまくり煽りまくる彼に、もう死ぬほどイライラした。
悪気のない無神経な精神攻撃にもうズタボロ。
的外れでしょーーーもない気遣いも苛つく。
わかる、わかるよ。一応想ってくれてるんだよね。
しんどい。
おそらく今までは気にしていなかっただろうそれらに気付き始めた妻さおりに起きる変化、その表現方法が面白かった。
気になりだすと止まらない嫌悪、過敏になる聴覚。
対象の人への負の感情が強いほど、その人から出る音や振る舞い全てが嫌になる。わかるわかる。
溜まりに溜まった鬱憤を存分に感じてからのほじほじタイムは最高に最低で、最高に興奮した。
ぶっ飛んだ造形とヌルヌルネチャネチャとウンチをぶち込んでくれて嬉しかった。
こういうの気持ち悪くて気持ち良くて大好き。本当に好き。ウンチのやつ大好き!
心理スリラー的に物語は進むけれど、このまま終わるわけないだろうなーと思っていたらやはり。
特殊造形の方が造る映画の良さをしっかり味わえた。
どんなものを食べて生きたらこんな発想が生まれるのか。
会話してこ、指摘してこ、発散してこ。
ラストは意外なところに落ちてくれて、ホッとしたようなザワザワしたような。
でももしかしたら、次の日に部下をフォローするのかも。いや、絶対するだろうな。
他人と好き合って一緒に暮らして、夫婦になって家族になって、ってどんな感覚なんだろう。
どうして人は結婚するんだろう。
なんてこともふと考えてしまった。結婚って何?
二人がバツイチだというのも気になる。
以前の結婚生活はどのように終わっていったんだろう。
ネットでこの手の妻の叫びはよく見るけれど、こうして改めて見せられるととんでもない。
家の中でふんぞり返って好き勝手しちゃう人たち、身を引き締めてこ。
私は一人暮らしだから関係ないや!自分の怠慢は全て自分に還ってくるからね!やったー!
この映画は目を閉じて観ても理解できるんじゃなかろうか、と思うほど聴覚に訴えかける演出が強い。
しかし、黒光りした夫のビジュアルの効果はものすごいし、クライマックスは視覚と脳味噌にバチバチに刺さるし、やっぱり観て聴いて楽しい作品だった。
貯蔵
タイトルがいい。
凄いシンプルなお話だった。
ストレスというものの成り立ちとでも言うのだろうか?
観てる俺は最初から最後まで常に不快だった。というのも、アレはうちの家庭の事かと思うからだ。
悪気はない。
ないのだが、四六時中顔を突き合わせていれば溜まっていくものは必ずある。
それは勿論、お互いにだ。
元凶は確かに相手だ。
相手から発信されるものである。
でもそれを溜め込んでいくのは本人なのだ。
タイトルは「積むさおり」
…なるほど、と唸る。
作品自体も音を巧みに使っていて、主人公であるさおりの聴覚を体験する事になる。
否応なしに、さおり目線で作品を見る事になり、感情移入もさおりにだ。
でも、タイトルは「積むさおり」
主観で進む作品は、実は客観的な視点をも孕んでいて、観終わってハタと気付く。
どちらかに落度があるわけではない、と。
作品中、色々な比喩的表現はあるものの、タイトルを含めて考えたら、シンプルな作品だったなとの結論に至る。
あらゆる情報を強制的に伝えてくる「音」への警鐘とも取れるのだろうか?
発言も感情を音に変換したものであったりもする。雑音や生活音は、それだけでは「音」なのだけれども受信する側のメンタル次第で、無意味に意味をもつようになる。
それを受信する「耳」
彼女が自らを使ってかっぽじった異物は形容し難いおぞましさの集大成ではあり…山盛りに盛られた異物に便秘が治った時のような爽快感を感じる。
溜まったものは出さなくちゃ。
そんな映画だった。
世の旦那衆は気をつけよう
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