シン・ウルトラマンのレビュー・感想・評価
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昭和の特撮のリバイバル版
ウルトラマンシリーズは子供のころに再放送がテレビに映った時に少し見たことがある程度で記号的にウルトラマンを知っているぐらいの知識です。
面白かったけど、合わなかったであろう人もいるだろうなあって感じでした。
2時間の映画を一本というより30分番組が4つって感じの構成で特撮を見に行った人なら満足だっただろうし、映画として見に行った人なら肩透かしだったのかなあと。
悪役たちが個性的で不気味なザラブ星人、どこか憎めないメフィラス星人、無慈悲な破壊そのものなゼットンといいラインナップだったんですが、逆に主人公含む禍特隊が記号的な感じで面白くなかったり、ウルトラマンが戦闘中にヘヤッとかデュワッとかも言わずに一切無言で黙々と戦うだけなので、掘り下げ不足もあいまって正義を実行するだけの機械にしか見えないんですよね。
魅力が悪役>>>味方な感じでした。
ウルトラマンが朴念仁すぎて単体では面白くなかったけどメフィラス星人の山本耕史の怪演がドはまりしていて共演するシーンが面白かったから、それはそれで良かったのかな?
手放しには褒められないけど十分楽しかったと思います
ダイジェストでお届け
良いところ
怪獣との決戦シーンはVFX含め、見応えあり。
ジャイアントスイングや地球外へ怪獣を抱え込んでの飛行シーンなど、ウルトラマンへの愛情がたっぷり感じられる。
それでいて現代のVFXならではの、挑戦的なカメラアングル、光線のリアル感などと相俟って、シンゴジラからの庵野特撮シリーズは魅力的に写る。
その一方で、残念なところ
科学特捜隊の会話シーンは、絵コンテ切ってないんじゃ?と思われるような、カメラの台数頼りの平凡な画づくりが多かった。閉塞感のある会議室シーンは、開放的な戦闘シーンとの対比と考えるのは良心的な見方か?
早見あかりとジャニーズの子の演技が残念。
2人とも、なまじっか存在感があるだけに
あくまでも脇役の落ち着いた演技にして欲しかった。
脚本全体としては、いわゆるウルトラマンの社会性やテーマをうまく盛り込んでいる印象であったが、1作にまとめるにはいかんせん無理があった。
怪獣との対決シーンに見られるような、ウルトラマン独特の間、「静から動」「動から静」への転換
が乏しく、急ぎ足の編集になっているのは否めず
シリーズ化するのが吉だったのでは?
あ、それとウルトラマンが何も発声しないのはなぁ。
シュワッチ。
所々にある違和感と安心感
おもしろかったです。
おもしろかったですが、庵野さんの作品が好きな比率より、ウルトラマンが好きな比率が大きいために起きる違和感(特にウルトラマンのフォルムと動き)が最後まで付きまといました。
所々の音楽は聞きなれたものが飛び込んできて、嬉しかったです。
ラストが・・・。
現在まで2回鑑賞済み。やはり最低2回は見ないと理解できなかった。限られた尺で始まりから終りまでを描いていること、つまり一本の作品としてまとめていることはまあまあ評価できるにしても、やはりラストのゼットン戦にはかなりゲンナリした。
一兆度の火球を放つとか劇中に説明していたが、それなら宇宙空間(衛星軌道上?)でなくとも、地上で堂々と姿を現して、ウルトラマンが果敢に独りで戦う姿を描くべきだったのではと疑問に思った。
それにより、地上の人類が「独りのガイセイジン」が、地球や人類のためにここまで戦ってくれているという共感や感心が生まれ、最後の最後にウルトラマンが復活して、人類と共闘してゼットンを倒すとかにしないと何も感動もあったもんじゃなかったと思う。
このラストって、いわばトップをねらえやエヴァを意識しているでしょ?間違いなく。このラストだけはなんだか好き勝手に描きたかったという製作者側の意図を感じたよ。
あと、過去ウルトラQ~ウルトラセブンの第一次ウルトラブーム作品の随所を、この映画にところどころ盛り込んでいるので、仮にシン・ウルトラセブンなるものを作ることになったとしたら、とんでもなく大きいハードルが待ち受けていることだろう。まあ前提とかの設定をいじくればクリアできちゃうかもだが、安易に変えて良いものでもないだろうなとも思う。
懐かしいけど新しい
TVシリーズのオマージュをふんだんに感じるものの、何故か新しい。
棒状の飛行体型とか、それが風車のように回る様とか、スーツのシワとかマスクのバリとか。予算上の都合か当時の精一杯の結果なのかは判断しかねるが、それら全てを必然として肯定したような本作。
見応えと問われれば答えに詰まりもするが、色々と感慨深かった。
既出の作品だけに期待値なんてものもあるのだが、そもそも「ウルトラマン」とは何だったのか?そんな事にまで言及してる脚本に思う。もとより当時は小学生くらいなので小難しい事は考えてもいなかったろう。
大人になって、当時のヒーローを再考し楽しむ為の裏付けのようなものがいっぱい描かれてた。
コレはウルトラマンであって、ウルトラマンではない。そんな感想をも抱く。
とはいえ、カメラも特撮技術も進化を遂げて当時では考えられないような…いや、考えついたとしても実現できないようなカットが多数ある。オリジナルのスタッフはこの作品を見て「コレコレ!」と歓喜するのであろうか?
印象的なのは庵野カットの存在感だ。
アニメ、主にはエヴァなのだけれど、ちょいと見慣れないアングルがやたらに挿入されてくる。なのだが…そのカットと芝居がシンクロするわけでもなく戸惑う観客も多いのだろうと思う。だが、これが庵野作品なのであろう。監督故の特色と言っていいのかもしれない。
物語は大人が見て楽しめるウルトラマンだったと思う。メフィラスの立ち位置とか絶妙で…なんか2つ名があって宇宙一の策士とかそんなんだったと思うのだけど、ウルトラマン怪獣大百科とか読んでもピンとこなかった。なのだが、本作ではなるほど、と唸る。彼による世界観の説明もとてもスムーズで、好印象。怪獣の生い立ちや何故地球が狙われるのか、とか。
気になるのは多用される「マルチバース」
…マーベルのソレと同一のものなのであろうか?いや、まさか、さすがにそんな事は起こらないとも思うのだけど、冒頭のタイトルの前に提示される「シン・ゴジラ」なんらかの関係性を想起させられる。
ウルトラマンのデザインも怪獣の造形も大好きだ。
怪獣は現代よりにブラッシュアップされてはいるものの、当時とほぼ変わらないウルトラマン。
とても、とても、素敵なのである。
simple is Bestとでも言おうか、普遍性さえ感じてしまう。
普遍性と言えば音楽もそうだ。
当時を想起させるカットの存在感も含め、実に世界観を雄弁に語ってくれる。
融合と言えばいいのか、その辺りはシン・ゴジラの時よりも成功に近かったように思う。
ゼットンまでを見事にまとめた本作。
単発になるのか、前振りになるのかは分からないけれど、50越えたオッサンが楽しめる空想特撮映画であった。
あれ?元は空想科学小説じゃなかったっけ?
ウルトラQとごっちゃになってるのかな?
■追記
色々なレビューを読んでふと思う。
CGのモーションが良くないとかあるのだけれど、コレが正解はないのではないかと思う。
怪獣も宇宙人も見た事ないだろ?
人間がスーツを着て宇宙人にならざるをえなかった時代とは違うので、どんな動きをしようと「人間」を基本に比較する必要はないと思う。
関節がなかったりしても不思議じゃないよ。
突如4本腕になっても、地球外の生態系なのだから、否定のしようがない。
人間とは違う機能を有しているのだから。
■追記2
あっさり終わったラストカットについて、ふと思い立った事がある。
あのラストカットを俺は「妙な終わり方するなぁ」と疑問に思ってた。で、何故アレだったんだろうと。
神永の目線ではあるものの、神永を通した観客の目線なのかと思い…ウルトラマンは貴方の心の中にもいるよ、とか。神永は貴方だったんだよ、とか。
崇高な意志を持つ生命体の断片を人類全てで分かち合う、というようなメッセージであるならば、あのラストカットにも合点がいくなぁと。
ふと、そんな事を思いたった。
企画賞、差し上げます。
もうストーリーがどうのこうのではなくて、子どもの頃に夢中だったウルトラマンと巨大怪獣にワクワクしっぱなしでした。
プラス巨大長澤まさみさんにも萌え萌えでした。真下から見上げてみたいと思ったのは僕だけではないはず(こういう演出はセクハラっていうのかしら。気分害された方がいたらゴメンなさい)。
外星人同士が居酒屋で会談や、難しい言葉を良く知ってる外星人などコメディっぽいところも楽しかったです。
駄作・ウルトラマンに罪は無いので★2にしときます…
単純に昔からウルトラマン好きな人が見るならそこそこ懐かしさもあり時間つぶしにはいいのか。
内容的には昔のテレビ版のウルトラマンシリーズの少しダークな感じを抜き取ったポップな感じに流れ、展開は王道。
それを踏まえた上で、今回の作品が高評価が多いのに違和感。
まず【友情】がテーマとあるがまあ~薄っぺらい友情劇。
とにかく長澤まさみのキャスティングでは無くてあの立ち位置の存在が要らない。
ぽっと出の【バディ】が何故、あるシーンでビンタをしたり泣いたりと。
そこまでに至る関係性も表現が浅く短く、その短期間であそこまで感情的になれるものなのか。
これが友情??
と思ってしまった。
何十年も連れ添ったバディで、その上で真実を知ったりしてとかならまだ良かったものの、互いに友情を育むシーンもほぼ無く、急にお互いを信用し合うような急激な設定に、その辺が気になりだしてからは後半は見るも絶えなかった。
また、ゾフィーの声が山寺宏一でまたかよと。
あれぐらいの登場シーンしかないのなら、昔のようなもっと電波的というか機械的な声優などを起用して欲しかった。
更にそのゾフィーでさえ地球を滅ぼそうとしたのに、ちょっと人間の意識を共有したウルトラマンが頑張っただけで手のひら返し。
お、おう・・・て感じでした。
これに関して高評価している人達は、激安な表現で満足出来て羨ましいなとも思います。
庵野が関わったんだから間違いない!
そんな薄っぺらい庵野信者には高評でしょうか。
村上春樹を崇拝している【ハルキスト】みたく
◆村上春樹を読んでる俺、私カッコイイ◆
と自己陶酔型の人間には楽しめる作品だと思います。
興行を成功させて収入を得ないといけないのは分かりますが、いつまでもくだらないキャスティングばかりしないで、無名でも才能ある人間をキャスティングしていい映画を作って貰いたいと共に、円谷プロ単体で他の手を借りずにシン・ウルトラマンを制作してTVシリーズ等にして欲しかったです。
あくまでも個人的な感想ですが、ありがとうございました。
「温故知新」私の好きな言葉です
2022年映画館鑑賞20作品目
5月22日(日)イオンシネマ石巻
ポイント使い1800円から1400円
監督は『ローレライ』『日本沈没(2006)』『隠し砦の三悪人(2008)』『のぼうの城』『巨神兵東京に現わる』『進撃の巨人』二部作『シン・ゴジラ』の樋口真嗣
脚本は『トップをねらえ!』『式日』『キューティーハニー(2004)』『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ『シン・ゴジラ』の庵野秀明
1966年にTBSで放送された子供向け特撮ヒーローもの『ウルトラマン』をモチーフにした似て非なる別物
時代は現代
日本にだけ次々に現れる「禍威獣」に対応するため「防災庁」に結成された「禍威獣特設対策室専従班」
天から突然現れた巨人
腕から放つ光線で禍威獣退治
名づけて「ウルトラマン」
ザラブにメフィラスそしてゾーフィ
次々に現れウルトラマンとコンタクトをとる外星人
ゾーフィが地球人を絶滅するために持ち込んだロボット型最終兵器ゼットンとの最後の戦いに挑むウルトラマン
66年では到底できないことが表現できた
66年の存命スタッフは鑑賞したら喜んでくれただろう
CGは日本映画くらいが丁度よい
ハリウッドは得意げで嫌味でくど過ぎる
CGはあくまで補助でありメインではない
昨今のハリウッド作品の多くは社会的テーマがいちいちうるさくマーベルヒーローものはただただ陰湿でうんざりだが日本映画『シン・ウルトラマン』にはそれがない
日本が作らないから作ったという『パシフィックリム』に対する日本なりの応え
庵野秀明らのウルトラマンならびに円谷英二に対するリスペクトはヒシヒシと感じる
ゴジラと違いウルトラマンは元が連ドラなので一本の映画としてまとめるには無理があり詰め込みすぎも覚悟したが思ったほどじゃなかった
むしろ約2時間でよくまとめた感はある
不満があるならそれぞれの夢の中で補足すれば良い
有能なら脚本を円谷プロに持ち込めば良い
庵野や樋口を叩くのは言論の自由という名のお門違いだ
女子供には向いていない
大抵のつまらない女はウルトラマンに興味ないだろうしインテリの寄せ集め「専従班」のやりとりは子供には難解だ
たしかに難しい面もあるがこの世界観の雰囲気を楽しめば良い
幼い息子に質問されうまく答えられずパパの面目丸潰れだがそれは仕方がない
そのうち発売されるだろうDVDに日本語字幕をつけて鑑賞すればわからないことがわかってくるはず
66年のウルトラマンに対する思いが強すぎる人も向いていない
頑固なまでにそっくりそのままの設定を求めがちな人が多いからだ
ウルトラマンと邦画がそこそこ好きで娯楽映画の細かいところを気にせず粗探しに躍起ならない穏健派が向いている
ウルトラマンはもちろんのことレオまでリアルタイムでは観たことがなく再放送とDVDだけの自分
リアルタイムで観たのは『ザ・ウルトラマン』と『ウルトラマン80』くらい
あとのウルトラマンシリーズあまり観ておらずとんねるずが出ていたゼアスくらいか
ウルトラマンの科学特捜隊と違い専従班はあくまで制服の官僚であり特殊な飛行機に乗って怪獣に攻撃を加えない
指揮を取るが実際に武器を使用するのは自衛隊だ
冒頭の禍威獣紹介はあまりにも矢継ぎ早だ
あと5分くらいかけてもうちょっとじっくりやっても良かった
わりと早い段階でウルトラマンの人間体がバレてしまう
浅見は自分の尻を叩く癖がある
相撲取りが取り組み前に体のあちこちを叩くのと一緒で気合を入れるためだろう
観る人によってはエロく感じるようだが自分は全くそんな風に思えなかった
あの程度が助平なら生理用品のCMでも性的興奮するのだろうか
長澤まさみは巨大化もするがローアングルなのにスカートの中のパンツは見えることはなかった
それを思うとやっぱりウルトラマンレオにレギュラー出演していた子役時代の富永み〜なはパンツ見せすぎだと思う
警察庁公安部から出港した専従班作戦立案担当官・神永新二に斎藤工
ウルトラマン(リピア)の声に高橋一生
公安調査庁より出向した専従班分析官・浅見弘子に長澤まさみ
専従班の非粒子物理学者・滝明久に有岡大貴
文科省から出向した専従班の凡用生物学者・船縁由美に早見あかり
防衛省防衛政策局から出向した禍特対専従班の班長・田村君男に西島秀俊
禍特対室長・宗像龍彦に田中哲司
ゾーフィの声に山寺宏一
ザラブの声に津田健次郎
メフィラスに山本耕史
防災大臣・小室肇に岩松了
内閣総理大臣・大隈泰司に嶋田久作
防衛大臣・狩場邦彦に益岡徹
外務大臣・中西誠一に山崎一
政府の男に竹野内豊
内閣官房長官に堀内正美
首相補佐官に利重剛
陸自戦闘団長・早坂に長塚圭史
警察庁警備局公安課・加賀美に和田聰宏
エンドロールは普通
おまけなし
陽の存在のウルトラマン 陰の存在のゴジラ
人間社会の陰の部分を描いたのがゴジラなら、陽の部分を描いたのがウルトラマンである。
それはウルトラマンが、映画館に行かなくても毎週特撮を子供達に楽しんで欲しいという純粋な動機で創られたことからも伺える。
人間の陽の部分の象徴として、隊員は底抜けに明るく前向きで、命懸けで体を張って怪獣と闘う。
純粋無垢で常識に縛られない子供達が宇宙人であるウルトラマンと人間の、心の交流の橋渡しをする。
命懸けで地球を守る大人、即ち勇気と純粋な子供の心、即ち愛があって初めて、勇気と愛の化身であるウルトラマンとの友情=契約が成立するのである。
ウルトラマンが毎週泥まみれになって、表面がボロボロになっても闘うのは、人間の心意気を高く買っているからだ。
さて本作はどうか。
ディテールだけに拘り過ぎたのと対象年齢を無理に引き上げたので、子供達の存在が忘れられている。
大人も会議室や作戦室で会議しているばかりで現場で身体を張らない。
よって勇気と愛の象徴が無くなってしまい、
ウルトラマンがどうして地球を守るのか、分からなくなってしまった。
こうなってしまうと、後に残るのはウルトラマンのような何かしかない。
ウルトラマンは隊員達の身体を張った勇気を見て、人とは何かを直感で理解するべきなのに、なぜかよくわからない本をわざわざ読む。
大人達の命懸けの作戦も少なく、逆にウルトラマンの足を引っ張るような打算めいた政治駆け引きばかり。
僕がウルトラマンなら、メフィラス星人の人類を巨人兵器化しようという誘いにうん、その通りだ、自分勝手でウルトラマン任せな人類は守る価値なし(最終回)となってしまうだろう。
宇宙人交流ものなら例えばETは本当に良く出来ていて、ETと友達になりたいと誰もが自然に考えるように誘導してくれる。
一方で本作はドラクエ同様、何の選択肢を選ぼうが最後の結末は同じという強引さが目立つ。
そういうわけで残す期待は特撮パートになるが、ここも期待はずれ。
前半の怪獣の動きはシンゴジラの幼生のコピペ。
震えながら小刻みに動く表現は既視感が強い。
後半の宇宙人戦は予算か制作時間不足なのか、ふわふわと空中戦が増え、重量感がなくなり、これは…エヴァ?となり、メフィラス星人のデザインでその疑念は確証に変わる。
最後のゼットンはとうとう予算切れか大きいだけで動かない。というよりスケール的にも、機能的にも、退治プロセスも、どう考えてもスターウォーズのデススターそのものである。見てない人を探す方が難しい映画だからこれまで以上に既視感やばし。同じならスターウォーズのデススター戦のほうが何十年前の映画ではあるが迫力やスピード感も段違い。
このようなつまらないありきたりな形でゼットンを出すなら、メフィラス星人に尺を取って、ここをクライマックスにすると映画としての収まりや満足感が上がったと思う。
最後にウルトラマンの表現について、CGになった結果、生き物的な生々しさが抜け落ちてしまった。ラテックスの表面のシワには妙に拘っているのに、土埃や意図せず発生したくたびれた感がなく、必死に闘っているように見えない。旧ウルトラマンの特徴である取っ組み合いや寝技中心の総合格闘技のような泥臭いストロングスタイルは少なく、すぐに光線に頼る安っぽい演出。
旧作は思った攻撃が効かないとウルトラマンはめっちゃ焦るように中の人が演技しているのだが、今作はそれが全く無く、無生物感が強い。演出と言ったらそれまでだが…それでは人間と融合した設定の意味がないではないか。やっぱりスーツアクターは欲しい。
最後に怪獣や宇宙人のチョイスも今一だった。
ネロンガとガボラはどちらも四足怪獣で動きが同じ。ザラブとメフィラスは強敵過ぎて最後のゼットンの強敵感が薄まる上に、体躯が似ているから同じアクションに成りがち。
ゼットンは先述の通り、様式美崩しで初めて成立する怪獣だから、前にあまり強敵を置くと、ウルトラマンが常にピンチになってしまい、ゼットンの絶望感が消え失せる。
こう考えると個人的に出して欲しかった怪獣はピグモン、ゴモラ、ペスター。
ピグモンは子供達との友好の象徴として欲しいし、ゴモラは二足怪獣かつ地底怪獣で夜間に出る怪獣なので演出に幅が出せそう。
ペスターは形が面白いからCGで動かすとどうなるのか凄く興味がある。
もっとシンプルにメフィラス星人のストーリーを主軸に、科特隊は素直に自衛隊や警察上がりの熱い現場組織にして、過去に倒した怪獣を活用する等、適当な設定で架空兵器もほどほどに出し、子供達との交流を増やせば、筋が通ってワクワクする映画になったのではなかろうか。
シンゴジラ、エヴァンゲリオンの成功で、予算も時間も取れたはずなのでなおさら一層惜しい映画。
シンゴジラの成功体験がウルトラマンとゴジラが対極の存在であることを忘れ、同じアプローチで作ってしまった…そんな気がしてならない。
1回目と2回目では内容が異なるな!と思いました
樋口監督の「ローレライ」と「隠し砦の三悪人」が好きで
今作のシン・ウルトラマンを観させて頂きました。
最初観た時は上記2作品の印象を感じて。
樋口監督らしさが出ている名作だと思いましたが
妙な違和感を感じて、2回目を観ました
最後、ゾーフィの声が最初ウルトラマンの前に立った時と
2回目異次元でウルトラマンを見下ろしている時の声が
違う様に感じましたし、話している内容も
1回目とは異なっています。
ウルトラマンと地球人の行動に考え方を変えた!とも
思えなくはないのですが、声優まで変える必要あるかな?と
もしかして、答えを自分で見付ける
タイプの物語か?と思い、探すつもりで2回目へ
結論から言えば
案の定、1回目はゾーフィで、2回目はゾフィなんだな!
ブラックホールに引きずり込まれ、パラレルワールドの
ゾフィーと対話しているんだ!
と考えた方がふに落ちました。
更に2回目観た時に思った事なのですが、
事前に調べた所、庵野監督は学生時代
自主制作でウルトラマンを撮影し、ご自身で
ウルトラマンを演じられたとの事
庵野監督はウルトラマンを作りたかったのではなく
ウルトラマンになりたかったのでは?という視点から
観ました。
そんな庵野さんが作ったウルトラマンは
「神ではなく、同じ生命」と言い
そのセリフに続けて
「みんなの叡智を集めて創ってほしい」と
ある意味、映画界のヒットメーカーとしての
ウルトラマンになった庵野さんの言葉に様にも
感じました。
マニアックなネタ満載の映画のシン・ウルトラマン
色んなもの観て、吸収して、凄いなと思ったものを
形にしているんだ!僕も同じ人間だ、君たちも
何か!創ってみないか?
そんなメッセージが込められているようにも
感じました。
ゾーフィの設定は大伴昌司さんという方が書かれた
放映当時の児童誌の記事が元ネタとの事
「そんなに人間が好きになったのか」という
セリフはウルトラマンの最終回でゾフィーが言った
台詞。庵野さんをその両方に胸が躍り、その両方を
使う為。メタバース、多次元宇宙、という設定を
用いたのではないかと思います。
好きなものをこれでもか!と盛り込んで自分なりの
ウルトラマンの世界を描いて、それを学生当時、
みんなで和気あいあいと撮影に取り組んでいた
日々を思い出すと共に、今、近くに一緒にモノを
創っている仲間を巻き込んで。
最後の
「おかえりなさい」につなげたのでは?と思いました。
2回目を観た後、これは、青春時代から今日までの
庵野さんのドキュメンタリーの様にも
思えました。
面白い、だけど…
どうしてもシンゴジラと比べてしまうのだが、ちょっと全体的に規模が小さいんだな。
政治劇も描き方が中途半端、禍特対側も少し掘り下げが浅い。
現代にウルトラマンがきたら?という点でも、あまり設定が活かせてないきも。
平均的に見るとよくできているんだけど、やはり期待感を考えるともう少し欲しかった。
登場怪獣は、人側を中心に考えるとこのチョイスになるのかな。
まぁ、ウルトラマンは最低限のことを知ってる程度なので、詳しい人が見たら、オマージュ等面白さが増すかもしれないが。
俳優も豪華で見せ方も良いだけに、物足りなさが残る感じでした。
斎藤工さんの演技に脱帽
本編としては、良くも悪くもてんこ盛り詰め合わせセットスーパーウルトラ幕の内弁当なので、
個人的には、興奮しつつも、もっと尺が欲しい、長く見たい、と言う感じでした。ここはこのみによるかと。
なんせ斎藤工さんの演技が良かったです。
冒頭のシーンから、マンと融合して中身が切り替わった瞬間が特に説明もないですが、
演技でわかります。
マンのときと純人間の時で、しぐさやら話し方を変えていて、見ていて
「あ、マンになってるな?これ」と分かりました。
純人間で出ているシーンはほぼないのですが笑
色々な小ネタも楽しめました。
テレビドラマで再編集してじっくり掘り下げシーンとか色々やって欲しいなとおもいつつ、とりあえず面白かったです。
テレビシリーズで見たかった
シンゴジラは凄く面白かったけど、シンウルトラマンはあまり楽しめ無かった、面白かったテレビシリーズの総集編みたいであまり楽しめ無かった
残念なのがウルトラマンがまともに戦わない、戦うのは最初の二匹ぐらいであとは絡め手の後にバトル、最後はイベントボスみたいで消化不良、メインのカトクタイの4人もキャラの割にストーリーに絡まない、政府の面々とシンゴジラの時に比べると無能なテンプレ描写
たまに俯瞰や煽りの時に意味無く画質粗くなるのが気になった、ゴープロで撮ってんの?
庵野的なアングルは多かったけど、カット割なのか編集のせいなのか微妙に違う気がした
系統は違うけどパシフィックリムとシンゴジラの中間みたいな作品が観たかった
ななめ後ろのおじさんは中盤からずっといびきかいててうざかった
一寸だけ残念。
今回の作品に5点満点を付けない贅沢は他の作品と比較しての事ではない。あくまでも庵野作品の中における位置と認識してもらいたい。今回の作品は庵野のウルトラマン愛の思いの丈がふんだんに出ていて、オマージュを乗り越えてコラージュになっていると言ってもいい。その1点こそが見る側から見るとちょっと物足りないa。しかし庵野は思う存分楽しんだはずである。庵野的表現がないとは言わない。むしろ満載、進化、昇華に近い表現となっているにもかかわらず我々は今回の🎦シン・ウルトラマンには実相寺を見出し、成田亨を見出し、金城哲夫を見るのである。今回の作品に関しては性的な表現が多いと難色を示す評も多いが、これこそ彼がオタク全開で長澤の巨大化、と臭いと言う究極のファクターであるメタファをフェティズム的シンボルとした点において構造主義的な尖鋭性が見て取れる。西洋人が日本人の持つ本性に気が付くには後200年は掛かるであろう。長澤の巨大化は明らかにあの会を見て目覚めたメトセラの子(ここではハインライン的な意味合いで)である庵野や樋口を形成し、一方で少し遅れて新潟の会田誠をも呼び起こす。会田はそのADHD性認識力によって、葛飾北斎の『蛸と海女』と言う世界を驚愕させた傑作に換骨奪胎を試みた。会田は快作『巨大フジ隊員VSキングギドラ』を発表しさらに世界を驚かせる事になる。同じころ村上隆は『マイ・ロンサム・カウボーイ』は16億でNYで落札されたことで、一気に日本アニメと日本美術のコンテンポラリティが世界の注目の的となる事を実証して見せた。世界がその背景にある成田亨の価値に気が付くのにそう時間は掛からなくなる。同じころ少し遅れて成田の母方の故郷である尼崎の隣、神戸では生頼範義が生まれ、成田は武蔵美の彫刻へ、生頼は芸大の彫刻へと道を進める。成田のデザインしたウルトラマンはスピルバーグの🎦レディ・プレイヤー・ワンの目玉として据えられていた話は有名であるが著作権の関係で臍を噛んだスピルバーグに遅れながらも見事一番手を取った庵野の🎦シン・ウルトラマンは世界で理解されるのは遥か未来であるように作られている。これぞ庵野の強み。一方成田より先に世界デビューを果たすのは生頼の方で、ゴジラのイラストでルーカスを虜にし日本人として初のSW公式アーティストの座を獲得する。ゴジラの造形から円谷に関わっている成田を、🎦シン・ゴジラで関わる庵野を差し置いて先に世界に打って出たのだ。しかし、生頼はその殆どがイラスト制作と言う弱みから、世間から少しずつ忘れられ始め、その名が再評価されるのには近年まで待たねばならなかった。一方、父方の生まれ故郷である成田の第二の故郷である青森の県立美術館が公立美術館としては初のサブカルとコンテンポラリをそのコレクションの中枢に据えてそのコンセプトの中核に縄文を置くことで棟方志功芸術に再度世界の目を向ける事に成功する。その三本柱は棟方志功、奈良美智、成田亨である。このコレクションコンセプトは強烈である。そこには棟方の縄文性、奈良の日本における母系文化の幼児性、成田の世界最大級の仏像の持つ神性の体現性。これ以上強烈な日本文化の体現コレクションは見当たらない。さらに今回の🎦シン・ウルトラマンではその体躯が一つの話題になっている。その神々しさである。成田亨がウルトラマンのデザイン的ヒントにしたのが仏像であることは広く知れ渡っているが、その詳しいデザイン特性に言及したのは知る限りイラストレイターのみうらじゅんが最初だと思う。みうらは小学生の時の怪獣好きが高じて仏像の特性とウルトラマンのデザインの類似性に目覚める。京都生まれのみうらは「京都・広隆寺にある国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像は「ウルトラマン」の世界観と同じだということに小学生の時に気づいたんです。」と言う。さらには「弥勒菩薩は釈迦が入滅して56億7000万年後にこの世を救いに来られるという設定もそうですし、顔のシンメトリーさとアルカイックスマイルが初期のウルトラマンの口元と同じなんです。さらに口元に手を当てて、足元にもう1本の手を乗せているんですが、そのもう1本の手を上げていくと「スペシウム光線」になるんです。」とも語る。あの、仏像研究の第一人者でせんとくんの生み親である籔内佐斗司の恩師で、仏像研究の世界的権威である水野啓三郎をも唸らせたみうらの仏像研究は、だれよりも成田の仏性を、しかも弥勒性を認識せしめていた。今や青森県美のコレクションとなった成田のウルトラマン立位の一連のデッサンは明らかに国宝の弥勒菩薩とプロポーションが一致する。そしてそれを巨大化した際にその神性、仏性を維持しながら見上げるアングルは庵野が身体的特性を持つ父を見上げる視点と一致する。余談だがみうらじゅんは成田亨の武蔵美の後輩にあたると言う巡り合わせについても触れておかねばなるまい。最後に庵野の拘りの音楽であるが、🎦シン・エヴァで宇多田を、🎦シン・ゴジラでは鷺巣詩郎を、そして🎦シン・ウルトラマンでは米津玄師と来たのを捉えて1点豪華主義で安直だと言う評を見たが、宇多田がそのPVで見せた視覚芸術性の高さとそのPV制作のパートナーである元夫の紀里谷和明のキャシャーンへの拘りなどを見たら庵野との同時代性を感じずには居れない。また鷺巣詩郎に至ってはその父は自らが興した特撮会社ピープロの創業者で、当時の📺ウルトラマンの裏番組であった手塚先生と深い関係性のある📺マグマ大使の制作会社社長である。その前に魔神ガロンのアニメ化の代替え案である魔神バンダーをプロデュースした、当時有名な有名なマンガ家でもあり巨大ロボットアニメの走りに関わった作家である。その長子は現在ピープロの社長を務めながら世界的なミュージシャンとして活躍しており庵野の初期作品からの常連であり同士である。おそらく樋口よりも付き合いが古い。斯様な運命の関連性は庵野の神格化を深めていく。また米津に至っては、ミュージシャンとして成功しながらも通っていた学校は大阪芸大付属大阪美術専門学校であり、庵野の孫的後輩にあたる。すべてが庵野を通じてこうして一本の幹に収斂されていくその芸術体系は次の🎦シン・仮面ライダーで完結するが、そこには重要なコンセプト「改造」がテーマになるであろうことをここに予言する。庵野の父へのオマージュがどういう形で昇華されるかがとても楽しみだ。
シンゴジラを観たものとしては想定の範囲内
端的に言えば表題の通りで、物凄く感動したかと言われればそうでもないですが、原作をよく知ってる者からすれば、50年以上前の作品のリメイクとしてはよくできていたと思います。
所々のオマージュもニヤリとさせられるものが散りばめられていました。
個人的には「パゴスもネロンガもガボラも首から上をすげ替えただけね」と言うセリフが1番ガッツポーズな場面でした笑
原作の怪獣のぬいぐるみが実際にそうだったので、狙って言わせたとしたらマニア心をわかってらっしゃるなと思いました。
ゾフィーが一瞬悪者になるのはちょっと意表を突かれた感じでしたし、最後は命を2つ持ってて欲しかった気がしますが、そこまで気になりません。
欲を言えば、バルタン星人とかピグモンとか出てきて欲しかったですが。
と、ここまではウルトラマンマニア目線の感想でしたが、映画そのものとしてはもしかしたら評価は分かれるかもしれません。
まず、他の方も仰られてるようにウルトラマン総集編のような内容で、ゴジラ中心にストーリーが進んだシンゴジラに比べるといろんなストーリーがかなり駆け足で進んでいきます。
そこに庵野監督特有の早口で詰め込みまくりのセリフがくるので、私は原作を見てるのでストーリーは辿れましたが、原作を知らない人達がどうだったのかが興味あります。
そう思うと長澤まさみのお色気場面とかそんなにいらなかったような気もします。
それをするぐらいなら禍特隊のそれぞれのキャラクターやカイ獣対策を何してるのか掘り下げて欲しかったです。
よく言われる最後のシーンは、私もえっ?てなりました。
続編があるとしたらありかもしれませんが、ゼットンで終わってるので恐らく続編をするとしたら違うウルトラマンになると思うとちょっとモヤッとしましたね。
最後にモーションアクターに古谷敏さんの名前があったのは胸熱でした!
面白い!
人間らしくあれ、画一化されて自分を見失うことなく。
権力乱用や環境破壊などが当たり前に行われる中で標準がよくわからなくなる現代社会。
そんな中でも惑星群という俯瞰的視点から見ると我が人類の営みなどちっぽけであることを分からされた。
吹けば吹き飛ぶような無力な中でも、日本人の他人を思う優しさだったりは絶対的に誇れる価値だと思うことがてきた。
当たり前のことをこなすこと、それをできるのがウルトラマンなのだ。
途中までは良かった
怪獣出てウルトラマン出てきて戦ってまではテンポ良くて登場人物も現場を通しての個性も出てて楽しかった。
途中、賢くない人が政治関連の話したくなったようなシーンが入ってペースダウン。最後のゼットン意味不明。
主人公に焦点合わせたいのか何だかよくわからない感じ、底が浅いというか薄っぺらいというか。。。
斎藤工と長澤まさみというW大根のおかげで違和感生まれず。持ちつ持たれつだね。
もうちょっとなんとかならなかったのかという感じ。庵野の取り巻きもヨイショばかりでダメ出ししないとだめだよ。
キャシャーンとどっこいどっこい。
見た後に何も残らない作品。
構造がエヴァみたい
庵野さんが脚本だけあって、どうしてもエヴァを想起せずにはいられなかった。音楽が鷺巣さんだったのもマイナスに働いたのでは?何しろ音楽が古臭く感じた。
長澤まさみの巨大化はギャグにしか思えなかった。思わず笑った。
一つの映画としてはまとまっていたが、こじんまり感を感じずにはいられなかった。シンゴジラを超える感動はなかった。また観たいとは思わない。
後半もっと怪獣を出して欲しかった。怪獣はキッカケでしかなかったのね。
山寺さんの声は安心して聴けた。
こんなにも異星人に好かれる地球人がすごい
ウルトラマンの予備知識が無く、ファンでもない映画好きですが、楽しく鑑賞できました。
禍威獣(かいじゅう)のデザインやゼットンがシルエットで浮かび上がる演出が良かった。
田んぼやら街中やら工場地帯での戦闘シーンはエヴァを想起させるものだった。
自己犠牲や死に急ぐウルトラマンの精神は進撃の巨人が脳裏に浮かんだ。
当たり前だ。それらの監督だもの。
ストーリー自体は2時間で詰め込んだな、と思った。
地球にたくさん宇宙人がやってきて、ピンポイントで日本人と融合して闘うって面白すぎる。
スペシューム光線とか巨人化の秘密も怪人が教えてくれるので何となく理解できる。
観客に優しいエンタメ作品だと思う。
俳優陣もシン・ゴジラで登場した俳優が供されているところもあり、繋がりが見られて面白い。
外星人メフィラス星人を演じた山本耕史さんはハマり役。
宇宙人が二人でブランコを漕いだり、居酒屋で呑み食いする姿はどこかシュールでクスッと笑える。
こんな風に力を持った一部の人間が、下々の暮らしやら経済やら社会をどうしていこうとか話し合っているんだろうなと言う社会の縮図を見た気分になった。
未知の生物が相手なのにも関わらず禍特隊(かとくたい)の人数が少なすぎるし、未知数の計算式をあっという間に解いてしまうなどツッコミどころが多かった。
映画の最初に出てきたウルトラマンや禍威獣のインパクトが強すぎて、後半の展開が失速してしまった。
ウルトラマンの後任として地球を管轄管理しているゾフィーのキャラ性も深掘りされることはなく、人間の足を欲しがった人魚姫の様なウルトラマンの自己犠牲愛を受け入れている。兄弟愛?がすごい。
言葉を解さない敵が攻めてきた時には迷わず始末できていたのに、会話ができる様になった途端友好的に接する姿勢を見せるのが日本人らしいなと思った。
初心者でも楽しめるウルトラマン
次回作もあるらしい?ので期待したい。
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