シン・ウルトラマンのレビュー・感想・評価
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光の国の正義は誰のためのもの?
〔ウルトラQ〕や〔ウルトラマン〕はリアルタイムで見ていた世代。
ただ幼いこともあり、興味はやはり
単純な怪獣退治モノに偏りがち。
右代表は〔ゴメスを倒せ!〕や〔ペギラが来た!〕〔ガラダマ〕の回か。
〔1/8計画〕や〔あけてくれ!〕などの面白さが判るのは、
かなり長じてから、それも再放送を見た時で。
しかし、そうした単純な勧善懲悪モノの方が
ウケは良かったのだろう、
続いてのシリーズはそちらに特化した〔ウルトラマン〕。
ただその中にも〔故郷は地球〕〔まぼろしの雪山〕といった、
今から思えば社会性を帯びた回もこれあり。
『ジャミラ』であれば、その対極に在るのは
〔オデッセイ(2015年)〕と、
後々の作品との比較も、楽しかったりする。
さて、「シン」である。
同じ惹句を冠した〔ゴジラ〕では、突然の厄災に衆知を集め対応し、
永く向き合う決意をし、更には光明を見い出す、
イマイマの日本の表象を描いた『庵野/樋口』コンビが
どんな外連を見せてくれるのかと期待したら、
蓋を開けてみれば、まるっきりの{リブート}作品。
これには少々、拍子抜け。
とは言え、そのことが全体の面白さを毀損しているかと聞かれれば、
そのようなことは全く非ず。
先ずは出て来るクリーチャーを「怪獣」と「星人」に大きくカテゴライズ、
各々が頻出する理由を説明する。ああ、なるほど、
なので今回は単なる「侵略者」の「バルタン星人」は登場しないのだと納得。
現代的なアレンジは施しつつ、各エピソードの骨格はきっちり踏襲。
その中身が五十年を経て古びていないのは、
元々の構想が秀逸だったのだろうと感心。
偉大な先達である『成田亨』や『古谷敏』へオマージュを捧げたいとの想いにも
激しく同意。
加えて、過去作との比較で見つける楽しみも。
「ザラブ星人」による「にせウルトラマン」は
目の形だけが異なり、肝心のつま先を見せない、とか。
或いは巨大化させられる『浅見弘子(長澤まさみ)』は
『フジ・アキコ隊員(桜井浩子)』とは異なり
科特隊の制服姿ではないので、サービスシーン満載との
嬉しい余禄はあったりも。
また、対象はちと違うが、
「メフィラス星人」のフォルムは「EVA初号機」そっくり、とか。
先の作品でお馴染みの、政治に対しての揶揄は軽めも、
ちくちくと寸鉄を刺すような皮肉は十分に効いている。
一方、風俗の取り込みは、全くと言っていいほど行われておらず。
その分、原作の流れを忠実になぞっているので、
知識のある者にとっては判り易い。
他方、初めての鑑賞者に対しては、親切な造りであったかどうか。
魂は細部に宿ると言うけれど、
不思議なコトにイマイマの社会情勢を予見したような幾つかの科白にははっとさせられる。
とりわけ「ゾフィー」が吐く科白は、
あまりに現状のどこかの国のスタンスに合致し過ぎて驚愕。
見たぞ 我らのシン・ウルトラマン
『シン・ゴジラ』から6年。
庵野秀明と樋口真嗣のコンビが往年の特撮番組を現代リブートする“シン・シリーズ”。
その第2弾として製作されたのが、
“シュワッチ!”と光の国から僕らの為に、来たぞ!我らの…
ウルトラマン!
まあ全員ではないが、日本人なら必ずウルトラマンを見知り、何かしらの形で触れていると思う。
仮面ライダーと双璧をなす日本のヒーローの象徴。それくらいのスタンダード。
今や当たり前の基本設定も放映当時は斬新。
影響は計り知れない。
元プロレスラーの前田日明氏は子供の頃からウルトラマンの大ファンで、最終回でウルトラマンがゼットンに倒された事にショックを受け、いつか仇を取ると格闘家を目指すきっかけになったという。
アメリカでは事故に遭い昏睡状態になった郵便配達の男性が奇跡的に回復。彼の意識を蘇らせたのは、「もう一度、『ウルトラマン』が見たかったから」という逸話も。
時代や国も関係なく、今も尚僕らの心を魅了して止まない。
庵野と樋口の二人も、多大な影響を受けたドストライク世代。
特撮を愛するこの二人が、『シン・ゴジラ』に続いてどんなウルトラワールドを魅せるか…?
コロナで製作遅延や公開延期、『大怪獣のあとしまつ』の失望を経て、
本当に待ちに待った!
『シン・ゴジラ』同様、激しく賛否両論になるだろう。
“シン要素”なんて要らない。寧ろそれは設定を変え、世界観ぶち壊し。
長く愛され続ける作品なら、そんな声が出て当然。
でも、ただ昔のままやったら、そもそもやる意味や必要がない。
“作る”とはまた新しく生み出す事。レガシーをさらに発展させる事。
オリジナルをリスペクトしつつ、それまでの常識や固定概念を覆す。
それが、『シン・ゴジラ』だった。
それは本作でも感じた。
全く新しく、それでいて旧作の“残り香”が匂う。
ファンには堪らないマニアックネタ。興奮し、思わず笑ってしまったほど。
個人的には非常に楽しめ、面白かった。良かった。
まずは、非常に気になっていたOP。
どんな風に始まるのか…?
宮内國郎氏によるあの音楽。おっ、“ウルトラQ”ロゴ!…と思ったら、まさかの“シン・ゴジラ”。からの“シン・ウルトラマン”。そう来たか~!
でもその後そのまま本編となり、劇場大スクリーンであの主題歌を聞けなかったのは残念!
その代わりと言っちゃなんだけど、開幕数分は意外な“作品”から始まる。
『ウルトラQ』!…いや、『シン・ウルトラQ』!
あのテーマ音楽に乗せて、『ウルトラQ』の怪獣たちが次々登場。
ゴメス! マンモスフラワー! ペギラ! ラルゲユウス! カイゲル!(『Q』時のゴーガ) パゴス!
本作は、“禍威獣”と呼ばれる巨大生物の出現及び襲撃が当たり前になっている設定。
その説明であると同時に、ウルトラシリーズの原点は『ウルトラQ』である事へのリスペクト。
その心意気に嬉しくなった。
私の本作への最大の楽しみ、期待の一つ。
登場怪獣/宇宙人。
予告編で明らかになっていた4体と、シークレットの1体であった。
ネロンガ、ガボラ、ザラブ星人、メフィラス。
普通だったら“BIG4”をチョイスするが、そこが凡人と鬼才の違い。作品を見て、この4体が選ばれた理由もちゃんとあった。
設定上で、パゴスとガボラは放射能物質を捕食する同族の禍威獣。
そのパゴスとガボラ、ネロンガは、TVシリーズで『Q』パゴス→『マン』ネロンガ→ガボラと着ぐるみが改造された。ファンや作り手しか知らないようなディープ過ぎる裏ネタ繋がり。
外星人=宇宙人は何故にバルタン星人じゃなく、ザラブ星人とメフィラス…?
ザラブ星人回には偽ウルトラマンが登場し、善悪やウルトラマンの存在意義を問い掛ける。
メフィラス星人回はウルトラマンと同等の力と頭脳を持つ対知的宇宙人で、本格知的SFが出来る。また、巨大化したアノ人はかつてのフジ隊員へのオマージュ。
実は絶妙なチョイス。
バルタン星人、レッドキング、ゴモラは残念ながら登場しない。が、やはり出た!
ゼットン! そしてゾーフィ!(ゾフィーじゃないの…? これにも裏ネタあり)
…しかし、その描かれ方や設定は、本作に於いて特に賛否分かれそう。一緒に観た弟の反応も「う~ん…」。
でもこの思い切った設定は、庵野だから描けた気が。何処か『エヴァ』を彷彿させた。
ゼットンも禍威獣も外星人も使徒を思わせるデザイン。これは庵野ならではの、使徒のモデルがかつての怪獣たちであるという紛れもない証しだ。
科特隊ならぬ“禍特隊”。
かつてと同じ5人チームで構成。かつての精鋭とは違って、霞ヶ関のはみ出し者で禍威獣に立ち向かう。
インテリ面々は『シン・ゴジラ』の対策チームを彷彿。
冷静沈着な西島“キャップ”、ムードメーカーな早見あかり、未知のウルトラマンや禍威獣に葛藤する有岡はイデの立ち位置。
“ウルトラマンになる男”斎藤工はハヤタと違ってミステリアスな佇まい。より人間とウルトラマンの関係性を体現していた。
キャスト特筆はやはり、長澤まさみ。本作は長澤まさみを愛でる作品でもあった。
『エヴァ』のアスカ、『シン・ゴジラ』のカヨコ等しく、美しく、強気で出来る女。
樋口のフェチズムなのか、艶かしいアングルやショット。
巨大化したり、“残り香”を匂わしてくれたりの出血大サービス。
彼女が物語を引っ張ってくれた。
主軸は彼女を含めた禍特隊のドラマ。一癖ある登場人物らが織り成す物語は、ユーモアや緊張感、熱いものがあって飽きなかった。
『シン・ゴジラ』の世界観がそのまま『ウルトラマン』へシフトチェンジ。
リアリティーある自衛隊、政府描写。もはやお馴染みとなった早口台詞。
架空の組織である禍特隊すらリアルさを感じる。
謎の巨人が現れた日本の右往左往ぶり。国内外への体裁。外星人に翻弄される醜態。まさしく“今”を描いた皮肉。
リアリティーとSFが融合した世界観は、しっかりと本格SF…いや、“空想科学”として確立。
樋口の演出は『シン・ゴジラ』の庵野の演出を継承しつつ、何処かシュールな演出は、かの実相寺の演出を思わせた。
それが特に表れたのは、団地という我々の日常生活の中で神永とメフィラスの対話シーン。
『ウルトラセブン』での実相寺演出回で名作『狙われた街』で、ダンとメトロン星人がちゃぶ台を挟んで話すシーンへのオマージュ。
その直後の居酒屋シーンは、『怪獣酒場』…!?
(メフィラス役の山本耕史のクールな演技も良かった)
そう、ファンならニヤリとするネタがいっぱい。
まず興奮は、『シン・ゴジラ』での伊福部音楽使用と同じく、オリジナルの宮内音楽。前半から中盤にかけて(後半は鷲巣新スコア)、思っていた以上に使用。特に“科特隊のテーマ”が流れた時は高揚感満点だった。(出来ればフル尺で流して欲しかった…)
“音”もオリジナルそのまま。ここも『シン・ゴジラ』踏襲。
そうそう、『シン・ゴジラ』と言えば、アノ人が登場! 役名は出なかったけど、間違いなくアノ役だよね…? ひょっとして同一の世界観…? それともまさかのマルチバース…!?(実際、“マルチバース”という台詞はあったし)
あるシーンのマグカップの絵柄が、某魔法少女アニメのアイツ! 「僕と契約してウルトラマンになってよ!」ってか!?
超マニアックネタで個人的にウケたのが、対偽ウルトラマン。ウルトラマンが偽ウルトラマンにチョップし、手を痛がる。これ、分かった人、相当なマニア! かつてのザラブ星人回でウルトラマンのスーツアクター、古谷敏氏が偽ウルトラマンにチョップした時、本当に痛がったアクシデント。まさかそれを再現するとは…!!
マニアック過ぎて堪んねー!
今回のウルトラマンはベースはオリジナルのまま。でも、変更点も。
より長身でスラリとした体型。人によってはガリガリに見えるが、オリジナルより外星人である事を印象付ける。
初登場シーンは、シルバー一色。神永と融合してから赤身が掛かるが、これは人間の血がウルトラマンの体内に通い、心身共に融合したと思わせた。
そして今回のウルトラマンのデザインで最大の議論になっているのが、象徴的なカラータイマーが無い!
かなり議論になっているが、ちょっと待って! ちゃんと訳あり。
今回のウルトラマンのデザインは、かの成田亨氏による油絵“真実と正義と美の化身”が基。それにはカラータイマーが無い。
そもそもカラータイマーは、30分番組の展開上の都合から急遽付け足しされたもの。確かに2時間の長篇映画に絶対的に必要かと問われたら…?
カラータイマーの代わりに、体力の消耗や活動エネルギーの限界を示すサインはちゃんとある。
本作独自のヘンな改ざんではない。“シンプル・イズ・ビューティフル”。
でも、ウルトラマンはウルトラマンである。スペシウム光線発射シーンは、現代技術を駆使してド迫力!しびれた!
だけど今回、“シュワッチ!”と一言も発しない…。
一本の作品の中にバリエーション豊かなエピソードが並び、TVシリーズの醍醐味を濃縮。
でもやはり中心軸となったのは、人間、禍特隊、ウルトラマンのドラマだ。
今回、中盤辺りでウルトラマンが神永である事がバレるという意表を突く。
ウルトラマンを有すれば、どの国やどんな脅威も恐れる事ナシ。
逆にそれ以外の国や人間たちにとっては“敵”となる。
ウルトラマンの存在意義。
ウルトラマンの謎の一つ、巨大化にも今回は理由付け。ベーターシステム。
それを活用し、メフィラスは人類の巨大化によって禍威獣や他の外星人からの自衛を提案。
それは同時に、また新たな“兵器”にも成りうる。核と同様の…。
ウルトラマンは自分がこの星に降り立った事で、人間に危険な刃を持たせてしまう事に苦悩。
この星に降り立ってまだ日は浅い。人間の事もよく分からない。優れた判断出来る集団か、愚かな過ちを選んでしまう集団か。
が、人間を信じる。
それを委ねさせてくれたのが、禍特隊。
班長、仲間、そしてバディ…。
ザラブに拉致された時も、僅かな手掛かりから探し出してくれると信じていた。
メフィラスによる“ベーターボックス”の時も、彼らとのチームプレーを信じていた。
そして、ゼットン。初の敗北…。ウルトラマン一人ではとても太刀打ち出来ない。
ウルトラマンは神ではない。ウルトラマンも人間と同じ“命”を持つ生命体。
彼らを信じなければ、一世一代の作戦は立案出来なかった。ゼットンを倒す事も出来なかった。
『シン・ウルトラマン』は種族や立場を越えた、“信頼”の物語でもあった。
それに対するのは、まさかのゾーフィ!
“光の星”の掟で他惑星人との融合は禁じられ、それにより人類の巨大化=生物兵器への転用が知られ、地球の粛清が決まる。
ゾフィーが地球や人類を消す…? ゾフィーも光の星の正義のヒーローではなかったのか…?
オリジナルでゾフィーは“ウルトラ警備隊”の隊長。時に長は、非情な決断を下す事もある。決して悪の意思があってではない。掟破りは見過ごせない鋭いまでの正義。
正義というのは時に、脅威にもなる。
本作の場合、ウルトラマンが正義の光なら、ゾーフィは正義の暗部と言えよう。
ウルトラマンがこれほどまでにも地球や人間へ固執する理由。
自分がこの星に降り立った時、一人の人間が幼い命を守る為、我が身と命を犠牲にした。
その人間こそ、神永。
人間というものを知りたい。理解したい。
自分を犠牲にしてまで他者を守る行動は何なのか…?
神永と融合して、少し分かった。
禍特隊と共にして、少し分かった。
勇気。諦めない。愛。…
それが、人間なのだ。
それが出来るのが、人間なのだ。
TVシリーズとは違い、本作ではウルトラマンは地球に留まる事を選択する。
更なる禍威獣や外星人からこの星を守る為に。
共闘する事を誓う。
自分を犠牲にした神永のように。
彼にこの命を捧ぐ。
本作のキャッチコピーにもなっているゾフィーの名台詞。問う。
そんなに人間が好きになったか、ウルトラマン。
人間を信じ、愛したウルトラマン。
我々もそう。
ウルトラマンをいつまでも信じ、愛す。
禍特対が今一つ
全般的には満足。マイナスは禍特対が今一つだった。60歳近い男ですが、もっと子供騙し的であって欲しかった。シンゴジラがリアリティで評価が高かったので、そちらに寄ったのだろうが、アメリカに地下貫通弾を依頼するだけって、、、。策なし状態で、すぐにウルトラマンが登場したけど、もう少し禍特対に頑張って欲しかった。過去のカイジュウで学んだ新兵器を出すとか、有岡くんがなんかこしらえるとか。最後の地球人が一丸となる場面もVRゴーグル付けてTV会議するだけって?ちゃんと手を動かしてモノ(ベータ)を作って欲しかった。それこそ、素材の手配やエネルギーを得る術などで禍特対に活躍してほしかった。
あと、ビークルやレーザー銃が登場するぐらいの現実離れでよかったと思った。ヘルメット被った隊員ユニホーム姿が見たかった。スーツ着て全員で自衛隊機に乗り込むより、リアリティがあると思うが。
メフィラスと神代の会話シーンがよかった
ウルトラマン世代なので懐かしさもあったが、後半のドラマも結構よかった。メフィラスと神代の公園での会話が心に残った。最後のゼットンの設定にはうなった。
面白かったかも
メモです。すみません。
オタクが豪華な条件で好きな作品を作ったって感じかも。
マルチバース、シンエヴァ、シンゴジラ、じゃあシン仮面ライダーも?。
長澤まさみさんが気合入れるためにお尻を叩くのとか、巨大化してスカート覗かれたりするのは必要無かったのかなと思いました。元ネタ知ってたら嬉しいシーンだったのかもしれないですけど、時代的に良い顔する人は少ないんじゃないかと個人的には思います。
外星人としてのウルトラマンの目線から撮った作品だと思う。ウルトラマンが来るまでのカイジュウは全部カット?されてるし、ゾフィーとの会話の後で映画が終わるから。ウルトラマンが人間になるまでの物語なのかな。
活動時間は短いのは変わらない。
ただ結果として何も解決してなくてウルトラマンの力を持った人間が生まれてこれからもカイジュウが来る。
シンゴジラほどのリアリティは感じなかった。
死ぬ可能性あるのにカイジュウがいない時は日本は日常だし。実際は海外に避難する人はし終わって、多少諦観してる人だけが残ってるのかな。
自然破壊の結果、兵器によってカイジュウが生み出された。カイジュウとウルトラマン、メフィラス、ザラブとかの星人は別。今後どちらも基本的に敵対勢力しか登場しないってことか。
シンゴジラほどよく感じなかったなと思ったけど、しばらく経ってもシンウルトラマンのことを考えたりしてしまっていてすごい面白かったのかもしれない。
凄い絵を見れた!!でも、(何だかなぁ?)と思わされる点が結構有る。残念!!
凄い絵を見れた。それは良かった。
でも話の展開が強引で早かった。
だからなのか結果つまらなく感じた。
こんな風に感じたのは「スター・ウォーズEp7,8,9」以来、
それこそ、「接触編、激闘編、決戦編」みたいに分けて、
脚本や構成、演出をもっと煮詰めて作れば良かったんじゃなかろうか?
結果として、「シン・ゴジラ」は面白かったけれど、これはつまらなかった。
まあ大元(おおもと)の、昔の「ゴジラ」は大人向けの映画だったけれど、
これの大元の「ウルトラマン」は子供向けの作品だったから、
大人の鑑賞に耐えうる様に作るのは難しかったのかもしれない。
でも「アベンジャーズ・エンドゲーム」なんかは、
(子供受けする様な話だなぁ)と思いつつ、面白かったから、
その辺は言い訳にならないかもしれない。
あとは私が(なんだかなぁ?)と思った点を、以下5つ程、具体的に書いてみます。
①シンジがウルトラマンと一体化した後、人として振る舞いに人間らしさが無くなったのだから、
(人が変わった)のだから、周囲の反応があれではどうだろう?
つまり、「神永さん、何だか最近おかしいよね。何か有ったのかな?」みたいな反応を周囲がしていない。この辺をハショるのは、いかがなものだろう?
②予告にも有ったけれど、名刺(メフィラス)、知的であるメフィラス星人がやるか?あれは知的とは思えない。
まあやるならもっと徹底的にやる方がいいんじゃない?
例えばリーダー役の西島さんとお辞儀しあいながら名刺交換したり、
他の若い人達とは「すみません、今名刺を持ち合わせておりませんので後日改めて」とか、日本の社会人らしいやり取りをするとかね。
③受けを狙ってわざとやったんだろうけど、
電話に出た人が電話をかけてきた相手の言っている事をわざわざ言うシーン
「何?○○○○○○○だと?」
が、三回位有った。昔のテレビドラマのわざとらしさを皮肉ったんだろうけど、
普通、日常で電話で会話する際に、我々はこんな事しないでしょ?言わないでしょ?
庵野さん、樋口さんがこんな事しないで欲しい。
私は面白くなかった。シラケてしまった。
④シンジの遺体をウルトラマンのシンジが見ているシーン、これが時間を開けて二回有ったけれど、
見ている側からしたら、遺体が朽ちてしまうのが嫌に思えてしまうので、この演出には疑問が残った。
遺体が朽ちない理由をあの「ゾーフィ」さんとの会話の中に入れるとかしないと、見ていて気持ち悪い。この辺はリアリティーを追求しないのか?
⑤光の国が(ゼットン)を作った?光の国が人類を滅ぼそうとするなんて、特に心情的に止めて欲しかった。
これでは映画冒頭にいきなりジョン・コナーをコ○してしまった(ターミネーター最後の作品)と同じ様なもので、リアリティーを追求するにしても、見ている側が光の国に持っている期待感や心情を悪い意味で壊してしまう様では、この映画を見るのが嫌になってしまうと思う。
岡田斗司夫先生が以前、
「今回は庵野じゃなくて樋口が監督だから、あまり期待していない。」
みたいにおっしゃっていたけれど、それが原因だろうか?
いずれにしてもつまらなかった。
もっと上映時間を長くしても良かったんじゃなかろうか?
疑問の多かった作品です。
2022年5月26日 追記
他の方のレビューも幾つか見させて頂きましたが、
ホント、評価が二分(にぶん)していますね。
高評価されている皆様は、私が(何だかなぁ?)と思ったところは気にならないのだと思いますね。
それも皆様の正直な評価ですから、お互いに尊重し合いましょう。
(何だか偉そうですみません。)
そんな中、思い出しました。もう1つ、(何だかなぁ?)な点、
⑥ウルトラマンが初めて現れた時、彼は銀色1色(いっしょく)だったかと思います。
でも2回目現れた時は、赤いラインが入っていました。
そんな流れで見せられたら
(あー、人間と一体化した後に現れたら、赤いラインが出たって事は、人間と一体化したから出てきた特徴が、ウルトラマンのあの赤いラインなのね!!あー!!、面白い設定にしたね!!)
と思っていましたが、
あの「ゾーフィ」さん。
(人間と一体化)していたんですか?
確か(人間と一体化)するのは(光の国のルールに反している。)はずじゃあなかったんですか?
なのに「ゾーフィ」さん、見事な緑ライン、赤ラインが出ていましたね。
これも理由を説明するセリフのやり取りは、一切有りませんでした。
リアリティーを追求する庵野映画、樋口映画が、ここは又々アバウトだと思いますね。
皮肉な文章を書いて申し訳ありませんし、そもそも
「赤ライン、緑ラインが出てくる明確な理由なんて語られてないんだから、お前のツッコミの方が酷くないか?」
と思われるかもしれません。
でもこれ又、映画の構成、シナリオ、演出、これらを煮詰める大切な作業が不足していると思わされる点ではないでしょうか?
そもそも「シン」シリーズって、現代でも通用する様に話を再構築する目的も有るんじゃあないの?
(まあこれも私の勝手な思い込みかもしれませんが、)
それなのにこれなんだから、
「シン・ゴジラ」に比べたら、話はつまらなく感じてしまう。シラケてしまった訳です。
「シン・ウルトラマン」
興業成績もよろしいかと思いますので、続編も有るかと思いますが、
昔の「宇○○○ヤ○ト」みたいに、
新作映画が作られる度に、(何だかなぁ?)にならない様にして欲しいです。
この品質では、とても続編製作は無理だと思う
【特撮部分】
まず肝心の特撮部分ですが、全体的にCGのクオリティが低く見え、鑑賞に耐えないレベルです。ただ、下記のようにカット単位では驚きとともに良い印象を受ける部分はありました。
・ウルトラマンが初めて降着した後にタイプAマスクが映る
・ウルトラマンが飛行姿勢のまま縦方向に回転して敵を蹴り上げる
・メフィラス戦にて必殺技のぶつけ合い
・メフィラス戦にて見切れるゾーフィ
・森の中、ゾーフィの顔アップ
【ドラマ部分】
欠陥だらけです。特に下記の点が致命的で、映画としての価値をグッと押し下げていると思います。
・邦画特有の説明セリフ
・神永のパーソナリティが分からない
・禍特対の仕事ぶりが見えてこない
・神永と浅見の間にバディ感が出ていない
VSゼットン戦に、観客の心を盛り上げてくれる展開が無かったので、がっかりというか意外でした。『シン・ゴジラ』のヤシオリ作戦では描けていた”総力戦”感やカタルシスが今作では全く見られず、本来は気分最高潮で迎えられるはずのラストカットが空振りになっています。
脚本段階から既にこのような構想だったのか、映像化の過程でカタルシスが失われたのかは定かではありませんが、初日舞台挨拶での樋口監督の発言「庵野の脚本を可能な限り再現したつもり」は、制作失敗の責任を樋口監督が庵野氏になすりつけているようにも感じてしまっています。
映画ファンは馬鹿ではないので、映画『シン・ウルトラマン』は自然淘汰されると思います。
マーベルよ、これが光線だ
ウルトラマン世代(最初の)のおじさんにとってはなんとも嬉しい作品です。
最初の円谷プロ、東宝、ウルトラQみたいなタイトルからして嬉しい。
シネアストの斎藤工が主役なのも映画ファンにとっては嬉しい(あんまり活躍しなかったけど)。
東宝作品で独立愚連隊というワードが聞けたのも嬉しい。
禍威獣いっぱい、そのビジュアルも嬉しい。
音楽も懐かしくて嬉しい。
大きくなった○○○○○も嬉しい。
二匹目の禍威獣倒してあとかたづけしなくていいように持ち上げて飛んで行くまではもうワクワクが追いついていかないくらい楽しめた。
「死刑にいたる病」もそうだったけど、最初に見せ場があって、あと会話劇みたいになってしまうのがちょっと残念。ウトウトしちゃった。
こぢんまりした終わり方好きだけど、もっとグワーって盛り上げて感動させて欲しかったな。
エンディングに流れる主題歌も良かったけど、どうせならオリジナルの主題歌だったらもっと嬉しかったろうな。
マーベル映画のヒーローやハリー・ポッターシリーズなんか、いつも手かざしや杖から光線?出して戦ってるイメージあってあれが苦手なんだけど、やっぱりスペシウム光線は違うな。一撃必殺。別格だ。
もう一回観に行こ。
特撮魂に満ちた作品!だがしかしやはりシナリオは良くも悪くも庵野テイストw
ウルトラマンリアルタイム世代にとって、これほど滾る作品もない。庵野の特撮愛と魂に満ちた映画である。ウルトラマンのカラータイマーがないのも、その造形を手がけた故成田亨の意志を継いでいるところからも見て取れる。
だがしかし、怪獣あらため「禍威獣」である「禍特隊」である…そこから察するように良くも悪くもシナリオはやはり庵野なのである。ともするとエヴァのような難解な残滓を引きずっているのだ。
ウルトラマンのやらかしたユニバースにおける地球人類の兵器化の可能性。それを脅威とみて排除や逆に取り込んで利を目論む外星人達の複雑な星人類模様。巨大化における並行宇宙異空間ロジックなどの密なシナリオには、オタクもついてゆくのはなかなか大変?ましてや小さいお子さんなんぞうっかり観に来たらなかなかハードモードだぞ(笑)
ともあれ描写の緻密さやリアリティ、破綻の少なさなど安心して観ていられる。どこぞの大怪獣の後始末などは爪の垢を煎じて飲めば良い。
禍威獣や外星人たちの造形も素晴らしい。ザラブ星人はもとよりゼットンなどはエヴァンゲリオンのブンダーや使徒に通じるものがあり見てると滾る。
演出も初っ端から怪獣オタをくすぐる円谷怪獣のオンパレードの演出で心を鷲掴みされる。
特撮も円谷お約束の撮り方を踏襲しつつ、ブラス凝りに凝った拘った構図で怪獣を見せ、これまた滾る。だが登場人物のやり取りのカット割りはチョット目まぐるしい感があるかな。ともあれ、庵野のシナリオと監修を撮りきった樋口監督は善戦してると思った。
個人的に惜しむらくは、石坂浩二のナレーションがなかったことかな。やっぱりね、世代としてはチョット寂しかった。
前のめる!
冒頭ゴメスが登場して前のめり。ペギラも出てきて前のめり。ガボラ戦で前のめり。赤から緑でグッジョブ! ザラブ戦のBGMで超前のめり。同空中戦でため息。メフィラスの足元の凸凹デザインで感心。最後の相手のシャコシャコシャコシャコ、ピロピロピロピロ、ゼェットォーーーーンで絶望感。エンディングでどっち?
Qからウルトラマンをギュッと2時間に詰め込んだ、その世代へのステキな贈り物でした。ありがとうございました。
ゼットン(解釈違い)
良くも悪くも庵野監督の趣味全開、庵野解釈の二次創作な映画だなーという感想。
自分はそんなウルトラマン見てたかといえば、子どものころにセブンかタロウを再放送でみたくらいでそれもうっすらとしか覚えてないレベル。初代ウルトラマンは見たことないので当時リアルタイムで見た人とは感じ方が違うのかもしれない。初代ウルトラマンリスペクトネタがあちこちにあったのかもしれないがあまりわからず(変身シーンのパンクとか飛んでいく姿とかは流石にわかるが)、「ヘアッ」「シュワッチ」って言わないんだなーくらいにしか思わなかった。
シン・ゴジラは東日本大震災・原発事故を想起させるストーリーと官邸ドラマでそこまでゴジラオタクでない人でものめり込める作品になってたけど、今作はそういうのは薄め?人類の力でなんとかどうにかなる災害としてのゴジラに対し、人類をはるか超越した異星人とのバトルなので人類側は(最後は頑張るものの)全体としては添え物感が…。全般に色々詰め込み過ぎなのも話が散漫になってるように感じた。
怪獣のデザインとか結構変わってるけど、ゼットンに関してはさすがに解釈違いレベルに変更されすぎてどう受け入れたらいいのか(笑)初代ファン的にはありなのか…?ほかの怪獣の造形も全般にどことなくエヴァっぽさを感じるあたりやっぱ庵野監督の指示なのかなと思う反面、初代ウルトラマンをデザインした成田亨氏も関わってるみたいで、「庵野カラーの二次創作」と思いきや公式公認だったという「こういう時どんな顔すればいいのかわからない」感が強い(笑)
ウルトラマンVSメフィラスのバトルシーンとかはかっこよかったし、シン・ゴジラからのキャラ友情出演(?)は熱い展開だったし(一方で長澤まさみイジリは…なんだったんだろう…監督の趣味??)、悪くはないんだけど「思ってたんと違う」感が付きまとう作品だった。次作が制作されるなら見に行くかはちょっと微妙かなあ。
エンタメ要素てんこ盛り
まず斉藤工の演技がいい。口数少なく得体の知れない雰囲気は、変身後のウルトラマンの顔が斉藤工とオーバーラップするほど。
やけに世間ずれして、ことわざを多用するメフィラス星人も面白い。
途中から長澤まさみが“進撃の巨人化”したのは笑った。お尻ペンペンのシーンが少し多い気もするがファンサービスだろう。特に問題なし。
ゾフィーの微妙な立ち位置も、何となく理解できた。
最終兵器とも言うべきゼットンのスケールは絶望感を感じさせるには十分。ゼットンの攻略の最適解を人類が考え出すあたりは感動的だが、ゼットンがエヴァンゲリオンの使徒に見えたのは俺だけ?
カラータイマー、目の覗き穴、背中のジッパー隠しの背びれがないウルトラマンは、生命体らしさが出ていた。
βカプセルの使い方によっては、動物や昆虫、あるいは人間も巨大化出来ることが分かったので、宇宙人に限らず悪用される可能性はある。
戦闘シーンでは、デカさ故のノロマさがなく、生物としてのスピード感があって良かった。空中戦は見応えがあって素晴らしい。
時間の制約もあるだろうが、あれだけ個人行動する人間が、あそこまで人類に肩入れするまようになるまでの心理描写が少し足りないかも。
シンゴジラに比べて自衛隊の活躍場面が少ないと思うかも知れないが、もはや人間の手に追えないから仕方ない。
怪獣を禍威獣と表現するあたり、庵野監督らしい。
カメラアングルがかなり低い位置から狙っているが、普通に撮影するより画面に圧迫感と緊張感が出て面白いと思った。
もし続編が作られるなら観たい。
これはウルトラマン
シンゴジラみたいに結構設定から変えてくるのかな
と思いきやこっちの方が旧作をいい意味でオマージュ
しているのがとてもよかった。活動限界は映画だから避けたのかね。
ゼットン突撃時の巨大化ポーズが旧作そのままで
変身シーンを決め技に転化した監督さすが!!
目頭が熱くなる胸熱シーンでした。
ちょっと説明不足な部分(プランクプレーンとか)
ウルトラマン旧作やSF前提知識があると
違和感なく最後まで見られるが
本作から入る人はついていけないのもわかる
ぜひこれを機にウルトラマンシリーズを
色々見てほしいという思いを感じた。
こども時代の思い出補正も含めて
ウルトラマンらしいウルトラマンをありがとう!!
人間への思い入れがみえない
観た限りでは
そんなに人間が~の宣伝、どうしても彼が人間を好きになる理由が見つからなかった
宇宙人の興味としか理解できなかった
ここが強調されていたらガッツリ思い入れがあった気がする
心の目で観ろとか端々に気配が・・・というのは・・・
大きなお友達が『分かる人だけわかれば良いから』という感じ
小さなお友達は『分からないけど面白いからOKだろ?』という感じ
この映画も観客を振り分けたなって思った
山本さんのメフィラスは良かったですw
二番煎じではありますが、
大義が地球を救う。という点で
先にゴジーラが救ってしまったので
大筋内容がカブってますが、
順番逆だったらもっと高評価。
ウルトラは絶対正義ですが、
ゴジーラはひょっとすると、な感は
残せただけに、惜しい。
「そんなに・・・」のクダリを
知っている世代は
待ってました的に懐かしい。
知らない世代は現代特撮。
クダリのオチありき。の
2時間だったのかな。
物理学用語が延々と続きますが、
専門でもない限り
大人でも理解できないので
子供と同じ様に雰囲気で感じとれば
いいのではないかと。
再放送で見た世代ですが、
国民的題材を
2時間でまとめ上げたという事で
労をねぎらって、
お疲れ様でした。
第三弾は
テレビ版が秀逸ですし、
地球を救うでカブってますよ!
ウルトラマンのスケールを大画面で満喫
ウルトラマンシリーズは断片的にしか見たことがないのだけれど、「シン」だし、久々の大規模な日本の特撮で面白そうだったので、映画館に観に行った結果、大満足だった。
ストーリーには庵野節みたいなエッジの効いた台詞もあったし、特撮シーン等の工夫も感じたし、主演の斉藤さんもウルトラマンのスーツもスーツの中の方もカッコよかったし、長澤さんも(巨大化しても画になってたのはスゴイ)良かった。
他には、カメラワークがあおりと顔面アップがとても多くて劇画ちっくというか遊び心を感じたのと、エンドロールのスーツアクションの所に庵野さんの名前があった(気がした)ので怪獣のどれかになったのかな?だとしたら楽しんで演られたんだろうな、なんて思った。
『シン』シリーズはやっぱエヴァ、そして飽きた
エヴァならNERV、シン・ゴジラ、そして、シン・ウルトラマンは役所の人たちが裏でわちゃわちゃやってるところをドラマにするという基本コンセプトは変わらず。
でも今回はなんかもう飽きたって気がして。
最初でウルトラQの怪獣が文字とモンタージュ映像でパッとサラッとやっつけられて、パゴスのマイナーチェンジ版であるネロンガ、ガボラとSDGs意識系怪獣が続くのも飽きる。同じ怪獣を有効活用、リユース、リデュース、リサイクル。
ザラブ、メフィラスと、政府交渉系怪獣が2回続くのも飽きる。
そして、最後はなぜかゾフィーがゼットンを作ってウルトラマンを追い詰める。サラッとゾフィー、敵じゃん。
ゼットン、こいつは地球温暖化のメタファーか?SDGs系。
ぺらぺら机の上で仕事しながら、長たらしいセリフを吐いて、人類滅亡の危機的な状況なのに、緊張感なく軽口たたいたり、ジャンクフード食べたり、ダサくて安っぽい長机重ねて、パイプ椅子座ってたり、調度に関心なさすぎで、人間描写がアニメっぽくてアホらしい。
ぺらぺら長たらしいセリフで、なせばなる、なさねばならぬ何事もだとか、リエゾンだとか、捲土重来だとか、生殺与奪とか、普段使わないような言葉を使うのが一々鬱陶しい。
なぜ怪獣が現れたのか、ウルトラマンがなぜ人間を愛するのか、西島さんは何をする人なのか、怪獣をやっつけるのに、なんであんなたくさんの省庁が関わるのか、あんなたくさん関わったら意思決定がぐちゃぐちゃになるのになぜ?とか、そのくせ西島さんのチームは、部下4人しかいなくて何してるかわからない。肝心なことは一切わからない。神永さんはいつも席にいないで図書館で『野生の思考』を読んでいる。意味不明。人類学者なの?
子供向けにするのであれば、政府の内輪劇はもっと削って戦いメインでわかりやすくしてほしいし、大人向けにするなら、もっと説得力がほしい。
子供にとっても、大人にとっても中途半端で雰囲気だけエヴァにしました的ななんか深みのない映画だった。
ネタが、SDGs系のリユース、リデュース、リサイクルすぎて。。。飽きるわ!
マルチバースにしちゃえばいいのに
全部巻き込んで夏休み映画的な全部載せ世界観にしちゃえば?
台詞で心情やご意見を説明しているシーンは全部ぶっこ抜いて欲しかった
あと何より、お尻を叩いて気合いを入れるってなに?(憤怒)
スカートを捲れるように足を上げたり(憤怒)
誰があれを考えたの???
一発ぶん殴らせろ!!!
期待値未満.”シン”ウルトラマンではなく、”庵野っぽい”ウルトラマン
ウルトラマンシリーズが好きな者は、初代ウルトラマンに焦点が当てられた新しい作品なので見て損はないと思う。
ただ、この映画にそれ以外の価値はない。
映画の総評としては、”悪くはない”が...。
映像面については、シン・ゴジラっぽさのような作り方・カメラワーク・CG等々、賛否が出そうではあるものの、”シン”ウルトラマンであることを考えるとこの作品の良さに思える。
一方で、音楽は、ウルトラマン本家に対するリスペクトが感じられる部分があったが、正直インパクトは薄く、印象に残った物は少なかったが、悪いというわけでもない。
役者についても同様、別に悪いと感じられる点は特にないように思える。
この映画の価値を最も落としているのは、脚本だと思う。
”チーム・集団・群れ”と”個人”、”人類”と”ウルトラマン”との対比構造。これは、どのウルトラマン作品でも1つのテーマとして扱われており、シン・ウルトラマンも例外ではなく取り込まれている。シン・ウルトラマンのお話の展開的として、このテーマを上手に扱えていないと感じた。単純に監督・脚本家の技術不足だと個人的に思う。
またラストシーンについては、折角、視聴者に解釈を委ねるような形を取ったのに、お話が急展開すぎて、良さが半減している。
脚本の問題を解決する方法としては、映画ではなく、普通のウルトラマンシリーズのように地上波放送媒体の作品として作っていれば、神作品になりえたのではと、個人的に思っている。
”シン”ゴジラ、”シン”ウルトラマンの”シン”とは何なのか。庵野っぽさを”シン”と呼ぶだけなら、”シン”仮面ライダーも正直、期待できないと思わせる作品だった。
ウルトラマンというSF作品。考えながら鑑賞する力が必要
基本的にネタバレを書くのは好きじゃないが、この作品はどの角度から書いてもネタバレになるので、今回はネタバレレビューとして扱います。
続編が作られることなど意図してなかった原作リスペクトをしている作品。
動きの全てが特撮時代をリスペクトであり、人間の発想の中で行われている「人体ならこうなるだろう」という考えを完全に無視した不可思議な動きが、よりSF感を際立たせている。
あの動きを見て、「あ、これはSF作品だ」と納得できた。
こういった動きは、不満を持つ人間は多いと思う。
特撮時代に表現できなかった事を補完していない。つまり、CGで多彩な表現ができるのに、そのままやるのはおかしいだろうという意見だと思う。
自分の場合はこれはSF作品だと判断した。
「ウルトラマンは人間じゃない=人型だからって人間らしい動きを求めている違う」と考えた。
ストーリーもSFらしい。
ウルトラマンのテレビシリーズの中での多くの事が補完されていた。
地球と人類が持っている問題を追求した原作を採用している為、大人の映画に仕上がっている。
なにより地球はウルトラマンに守られる特別な星じゃなくて、ウルトラマン本人が人間を通して特別に思ってる感が凄く良かった。
正直、ウルトラマンに興味がない人や初代ウルトラマンのストーリーや設定を知らない人が見るとよく分からないと思う。なので、事前にウルトラマンを調べてから視聴することをおススメする。
●重要な問題点
典型的な「考えながら鑑賞する作品」である。
本来、SF作品は「知能指数を高く維持する意識=考えて観賞する意識」がどうしても必要になる。
それが「奥行きを見る事」に繋がる。
この「奥行きを見る事」が発揮されないと陳腐で退屈な作品に見えてしまう事が多いのがSFの難点だ。
考えて見る事が必須だと意識したからこそ、楽しめたが意識してないと正直見ていてシンドイ場面もあった。
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