シン・ウルトラマンのレビュー・感想・評価
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初日に見て来ました
想像の域を越えなくて残念でした。
特報を見て登場する星人が事前にわかってしまったことや
「そんなに人間が~」のワードが事前に出てた事が個人的な消化不良を招いた原因です。
ラストのゾーフィのシーンも過去の取り違えた内容をそのまま転用しているので、ゾーフィのボディラインやゼットンのワードを聞いて予想出来てしまった事もマイナスでした。
あとは尺の都合なのはわかりますが、内容を詰め込み過ぎていて
消化不良な部分が多数見受けられました。
しかしながらウルトラマンを全く知らない人が見れば楽しめる作品にはなってるとは思います。
期待値が高過ぎた自分に問題はあったと思います。
最後に斎藤工さんベータカプセル似合いすぎw
ウルトラマニアの愛と執念の最終回
「シン・ウルトラマン」。
ウルトラマンマニアである、庵野秀明と樋口真嗣の“愛と怨念の作品”である。これに文句をいえる人がいるとすれば、それは羨望(自分がやりたかった)でしかない。ここに円谷プロの初代ウルトラマンが本当の意味で完結した。
ここからは盛大なネタバレなので、鑑賞してからどうぞ。
まず本作はIMAXで見ることを推奨しない(IMAXと通常スクリーンで観たので確認済み)。しっかりと意図されたシネスコ映画だ。ウルトラマンと怪獣の戦闘シーンの構図、水平に放たれるスペシウム光線、すべてがヨコ方向に広がるシネスコ画角が効果を発揮する。むしろSCREEN Xがあればいいのに(現時点ではSCREEN Xも4Dも発表されていない)。
IMAXスクリーンで観ても、上下に白オビがあるだけで、追加料金500〜600円のムダである。悪い意味での“なんちゃってIMAX”。また登場人物の会話シーンで挿し込まれるi Phone撮影のカットはあからさまに解像度が落ちる(ただしその画角は面白い)。やはりIMAXで観る作品は選ぶべきだ。オススメ映画館があるとすれば、TOHOシネマズ日比谷の「SCREEN1」である。IMAXに匹敵する横幅のシネスコスクリーンで、シート設備などの環境も申し分ないTOHOシネマズのフラッグシップである。「SCREEN1」以外は普通なので注意。
さてオープニングから、『ウルトラQ』の禍威獣が次々と出てくる。ゴメス、ペギラ、ラウゲユウス、マンモスフラワー(別名ジュラン)、カイゲル(Qではゴーガだった)…。禍威獣とはシン・ウルトラマンでの新語。作中で各禍威獣のネーミングは、防災大臣の勝手な趣味とされる。
そして『ウルトラQ』の禍威獣たちと、人間(自衛隊)の戦いがフラッシュバックされる。『ウルトラQ』放送当時の石坂浩二のナレーション「甲状腺ホルモンのバランスが崩れ〜ここは全てのバランスが崩れた恐るべき世界なのです。これから30分、あなたの目はあなたの体を離れて、この不思議な時間の中に、入ってゆくのです〜」のあの世界観なのだ。自然界を破壊する人間の開発活動から生まれた超常現象。
作中「禍威獣や外星人はなぜ日本にしか出現しないのか」というセリフはあえて『ウルトラマンは日本ローカルの作品であり、日本オリエンテッドになにか文句があるか』という誇りである。
『ウルトラQ』の世界観のうえに、ここからウルトラマンの登場になる。これも放送当時のコンセプト踏襲のひとつだ。テレビ放送『ウルトラマン』の放送オープニングで、液状に描かれた“ウルトラQ”の文字が“ウルトラマン”に変わる映像をそのままに、“シン・ゴジラ”→“シン・ウルトラマン”へ。思わずニャッとさせられるパロディだ。
突如として現れる銀色の巨人に、日本人は驚き混乱する。『シン・ゴジラ』で展開された国民、政府、自衛隊の混乱が同じように、ありそうな反応を見せていく。『シン・ゴジラ』との違いは、あれほど早口詰め込みではないことと、ゴジラ(怪獣)だけではなく、外星人(宇宙人)との遭遇があるということだ。スピルバーグの『未知との遭遇』(1977)とは異なる、ウルトラマンにおける人類と宇宙人の外交交渉が描かれる。
ここで山本耕史演じるメフィラス星人が〈マルチバース〉という言葉を使う。MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)ではない本作が〈マルチバース〉をセリフに使い、MCU以外のメジャー作品によって一般用語として肯定された。〈マルチバース〉という概念は、これまでの創作物(小説・漫画・映画・ドラマ)で多用されてきた〈パラレルワールド〉の置き換えに近く、『シン・エヴァンゲリオン』がソレであった。〈マルチバース〉は使い方によっては、ご都合主義に陥るズルいマジックワードなのだが、本作では外星人の言葉として〈マルチバース〉に触れる程度で抑えている。
さて、話を戻す。『シン・ウルトラマン』のこだわりは挙げれば尽きないが、初代ウルトラマンスタッフに最大限の敬意を払った、細かすぎる配慮の数々。2度見、3度見でなんども楽しめる。
放送第3話「科特隊出撃せよ」のネロンガ、第9話「電光石火作戦」のガボラは、当時の製作費圧縮のため着ぐるみの流用が有名。それをそのまま作中のセリフネタにしてしまっている。
放送第18話「遊星から来た兄弟」のザラブ星人がニセウルトラマンになる回も出てくる。そして放送第33話「禁じられた言葉」のメフィラス星人は巨大フジ隊員(身長40m)を登場させたが、今回は長澤まさみ演じる浅見弘子が標的になる。「シン・ウルトラマン」ではこのエピソードを使って、巨大なウルトラマンが突然登場するβシステムの秘密を整理してしまう。見事だ。
主人公は“ハヤタ隊員”ではない。しかも姓だけでなく下の名前がある。“神永新二”。斎藤工が演じる、禍威獣特設対策室専従班(禍特対) 作戦立案担当官である。ここは“科特隊(科学特捜隊)”ではなく、“禍特対”であることと、またしてもシンジくん(エヴァンゲリオン)である。
すでにウルトラマンに、“カラータイマー”がないことは有名だが、デザイナー成田亨さんが描きたかった"銀色にかがやく美しい宇宙人"が、最新のデジタル映像技術によって完成された。カラータイマーのない代わりにウルトラマン自身の色が変わるというのも、当時できなかった映像テクニックだ。
禍威獣たちのクリエイティブも同様だ。庵野秀明さんが絡むと結局、すべてが“使徒”になる。遡って『風の谷のナウシカ』の巨神兵もそうだ。今回の宇宙怪獣ゼットンの巨大さ、宇宙に展開するメカニカルな様相は、エヴァの“使徒”そのものである。
悪い意味ではない。当時の宇宙恐竜ゼットンは体長60mとされていたが、それでは「1兆度の火球」を発射できない(はず)。今回のゼットンなら惑星ごと消滅させることができるわけだ。これ“第○使徒”?
音楽が素晴らしい。オリジナルのウルトラマン楽曲を鷺巣詩郎さんがリアレンジして、すべてが懐かしいまま新鮮なサウンドを放つ。
そして放送最終話(第39話)「さらばウルトラマン」でゼットンに敗れるウルトラマン。そこに現れる光の国からの使者ゾフィー。『シン・ウルトラマン』でも、当時のウルトラマンとゾフィーの会話が再現される。セリフの半分は一語一句同じでありながら、今回は大きく違うところがある。
“ゾフィーは2つの命を持っていない”。ついにウルトラマンはひとりの人間のために、自分の命を捧げる。放送当時は実現しなかった脚本。ほんとうのウルトラマン最終回を、2022年に初めて迎える。これぞ大団円。
(2022/5/13/グランドシネマサンシャイン/Screen12/J-16/シネスコ)
昭和のウルトラマンへのオマージュ
音楽・映像・怪獣などは、昔のウルトラマン感満載で、話のテンポが良く、面白かった。
斎藤工のクールな、ボソボソと話す感じも、役のキャラクターを感じさせていて良い。
以下追伸
ウルトラマンのアクションはCG感満載だった。昔のように着ぐるみで、ワイヤーアクション活用プラスCG活用でカッコよくなる。人間の動きがカッコいい。
神永がウルトラマンになる前の人間としてのエピソードを加えると、深く共感出来て面白い。
神永と浅見のバディエピソード、友情以上恋愛未満なエピソードを加えてほしかった。
一般市民の視点の場面をもっと入れてほしかった。
怒られるかもだけど、長澤まさみのお色気をもう少し。
以上があれば、世界に出せる作品になると思う。
予備知識ほぼナシ
ウルトラマンの知識ほぼ無しで観ました。
ウルトラマンってこんなだったのか…と終始ポカン状態。
セリフは早口だし、情報は大渋滞、追いつくのに必死……というのはシンゴジラの時と同じなので覚悟済み。
いや、「追いつけなさ」はシンゴジラ以上だった気がする…
途中何ヶ所かまじでわからん…
あとは溢れ出る昭和感がすごかった。
もう一回観たらもう少し理解出来るのかな。
帰ってきたウルトラマン
感動がありました。
きっとあれは世代を選ぶ感動ではないかと思います。
古いウルトラマンで手に汗を握っていたかつての子供達、国民的特撮番組に一番多い視聴者層は決してマニアではなく、ただ普通にお茶の間としての記憶を原風景に持つ人達だと思います。
きっとそんな多くの大人達の心に響くノスタルジィが全体を包んでいる作品でした。
微に入り細に入り、この設定がこの言動がマニア心をくすぐる、あるいは足りない、そんな風に評論家目線で検分する楽しみ方も否定しませんが、一番多いであろう“並のウルトラマン体験者”として感じたのは創り手もまたその「懐かしい」を最も大切にしたのだろうという事です。
今の観衆に違和感を与えないだけの現代的要素はありますし、進歩した映像技術や物語的クオリティの高さもありますが、もし若い人達が観るのなら自分の両親あるいは祖父母が数十年前に味わい楽しんでいた空気感を素直に感じてみて欲しいです。
その果てに、たぶん創り手が踏み込みたかったテーマ、「ウルトラマンとは何なのか」…の感動に触れられたら良い体験になると思います。
お帰りなさい、ウルトラマン。
楽しく観させていただきました
子供の頃、子供騙しに感じていた背中のジッパーや、カラータイマー、怪獣の意味。
だけど好きだった、設定資料本。
大人になって、久しぶりに思い出しました。
ウルトラマンや怪獣の身長、重さ、扱うエネルギーのスケールの大きさ、その数字に刺激されて空想するのが大好きだった。
工業施設を転がる八つ裂き光輪が残した切断面は、詳しく空想したことはなかったけれど、親友と空想勝負をしているような、妙な既視感と、コミカルさと共に、そうなるよな。と、結論に達した瞬間に絵で見たような感覚になりました。
八つ裂き光輪が物質で構成されているもので、すごく熱いものだとしっかり、複数回見せてくれたことが嬉しく、同様のことは全編を通じて感じさせてくれました。
大変楽しく観させていただきました。
知識ほぼゼロでの感想です
たまたま時間があったので鑑賞しました。
ウルトラマンの知識はほぼゼロ、庵野監督だから見たというだけの者の感想です。
ストーリーはやや詰め込み過ぎ感がありました。
セリフ過多、情報過多なのはシン・ゴジラで経験済みですか、それでも頭が追いつかない。
鑑賞後に設定や登場する星人や怪獣は旧作に沿っていると知って、旧作を知っている人ならばついて行けたのかもしれないなと思いましたが、知識ゼロの自分には大変でした。
シン・ゴジラの時も大した事前知識無しで見たのですが、大量のセリフや情報の洪水も心地よかった。今作はどうにもうまくハマれませんでした。
私の少ない知識ではウルトラマンにはカラータイマーがあるはずでしたが、今作での改変はうまいと思いました。
それにしても役者のアップがやたらと多いのはなぜなのだろうか。これも旧作オマージュなのですか?あまり効果的な演出には思えませんでした。
特撮や戦闘シーンが昭和な感じなのは良かったと思います。
音楽も旧作から引用されているようですね。これも良かった。ただし、そのためか米津玄師のテーマソングが浮いてしまったように感じました。いっそのことテーマソングごと旧作から引用しても良かったのではないだろうか。
全体的な感想として、旧作ファンならばより楽しめるのだろうなというものでした。
良いところと残念なところが入り混じった作品
予告編のメフィラスの名刺から梅図かずお版の流れを期待していたけどさすがに無かった。
好きな人達が作ったんだな~と感じられるくらい旧作のストーリーを上手く拾って詰め合わせてくれていたので、楽しめる作品でした。
良いところ
・話のテンポは2時間で丁度良いくらい。
・BGMがほぼすべて旧作からの選曲。懐かしいだけでなく現代の風景にマッチしていた。
・外星人のデザインや表現は素晴らしい。
・やろうと思えば次回作も出来る?2作目の定番は数の勝負。下地も出来たし、いよいよあの方々にご登場いただきたい。
・予算抑える為のVRの使い方。
残念なところ
・全体的に庵野節以外の演出は????まあ、あの監督だし。
・途中まで不思議ちゃん発言しても変な奴で済む主人公。
・政府の要職が機密事項をペラペラ話しながら庁内歩き回ってっちゃダメでしょう。
・「特撮」を意識しすぎた画面。わざと光を合わせないで合成っぽく見せたりが残念。
・昭和の頃は心の中で今のハリウッドムービー並に想像力の補正が働いていたからピアノ線が見えていても良かったけど、今どきのわざとそう見せる絵作りは残念。
・山が崩れて何か出てくるのに人があっちこっちに往来していたり、街中で騒ぎが起きても普通に足元に群がってスマホ構えているわりにビルの上には誰もいないっておかしいでしょ?
・おしりパン(グッ?)!もっと思いっきり「パーン!!」って行って欲しかった。
・西島秀俊ほか役者の無駄遣い。長台詞は映画の個性になる前に役者の演技を奪うってことが良く分かる。
・VRシーンはジャニーズでなく、阿部 サダヲさんにやって欲しかった。(出てないけど)
《SJHU》としての初手をうちましたので解説をどうぞ
イノベイター円谷英二さんへの溢れすぎるリスペクトは勿論ですが、今後の《SJHU》に期待できる良作です。
ゲノムレベルで改造した『シン•ゴジラ』とか違い、キャラクターをむやみにいじらなかったのは良かったです。
ウルトラシリーズに疎遠だった友人が、中盤の展開に怯えて終盤では感動して泣いたとの言葉に感謝です。
偉大過ぎるコンテンツを扱うのは雑音が大きかったと思いますがちゃんと庵野節だったのは、
『庵野秀明』という存在はちゃんと保護しないといけないという認識で皆がいてくれたことが嬉しく思います。
自分的には『シン•ゴジラ』のキャラクター交流が1番の驚きでした。
今後の展開に期待し、暖かく見守りたいですね。
ショワッチ!(言わない)
樋口真嗣監督はとてもいい人らしいです。いい人過ぎて撮影現場でああしたが良い、こうしたが良いと言われると言われた事を聞いてしまうそうな。
そんな樋口監督が庵野秀明総監修に色々と言われながら作ったのではないか?と思えるぐらい庵野作品でした。スタッフロールに庵野秀明の名前の多い事よ。モーションアクターの所にまで庵野秀明の名前があった時には思わず吹き出してしまいました。ま、面白かったからいいんですけどね✨
ウルトラマン自体は子供の頃に再放送を観た事があるぐらいであまり詳しくないのですが、なかなか楽しめました。まさか映画館の大画面、しかもIMAXでウルトラマンを観る日が来ようとは。多分小ネタも沢山詰め込まれていたでしょうし、きっと知ってる方はもっと楽しめた事でしょう。長澤まさみの巨大化とかシュールだなぁっと思っていたら、ちゃんと元ネタあったみたいですしね。
怪獣が現れる目的をしっかり理由付けしているのが素晴らしいです。脚本も書いている庵野秀明、きっと昔テレビでウルトラマンの怪獣を観た時からずっと理由を考えていたんでしょうね。ラストのマルチバースに吸い込まれる時に下に出てた時間のカウントがちょっと遅くなるのはブラックホールに吸い込まれるイメージでしょうか?細かい所まで演出が行き届いてて関心しました。
で、途中でフと思ったのですが、最近マーベルのドクターストレンジでマルチバースの話が出ていたのに対して、ウルトラマンは50年以上前からマルチバースをやってたんですね。他のウルトラマン・シリーズは別世界なのにウルトラマンが客演したりしてましたし。言葉がなかったので定義できてなかったけど、いつの間にかやってたマルチバース。やっと世界が追い付いて来た感じですね。改めて日本の特撮の奥の深さを感じた次第でした。
やたらと理屈っぽい
初日鑑賞は幼き日のノスタルジックのシンクロ期待が大きかったのは自分だけではないだろう。
こういう日が来たんだとの誰もの夢。満を持しての登場と怪獣をなぎ倒し、『スペシウム光線』は令和版ウルトラマンに心躍る。
ただ以降、『シン・ゴジラ』の社会的発信力の高評価に気負ったか、やたらと理屈っぽい。ただカッコいい現代版復活ウルトラマンを観たかった人は少なくなかったのでは。
正直、ウルトラマンの概念を壊すのかと不安だったけどそんなことなかった。
光の星怖い。
星人系みんな細いけど、神秘的なデザインだった、フィギュアはやくだしてくれ。
ゼットンの鳴き声を使ったのに、監督のこだわりを感じる。
主人公が完全にリピアだったの好き、よくよく考えてみると本人が登場したの最初と最後だけやん笑
ゴジラみたいに後日談とか伏線みたいなのを最後にやらなかったのは、主人公がリピアだからなのかと思った。
後日談とかなくて、考察できないやん、消化不良みたいなのになるかもしれんけど監督の初代ウルトラマンに対する性格を新しいキャラを作って改めて伝わった、ありがとう
庵野監督の本気を見た。
オリジナルの音楽や効果音、随所の演出が昔のウルトラマンを感じさせてくれてとても興奮しました。
もちろん当時のウルトラマンのまんまではなく、庵野節を効かせた新しいウルトラマンとしての魅力が詰まった作品でした。
ゼットン震えたー。めちゃでけーゼットン出てきたなーって思って、初代同様負けて人類の力で、みたいな流れも当時とはちょっと違うけどそこは庵野流だなってなんか妙に納得。
ゾーフィとゾフィーの違いは流石に知識なかったけどw
シン・ゴジラと比較して物足りないと言う人もいると思うけど、ウルトラマンってやっぱり子供時代のヒーローだから程よく簡略化されて見やすいっていうのが魅力だと思います。
CGちょっと粗いのとか飛んでるウルトラマンがピーンとしてるのとかもむしろいい味出してて昭和生まれには響くなー。
仕事終わりのレイトショー、寝ちゃうんじゃないかと心配したけど、一切眠気に襲われない最高の作品でした。
シン・長澤まさみ
劇場に入る際に、前の上映を終えた方々とすれ違いました。皆さん大きな声で、結末や、あるキャラクター名を話されており、私は自分の席に着くまでにまるで、すでに映画を観終わったかのような感覚になれました。ありがとうございました。
そんな私からネタバレを一つ失礼させていだだきますと、映画の中盤、長澤まさみさんファンへのビッグなプレゼントがあります。ご期待ください。
映画はこってり濃厚豚骨ラーメンが出て来ると思ったらあっさりスープの塩ラーメンが出て来たようなイメージとでも言いましょうか。
塩ラーメンは好きですが、
物足りなさを感じました。
かなり変な映画
人類はがんばるけど、ウルトラマンが物理で殴って解決したり、もうどう考えてもこれしか道がないのに、ウルトラマンが物理で殴って「ぜったいにいやだ」とダダをこねたりする。
それに禍特対がふりまわされてたいへんだけど、それでもわたし、元気です。
みたいな、庵野秀明がウルトラマンと斎藤工と合体して暴れまわる映画だった。
おもしろかった。
モーションアクターに庵野秀明がはいってて笑った。
怪獣プロレスと異星間権力政治における「他力本願」
『シン・ゴジラ』が面白かったので、二匹目のどじょうにも期待したが、残念ながらまったくの期待外れであった。前半は「禍威獣」2匹とウルトラマンの「怪獣プロレス」であった。中盤から後半は(嶋田久作演じる頭の悪い首相率いる)日本政府を詐欺にかける「外星人」2人(?)と光の星からの使者ゾーフィがゼットンで人類(と言っても出てくるのは日本人のみなので、この映画では人類≒日本人である)を滅ぼそうとする「異星間権力政治」であった。双方に一貫してみられるのが、日本人の手に負えない「プロレス」と「権力政治」における日本人の(西島秀俊曰く)「神頼み」と思慮の浅さである。
ウルトラマンが、在日米軍の比喩であるということはさんざん言われてきたことなので、ここでは繰り返さない。しかし、それでも遠い昔に見たオリジナルでウルトラマンを倒した怪獣ゼットンは科学特捜隊の兵器(無重力弾)によって倒されたのであって、ここに製作者の矜持が見られた。子供にでも分かる「自分たちのことは自分たちで守る」という明確なメッセージである。
しかし、この映画では、有岡大貴演じる(知性を感じられない)物理学者がメタバース空間で衒学的なセリフを繰り出した後の結論は、ゼットンへのウルトラマンの特攻であった…。何、この展開。最後の最後まで「神頼み」?ウルトラマンの無条件の「優しさ」に甘えすぎである
『シン・ゴジラ』と比較すれば、この点についてよくわかってもらえると思う。『シン・ゴジラ』が面白かったのは、最後の最後まで日本人が知恵と勇気で正体不明の怪獣と張り合ったからである。実際、「ヤシオリ作戦」開始時での長谷川博己の演説は泣かせる。他方で、『シン・ウルトラマン』では有岡大貴が斎藤工にウルトラマンの特攻作戦を伝えたときの、斎藤工の「自分の命を使ってくれ」という発言には、ウルトラマンの人類(日本人?)愛に敬意を抱きつつも、ドン引きしてしまった…。
樋口監督は、「庵野の本(脚本)と寸分違わないものを作ったつもり」「2度、3度と見てほしい」といっているが、正直な話、once is enough であるだけでなく、時間とお金の無駄だったと後悔している。庵野さん、紫綬褒章が泣いているよ。
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