サラブレッドのレビュー・感想・評価
全8件を表示
論理性に欠ける
え…頭おかしいが過ぎる…
折り合いの悪い義父を元々嫌悪してたけど、
通ってた名門校辞めさせられて
問題児の通う学校に行かせられることになって
限界迎えて他人に殺人やらせようとした?
その猟奇や展開にドキドキするのを楽しむ映画?
論理的じゃない、穴があり過ぎる、
コンセプト先行で詰めが甘い
それが気になってしまうと楽しめないのかもしれない
警察が正しく捜査して真犯人が捕まる
その後の裁判の様子や世間の反応、
それに対する二人の言動、
そういうところまで描かれてたら楽しめた気がする
体内から睡眠薬の残りが確認されるだろうし
服についた跳ね返りの血痕の位置や量に
違和感持たれるだろうし、
犯行時の服やゴム手袋を捨てたゴミからも…
いくらでも事実追えるだろうに…
警察の捜査がザルすぎる
愛馬を失うことで弱ってしまうであろう母を想って取った行動、愛馬を苦しめないようにとの想いからの行動、その行為を振り返って「長年連れ添った自分で良かった」て言う子が。感情がない、なのか。とか。
全体的にご都合主義の創作物って感じ。
サラブレッド、というタイトルの意味も
私には難しかったな…
——/——/——/——/——/——/——/——/
あらすじ覚書
感情欠落少女とサイコパス少女が
ヤクの売人利用して
サイコパス義父を殺そうとするも失敗。
サイコパス少女が感情欠落少女に睡眠薬飲ませて
その間にサイコパス義父を包丁で刺し殺し、
感情欠落少女に罪をなすりつける話。
感情欠落少女は感情がないから人生に価値はない、
だから罪を被せてもいいって思考のサイコパス少女、
それを認める感情欠落少女。
ヤクの売人は以前に未成年者強姦で逮捕歴あり、
次は軽犯罪でも捕まれば15年は刑務所暮らし。
それを分かって少女たちは
売人から薬を買う際の音声を録音、
それを使って殺人しろと脅しをかける。
売人が言いなりにならないと分かったら頭殴って、
出血するほどの怪我を負わして服従させようとする。
サイコパス実母は義父にベタ惚れ、
なんでも義父の言いなり。
サイコパス義父はなぜそこまで?ってくらい高圧的。
感情欠落母は空気。
なんというか、、
内容は、感情欠落者とサイコパスの話。
喜怒哀楽がないアマンダと他人への共感力がないリリー。
最初はアマンダがヤバいかと思ってたけど、リリーのほうがやばかった^_^;
もっと面白くできたような気がするので、星3で。
感情とこころを持つ生き物を人間と呼ぶ
なにも、感情が欠落しているからといって
アマンダがこころもないヒトだとは思えない。
正しい判断をしようと思ったら
ときとして感情が邪魔をするかもしれない。
また、感情に任せて冷静にいられず
間違った判断を下してしまうかもしれない。
アマンダは感情が動かない。
だから利害が発生しない。
ただ、友人リリーのこころに寄り添っただけ。
ただ、それだけ…
アマンダには、こころがある。
だから友人の代わりに罪をかぶることもいとわない。
そして施設からリリーに送った手紙が、
感情なきゆえのもっともな正論を世間に
問いかけていたのように思えました。
〈先天的な〉感情欠落者のアマンダ
〈後天的に〉こころを捨てたリリー
どっちが“ひとでなし”なんだろうか?
でも、今後生きづらいのは
リリーの方じゃないかな?
だって、こころを捨てても
感情だけは残っているのだから…
【自らの中に秘めた凶暴な感情が露になった際の若き二人の少女の表情と不穏な雰囲気が印象的な作品】
”リリー(アニャ・テイラー=ジョイ)は高圧的な継父を憎んでいる。”
”アマンダ(オリビア・クック)は罪の意識を感じないと真顔で言う。”
二人はアマンダを心配した母親の計らいで久々に再会する。アマンダはリリーの屈託する思いを見抜き、彼女に”共感”する。
ダークな坂道を転がり落ちていく二人だが、表情はあくまで冷静。
二人はドラッグ売人ティム(アントン・イェルチン)に継父殺害を依頼するが、彼は放棄する。二人の異様な気配を敏感に察知したのだろうし、大口を叩く割には小物で良い意味で言えば、脳内安全装置が働いたのだろう。
リリーはアマンダの罪を感じないという言葉をどう受け止めたのだろうか。
アマンダはリリーから飲み物に強力な睡眠薬が入っている事を告げられながら、全て飲み干した。
私はアマンダのこの行為はリリーに思いを遂げろ、あとは私が引き受ける、自由になれというメッセージだと感じた。
そして、血だらけの体で睡眠薬の影響でソファーで眠るアマンダの体に寄り添い横たわるリリー。
”共感”が成就した瞬間である。
あの出来事の後の二人の表情には微笑みが浮かび、二人が夫々の新たな歩みを始めた事を物語っている。
〈ヨルゴスランティモスに明らかに影響を受けている不穏な雰囲気漂う映像と不協和音と言っても良い効果音も印象的。「聖なる鹿殺し」百回位観ただろう、コリー・フィンリー監督〉
〈内なる感情が露になった際のある決意をした二人の表情が印象的な作品〉
〈アントン・イェルチンの急逝に慎んで御悔やみを申し上げます。自分よりも若く有望な俳優の訃報を聞くのは辛い〉
感情ある方が恐ろしい
うーん…スタイリッシュサスペンスって…。
継父が気に入らないリリーと、感情のないアマンダの話でした。感情がないから、継父のことを、気に入らないなら殺せばいいのに…なんて言えるのかなとも思いました。一見、アマンダの方が恐ろしい女の子に見えます。でも、生きてて楽しい?だったか、生きてる意味がある?とかいう言葉を投げかけたリリーの方が、よっぽど恐ろしい。あれ、アマンダは、記憶ないんだよね?完全に罪を被ったってことよね?この後のリリーの未来は、どんななんでしょう?
ただのワガママな女子二人の物語って感じです。確かに、あんな父親はどうかと思いますけど、殺すんかい?って感じ。母親も、なんで、あんな男と再婚したんだろう?
淡々とストーリーも進むし、面白みに欠けます。ちょっと睡魔と戦いながらの鑑賞でした。
女優さんの生脚目当て
オリビアクックとアニャティーラジョイの女優さんが
目当てで観ました。
映画は難しい。
サスペンスと心理戦があり
体調悪いと睡眠へ
事実、寝てる方もチラホラ
アニャティーラジョイの魅力がひかる。
優しさを理解できない人が........... "You roofied me?"
2017年にサンダンス映画祭で公開されたアメリカのダーク・スリラーとされる映画として成立している本作。映画.comの解説などはあてにならないのがわかる映画でこの解説を鵜のみにすると映画のテイストの本質と、それと人のダークな部分が理解できなくなり、また一方に存在する無償の愛をわかるのに時間を要することとなる。失礼! 映画.com御社。それなら書くなってか?
殺人者の中には、人を殺す前に少なからずも動物に対して、鳩の首をちょん切ったり、子猫を箱に詰めて川に投げ捨てて溺死させたりと動物虐待という言葉が、この英語の世界でも存在する ”animal cruelty” という言葉。映画のオープニング・クレジットと同時進行する映像で連想をしなければならないので、ほとんどそれを明確には表していないのだが..........。
お嬢様で自分の能力に自信のあるところが垣間見られるリリー。それを演じているのがアニヤ・テイラー=ジョイ。最初、彼女が出ているので興味がわいたのだが、本当の主役なのが映画のエンディングロールでの名前の順でアマンダ役のオリビア・クックとわかったけれども、この映画の前に動画サイトで彼女が映画「サイコ(1960)」の前日譚を描いたTVシリーズ「Bates motel(2013)」Season2でのインタビューで彼女がイギリス人という事を知ることとなる。彼女曰く、イギリス英語を話すことを知られることでためらいがあってか、表にはあまり露出しなかったと本人が番組のMCに答えていた。
リリーが亡き父親を引きずっているのを知ってか知らずか、母親は、自宅に日焼け用機器を買ってまで義理の父親にかまってほしいらしく、「彼の好きな色にしたいの💛」なんて子供の前で恥ずかしくもなく言ってのけている。そんな惚れている義理の父親であるマークの強権的なところが、この映画を観ているものに彼女の心の葛藤や嫌悪を同調させようとしているように感じる。彼女がタバコを吸っていると......無理やり取り上げて
If my dad found me smoking in his house,
I would've gotten the buckle-end of the belt.
-Is that what you wanna do?
Just throw the pack out. I won't tell you mother.
人に対する憎悪。その解決方法は? この映画のラスト3分間の映像でわかるものとなっている。その横では純真なように”いびき”をかいてまで眠っている人。 悲しすぎる。
Do you remember that stuff you were saying to Tim the other day?
-What stuff?
The stuff about how.........his life......isn't worth living.
-Yeah.
Do you ever ask question about yourself?
-Like, any of our lives?
Like, in a philosophical sense? Like your life.......in particular.
I just mean like....if you can't....feel anything like, even happiness,
or...
シナリオ自体がだいたいゆっくりと2人芝居のように2人の会話中心でしかも2人ともにこりともしないので退屈と見える物語の中に笑えないブラックなジョークが散見する作りとなっている。その上、あからさまに凄惨なギミックを使ったゴア表現がされていないので拍子抜けをされる方がいるかもしれない。それと本当にこの終わり方でよいのか? 安直すぎないか? その反面、この人物の精神構造を読み取ると最初から最後まで織り込み済みか? という疑問もわいてくる。あんなこんなで、世間ではあまり視聴者からは多くの支持を受けていない映画となっている。しかし、amazon.comではすでに配信が始まっていて、レビューを見ると支持されている方もおられる。
この映画の監督は、日本の大監督やアメリカのロバート・ゼメキス監督が映画と音楽との共通点があることをともに述べていたことを思い出させるのだけれども、この映画に登場するBGMであったり、故意的と思われる、静けさの中の小さな音の響きなどにこだわった作り方をしていると視聴者に思わせている。
最後のシーン、2人が見ている深夜放送でシャーリー・テンプル(フォックス社をV字回復させ、人生をアメリカに捧げた方で、生涯シャーリー・テンプル・ブラック大使と呼ばれた人)の映画「The Little Princess (1939)」を何故、監督はわざわざ選んだのか? この映画の本質よりも個人的には謎となっている。シャリー・テンプル・ブラック大使には、毛沢東が作った”反面教師”という言葉に当てはまるドラック・アデクトや性的倒錯者から女神とあがめられているジュディ・ガーランドの存在があるからか? 考えすぎ!!
映画「Sabrina(1954)」に出てくる大富豪ララビー家のマンションよりは若干見劣りはするけれども、それでも日本ではみられない豪邸で、しかも価格が優に2500万円は超える2013年製 Aston Martin DB9 Volanteなんてのもかっ飛ばしている??
他人が愛するもの全てを殺す。心理サスペンスには、無用のゴア表現。
IN MEMORY OF ANTON YELCHIN より、ご冥福をお祈りいたします。
全8件を表示