劇場公開日 2021年2月19日

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「ちょっと残念」ベイビーティース 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ちょっと残念

2021年2月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 情緒不安定というか、登場人物の感情の起伏が激しすぎて、ついていけないシーンが多々あった。主人公のミラは喜んだと思ったら怒り出す、泣き出したと思ったらまた怒り出す。母親のアナも同じように怒ったり笑ったり忙しい。
 客観的に見ればミラは我儘娘だし、アナはジャンキー、モーゼスはチンピラである。父親で精神科医のヘンリーだけが落ち着いた精神の持ち主かと言えば、実は色情狂だ。どの登場人物も感情移入するには無理がある。
 ミラは体の病気よりも前に精神的に病んでいると思う。学校のトイレのシーンがその証だ。友人からカツラを一瞬だけ貸してほしいと言われて貸すが、貸している間は病気で毛が抜けてしまった頭部を恥じるかのように俯いたままだ。カツラなしでは外に出られないのは、病気と本当に向き合えていない心の弱さを示している。粗暴な言動は弱い心を隠すための鎧だ。ミラが病気と向き合うのは帰宅してカツラを外したときだけである。カツラを外した自分を笑ったり否定しなかったモーゼスに愛情を感じてしまうのもやむを得ない。
 アナは自分の想定する幸せをミラに押し付ける。バイオリンを習い学校に毎日行って、常識的なボーイフレンドとプロム(プロムって何だ?)に参加するのが娘の幸せだと思っている。現在の医学はミラの病気を救えず、対症療法としての鎮痛薬モルヒネを投与するしかない。いつ訪れるかわからない娘の死まで、アナは無理に微笑もうとする。
 モーゼスの狙いはミラが処方されるモルヒネである。モルヒネは健康な人が服用すれば脳内快楽物質を分泌させる。要するに麻薬である。モーゼスはそれを売って生活する。つまりそれがモーゼスの仕事だ。自分になつくミラに愛おしさを感じるが、あくまでも通りすがりの男としての姿勢を崩さない。いつ死んでもいいニヒルな生き方だ。死に対する向き合い方がミラに似ている。それがミラがモーゼスに惹かれる理由のひとつである。

 本作品はタイトル(原題も「Babyteeth」)からして、ミラをベイビーティースに喩えて人生の儚さを表現したかったのかもしれないが、儚い人生にしてはうるさすぎると思った。乳歯はあとから生えてきた永久歯に押されるように抜けるが、それならミラの下に健常者の弟か妹を登場させて、病気の恐ろしさと健康な人には病気の人の感覚は理解できないという人間の溝を表現すれば、もっと立体的な作品になったと思う。ちょっと残念だ。

耶馬英彦