「どうやって残酷さに立ち向かうか」異端の鳥 masakingさんの映画レビュー(感想・評価)
どうやって残酷さに立ち向かうか
戦火のもとでは誰もが残酷になり得るという認識は、小説や映画、絵画なども含めてすでに様々な記録から自分の中では既知のことだった。
宗教も然り。
とにかく序盤から終盤近くまで、両親のもとへ帰りたい一心でさまよう少年に降りかかる災厄は、中盤を過ぎた辺りから、少年もまた同じ隘路に陥るのではないかという不安を駆り立てた。
父親との再会に前後するエピソードは、その不安を具現したものではあったが、一転、彼が自分の名前を明らかにする象徴的なラストシーンは、トラウマからの回復を予見させることになる。
ただ、そのきっかけはどこからも感じられず、さんざっぱら大人たちに酷い目に遭わされた少年に都合よく回復の予兆を与えて贖罪の意を見せたようにも感じて、やや消化不良な印象が残った。
ステラン・スカルスガルドやバリー・ペッパー(プライベート・ライアンと同じような役どころしか来なくなったように思えてキャリアが心配)のように彼を人間扱いする人物もいたことが、少年をかろうじて人間たらしめたとも言えるのだが、それぞれのエピソードに芯となるつながりがないことから、説得力の弱さを否定できない。
現に、バリー・ペッパー演じるソビエトの兵士は「目には目を、歯には歯を」と彼の信条を少年に託し、少年はその後のエピソードであまり躊躇う様子もなくそれを実行に移す。
彼は自分の名前を思い出し、人並みな暮らしが還った後、そのことで苦しむことはないのだろうか。
人はどうやって残酷さに立ち向かい、そこから立ち直るのか、という重い問いを投げ掛けた芸術作品は数多くあるが、本作は淡々と残酷さだけを描いたという点で確かに邦題の通り「異端」である。