「「ヴェネチアで絶賛、しかし退場者続出」という逸話がその性質を言い表している作品。」異端の鳥 yuiさんの映画レビュー(感想・評価)
「ヴェネチアで絶賛、しかし退場者続出」という逸話がその性質を言い表している作品。
モノクロームの映像は、ファインアートの白黒プリントを鑑賞しているような美しさで、間違いなく近年公開された映画の中でも最上位に含まれるでしょう。その一方で、ヴァーツラフ・マルホウル監督は主人公の少年を取り囲む暴力の描写に映像的な妥協を許さず、そのため観客は約3時間の長い上映時間の間に、数々の目を覆いたくなるような映像を目の当たりにすることになります。「ヴェネツィア国際映画祭で高い評価を受けたにもかかわらず、上映中は退場する観客が続出した」という本作にかかわる逸話は、仮に誇張が含まれるとしても、容赦ない暴力と信じられないような美、という二つの普遍性を描く本作の特質をよく表現しています。
観客は、どこに辿り着いても邪悪な者として迫害の対象となる少年の苦しみを、すさまじい実感と共に体験することになります。ドイツ軍やソ連軍の軍人、収容所に送られるユダヤ人が登場することから、本作の舞台が第二次世界大戦中のヨーロッパ、それも東ヨーロッパのどこかであると理解できます。一方で、本作で多くの登場人物が話す言語は「インタースラヴィック」というスラヴ語圏で用いられている人工言語であることからも、明らかにこの物語は現実感がありながらもあくまで架空の物語である事が強調されています。
そのため鑑賞する側は、迫害される少年の痛みや苦しみを通じて得た感覚を、どのように理解すれば良いのか悩むことになります。例えば『サウルの息子』のように、戦争の悲劇を追体験する作品として?あるいは暴力の普遍性を描く優れた物語として?もちろん創作であることが感動の質を落とすことはありません。しかし画面上で展開する凄惨な暴力を見続ける必然性は果たしてどこにあるのか、鑑賞しながら疑問に思わざるを得ませんでした。こうした疑問は、イェジー・コシンスキの原作に対しても起きていたようで、ポーランドでは出版禁止となったという経緯があります。さらに経歴詐称疑惑や盗作疑惑など、原作者自身の素性にも疑いの目が向けられ、コシンスキは57歳で自殺してしまいます。
前知識なく鑑賞すると、上映開始5分後には相当な衝撃を受けることになるので、本作は理不尽な暴力を直接的に(露悪趣味的な意味ではなく)描写している場面が多々あること、原作も賛否両論を巻き起こした、程度の前知識があった方が、心構えができると思います。
10年以上の製作期間と、約2年にわたる撮影期間の末に本作を完成させたマルホウル監督の執念には脱帽する他ありません。前述の通り撮影監督のウラジミール・スムットニーの映像も素晴らしい。そしてもちろん、主人公の少年役を演じたペトル・コラールは絶賛すべき演技を見せています。ただ幼い彼が二年間にわたって過酷な場面に身を置いていたかと思うと、今後心身に影響が出ないか心配…。