「誰かが塗る」異端の鳥 しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
誰かが塗る
モノクロームの画面が恐ろしいまでに美しい。
それはまるで、写真展に飾られたシルバープリントのようだ。
しかし、描かれているのは、目を背けたくなるような悲劇だ。
原題はThe Painted Bird。
このタイトルの意味するシーンは前半のうちに登場する。
絵の具で色を塗った鳥を群れに放すと、群れはその鳥を排除しようと攻撃し、殺してしまう。
paintは他動詞だ。
つまり、必ず「誰か」が「誰か(何か)」を塗るのだ。
このシーンでも、paintする=鳥に色を塗るのは人間だ。
主人公の少年は、身寄りがなくなり、さまよい歩く中で「塗られ」、迫害される。
「ユダヤ人だ」「悪魔の化身だ」などと。
また、周囲の大人たちも「塗られ」て、ひどい目に遭う。「女房に色目を使った」「子どもをたぶらかした」など。
誰かが「塗る」から、人が人を排除する。
その愚行を、本作は短編集のように、短いストーリーを次々と繰り出し、これでもかと積み上げていく。
終盤で少年の父が現れるのだが、彼の腕には数字が刻印されている。強制収容所にいた印である。
しかし、本作はナチスのユダヤ人迫害を、特別に取り上げているわけではない。
人の世には「塗る」ことによる差別や排除と、これに伴う争い(戦争)や暴力に満ちていて、あくまでホロコーストは、その一部に過ぎない、という描き方をしている。
悲しいことに、ナチスドイツが戦争に敗れ、ソ連が支配するようになった場所でも、少年は「ユダヤ人だ」として差別を受ける。
「塗る」ことの悲劇は終わらないのだ。
本作の各パートは、登場する人物の名前がタイトルになっているのだが、彼らが名前で呼ばれることはほとんどないし、さらに言えば主人公の少年が名前を呼ばれることは皆無だ(そもそも名乗らない)。
ラスト、家族の待つところに向かうバスの窓に、少年は指で自分の名前を書く。
彼が名前で呼ばれる生活を暗示しているのが救いである。