「信頼関係」マリッジ・ストーリー Raspberryさんの映画レビュー(感想・評価)
信頼関係
夫は自分で決めたこと(NY拠点)がうまく進まず、溜息をつき過ぎて自分の処置に困っている。妻は自分で決めたこと(離婚)を自分で解決(LA拠点)するために鼻息をつき過ぎて自分の処置に困っている。
結婚によって自分のどこかが死んだように感じる。もう一度自分というものをちゃんと感じたい。妻の別れ話の理由はそれだけ。他の不満、夫の不倫さえも決定的な理由ではない。
子どもはもともと矛盾だらけで、合理的に解釈したり納得してもらうことは無理だ。ゆっくりと、それぞれにちょうど良い感じを作っていくしかない。
ところが、弁護士が出てきた途端に、二人の個人的な問題が劇場化していく。
離婚協議という「場面」、夫と妻という「役柄」、弁護士による攻撃的な「セリフ」。そこには男女の社会的構図の古い価値観が見え隠れする。
こんな演劇は気持ち悪いので、法定の場を離れて二人で話すことに。
夫と妻の役柄を捨てるにあたって、そこに待ち構えているのは「本来の自己」。剥き出しの自分が露呈する。エスカレートしてお互いに言いたくないことを口走る。
ついに思ってもいないことまで口走り、言ったほうが傷つき泣き崩れる。言われたほうがそっと背中を撫でる。
考えてみれば、赤裸々なガチンコ喧嘩ができる相手なんて、夫婦以外に人生にそうそういない。
「夫と妻」から「パパとママ」へ役柄を移行するには、靴紐を直すくらいの猶予と余裕と信頼が必要だ。かつて愛した人の本質を心の底で信頼している二人に泣けた。
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