劇場公開日 2020年11月20日

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「精神の広大さを実感する」ホモ・サピエンスの涙 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5精神の広大さを実感する

2020年11月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 全体にモノトーンの印象が残った。カラーのシーンもほぼ白黒のような色調である。イメージが淡いせいで分かりにくい印象の作品だが、難解に考える必要はないと思う。
 人間は往々にして人生のちょっとした問題にぶつかる。そのときその人がどのように振る舞うのか。そういったシーンをコラージュのように並べ立ててみたという作品である。当人にとっては大変な問題だが傍から見れば大したことではない。人生の問題というのは大抵そんなものだ。
 牧師が信仰をなくしたら、本人にとっては大問題である。しかし信徒にとって何が問題だろうか。牧師に信仰ががあろうがなかろうがその人間が牧師のように振る舞えば牧師なのである。大事なのは彼が牧師であり、教会に牧師として存在しているということで、彼の内面がどうであろうがまったく関係がない。それよりもバスの時間が気になるのだ。
 戦争や災害で街全体が廃墟になったとしてもその上を飛行機で飛ぶひと組のカップルにとっては単に眼下の光景でしかない。カップルがそこに絶望を見たとしても、地上では復興のエネルギーが満ちているかもしれない。
 道端のカフェで話している若者は、人生の試練について話しているのか、または天下国家を論じているのか、あるいはどうでもいい世間話をしているのか不明だ。それよりもどこからかやって来ていきなり踊りだした三人娘が気になる。
 何かを悟ってニーチェのように「すべてよし!」と叫んだ男は、酒場の酔っぱらいとあまり変わらない。歯科医には患者の自己矛盾まで解決する義務はない。
 価値観は常に相対的で、壮大な思想もそれを語る人の体の大きさに収斂されてしまう。世界は観測者の視界の中にあり、観測者は固定されていない。あたかも相対性理論を人間の日常生活に持ち込んだかのような作品である。絶対的な価値観を喪って人間はそれぞれに悩むが、その悩みさえも相対化されてしまうのだ。
 映されているシーンは常に小さな世界だが、すべてのシーンが人類ひとりひとりの頭の中にあるとすれば、人体の小ささに比して精神の広大さを実感する。そういう映画だと思う。何を肯定するでも否定するでもないのだ。

耶馬英彦