台湾、街かどの人形劇のレビュー・感想・評価
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愛されなかった記憶。その昇華。それでもの想い。
ラスト、陳氏の布袋戯は必見、永久保存版。もっと、他の演目も観たくなる。一番弟子のものもね。
この映画の後、布袋戯ブームが起こったと聞く。
それもかくやと思う。
布袋戯を目の前で見たい。それだけのために、台湾に行きたくなる。
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文化の継承。
家の継承。父と子の確執。師と弟子の継承。
マスメディア・芸能と政治。
この映画の撚糸。
布袋戯の人間国宝・陳錫煌氏を中心とした周りの人々を10年に渡り追ったドキュメンタリー。
映画では「布袋戯の終焉を撮っている?」と何度も交わされる。
何より、輝いていた一番弟子の、6年後の変わりようが心に痛い。(>_<)
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日本の人形浄瑠璃(文楽)や他の大衆芸能の伝承と、つい比較してしまう。
国立劇場(東京の小劇場と大阪)に常設劇場を持つ人形浄瑠璃。研修制度も確立している。
人形浄瑠璃ファンがどのくらいいるのかわからないが、私を始め一定数はいるのだろう。
最近はあまり行けていないが、ほとんど貸し切り状態ということはない。うっかりすると、良い席はあっという間に埋まってしまう。一番後ろの席からなら、舞台全体見渡せるからいいかと内心慰めながら観賞したことも…。
国が保護する人形浄瑠璃だけでなく、阿波人形浄瑠璃を始め、各地に残る亜系の人形劇。
何十年も前のことだが、人形劇フェスティバルも、各地に残る人形劇が結集し、1日では足りず、何日かに分かれて上演が行われていた。
バブルのころは、メセナの一環だったのだろうか?原宿で毎年、人形浄瑠璃の公演も行われていた。
ふるさと納税で、阿波の人形浄瑠璃を応援する方法もできている。(寄付金によって、座長経験や、人形操作経験付き(*^▽^*))
廟(≒神社だそうな)で、神への奉納を目的として演じられる布袋戯。
日本でも、歌舞伎や人形浄瑠璃、神楽も発祥は同じ。
湯島天神祭の時に行われる神楽。つい足を止める人、最初から神楽目当ての人もいて、それなりに盛況。他の神社では廃れているのだろうか?
神田神社でも、イベント時には猿回しが来ているが、それなりに見物客がいる。
大道芸能。東京では”ヘブンアーティスト”制度があり、上野公園では、こちらもそれなりに観客が集まっている。
それらの方々も、陳氏の一番弟子のように、その芸能だけでは食べていけていないのだろうか。
それでも、日本では国が、自治体が、地域が守り、伝承している。(『大鹿村騒動記』のように)
なのに、どうして布袋戯は”終焉”なのだろう?
確かに、映画の中で映される最盛期の観客数と、映画の時期の観客数はけた違いだが。
最盛期の観客数は、その人数ではほとんどの人は、人形は見えていないだろうというほど。なのに、なぜ、集まる?
歌舞伎も、人形浄瑠璃の語りである義太夫も、その”音”を楽しむ。(歌舞伎の1幕だけ見ることのできる4階席は”音(歌舞伎役者の語りや鳴り物)”を楽しむ席。ここから見る役者なんて頭頂部しか見えない)
布袋戯も、この映画では人形の動きに目を奪われてしまうが、本来、台詞の掛け合いに、人形がついていたものなのだろうか?
だから、陳氏は”台湾語”にこだわるのだろうか?韻を踏んだり、掛詞。そういう、言葉遊び的なものがあるのだろうか。
確かに、”台湾語”にこだわるのなら、布袋戯は終焉を迎えるのだろう。そもそも、台湾語を理解する人がいなくなっているというのだから。
台湾語の危機を招いたのは誰だ?
日本統治の時代は、日本語による教育が行われていて、その年代を生きた方々の中で日本語を理解される方が多く、だから日本人には旅行しやすいと聞いたことがある。布袋戯で水戸黄門等と伝統的演目を一緒に演じるようになったりしたという。その頃は台湾語で演じていたのだろうか。
その後、国民党政権(蒋介石)になると、北京語が強要され、台湾語が制限される。
(DVDについていたパンフレットより)
そして、今、「一つの中国」をゴリ押しする中国による圧。
確かに、言葉に神経をとがらす為政者は多い。自分たちの知らない言葉で、諜報活動や、テロを計画されるのは怖い。民衆と為政者を分断するために、わざわざ、言葉が全く違う土地に、藩替えさせて、地域の大名が力を持たぬようにした徳川幕府の例もある(反対に他所者はすぐわかる)。
とはいえ、自国の文化を壊すなんて、為政者は自分たちの権力のことしか考えていないのか。『さらば、わが愛/覇王別姫』でも、京劇を破壊しようとしていたっけ。
日本語でも、”標準語”の普及により、祖先伝来の人々とのコミュニケーション断絶はあるが、”純”な地方の言葉ではないが、それでも、伝承は続いている。
文楽(義太夫)の言葉は、今の日本語とは違うが、それでも様々な工夫がなされて、伝承は続いている。
布袋戯にも、それを望みたいのだが無理なのだろうか?
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パペット。
すぐに思い浮かぶのは、クッキーモンスターとかの『セサミストリート』に出てきた人形たち。
それらに比べて、陳氏の人形操作は実に緻密だ。
冒頭、手だけが映る。はじめはぽかんとしてしまうが、やがてそれに人形の動きが見えてくる。
髪をすく様子や文章を書き印を押す、煙草をふかして一休みと、日常の動作を実に巧みに演じて下さる。
言葉が解らないもののためにと、人形ぶりだけで見せてくれたから、そういうものが多かったのだろうか。
孫悟空の宙返りや如意棒を扱うさまも、勇壮なのだが、実に繊細。
陳氏がコンテストに出場した劇団を見て不満に思うのも共感できる。コンテストに出場した劇団の人形たちの動きは『セサミストリート』と大差ない。『セサミストリート』は”コント”で見せてくれる。その機知が表現されており、身近なシーンを取り入れており、共感しやすくて好き。だがコンテストの演目は奇抜さを狙うだけ(そういうのを撮ったからか?)
そのコンテストのシーンにかぶせたコメントは、為政者や”大義”に利用されるということ。昔なら”国家強壮”。今なら”エコ・地球愛”。
時代が求めるものに適応してきた父・李天禄氏。その傍らで父の様を見てきた陳氏。まるで、もう利用されたくないとばかりに、日常を切り取った演目をこの映画では展開している。
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父と子との確執。
母の家を継がなければならなかった陳氏。
父の劇団を継いだ弟。
それ故の確執?
一組の夫婦に課せられた二つの家の継承というと、
日本では、松本白鷗氏と中村吉右衛門氏が連想される。
初代白鷗と初代吉右衛門家のあととり令嬢の大恋愛。けれど、お互い一人っ子だったから、この夫婦は二人の男の子を産んで、それぞれの家を継がせることで、夫婦になれたと聞く。生まれる前から、己の職業が決まっていた白鷗・吉右衛門兄弟。次男・吉右衛門氏は4歳で、母方祖父の養子になったが、Wikiには兄弟で遊んだエピソードもあるから、実質は一緒に育ったのか?その複雑な家族関係の中で、かつ自分が継がなければならない名の大きさに悩まれたと書いてあるが、兄弟は様々なことを一緒にし、実父が演じた長谷川平蔵を演じたりされてきた。幼いときは「家族断絶」以前の関りで、長じてからの方が、芝居で一緒の時間を過ごすことが多かったから、父と子の確執など起こりようがなかったのか。
そのようなことと比すると、陳氏と、陳氏の父のありよう。
映画com.のフォトギャラリーにあるツーショットでも、父より老けて見える陳氏。
葬式の様子。日本の葬式とはかなり違い、家の者と家以外の者のありようがかなり違う。
陳氏の母の実家が劇団だったら、また違う展開になっていたのか。
白鷗・吉右衛門兄弟は母が”嫁”に入ったが、陳氏の父は婿入り。その、家の中での”父”の立場が、陳氏と父のありように影響したのか。
そんな家族関係の中で、陳氏の父は家を出て女と同居する。陳家の中で、二人の息子の扱いはどう変わったのだろうか。それが、陳氏と父の関係にどう影響を与えたのか。
「一緒に釜の飯を食べ~」のような話があったと思うが、始終そばにいる密接な関係では思うことも多かったのか。人形の頭部で殴られた話がよく出てくる。
自分と同じように人間国宝になった息子の才能への嫉妬?
離婚家族は日本にも多い。単なる”家”の問題だけではない。両親と、両親を取り巻く親族関係に翻弄される子どもたち。
否、離婚していなくとも、両親による兄弟への関わり方の違い。どんな家族にもある話。自分の家族関係を振り返って、見ているだけでも辛かった。
その思いが連鎖する。
親子間ではよく世代間連鎖が取りざたされる。
師ー弟子の間でも連鎖される。二番弟子でさえ疑わなかった、陳氏から一番弟子への継承。でも、田都元帥は引き継がれなかったようだ。どうして?
「師であり、父である人から認められたかった」それが叶わぬ時。努力が瓦回りし、胸の中が空洞になる。
陳氏の表情より、一番弟子の変わりようが一番衝撃だった。
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と、色々考えさせ、思いが溢れてくる映画。
この映画を観て、あれこれ調べたくなる。
だが、映画としてのカタルシスはない。
何を言いたかったのか、というか、言いたいことを中途半端にちりばめたとしか思えない。
ドキュメンタリーなのだから、恣意的に構成するのは違うのかもしれない。
だが、あまりにも、とっ散らかっている。しかも、説明がないから????。
DVDについていた解説を見て、おおざっぱな地図が書けるくらいだ。
布袋戯にはいくつかの流派があるのかとか。台湾で台湾語が解らない人が多いって、どういうこと?とか。
10年にわたる撮影。一部盗難にあったフィルムもあるという。その中で、監督の伝えたかったことが膨れ上がってしまったのは理解する。
そういう散りばめられた思いの”資料”としては有益なものに違いない。
とはいえ、ラストの陳氏の公演には魂が震える。
そこだけは必見。永久保存版。
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≪人形好きによる蛇足≫
タイでの公演の際、三人が一つの人形ハマヌーンが出てくる。
国立劇場の文楽鑑賞教室の解説か、本か、横浜人形の家でも解説かで、世界中にある人形劇の中でも、一つの人形を三人で扱うのは、日本の人形浄瑠璃だけだと聞いたのに!その解説が知らなかったのか?日本の人形浄瑠璃から学んだのか?
知りたい、タイの劇も観てみたい。
その時の、タイの人形遣いが布袋戯を学ぶ様子にもワクワクした。
老師。元帥。亀仙人。
さてさて問題です。この映画に出て来ないのは誰?
って言うか、元帥、怖いです。地味に。小っちゃいアナベル、的な。魂、宿ってるから。元帥。絶対。冗談はさておき。
家督だか襲名だかは分らないけど、ずいぶんと面倒くさいシステムなんですね。いや、程度の差はあれども、類似した問題は世界中に溢れてる訳で。人を生き難くするシステムなんて、無くしてしまえば良いのに。なんて、マルクス・レーニン主義的な事も思ってしまうけど。屋号の継承に苦しめられた老師の秘技には、心奪われる。
かつて、布袋戯は生活の延長だった。今は芸術だの文化だのと持ち上げられるのは良いが、役所に認められなければ、存続すらままならない。
布袋戯のドキュメントは、その終焉の記録だと言う、一番弟子。生活の延長であれば、人の生活が変わって行けば、無くなってしまうのも定めだと言えなくも無い訳で。今、この時。儚くも消え行こうとする民間文化は、ただただ美しい。
誰にでも教える。熱意があれば、外国人でも、誰でも。
分化の伝承は、偉大な父である老師の、また自分の生きた証の布袋戯に賭けた、賭けるしか無かった命を繋ぐことに他ならず。
消え行く定めと知りながら、見過ごす事に慣れ過ぎた私達。私達が未来に遺せるものって、何なのだろうか。なんて考え出すと。繋ぐ事の意義を再考しなきゃ、って思いました。
良かった。とっても。
帯に短し、襷に長し
露天において少人数の客の前で行う、ちょっと昔の芸能。
この映画のヒットで、本国では人気が復活したそうだが、こういう芸能がすたれていくのは時代の流れだろう。
終映後のトークによれば、見かけによらず、操作は難しいらしい。
常に立てた状態で、適宜、動きをストップさせながら、“人間”に見えるように動かす。“猿”のように揺らしてはならない。
人形を取り去って、“手の動き”を映すシーンがあるが、「なぜそれで、その人形の動きになるのか?」と思ったくらい“謎”である。
要するに、すたれさせるには惜しい、高度な芸能なのだ。
今では、“芸術”として再評価され、公的機関のイベントを中心に、外国にも行って公演している(陳錫煌ではないが、「いいだ人形劇フェスタ2018」にも来ているようだ)。
それにしても、事情が説明されないことが多くて困る映画だ。
最初の子であった主人公が、母の姓を嗣いだので、「父との葛藤」が生まれたとは何のことか?
一番弟子が後継者に指名されず、伝統を継ぐ意欲を失っているのはなぜか。
また、“反共抗露”の宣伝に利用されたとか・・・。
何だか、さっぱり分からないのだ。
映画のラストでは、じっくりと一つの演目を見せて、楽しませてくれる。
“台湾語”でないと“感じが出ない”そうだが、1980年代までは学校やメディアでの台湾語の使用は、禁止または制限されていたらしい。
よって、「今では台湾語を分かる人も減ったので」ということで、台詞のない聴覚障害者向けの演目である。
露天で演じるには高度だが、劇場でやるにはスケールが小さい(小さくて良く見えない)という印象だ。
「帯に短し、襷に長し」の、存在意義を主張しづらい「街かど」の芸能だった。
男は誰でも二度生まれる。一度目は母の子宮から。二度目は父から離れるとき。
台湾の人形劇「布袋戯」の人間国宝、陳錫煌。彼を追いかけたドキュメンタリーである。
この老人に感じたのは、孤独であった。
偉大であった父とも、自分の息子とも会話はないという。なのに戯劇の神様とは会話を交わす。父に認められずに、今だその亡霊に悩まされているようで。息子にも気を許せず、肉親を愛する術を知らぬかのようで。そんな彼が自分の存在を確かめるには、布袋戯に打ち込むことしかないような。
布袋戯は、かつて台湾の街の角々で催されていた大衆芸能だった。それが今では、客足は他の娯楽にとってかわられた。今、布袋戯を支えている人たちは老人ばかりで外人までいる。次世代がしっかりと受け継がなければ、先が見えているのに。でもこうして世界中の、民衆の暮らしに寄り添った芸能は消えて行っている。
制作者は言う。結果的に我々が記録しているのは、布袋戯の終焉、それとそれにまつわる悲喜交々ね、と。陳氏はそれを痛感しているからこそ、惜しみなく記録に協力し、技を開示するのだろう。布袋戯を通して、我が生きた証をとどめようとして。
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