劇場のレビュー・感想・評価
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誰もが身に覚えがあるだろう
この映画の出来事。
色んなシーンがあるけど、誰もが身に覚えがあるのではないだろうか。
それくらいに生々しい。
もう何回も繰り返し鑑賞した。
観るたびに負い目を感じて、ひどく共感して
観るたびに結末がどうにか変わらないかと、期待してしまう。
いつまでもつだろうか
さきちゃんが壊れるまで
そんな事を考えながら健気な姿を見るのも泣ける
主演含め、みんなの演技がすごすぎて
というかハマり過ぎてて、本当に生々しい。
いつまでもつだろうか
次にまた観たくなるまでw
人間臭さが好き
永田のような自分の理想を社会で貫こうとするけど現実は理想通りにいかなくて、客観的にみたら社会不適合者に見えてしまう姿は、社会で”普通に”生きている私から見てどこか羨ましく感じます。自分の欲に素直で飾っていなくて。
”普通に”生きているとどうしても周りの環境に影響されて、「こうしなきゃ」、「ああしなきゃ」といろいろなことに悩んだりしますが、別に自分で自分に勝手にプレッシャーをかけているだけだと思います。沙希を見てそう感じました。勝手に周りに影響されてしまいます。
だからこそ、永田のように自分の信念を不安定に陥りながらも貫いている姿を見て、本当にすごいと思いました。私は周りの流れに合わせる適応力をもった自分を、勝手に「大人」になった気になって、成長してと思い込んでいるだけなのかもしれないですね(だからと社会の流れに合わせるなと言われても無理なのですが)。
最初はこの恋人たちの関係はなんなんだ?と思ってみていましたが、最後のシーンで永田は自分の理想を変えず劇場で劇を続けている、沙希は実家に帰っていくシーンなどなどを見て、変わらない自分を貫く永田が羨ましく思いました。
まとまりありませんが、見てすぐ思った感想は以上です。
松岡茉優ヒロインの恋愛映画と思って見ていたが、実は?
行定勲 監督による2020年製作(136分/G)の日本映画。配給:吉本興業、劇場公開日:2020年7月17日。
又吉直樹による原作は読んでいない。脚本の蓬莱竜太(1976年生まれ)は初めて知ったが、モダンスイマーズの座付き作家・演出家で、2009年岸田國士戯曲賞受賞もしているらしい。
安アパートでの貧乏な同棲生活が描かれて1970年代の日本映画風だが、セックスシーンの皆無が大きな違いか。原作でも無いらしく、描きたいものの本質はそこじゃないという主張と解釈。そのことに好感も覚えた。
友人の一人が大学で演劇をやっていたせいか、下北沢中心に熱心に小演劇を見ていた時代が自分にもあって、懐かしい思いもした。大きな志しも希望も有るが、昔も今も若い彼らの多くが金銭的に恵まれていないのはどうやら同じらしい。
劇団を立ち上げ戯曲を必死に書いている主人公永田の夢や希望、焦燥感、嫉妬心、創作の苦しみ、自己の才能を信じられない絶望感等は、良く理解できる気がする。ただ、演じていた山崎賢人は子供のままの根暗の変人という印象で、それを十分には体現できてはいなかった気がした。まあ、俳優というより演出の問題かもしれないが。どうして、あれほど松岡菜優演ずる女神の様な紗希にあれ程辛くあたるのか、ただの我儘男に見えてしまっていたのは、とても残念に思えた。
松岡茉優の演技は流石と思わされた。男の理想を集約した様な紗希は、その点ではリアリティに欠ける様な女性像。その天真爛漫な笑顔が見たくて、男は色々頑張ってしまう。そういう存在であり、且つ好きな男に合わせて生き、尽くしすぎた挙句に壊れてしまう。そんな女性像に結構いそうだねというリアリティを与えていた。
原作には無いらしい、最後の壁がパタンと倒れてそこは劇場であったという演出は、昔見た赤テント状況劇場や寺山修二映画と類似するものの、とても新鮮に感じたし、演劇の奥深い無限の可能性を体験させられたせいか、凄く感動を覚えた。舞台上での山崎賢人と沙希役女優の演技を、観客席で涙を流し御免ねと言いながら松岡茉優がずっと見つめる演出にも痺れた。
最後の舞台挨拶では、演劇人の気概を描いたその才能に主人公が打ちのめされた小峰(井口理)も立っていた。観客もとても多く、どうやら永田は劇作家・演出家兼俳優として小峰までも劇団に引き込める程に成功した様だ。
主人公に「演劇で出来る事は現実でもできる」と語らせた製作者たちの創作への無限大の信頼感が、胸を撃った。恋愛映画というよりも実は、困難の中苦労して創作し続ける若人達を応援する物語であったか。蓬莱竜太作・演出の演劇を、無性に見に行きたくなった。
監督行定勲、原作又吉直樹、脚本蓬莱竜太、製作岡本昭彦、共同製作藤原寛 、岩上敦宏 、藤田浩幸 、古賀俊輔 、吉澤貴洋 、飯田雅裕 、吉村和文、エグゼクティブプロデューサー坂本直彦、チーフプロデューサー古賀俊輔、プロデューサー谷垣和歌子 、新野安行、アシスタントプロデューサー清水理恵、音楽プロデューサー田井モトヨシ、キャスティングディレクター杉野剛、ラインプロデューサー城内政芳、撮影槇憲治、照明中村裕樹、録音伊藤裕規、美術相馬直樹、装飾田口貴久、スタイリスト高山エリ、ヘアメイクデザイン倉田明美、編集今井剛、音響効果岡瀬晶彦、音楽曽我部恵一、VFXスーパーバイザー進威志、スクリプター
工藤みずほ、助監督木ノ本豪、制作担当鎌田賢一 、岡本健志。
出演
山崎賢人永田、松岡茉優沙希、寛一郎野原、伊藤沙莉青山、上川周作、大友律、生越千晴、
入江甚儀、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、吹越満、白石和彌、笠井信輔、萩尾瞳、井口理小峰、三浦誠己、浅香航大田所。
夢を追うのか、現実を見るのか
最後のシーンで涙でした。
さきちゃんは変わって、
永くんは変わらない。
そんな永くんを応援してたはずなのに、
周りの環境の変化や、これからの未来に期待をして
優しく優しく、包み込んで、
安心できる帰る場所を作っていたけど
永くんが帰って来てくれるから許せていたけど
さきちゃんのモヤモヤ、葛藤…
心の中でぐるぐるとしました。
非日常の生活は楽しくても、
だんだんと日常になっていく。
うんざり
なるほど…。
とはいえ、その内容に鼻くそ程も惹かれはしない。
ずっと腹が立つ。
腹が立って腹が立って、もう怒鳴りちらしたくなる。
作品の9割で腹が立ってる。
自己中も甚だしい主人公と無条件で彼を愛する健気で可愛らしい彼女。
主人公に向かって何度「死ねっ」て吐き捨てたか分からない。彼に出会った彼女が不憫でならない。
それはたぶん俺が娘を持つ親だからと思って観ていたのだけど…彼女の数年間が食い潰されていくようで見るに耐えない。
それで、ラストがあれか…?
よく出来たラストにも思うし、悲劇は喜劇なんて言葉もあるし、役者なり演出なりが1番説得力を付与できるのは自分自身にまつわる事でもある。
なのだが…アレは言い訳ではないのか?
こんなつまらない、こんなくだらない、こんなどうしょうもない俺の事を、せめて笑い飛ばすか蔑んでもらわないと、それこそ価値がないってな事なのだろうか?
太宰は読んだ事ないけど、太宰に通じるものでもあるんだろうか?この原作には。
ただ…劇場に立つ人間なんて多かれ少なかれあんなもんだ。あそこまでクズな人間は珍しいが、自分の経験を糧にする連中なんかいくらでもいる。
ある種の逞しさだし、潔さでもある。
結局のところ、周りがとやかく言う事でもないのだ。本人達が望んでやってる事なのだから。彼女にしたって、自業自得だ。全員、破滅に向かって進みゃいいんだよ。どうせ愚か者なのだから。その中のほんの一握りが、何かの間違いで成功もするんだろう。
それで、基本的に愚か者だから、大麻やったりのぼせ上がったりもするんだろう。
サラリーマンが出来てりゃ役者なんてやらねえんだよ。
あんなラストになるものだから、作品的には文学的な側面もあって、それを映像に落とし込む監督の手腕も堪能出来るし、役者陣も◎だ。
ただ…アレを劇場で5500円とかでみせられたら怒りしか湧いてこんだろうなぁ。
だって自己陶酔でしかなくないか?
うんざりだ。
ラストは無人の舞台を見つめるヒロインの後ろ姿だ。
そこに浮かび上がるタイトル「劇場」
何とも言い得て妙なのだ。
彼女にとっては過去であり、過ぎた時間だからこそ傍観も出来るのであろう。多くの観客の中でそんな感じ方が出来るのは彼女1人のはずだ。
それと同時に、その作品から何を感じるかは観客の人生に委ねられると言ってもいい。
過去と舞台
どちらも一方向にしか進まず、やり直しはきかない。
幕を下ろした舞台にもう一度はないのだ。
ただ、振り返るしかない。
その1回を糧に次の1回をやらねばならんのだ。
観客は退出するしかないのである。
そんな儚さを感じたラストだった。
◾️追記
とあるレビュアーの方からいいねが付いた。その方のレビューを拝読し、ああそうなのかもと思えた事がある。
俺は本作を実体験だと思ってみていたのだけれど、全てが創作で脚本であるのなら、夢を追いかける情熱や残酷さ、我儘な葛藤であったり挫折であったり、それでもしがみつく執念だったり、そんな事に埋め尽くされた内容だと思えた。
又吉さんの前作「火花」逆から読んだら「花火」だなぁと思ってた。両方とも作品のタイトルとして的を得ていた。今作は「劇場」…条件反射のように「激情」という文字が浮かんだのだけど、俺の中にはズレがあった。
けれども、その方のレビューを読んで新たな視点に気づいた時に、この「激情」って単語がしっくりきた。
やっぱ又吉さんはオシャレだなぁと思えた。
希望の光
永田のことがクズと言える人、沙希の気持ちが分からないという人には響かないかもしれない
自分がクズと分かっていながら、どうしょうもできない
沙希を失い作品を書き上げた永田
ラストのオチの芝居のシーンに希望の光をみた
永田よりクズな私の心は震えた
最後で泣きました
山崎賢人がひたすらクズに見えるけど松岡茉優も
依存体質。
共依存関係でダメダメな彼氏を世話する事に生きる価値を見出してる。
山崎賢人が成功する事とか望んでなさそうで、
松岡茉優も山崎賢人をダメダメにしてる要因。
山崎賢人が居なくなったらアルコール依存症になってたし、依存体質なんだろう。
終盤の松岡茉優と山崎賢人のセリフや二人の感情のぶつけ合いが良かった。
そこから劇場のエンディングに松岡茉優のごめんねのセリフ。
最後にポロポロ泣けました。
人間の駄目なところ生々しい感情が凄く良かったです。
原作も是非読んでみたいです。
柔らかい気持ちと苦しい気持ち
さきちゃんのまっすぐな瞳が見てて清々しかった
「ただいま」「おかえり」が最初はさきちゃんからだけだったのに
生活や働き方には繋がらないといえど
優しい気持ちがだんだんながくんに伝染していってる気がして
でもながくんの「ただいま」にさきちゃんは応えることはなくて
夢を応援したい気持ちは苦しいほどわかるけどあんなに尽くせるさきちゃんは本当にすごい
一緒にいたいだけじゃだめなんだよなあ
言葉で伝えなきゃ伝わらない
自転車で今までの想い全部伝えるながくんに涙止まらなかった
「劇場」になってセリフを口にするながくんにも胸が熱くなった
美容院に文句言いにいくときさきちゃんには心配させないよう大切に話すながくんキュン
沙希
山崎賢人さんがクズの役、意外でした。
最初数分は少々退屈で、途中離脱。プライムビデオで観ているので、1か月ぶりに続きを観てみました。
沙希とデートするあたりから一気に観たのですが、もうホントに小さいことにグズグズ、生活費のお金を払わない、たいして大切にしてないのに、嫉妬深い。ほんとクズだわ。
でも沙希はそんな永田を無条件に応援する。共依存って、こういう状態なんですね。観ていて辛かった。どう考えても永田がおかしいし。
なのに『ごめんね』と沙希。
ラストが私にはよくわからなかったけど、前向きになれたなら良かった。
桜のシーンは私も泣きそうになりました。
初めて褒められたよね。
三年で変わる自らの思考
三年前、「又吉直樹渾身の恋愛小説」の謳い文句に惹かれ購入し、ただ純粋な女子大生の元に転がり込むクズ男にしか思えず、かつてない嫌悪感を抱き読後すぐ買取を依頼したことを覚えている。三年経って、当時の感情を確かめるため、そして三年分の知識がついた今これにどう感じるのか学ぶため、アマゾンプライム会員の期限内であるという偶然も相まって鑑賞に踏み込んだ。
結果、三年前と評価は逆転した。昔から読書好きである私は基本、原作を超える映画はないと信じ生きてきた。しかしこれは、私の固定観念を覆してくれた。他人の意見を聞かず自らの才能を信じ演劇の道をひた走る永田にも、永田に称賛の声を述べ元気にふるまいつつ自らの女優になる素質や彼からの評価に苦悩する沙希にも、自らを重ねた。演劇の道を究め大成することで大金を得て、自分にとって神のような存在だと思ってやまない沙希を幸せにしたいと藻掻く永田。永田を含め誰からも認めてもらえずとも永田に寄り添い、自己を壊す沙希。大切に思う人間を大切にしたいと願い行動することで、なぜ人はこんなにも傷つけあってしまうのだろうか。自らの経験も相まって悲しく思った。
沙希が酒に酔って永田に言ったことは、以前私も相手に対して思っていたことと同じだったことが印象的で、思わず涙を零してしまった。
「私は永くんに一回も褒められたことはないんだよ」
沙希は永田を褒めつつ、心のどこかで対等になりたかったんだと思う。相手を褒め称え、相手との間に壁を作る。しかし徐々に、自らが認められたいと願うようになる。この矛盾が「恋愛」ではなかろうかと感じた。
終盤、自転車の二人乗りで桜並木を駆ける場面。原作では、最後に少し良いことを言っただけで感化されるなんてと沙希を小馬鹿にしたことを覚えている。三年の時が経ち映像として再び観ると、最初仏頂面だった沙希がぼろぼろと涙を溢す姿を見て感じ方が大きく変わった。恋愛とは、些細な、刹那的な瞬間がかけがえのないもの。そしてあの場面のあの台詞が、沙希が永田に言ってほしかったこと、そう、沙希への褒め言葉だったのだ。そう感じると胸が熱くなった。
ラストシーンが素敵だった。二人の対話がいつしか劇へと変わる。あの劇で果たして永田は世間に認められ、演劇で大成したのか。否、永田が演劇で認めてほしかったのは、かの有名な評論家ではない、沙希だったのだ。沙希にさえ分かってもらえたら、それで良いのだ。私にはそう捉えることができた。
この映画には体的な愛情表現はない。しかし、二人の関係性は紛れもなく「恋愛」だった。大切に思うあまり自他を傷つけてしまいながらも思う関係。昔の私のような意見もあり賛否両論分かれると思う。しかし私にとっては「又吉直樹渾身の恋愛物語」に異論はない。
苦しい恋愛物語
本を読んだときも何とも言えない気持ちになった気がするが映画はその気持ちを前面に出してくるような感じがした。
本を読んで起こる笑いが、映画では薄くなるくらいに気持ちを重たくさせる内容だった。
自分の若い頃の恋愛を思い出させる。
ちゃんと別れることができたサキちゃんに良かったねって思う。
そして、もし、今現在、永田みたいな人と恋愛をして苦しんでいる若い女子がいたら言いたい。
別れるべきだ。
その苦しみはずーっと続く。
山崎賢人も松岡茉優も本当にいい演技をしてる。
イミージを崩さない世界観を作っていたと思う。
自分にはぶっ刺さりました
これまで自分がどのような恋愛を経験してきたかによって、感想が180度変わる映画だと思います。自分は主人公の永田に痛いほど共感し涙が止まりませんでした。好きだからこそ憎いのです。
まんまとやられた
そんなに乗り気ではなく、なんとなく見始めたんですが、どんどんのめり込んでいってしまいました(笑)
クズ男 永くんと さきちゃんはいつ別れるんだろう?
いや、早く別れて!! という気持ちで、
完全に さきちゃんに感情移入しながら見ていました(笑)
その感情移入のおかげ(?)で、ラスト10分は涙が止まらず。
あの 落ち(あえて 落ちと言います)の為の 長い 振り。
又吉さんにしか表現できない素敵な “ 劇場 “ でした。
間延びした前半から圧巻のラスト
正直そんなに期待してなかったんですけど、素晴らしかったです。
前半、しつこいまでに永田と沙希のズレた恋人生活を見せられ、見ているこっちが永田に腹が立ち、もうやめてやろうかと思いましたが、諦めなくてよかったです。というのも、前半の抑揚のない「しつこさ」が、ラストをより輝かしいものにしているからです。
人間って、誰しも利己的で、自分が一番かわいいし、自分のために人を利用しようと考える人(言い方は悪いが)も割といると思うんですよね。永田なんてその典型で、そんな彼の傲慢さ、身勝手さが、嫌というほど描かれます。対して沙希は、そんな永田を無償で愛する、天使のような人物です。しかし個人的には、(もちろん沙希が優しい人間なのは否定しませんが)彼女もまた、独りよがりで独善的な人間なのだと思います。というのも、別に永田と付き合えなんて、誰も頼んでいないんですよ。それなのに自ら都合のいい女になり、少しずつ壊れていく様を見ていくのは、なんだか痛々しかったですが、いわゆるアレじゃないでしょうか?「悲劇のヒロイン」。だってね、普通の人間なら、永田が沙希のお母さん嫌い発言したときから、うわ、こいつやべえと思って別れるでしょう。沙希もなんとなく、このままではまずいということを理解していたはずです。でも結局ズルズル続いてしまった。利用されていると分かっていながらどうすることもできなかった、彼女の弱さ、甘さがこれでもかというくらい伝わってきます。
そして素晴らしいのは、夜、桜並木を二人乗りで走るシーン。自転車に乗る前からわかりきっていたことですが、正直、彼らはもう修復不可能なところまで来ていました。わかってはいますが、永田はどこまでいっても独善的であるため、沙希の心をなんとか取り戻そうと、彼女にたくさんの話をします。それまで全く反応を示さなかった彼女が、永田が沙希を天使だと思った、という話を聞いた途端、涙を流すシーンがありましたよね。もう、私もガン泣きです…。きっと沙希はこうやって褒めて欲しかったんだろうと、いつかの彼女の言葉が思い出されて…。
もっと早く永田が変わっていれば、2人はまだ一緒にいれたかもしれません。しかし、誰の目から見ても、もうどうにもならなかった。ただネタバレをするだけならば、どこにでもあるヒモ男と世話焼き女の悲恋物語であり、それほど陳腐なものは他にあるかというくらいありきたりですが、ありきたりだからこそ、私たちによりリアルに迫り、物語が光るんですよね。時間は巻き戻せないし、私たち自身も変わってしまうけど、むしろそれこそ正しい「人生」なのだと感じました。
ちなみに、松岡茉優ちゃんの演技が素晴らしかったのは言わずもがな、山崎賢人くんも結構よかったですね。自分はヒロイン失格という映画で山崎賢人を見たとき、この人はこの演技力では間違いなく生き残れないだろうと思ったのですが、多少の棒読み感は否めないものの、今回はしっかり役者でした。
どこにでもある茶番
なんだけれども、又吉が脚本ということで作品として成り立っていた。でも主役の2人はどうしても好きになれない。役者自体もともと好きではないからか。他のキャストで見たかった。
男と女はどちらもどうしようもない。どうしようもないから別れない。男の態度の変え方、台詞の白々しさ、他人に対する態度、全てがムカつく。女の喋り方、泣きそうな笑い方、理不尽なことを肯定する態度、全てがムカつく。だから成り立っていた。
出会いはよく分からなかった。第一印象で惹かれ合う理由がいまいち伝わらなかった。
最後の演出は良かった。これまでの話が全て男の創作とも捉えられるし、数年後男が舞台化して評価を得たとも捉えられるし、別れを前向きに、感謝の気持ちを自分の言葉にして伝えたとも捉えられる。
ザ純文学ストーリーでお洒落な雰囲気漂う
又吉っぽい。太宰っぽい。
売れない作家の永田と女優を目指し青森から上京したサキが主人公。
ある日永田とサキが街中で出会い、永田が声をかけて連絡先を交換し、デートをし、交際がはじまる。
永田を演じるのは山崎賢人。お金もなくちょっと見た目も汚い感じで、性格も若干難ありの役を見事に演じている。これまではヒーロー役が多かったと思うがこういう役もできるんだ。
永田がクズすぎて一周まわって笑ってしまった。
大学生のサキの家に転がりこみ、家賃も払わない。
光熱費を払ってほしいとサキがお願いすると、「ひとの家の光熱費払うひとって普通いる?」って。
いやいやいや。生活しとるやん。
それにサキちゃんが、そうだよね、と言ってしまうのが悲しい。純粋でかわいくて。。
結局大学もいかなくなり、気づいたら27になっていて、永田との生活のストレスで深夜まで泥酔するまでお酒を飲んでしまう。
もうサキちゃんを解放してあげて!という気持ち。
永田のようなサブカルくそやろうが知り合いにいるのでみて欲しいと思った。。
そしてサブカルやろうはやっぱり下北か高円寺に、居座る。。
最後はハッピーエンド!!
サキちゃんは永田からの解放。
永田は自立と劇団の発展。
それぞれ幸せになっているはず。
鑑賞記録
どうも自分は行定勲リテラシーが低いらしい。いや、正確に言い表すならば、行定作品の女キャラクターがつかめないのだと思う。『ナラタージュ』の有村架純、そして本作の松岡茉優がそれである。鑑賞中は自分自身の理解が追いつかず、そのまま終演を迎えた。
山崎賢人演じる永田の自意識の七転八倒は『何者』の佐藤健を想起させるこじらせ具合で、自己肯定感が低いのに自尊心は高い、大変に共感しやすい人物であった。
反面、もう1人の主人公でもある松岡茉優演じる沙希への理解に苦しんだ。身も心もボロボロになっていく過程、そしてその理由についての理解が及ばなかったからだ。これについては妻との会話によってだいぶ整理され、落とし込むことができた(のろけではない)。
8割方永田のせいで転落していっているように見える沙希が、なぜ永田に見切りをつけられなかったのか。それは、永田という男が、上京して都会の波にもまれていた沙希に、演劇という輝ける場所を与え、愛おしい時間を共に創り上げた存在であったからではないか。理不尽な言動で困らせられても、キラキラした思い出があればこそ自分自身は永田を包み込む存在で在れる。しかし、一歩間違えれば共依存やDVとも取れる関係性の中においては沙希のメンタルも健全を保てず、結局ソウルジェムは濁ってしまった。
永田自身、自分の愚かさを知っているのにも関わらず、それを省みて沙希に報いることは出来なかった。代わりに、人間的なやさしみ、心の器の面積を、ほんの少し大きくすることができた。それは沙希の聖母のような温かみ、いや、もっと言ってしまえば沙希の犠牲によるものだ。
そう考えると、芸に生きる人ってのはまあご勝手でござんすねとも言いたくなる。でも、とどのつまりこのように憤ってしまうのは他でもない私自身に後ろめたさがあって、たぶん、そういう犠牲を他者に、とりわけ家族に強いてきてしまったからなのだとも思うのである。誰も1人では生きられない、人という時は人が支え合ってできている。昔の人はよく言ったものだ。
ラストシーン。自分の人生を観客という立場で俯瞰する沙希と、演劇という人生の中で役を生き続けている永田。これは煉獄から抜け出した者と囚われた者の対比であろうか。自分はそうは思わない。沙希は人生の中でも苦楽が渦巻いているパートから距離を置くことで前に進むことができた。永田は沙希を傷つけ、笑わせられなかった人生を作品という形で昇華することで、悶々と過ごす日々から抜け出すことができた。2人がそれぞれの人生を歩み始めるエンディングは『ラ・ラ・ランド』のそれも想起させられた。
わかりやすい作品は好きです。でもやっぱりたまにはわかんねぇって作品にも出会わないといけませんね。そしてこうやってあーだこーだと考え直すことも大事だと思いました。そしてそこに一緒に見てくれる存在がいるということは尊いことなのだともわかりました(のろけではない)。
交錯する男女の想いに演劇の魅力が詰まっている。
永田(山崎賢人)と沙希(松岡茉優)の出会いから別れまでの軌跡を丁寧にたどる旅。
特に事件が起こるわけでもないが、それぞれの人間性の面白さで物語の中にハマっていく感じ。嫌いじゃない。
そういうところは又吉さんの描く物語の良さなんだなと感じた。
自分も演劇、こと小劇場演劇を見に行くことがある。そこに関わるものたちにとっての大切な何か。静かなる情熱とでも言ったらいいか、そういったエネルギーがこの物語に詰まっている気がしてならなかった。
ラストのシーン、二人が想いあっているのがとてもよく分かる。沙希の部屋に居たと思ったら壁が倒れ劇場の舞台上へ。一瞬の驚きと共に見せてくれるシーンがこの作品をひとつ先へと見ているものを運んでいってくれる。舞台上の役者永田と、いち観客の沙希。その直接的ではない、間接的な会話が観客と一緒に作り上げる舞台というものを越え、心と心の繋がりを印象深く見せてくれた。
劇場という生な空間への賛美歌
主人公の感情に魅了されるストーリーだった。
というのも…
とことん考え方が似通っている部分がある。
正直、そこまでの”ダメ男”じゃない自負はあるが、何より自分への自信とその反対の弱気さは
常に鬩ぎ合っていて、どうにも耐えられない時が必ず来る、来ている。
「いつまで持つのだろうか」というセリフはまさにそうで、そこには個人的共感が強かった。
映画作品として全体を見た時、美しいまでに空想と現実の境界線が最終的にわからなくなる。
これが本作の良さなのかなと思う。
どこまでが「劇場」内で、どこからが”リアル”なのか、
いやそれとも全てがリアルなのか。全て虚構なのか。
これはまさに劇場で芝居を見ているときに感じることではないか。
変な食わず嫌いのせいで、もっぱら生の芝居を見ることは少ないのだが、
映画館で見る映画でも同じかとも思う。
良い作品ほど、自分のいる「空間」が麻痺する。
隣の客が泣いているという時、実はそれもその映画のストーリーとして自分の中で昇華される経験を幾度となくしている。
そういう場合、空間が映画館として、というよりは作品から派生した何かになっている。
そんなことを体現した映画がこの映画だとも思えた。
監督がインタビューで絶対に映画館で上映したいと語っていた。
実は今回この「劇場」において、自分が嫌としていた「途中見」をやってみた。
Amazonプライムでの視聴。途中まで映画を見て、少し時間をあけ、また見る。
映画館ではできない見方だ。
映画では心をギュッと締め付けるようなシーンがちょうど中盤にやってくる。
そこが実は良い時間の切れ目であったり、また心を休める切れ目にもなった。
良い面としては、映画観賞後に受ける後味がマイルドになったという点。
しかし、思い返すとこの作品ではやはり通しで見て、映画館という空間でこそ、
初めて「劇場」というタイトルにつながってくるのではないかとも思う。
劇場の、映画館の、匂いなどもこの映画のスパイスとして必要だと思う。
このスパイスこそが映画館の良さであり、現実とをキッパリと分けてくれる境界線かとも思う。
ディズニーランドしかり、そういうイメージだ。夢から醒めないと、夢は辛くも楽しくもない。
ネットで観賞された方は、ぜひ映画館でも。
この作品はまさにそういうものだとも思います。
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