劇場のレビュー・感想・評価
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ザ純文学ストーリーでお洒落な雰囲気漂う
又吉っぽい。太宰っぽい。
売れない作家の永田と女優を目指し青森から上京したサキが主人公。
ある日永田とサキが街中で出会い、永田が声をかけて連絡先を交換し、デートをし、交際がはじまる。
永田を演じるのは山崎賢人。お金もなくちょっと見た目も汚い感じで、性格も若干難ありの役を見事に演じている。これまではヒーロー役が多かったと思うがこういう役もできるんだ。
永田がクズすぎて一周まわって笑ってしまった。
大学生のサキの家に転がりこみ、家賃も払わない。
光熱費を払ってほしいとサキがお願いすると、「ひとの家の光熱費払うひとって普通いる?」って。
いやいやいや。生活しとるやん。
それにサキちゃんが、そうだよね、と言ってしまうのが悲しい。純粋でかわいくて。。
結局大学もいかなくなり、気づいたら27になっていて、永田との生活のストレスで深夜まで泥酔するまでお酒を飲んでしまう。
もうサキちゃんを解放してあげて!という気持ち。
永田のようなサブカルくそやろうが知り合いにいるのでみて欲しいと思った。。
そしてサブカルやろうはやっぱり下北か高円寺に、居座る。。
最後はハッピーエンド!!
サキちゃんは永田からの解放。
永田は自立と劇団の発展。
それぞれ幸せになっているはず。
映画に殺される
彼女(サキちゃん)の部屋に転がり込んで来た主人公(ながくん)のヒモっぷりが、徹頭徹尾描かれてる映画です。
底辺の男が、更に最低になり下がるまでが、余すところなく描き切られておりました。何が最低かって、ながくんは自分の脆いプライドを守る為に、いたずらにサキちゃんを傷つけていくんです。
そしてこの映画は、ヒモ時代の私自身の過去を追体験するものでした。あまりの心理描写のリアルさ。そして自分の恥部を晒された衝撃に、途中何度か呼吸が止まってしまいました。
映画に処刑されている!このままでは映画に殺される!と。
レビューするまでに時間がかかりました。
いま落ち着いて考えるに、この物語のひとつの不幸は、お互いに(ながくんとサキちゃん共に)ジェンダーに縛られているところにあるのではないでしょうか?
社会が男に求める役割と、自分の現状との乖離に苛まれ続けるながくん。
自分の才能に自信が無ければ、夢は追えない。片や夢追い人は、収入には乏しい(ながくんの場合ゼロ)。女性を養うという、古来より男性に与えられたジェンダーとしての役割と、自らのプライドとの間で苛まれるながくん。繊細な揺れ幅の中で、サキちゃんを否応なく傷つける。
逆に自分の夢をアッサリと捨て、尽くす女としてながくんについて行く道を選んだサキちゃん。ここにもジェンダーが影を落としている。
「東京の片隅に生きる男女のリアル」という表のテーマとは別の、
「ジェンダーの役割がもたらした不幸」が、この映画の裏テーマか?
永田クズ過ぎ
普段は映画館で観た作品しかレビューしないのですが新型コロナの影響で劇場公開と配信が同時に行われたのでちょっと罪悪感を感じながらアマプラで観ました。
演出家気取りの若者とその恋人のおはなし
物語は主人公永田の主観で淡々と進みますが
観ていて非常にストレスがたまりました
なぜなら永田がクズすぎたから…
気持ちはわからなくもない
自分には才能がない。他人にもそう思われていると思ってる。でも認めたくない。お前らとは違うと虚勢を張る。そして自分を認めてくれる笑顔に惹かれるがその笑顔さえも自分を理解していないと疎ましく思えてくる。
永田はとてつもないクズだ!!
だけれど観ていて気持ちを理解できてしまう自分がショックで1日10分くらいしか観られなかった
何が一番イヤかというと最後のお芝居だ
自分でめちゃくちゃにしておいて夢を語る
独りよがりなお芝居な気がする
一応客席は埋まっている
事情を知っている人は泣くのだと思う
だけれど〝まだ死んでないよ〟の芝居で見られたようなスタンディングオベーションはなかった
客席を埋めたのはすごいと思うけど本当に永田に才能があるのかよくわからなかった
最後のお芝居は何を意味するのか?
永田は変わったか?…
大事なものを失い、悲しみ、反省もするだろう。でも永田は何も変わってないと思う。元に戻ればまた同じことを繰り返すだろう
本物のクズ!病気なんだと思う…
そう思わずにいられないほどに山崎賢人(永田)はすごかった。観ていて非常にストレスだった(褒めてます)
さきちゃんが幸せになっていてくれたら嬉しいなぁ
話進まねえ。
火花もそうだった。
文学的って言われる意味はわかる。
というか原作が小説なだけあって
映像では表しきれないよね。
だからこそ言葉で
こういう感情です。って言うんだよね。
わかるよ。わかるんだけどね。
人に合う合わないってあって
私は火花もそうだけど
全く響かなかった。
話が進まない、なにこれって感じ。
まあ一言で表すとクズな男と
そいつに振り回せれる都合いい女の話。
鑑賞記録
どうも自分は行定勲リテラシーが低いらしい。いや、正確に言い表すならば、行定作品の女キャラクターがつかめないのだと思う。『ナラタージュ』の有村架純、そして本作の松岡茉優がそれである。鑑賞中は自分自身の理解が追いつかず、そのまま終演を迎えた。
山崎賢人演じる永田の自意識の七転八倒は『何者』の佐藤健を想起させるこじらせ具合で、自己肯定感が低いのに自尊心は高い、大変に共感しやすい人物であった。
反面、もう1人の主人公でもある松岡茉優演じる沙希への理解に苦しんだ。身も心もボロボロになっていく過程、そしてその理由についての理解が及ばなかったからだ。これについては妻との会話によってだいぶ整理され、落とし込むことができた(のろけではない)。
8割方永田のせいで転落していっているように見える沙希が、なぜ永田に見切りをつけられなかったのか。それは、永田という男が、上京して都会の波にもまれていた沙希に、演劇という輝ける場所を与え、愛おしい時間を共に創り上げた存在であったからではないか。理不尽な言動で困らせられても、キラキラした思い出があればこそ自分自身は永田を包み込む存在で在れる。しかし、一歩間違えれば共依存やDVとも取れる関係性の中においては沙希のメンタルも健全を保てず、結局ソウルジェムは濁ってしまった。
永田自身、自分の愚かさを知っているのにも関わらず、それを省みて沙希に報いることは出来なかった。代わりに、人間的なやさしみ、心の器の面積を、ほんの少し大きくすることができた。それは沙希の聖母のような温かみ、いや、もっと言ってしまえば沙希の犠牲によるものだ。
そう考えると、芸に生きる人ってのはまあご勝手でござんすねとも言いたくなる。でも、とどのつまりこのように憤ってしまうのは他でもない私自身に後ろめたさがあって、たぶん、そういう犠牲を他者に、とりわけ家族に強いてきてしまったからなのだとも思うのである。誰も1人では生きられない、人という時は人が支え合ってできている。昔の人はよく言ったものだ。
ラストシーン。自分の人生を観客という立場で俯瞰する沙希と、演劇という人生の中で役を生き続けている永田。これは煉獄から抜け出した者と囚われた者の対比であろうか。自分はそうは思わない。沙希は人生の中でも苦楽が渦巻いているパートから距離を置くことで前に進むことができた。永田は沙希を傷つけ、笑わせられなかった人生を作品という形で昇華することで、悶々と過ごす日々から抜け出すことができた。2人がそれぞれの人生を歩み始めるエンディングは『ラ・ラ・ランド』のそれも想起させられた。
わかりやすい作品は好きです。でもやっぱりたまにはわかんねぇって作品にも出会わないといけませんね。そしてこうやってあーだこーだと考え直すことも大事だと思いました。そしてそこに一緒に見てくれる存在がいるということは尊いことなのだともわかりました(のろけではない)。
交錯する男女の想いに演劇の魅力が詰まっている。
永田(山崎賢人)と沙希(松岡茉優)の出会いから別れまでの軌跡を丁寧にたどる旅。
特に事件が起こるわけでもないが、それぞれの人間性の面白さで物語の中にハマっていく感じ。嫌いじゃない。
そういうところは又吉さんの描く物語の良さなんだなと感じた。
自分も演劇、こと小劇場演劇を見に行くことがある。そこに関わるものたちにとっての大切な何か。静かなる情熱とでも言ったらいいか、そういったエネルギーがこの物語に詰まっている気がしてならなかった。
ラストのシーン、二人が想いあっているのがとてもよく分かる。沙希の部屋に居たと思ったら壁が倒れ劇場の舞台上へ。一瞬の驚きと共に見せてくれるシーンがこの作品をひとつ先へと見ているものを運んでいってくれる。舞台上の役者永田と、いち観客の沙希。その直接的ではない、間接的な会話が観客と一緒に作り上げる舞台というものを越え、心と心の繋がりを印象深く見せてくれた。
劇場という生な空間への賛美歌
主人公の感情に魅了されるストーリーだった。
というのも…
とことん考え方が似通っている部分がある。
正直、そこまでの”ダメ男”じゃない自負はあるが、何より自分への自信とその反対の弱気さは
常に鬩ぎ合っていて、どうにも耐えられない時が必ず来る、来ている。
「いつまで持つのだろうか」というセリフはまさにそうで、そこには個人的共感が強かった。
映画作品として全体を見た時、美しいまでに空想と現実の境界線が最終的にわからなくなる。
これが本作の良さなのかなと思う。
どこまでが「劇場」内で、どこからが”リアル”なのか、
いやそれとも全てがリアルなのか。全て虚構なのか。
これはまさに劇場で芝居を見ているときに感じることではないか。
変な食わず嫌いのせいで、もっぱら生の芝居を見ることは少ないのだが、
映画館で見る映画でも同じかとも思う。
良い作品ほど、自分のいる「空間」が麻痺する。
隣の客が泣いているという時、実はそれもその映画のストーリーとして自分の中で昇華される経験を幾度となくしている。
そういう場合、空間が映画館として、というよりは作品から派生した何かになっている。
そんなことを体現した映画がこの映画だとも思えた。
監督がインタビューで絶対に映画館で上映したいと語っていた。
実は今回この「劇場」において、自分が嫌としていた「途中見」をやってみた。
Amazonプライムでの視聴。途中まで映画を見て、少し時間をあけ、また見る。
映画館ではできない見方だ。
映画では心をギュッと締め付けるようなシーンがちょうど中盤にやってくる。
そこが実は良い時間の切れ目であったり、また心を休める切れ目にもなった。
良い面としては、映画観賞後に受ける後味がマイルドになったという点。
しかし、思い返すとこの作品ではやはり通しで見て、映画館という空間でこそ、
初めて「劇場」というタイトルにつながってくるのではないかとも思う。
劇場の、映画館の、匂いなどもこの映画のスパイスとして必要だと思う。
このスパイスこそが映画館の良さであり、現実とをキッパリと分けてくれる境界線かとも思う。
ディズニーランドしかり、そういうイメージだ。夢から醒めないと、夢は辛くも楽しくもない。
ネットで観賞された方は、ぜひ映画館でも。
この作品はまさにそういうものだとも思います。
主人公がクズ過ぎる
ダメだ、今年自分は邦画と相性が良くない年なのかもしれません(^_^;)
「火花」を書いたピース又吉直樹の小説を原作とした、山崎賢人と松岡茉優共演の恋愛映画。
内容は火花と同様に、ダメダメな夢と挫折を切なくシリアスに、時にコミカルに描いた内容です。
又吉は胸がつまるけど人々の心に沁みるような内容を得意としてるのかもしれませんね。
まず良かったのが山崎賢人と松岡茉優の演技。
この映画において山崎賢人は決して上手いわけではないのですが、このだらしない感じと人見知りなところが彼の不器用な演技にピタリとはまっていた気がします。彼って存在感はあるけど、台詞回しは個人的にあまり上手いと思えずに好きじゃない時が多かったのですが、この情けない感じの風貌ボソボソと喋る感じがこの主人公に合っていました。
松岡茉優はいつも通り上手いのですが、このヒロイン役に関しては役と憑依したかのようにリアルな演技をしていて圧巻です!
前半の無垢で明るい性格と暗い時のギャップが本当に見事です。
あと個人的に良かったのが一番最後の演出ですね。
ネタバレになるので詳しくは話せませんが、まさしく「劇場」というタイトルにふさわしい終わり方と演出をしていて「上手いなぁ」と感心させられました。
自分の一番輝いてた青春時代の光と影を描いた内容なので、好きな人が多いのは理解できますし自分も好きになれる...はずでした。
何故自分がこの映画にはまらなかったかと言いますと、一番は主人公の人物像ですね。
とりあえず、人間的にダメな部分が多くて良いところが見付けられませんでした。
良いところを見付けても、既に手遅れになっていた時期でしたし、何で松岡茉優が山崎賢人のこと好きになったのかが全く理解できませんでした。
とにかく主人公のクズさには結構頭に来て、その度に観るの止めようかと思ったくらいです。
だって、ヒロインのお母さんの悪口をヒロインにぶつけるし、居候してる身なのに光熱費を払うの頼まれても断るし、嫉妬でヒロインのバイク壊すし、おまけに酔っぱらったら何故か松岡茉優の部屋にブロック持ってくるし、クズな一面を観る度にぶん殴ってやりたいと思いました!
あと、松岡茉優との出会い方も山崎賢人のストーカーまがいの行為をしてナンパして付き合いはじめる辺り、何で松岡茉優は山崎賢人に惚れたんだろうと考えてしまいます。
松岡茉優もそんな山崎賢人の奇怪な行動を笑って許してしまうわけですが、まぁクズな主人公といつまでも付き合うことで次第に壊れていくわけで、そんな松岡茉優の姿は観てられませんでした。
何でしょう、前半は自分には松岡茉優が山崎賢人にとってただ都合の良い人物にしか見えなくて松岡茉優の人間性も理解できませんでした。
まぁ、劇中の山崎賢人のような女に金をたかる草食系クズな男は現実にいるのかもしれません。
ただ、自分はクズな男をあまりにもリアルに描きすぎてしまうと嫌悪感しか生まれないです。
一番の疑問点が、宣伝文句に「夢を叶えることが君を幸せにすると思ってた」という肩書きがあるのに、劇中ではそれが微塵も感じられないんです。
それが感じられれば、自分はこいつがどんなにクズでも応援する気になれたと思います。
しかし、主人公が彼女を幸せにしたいという発言も台詞にもモノローグにも出てこないし、主人公にとって都合の良い女にしか思ってないんじゃないかと思ってしまいます。
それが、この映画における自分の最大のノイズでした。
まぁ、終盤の方でようやくヒロインに良いところを見せていくのですが、その時には自分の心は焼け石に水でした。
主人公に全然共感できないので、途中まで今年ワースト候補になるかと思ってました。
ただ、終盤に主人公はクズなりに反省もし始めて、ヒロインとの関係もこの内容にしては納得出来る結末で終わりにしてくれたので、終盤でだいぶ持ち上がりました。
又吉直樹は、恐らく意図的にクズな主人公像に設定したのだと思います。
こういったやつもいるだろうし、自分にも当てはまる所もあったりもします。
ただ、自分はそれをやり過ぎてしまうと嫌悪感ばかり抱いてしまうので好きではありません。
さきちゃんの気持ちが描写されていないのに
伝わってくるのは、松岡茉優さんの演技がこの役柄をとても自然に、ほんとにいるかのように演じていたからだと思う。
そして、世間で言うクズ男 が好きで好きで、信じてる気持ちに共感してしまい、ずっと苦しかった。
きっと、さきちゃんにとって、ながくんは、全てが初めてで驚くことばかりの東京で、孤独な東京で、自分のことを求めてくれることに、安心感があったんだと思う。
自分以外の人とは上手く話せない永くん。
私も永くんのような人と付き合ったことがある。
話せないのではなく、話さないのだ
と彼は言っていた。
分からないような奴らに、自分の話をしたくもないし、分かって貰いたいとも思わない。と。
さきちゃんは、そんな永くんのことを、繊細で薄い薄いガラスのような壊れそうな心を、必死に守ってる永くんのことを、
守ってあげたい
そう思ったんだよ。
1度傷つけると、
何を言ってもなかなかわかってもらえない。
お母さんの仕送りの荷物、嬉しさ交じりの言葉も、永くんには傷つける言葉だったんだね。
私の言い方が悪かったんだよ。
ごめんね。
そう言って、だんだんさきちゃんの自己肯定感は壊れていく。
永くんは私のどこが好きなんだろう?
さきちゃんはどんどん自分が嫌いになっていく。
好きなのに。なんで??
桜の自転車のときの言葉、もっと早く言って欲しかった。 だから涙しかでなかったの。
自分の好きなアイドルのDVD、今までだったら絶対にバカにしてきたのに、一緒に観てくれた。
多分永くんからしたらすごい成長だったよね。
さきちゃんの気持ちが分かりすぎて辛かった
人を愛することにも「所有」と「共有」がある
『劇場』を「劇場」で観た。
この新作は同時にAmazonでも配信されている。冷房のきいた部屋でそのまますぐに観られるのに、それより高いお金を払って、わざわざ炎天下のなか映画館まで行って、往復の時間使って、上映開始まで待って…なんでそこまでしてって思うんだけど、その過程すべてが映画という体験なんだなって改めて感じた。
観終わったあと、チケットの半券が愛おしく感じるのもそのためだろう。
「読後感」という言葉はあるのに、なぜ「観後感」という言葉がないんだと嘆きたくなるほどの余韻。エンドロールを観ているときに、もうこの映画がまた観たくなった。劇場で。
又吉直樹の原作を読んでないけど、山崎賢人演じる永田のモノローグは詩的で、それを軸に進む物語は小説のようで、そういう意味では「読後感」というものにも浸れた。
こんなに映画に関わる人やもの、すべてを好きなる作品もなかなかない気がする。
山崎賢人の芝居をもっと観たくなったし、松岡茉優は愛くるしくあんな彼女にまた会いたいし、行定勲監督の次の作品も楽しみだし、又吉直樹の原作も読みたくなったし、ボロアパートで肩を寄せ合い節約する生活が尊いし、演劇を観たくなったし、そしてこの映画にまた映画館で会いたくなった。
「一番会いたい人に会いに行く
こんな当たり前のことがなんでできなかったんだろう」
映画館で当たり前のように映画が観られる。その幸せな日常をもっと大事にしよう。本当に大切なものは失ってからしか気づけないものだ。
人は大切と思うものこそ自分のものにしたい欲望がある生き物だ。家も服も食べものも「所有」したがる。
人を愛する方法にも二種類あると気づかされた。「所有」と「共有」だ。
相手を大事にしたいと思うあまり、まるで自分のもののように守り「所有」する。それは往々にして嫉妬を生む。
逆に相手が好きになるものを自分も好きになる。「共感」という名の好きの「共有」である。
どちらも相手を想う気持ちは同じだが、一方通行ではない"思いやる"ことが大事なのだろう。
相手を受けて自分を返す。それは芝居も同じ。人生という舞台は、自分が脚本・演出の「劇場」だ。想像できることは、その上で演じることができる。生きるとは難しいが、可能性に満ち溢れている。
あと、こんなキスもセックスもない恋愛の描き方が慎ましく、美しいと感じた。
特にラストは劇場で観ることを前提につくられているから絶対に映画館で観ることをおすすめする。「観後感」が全然違うはずだから。
(って劇場公開はあと2日間なのかな?駆け込みぜひに!)
鳥肌が立った
何と形容して良いのか分からないが、この映画は最高だ。鳥肌が立った。
客観的に見れば永田は、大して才能も無いのに夢を諦められず、困窮から彼女の家に居候するヒモ男で、沙希に対するモラハラの酷い最低男だ。そりゃ夢を追う男ってカッコいいけれど、野原とか青山くらいの距離感でないととても見ていられず目を背けてしまう。
でも矛盾するようですが、そんな永田が不器用すぎて愛しく放って置けない沙希の心情も(自分は男ですが)分かる気がするのです。
永田の滅茶苦茶さに嫌悪感を感じたり、もっと器用に生きれば良いのにと哀れに思ってしまったり、それでも彼の生き方に一抹の憧れを感じてしまうのは自分だけでしょうか。ラストシーンは感動的でした。
山﨑賢人さん、昔は演技が微妙だった記憶があるのだけれど、いつの間にか上手い俳優さんになったなぁ。キングダム以来だろうか。最低男が板に付いてる笑
松岡茉優さんも相変わらず上手い。勝手に震えてろとか、蜂蜜と遠雷とか、ちょっと変化球な役のイメージが強かったけど、正統派ヒロインも行けるじゃないか!(愛が重く鬱陶しいという意見もあるのかな。自分は純粋に健気としか思えないけど。)沙希に幸あれ!
主人公はやはり最低男と思うが、映画は最高!映画館で観るべき映像の美しさとのめり込みたい世界観がある。勿体無いのは、これをNetflix公開にしてしまったこと。だって劇場ですよ!コロナで興行収入が期待できなくなってしまった事情は分かるが、この本物の作品に限っては映画館に拘ってほしかった。もっと多くの人にこの映画を映画館で観てほしい。純粋にそう思える映画でした。
又吉直樹好きー
無名の劇団の脚本家永田と、地方から女優を目指して上京してきた紗希の恋の話。
永田の告白という形で話が進むが、この告白が凄く共感出来る。太宰治の人間失格を読んだ時と同じ感覚。原作は又吉直樹。原作を読んでないけど、この映画を観て、やっぱりこの作家好きだーと改めて思った。
自分の事で精一杯で、毎日不安に潰されそうになってる永田と、そんな永田を無条件に受け入れる沙希。そして、変化していく二人の心情に目が離せなくなった。
観る人それぞれに
様々な解釈や思い入れが生まれるような、感想を聞くのが面白い作品でした。
最後のシーン、素晴らしいなと感じました。また、夜道での自転車2人乗りのシーン、沙希を爆笑させていたネタが通用しなくなるシーン は結末を知った今思うととても切ない。
■良い点
・結末の描写がとても心打たれる
・松岡茉優の演技がすごい
・このリアルな恋愛関係を客観視できた人、入り込んでしまった人、両方に観る価値がある
■惜しい点
・テンポが遅い(リアルの裏返しでもある)
《余談》
2人とも依存関係をやめ、自立して生きた方が幸福になれると客観的に意見する人もいると思われる。
…とは言いながらも、相手が弱いほど離れない点、誰しもがわからなくもないのかもなぁ。客観視して『離れるのが正解』と言えたあなたも、現実ではどうでしょうか。
この映画好きな人は『愛がなんだ』とかも好きかもしれません。
【"ここが一番安全だよ・・" "無欲無私"の愛に包まれて・・・。共に居ないと、具合が悪く成程の男女の”不思議な”恋愛を描く。】
-山﨑賢人演じる永田が”自身の状況”を客観的且つ冷静に語るモノローグが実に印象的な作品-
・序盤、永田の自分のヒモ状態の状況を理解しつつ、沙希の優しさに甘える数々のシーンにイライラしながら、鑑賞。
ーおい、彼女を朝晩働かせて、自分はゲームか?。”芸術家”とやらはそんなに偉いのか?-
沙希の優しさにも、少々違和感を感じる・・。
・が、徐々に二人の共依存ともいうべき関係性が見えてくる。
ー最近、このテーマの作品が多い気がするなあ・・。-
■今作品の魅力
・沙希を演じた松岡茉優さんの”圧倒的”な演技である。
"永くん"の脚本の凄さに魅了され、無欲無私に”夢を追う”彼を懸命に支える姿。
そして、 "永くん"自身が自らに才能がない事に徐々に気づいていく事を薄々分かりつつも只管支える姿。
・常に慈母のように接し、時に鋭い一喝を"永くん"に与える際の緩急の表情、涙の流し方、幾通りにも変化する声の凄さ・・。
ー松岡茉優さん出演の数々の作品を拝見してきたが、凄さがドンドン増していく稀有な女優さんであることを再認識。
付け足しのようで申し訳ないが、伊藤沙莉さんもとても良い。ー
・山﨑さんの演技も、普段のイケメンキャラを離れた汚れキャラが新鮮で、一際印象的である。
福田組に出演する際のキャラの面影もない、真逆のキャラを、時に飄々と、時に苦悩を、時に屈託を爆発させる姿・・。
〈ラストには、見事にヤラレタなあ、行定監督。(原作既読)
何故か、途中から涙腺が緩みっ放しだった作品でもある〉
<2020年8月8日 漸く、劇場にて鑑賞>
映画館で見て良かった
いい男はよりいい男に、ダメ男はよりダメ男にする、そんな女がいると思うのです。まさしく沙希ちゃんです。
ああ、その苦しいけどたまに楽しい、辛いけどたまに笑っちゃうそんな二人を見ていると胸がいっぱいになってきます。
そのリアリティーのある表現がとても良いです。
ラストは希望です。ダメな男はよりダメになったけど、新しい関係になったから、次に進めるんだと思いました。
二人にはそれぞれ幸せになってほしいなあと思わせる素敵な映画でした。
映画館で見て良かった。
つまりは、男の願望ってやつですか?
沙希と永田みたいに心がひりひりするような恋愛をしたことが無いからか、この映画を観て切ない気持ちにはなれませんでした。映画の出来がどうこうと言うより、この話が私には合わないのでしょう。
永田の身勝手さよりも、沙希がこの男のどこに惹かれたのかがわからないです。永田ってプライドとコンプレックスの塊で、なんとも言えない不思議な魅力がある、というわけでもなく、演劇以外には何の取り柄も無いです。
沙希の方は、映画を観た限りでは、純粋無垢な女性には見えません。愛想が良く、愛情深い女だとは思います。沙希の無条件の愛は岩崎宏美の『聖母(マドンナ)たちのララバイ』の世界みたい。(古ーい!w)「わたし、お人形さんじゃないよ」のセリフは、「母親じゃないよ」の方が私にはしっくり来ますね。
自分を特別な存在のように思っている永田、「僕には人を喜ばす能力が全く無い」と自覚している(そう思い込んでいる)人間が、演劇をやるものなのかも疑問でした。
主演の二人の演技は上手でした。
嫉妬と葛藤が異常だが、素晴らしかった。
『劇場』鑑賞。
*主演*
山﨑賢人
松岡茉優
*感想*
ピースの又吉直樹が原作。小説は読んだことありません。
賛否はありますが、僕はめっちゃ良かった。。
演劇の脚本を担う永田(山﨑賢人)は、友人(寛一郎)と一緒に劇団おろかを立ち上げたが、その作風に対して酷評され、劇団員たちからも嫌気がさし、見放されてしまう。
孤独になった永田はある日、同じスニーカーを履いている女性、沙希と知り合って、無一文だった永田は、沙希の部屋に転がり込んで、二人はいつ日か恋をする。
この沙希ちゃんがね~可愛い!けど、、切ない!表情はずっと笑顔なんだけど、中身は怒ってるんですよね。。嫉妬と葛藤に苦しむ永田を必死に支える姿が描かれてて、なんか心苦しかったけど、ラストが素晴らしかった!
永田を演じるのは山﨑賢人。他の作品では、好青年の役を演じてますが、今作は嫌いだ。
ボサボサ頭で髭面、ヨレヨレの服を着ただらしのないクズです。言動や態度、なんか傲慢だし、ずっとイライラします。演劇に対してのジェラシーや葛藤が異常。沙希ちゃんが可哀想で見てて辛かった。沙希ちゃん、良い子過ぎる。。
永田の台詞がピース又吉が言いそうw
あの結末は、個人的にはマジで素晴らしかった。ある意味衝撃的だったな~。(^^)
好みが分かれる作品
自分に才能が有ると確信しながら
誰にも評価されず、ゆっくり
堕落していく永田と
彼を支え続けながら、少しづつずれていく
関係に戸惑うサキ。
私、お人形さんじゃないよ
というセリフで、永田が精神的な支えだけを
サキに求めている事が分かり
サキの苦悩も悲しさもわかる。結婚適齢期にもなり、サキは壊れそうになる。
ありがちな話しだけど
細やかに2人の心情が描かれているので
切なくなる。
そういう細かさが嫌いな人には不向きな作品
だけど
自分は、どっぷりハマってしまった。
小さな劇場で「劇場」を観てきました。
理想と現実の挾間の苦悩が観ていて苦しいほどに描かれていました。
主演の山﨑賢人さんとヒロイン役の松岡茉優さんの演技が素晴らしく魅了されました。
松岡茉優さんのファンなので、沙希目線で見てしまい自己中心的な永田にちょっとイラッとしてしまいましたが、沙希は永田の夢を応援することが喜びだったわけですから幸せだったのかな?
繊細で切ない映画でした。
全219件中、61~80件目を表示