ザ・ヒストリー・オブ・シカゴ ナウ・モア・ザン・エヴァーのレビュー・感想・評価
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ロックンロールバンドwith ホーン: ウォルト・パラゼイダー
71年(72年?記憶がない)の日本武道館公演に行って、数年はシカゴを聞いていたと思う。当時はネットがなかったから、音楽情報も雑誌からつかみ、チケットも東京に住んでいる友達に買ってもらったり、四苦八苦していたが、なんとか行きたいコンサートは全て行けたと言っていいほど努力を重ねた。しかし、アメリカのベストだと思う、ザ・バンドとオールマンブラザーズバンドとザ・ドアーズ当時のオリジナル・メンバーは来日していなかった。ザ・ドアーズは全く来ていなかったので行けなか
った。
そのごは....ロックを離れてしまったので、これらのバンドに注目していなかった。
個人の音楽史を含めてレビューを書いてみた。
このシカゴも下記のような初期の曲しか知らなかった。でも、コロナパンデミックの前まで演奏活動をしていたようだ。このドキュメンタリーでもわかるが、テリーの死後、ピート・セテラのボーカルが多くなると、曲がよりバラード調になってきている。 ロバート・ラムもジェームス・パンコもリー・ロックネインたちも彼らのやりたい音楽ではなかったと。
初期、ピートは作詞作曲していなく目立たない存在だった。時々とるボーカルは好きだが、私はブラスとテリーのボーカルとギターの方が好きだった。特に、3本のホーンはこの時代、特別で、コンサートではこの3本の迫力にたまげた。今までに行ったことのないコンサートだった。最高に感動した。例えば、テリーの作った『イントロダクション』という曲の出だしがホーンの演奏で、そして、テリーが太い声で歌い出す。歌詞もバンド紹介で、リラックスして聞いてくれ!と。リーのトランペットソロもいい。ホーンロックバンドだね。そして、テリーのギターソロ!ブラスと他の楽器が平均的に構成されている。このビデオは72年の東京公演だが、私の行ったのはこれじゃない。
Chicago In Tokyo, Japan 1972
Hey there, everybody
Please don't romp or roam
We're a little nervous
'Cause we're so far from home
.
.
We've all spent years preparing
Before this group was born
With Heaven's help, it blended
And we do thank the Lord
.
.
So forget about your troubles
As we search for something new
And we play for you
この『イントロダクション』のような曲が好きで、のちは好みのバンドじゃなくなった。それも、ドキュメンタリーで、驚いたことに、ピーター・セテラとプロデューサーのデイヴィッド・フォスターが制作した「素直になれなくて」(Hard to Say I'm Sorry)が流行ったようだったが、この曲が好きな人には失礼だが、私はこれを聞いた時『どうした? 身売りでもしたか?』と思った。でもこのドキュメンタリーで理由が理解できた。ピート・セテラのインタビューが少ない。デイヴィッド・フォスターはセリン・ディオン。ジョシュア・グローバンなどトップに乗せた有名なプロジューサーで自信満々の人だね。音楽もビジネスの世界だからね。
バラードが多くなるとシカゴというブラスバンドとのマッチングが悪いなと思った。ロバート・ラムの初期のクリエイティビティーをもぎ取って、ヒット曲を生み出すフォスター好みに合わしたんだね。ピート・セテラは好みにあって独立して状況に乗れた。そして、ヒット曲は出したかもしれないが、?(詳しくは知らない)
1978年のテリーの事故死は日本で大きく報道されたのをよく覚えている。何度も来日しているし、シカゴのリーダー格でもあり、ギターも巧みに演奏するからね。
初期の曲
Beginnings
Questions 67 and 68
Make Me Smile - ぼくらに微笑みを
25 or 6 to 4 - 長い夜
Does Anybody Really Know What Time It Is? - いったい、現実を把握している者はいるだろうか?
Free - 自由になりたい
Saturday in the Park - サタデイ・イン・ザ・パーク
Dialogue (Part I & II)
Feelin' Stronger Every Day (1973年) - 愛のきずな?
Just You 'N' Me (1973年) - 君とふたりで
ネットのない時代に育ち、情報不足だったが、このドキュメンタリーで明らかになったことがたくさんあった。マネージメントはプロヂューサー、ジムにまかせきりで、ジムの買ったコロラド州のデンバーの近くに3000エーカーのカリボウ農場で自由奔放に、女、ドラッグ、アルコール、など...テリーは拳銃を集めるようになるし....それぞれ、バンドメンバーの人生にも色々あったんだね.....
ファルコンジェットF16sでベトナム帰りで、パーティーを望んでいる空軍から出てだばかりの二人が操して、シカゴのメンバーはRollをと。操縦士の名前は言わなかったけどね。ロバート・ラムが言ってたけど、若者が成功して金を持ってグループで農場のようなところにいるとこんなことになるんだね。 ーIt's a Recipe for Disaster-教訓だね。
ロバート・ラムの名曲だね。
25 or 6 to 4 - 長い夜
Waiting for the break of day
Searching for something to say
Flashing lights against the sky
色々あったけど……
言いたいことが多すぎて困るのだが1つだけ言うと、バンド再建のため招いたデヴィッドフォスターは、正解でもあり、失敗でもあった。
彼がこなければ、解散していたかもしれないし、招いたからダニーやピーターが脱退したのかも。
どちらにしても劇薬だった。
シカゴの歴史の裏側を垣間見る秀作
1967年の結成からロックの殿堂入りを果たした2016年まで、シカゴの50年を俯瞰するアンソロジー。知らなかったエピソード満載の超貴重な作品。シカゴ自身のプロデュースにより彼らの真実の姿が明らかになった。
ファーストアルバムの曲を紡いで語られるデビュー当時のエピソードからグイグイ引き込まれる。まさかのジャニスとジミヘンとの交流に感涙。
個人的には1972年から本格的に音楽を聴き始めたので、その年に発売されたChicagoⅤが最初に聴いたアルバム、かつ一番好きなアルバム。曲では迷わずDialogue。ロバート・ラムがアイドルの一人だった。
やはりテリー・キャスが亡くなるまでのシカゴは最強だった。その後の試行錯誤は痛々しくもあり、ピーター・セテラとダニー・セラフィンがクビになったなんて知らなかった。
貴重な映像とインタビューの連続、そして代表曲がいい音で聴ける。良いことも悪いこともひっくるめて彼らの歴史の全貌を知ることができる必見作だ。
懐かしかった
初めて買った洋楽のシングルレコードが「素直になれなくて」で、一番洋楽を聴いていた頃に流行ってたのがシカゴだったので、絶対見たい!と思いました。
全員のインタビューではないので、別の意見もあるのかな?とも思いますが、シカゴの一時期しか知らなかったので、その前半後半も知ることが出来て面白かったです。
ピーター・セテラが好きだったんだけど、メンバーといろいろあったみたいですね。でも脱退して30年以上経ってもまだ関係が修復出来てない感じなのは悲しいなあ。
Chicagoの真実を知った!
今まで知ることのできなかったグループの真実が解き明かされ、ますますChicagoの今後に興味を抱いてしまいました。「残された時間が少ない」というオリジナルメンバーの言葉には、思わず涙。「継続は力なり」を証明しているChicago.ジミーの「Nobody」には重みがありますね。そうです、現役で活動し、成功し続けているバンドは他にいないのです。古くからのファンはもちろん、是非とも若い人たちにも見て欲しいドキュメンタリー映像です。Chicagoのデビューアルバム発売からちょうど50年の節目に上映されたことに感慨深いものを感じました。元気な姿を、また日本のファンにも見せてください。切に来日を希望します。ロックの殿堂入り授賞式での感動的なコメントとライブは文句なし!ぜひ劇場でChicagoと一体になってください。
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