「地獄からの福音」ミッドサマー ipxqiさんの映画レビュー(感想・評価)
地獄からの福音
綺麗な映像と音楽をバックに、あくまで胸クソ悪い話を語るアリ・アスター節は健在です、ハイ
ただ前作「ヘレディタリー」の異常な求心力と比べれば、登場人物ごとに視線を振るためなのか、ちょっと散漫? やや長く感じました
前作と違ってネタ(やり口)も割れてるし、序盤のショッキング展開を契機に、一気に本性を表す構成、は重なるものの、作品全体から見ればちょっと効き目が軽いなど、比較すれば原因はいくつかありそうです
前作では「あの件」が全編ずーっと鳴り響いていました(なんなら今でも)が、今回は…?
ビジュアルや世界観(神話の引用とか)など細部の作り込みに比して、展開はだいたい予想通り
もっととんでもない、脳がクラクラして空間識失調を起こすような場面があるのかな…と期待してしまったので、自分が期待したものとはやや違いました
数年前、同様の期待で観に行った「神聖なる一族 24人の娘たち」というロシアの少数民族をモデルにしたエロいようでエロくない、少しエロい映画がありまして、衣装やビジュアル面などからほんのり重なるものを感じました
基本的には前作同様、よくこんなヤナハナシ( ;∀;) 思いつくなー、と呆れるレベル(褒め)
序盤の気まずシーンなんか、気詰まりすぎて観てるこっちまで窒息しそう
主演の二人を筆頭に、全編通して俳優陣の迫真ぶりは文句のつけようもなく、ペレ役の穏やか〜な口調を生み出す発声もよかった
以下、ほんのりネタバレ
↓
実在の風習が元とはいえ、舞台がスウェーデンでは、さすがに現代でこんなことないでしょう、と思わないでもない
NHKの「ヤノマミ」みたいに、直接的ではないにせよモロ惨劇がカメラに収められた実際の風習もあるにはありますが、あれはアマゾンの密林というチートな背景が舞台でしたし…
個人的にはこの手の文明ショックもの大好物なので「ガダラの豚」の映像化もぜひ〜、と(「来る」以来二度目)
「良かれと思って」「相手のためを思って」「迷惑/重荷になりたくない」がために本音を偽り、先送りにし、すれ違って煮詰まりきった人間関係が招く当然の帰結とも言える展開
それが見方によっては癒し、解放の過程のように見えてきて、謎の祝祭感でフィニッシュ、というところまで前作と一緒
ずっと息を詰めているように見えたヒロインに対しては、人前で出せなかった声と気持ちをついに出せてよかったよかったねー、と祝福しかないカタルシスに到達
私のような儒教の国のアジアンにとって格段にオープンに見えるアメリカ流のスマートな気配りがその実、厄介ごとを避けるための単なる欺瞞に過ぎないのでは、とまで思えてくるのも新鮮でした
所変われど社会が存在する限りまた別の地獄が口開けてるだけなんだな
地獄といえばこの世にこんなにも地獄の賢者タイムがあるのか…っていうね
それも懇切丁寧に描かれるため、多くの男性が縮み上がること必至では
互いを縛りあう家族関係に疑義を呈する監督のスタンスからすれば、家族の起源である性行為そのものが、元より忌むべき対象なんだろうかなどと疑いたくもなります
基本は偏差値の高いモンド映画だと思うので、エクストリーム描写は笑いと紙一重のレベルで楽しめます
なんなら実際に笑ってしまって、自分がサイコパスではと焦るほど
でも一番エグいのはそこじゃなく、そもそもの土台、登場人物たちの振る舞いに対する当然の報いという二階建てなので一切の逃げ場ナシ
観終わった直後、わざわざお金と時間を費やしてこんな目に遭いに来てる自分がアホなのかな? と一瞬我に返ったりもしましたが、
同時に観ている間じゅう、地獄の人間関係を生き延びて作品として昇華しつづける監督の存在こそがすでに福音、としみじみ感じたのも事実
こと「小屋」に関しては、相当ヤバい思い入れがあるとしか思えず、過去に一体どんな出来事が…と考えてしまいます
言ってしまえば作中に登場する事物のほとんどは作り物ですが、それを生み出すに至った元凶の方はまちがいなく実在する🌸🌺🌼🌸🌼🌺
ところで、映画の感想とやや離れますが、社会的に容認されている残酷ショーってつくづく怖いけど、ありふれてるよなあと
身勝手な振る舞いや暴力への願望は、普段ならあらかじめ相手からの反撃や社会的評価を想定することで抑圧/回避されていますが、
ひとたびそれがシステムの一環として正当化されてしまった時、犠牲者、ターゲット側の視点は無化され、「黒い羊」への袋叩きは娯楽にまで発展します
さらに一見、それが犠牲とは見えないような仕組みが巧妙に張り巡らされ、あくまで周囲や本人の受け止め方次第、と責任すら被害側に丸投げされてしまうとすれば、もはや邪悪そのものの構図
抗議はおろか、加担の誘惑に抗える者すら稀なのに、
そんな場面自体は、ホルガ村どころでなく日常のいたるところに潜んでいて、最後の咆哮は犠牲者側からのささやかな抗議だったのかな、と思いました
せめてもの慰撫に思えたあのセリフがよりによって嘘、ないしはおためごかしだったとしたら…と考えると、劇場を出たあとも寒気が走ることうけあいです
ラストシーンは、通常人が直接認知することができないと言われる現実の世界、それが社会のフィルターの裂け目から姿を現わす瞬間だったのかも知れません
そうなると、実は主眼は「供物を捧げる」行為の方であり、視点はあくまで生け贄の側あるべきなので、序盤のショッキング展開が直球のフリだったようにも見えてきます
ただ、だとしても主人公との関係性がそもそも希薄なので痛みは限定的だし罪の意識に乏しく(他で代替されてはいるが)、そして主人公が供物としての恐怖を味わう話にもならないためにブレが生じ、「ヘレディタリー」のストロングさと並べてしまうと弱く感じるのかな