「時々良いけど1mmしか刺さらない感じ」ソワレ bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
時々良いけど1mmしか刺さらない感じ
先週から変なんです。刺さらない、と言うか、かなり刺さり難くなってるみたいで。でも青痛脆いは結構刺さったけどなぁ…
冒頭。潮騒が都会の雑踏のノイズに切り替わって行く所とか。空き家で2人の「影絵」を使った、タカラの心象表現とか。雨上がりの夜のステージ、ラストのタカラの後ろ姿などなど。琴線を引っ掻く場面はたくさんあるけれど。
その二倍ある「それはちょっと、どうかと思うよ」が、良い場面を帳消しにする無惨。最後の号泣場面などは、ドン引き…
合理性がどうのこうのでは無く、翔太の人格の問題でも無く。根底にある厭世観みたいなものへの拒否反応、と言えば良いのか…
芋生悠さんの熱演には共感を覚えました。個人的な好き嫌いのレベルの話ですが、外山文治さんは、やっぱり苦手です。
意味の無いものなどない。空っぽな人間などいない。的な話で、刺さる人には刺さると思います。実際、同じ列に座ってた女性は泣いてましたので。
これに1,800円とか1,900円は払いたくないよ、ってだけ。
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8/31追記&ネタバレに変更
「新世界合同会社」は「作家主義打ち出し、純度の高い作品目指す」との記事を見ました。豊原功補さんは、かつての「ディレクターズカンパニー」みたいなもんを目指しているとも。
ディレクターズカンパニーの初期作品を調べてみたんですが、
1984:人魚伝説、逆噴射家族
1985:台風クラブ、ドレミファ娘の血が騒ぐ
と、作家性だけでは無く、時代を映す鏡としての作品が並びます。
一方のソアレ。人間のドロドロした部分や不遇・不幸を並べ立て不条理を訴える手法には、全く目新しさも感じないけれど。
両親から愛情を注がれたという記憶もなく、幸せを感じる事も無く、作り笑いの方法だけは知っている、「死んだように生きて来た娘」。あてもない逃避行生活であっても、「私の方を向いてくれる人」との時間は、彼女にとって十分に幸せと言える時間だった。に違いない。的な。
「夜会」と言うタイトルは、影絵の中で翔太に寄り添ったタカラの心象を現すタイトルなんでしょうけど。決定的に、何か足りない気がして、技術的に。タカラの変化って、も少し描写あっても良いんじゃないかと言うのと、そもそも時代的な問題やら、役者の男と不幸な娘を引き合わせるための設定の問題やら、観客が置いてけぼりにならないような工夫って無いんでしょうか。
作家性って言う言葉って、便利ですよね。「製作側が密室で自己満足する事を正当化するため」に使われる言葉だと感じることが、たびたびあります。印象としては、そっち系の映画の範疇を超えきれてないと思いました。
これは単館どまりかねぇ。
しかも、パンチ足りないし。
単館でやってる作品て、たまに、ずしーんと来るやつあるから。