ソワレのレビュー・感想・評価
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外山文治監督の映画愛がもたらした幸せな意欲作
これまで製作、宣伝、配給とすべてを自らの手で丁寧にこなしてきた外山文治監督が、豊原功補&小泉今日子という理解者を得て製作した渾身のオリジナル作。とにもかくにも、映画館で見るべき映画ということに尽きる。生命力あふれる村上虹郎、芋生悠の姿はもちろんだが、ロケ地・和歌山の息遣いすら聞こえてきそうだ。匂いのある映画が完成したが、匂いのある役者、匂いのある製作陣が愛情をぎっしり詰め込んだのだから当然といえるかもしれない。何度だってやり直せるんだよとそっと語り掛けてくれる、とても幸せな作品だ。
カタルシスという名の「浄化」
作品を見終えた後で、このタイトルを検索した。
フランス語で「夜公演」
どうやらプロデューサーが「誰もが心の底に秘めた癒えることのない痛みや大切な思いを、夜会に封じ込めて、次の朝にまた新たな一歩を迎えて歩き始める」というメッセージを込めたと語っていたのを発見した。
2020年という時代とこの逃避行物語の設定には若干疑問点が覗いてしまうものの、基本的なプロットとその向かう先が普遍的なテーマを持っていて良かったと思う。
また、物語が進行するにつれて新しい情報が挿入されるのも悪くない。
さて、
廃校に忍び込む二人
黒板に書いてあった「卒業おめでとう」という文字の脇に書いた自分の本名
彼女は何故「大久保タカラ」と記載したのだろう?
そこには高校を卒業できなかった彼女の思いがあるのは間違いない。
しかし、彼女にとって忌まわしい姓を何故書いたのだろう?
逆にそう書いたのは、今までのすべてを捨ててしまいたかったのかもしれない。
それでいながらしかし本当は、彼女はありのままの自分でいたかったのかもしれない。
黒板を見て沸き上がった負の感情は明確でありつつ、その中に隠しきれない無抵抗な意識が表現してしまった描写で、その両方が半々に混ざり合っていたはずだと解釈した。
冒頭のシーンでタカラが老女の髪の毛を整えるシーンがあるが、一瞬で老女が消えてしまう。
あれはいったい何を意味したのだろうか?
タカラは介護施設で働いているが、老人たちはやがて死んでしまう。
発作で倒れた女性と徘徊した老人のセリフにも表れている。
「あんたも死ぬのを待っているだけじゃないか」
タカラの生き方に対する「天からの声」
椅子に座っていた老女は、現在の延長線上にある未来のタカラだったのではないだろうか?
また、、
この作品の至る所にある「水」
いくつものシーンに水が使われている。
この物語の中の水は何を意味するのだろう?
この水は何かの象徴だろうが、その意味は深いことがわかるものの、もう少し明確に1点を突いてほしかった。
例えば半月のシーンと満月のシーンがあるが、それは期の熟度を表現しているのがわかる。
つまり逃避行に溺れている時期の半月と、気づきが起きたときの満月だ。
水をモチーフにした明確な意味をどこかに挿入してほしかった。
それにしても、タカラの心の動きは大変良く理解できた。
さて、、
ショウタ
冒頭から彼が何者なのかがはっきりと描かれている。
俳優を目指す若者が、あんなことに手を染めながら平然としているのが現代社会なのだろうか。
老人が彼を見て「どこかで会った」というのも、また「天の声」なのだろう。
世話になったバイト先で盗みを働いたとき「逃げられんぞ、自分からは」と再び天の声
彼が自分で言ったセリフ「天は乗り越えられない試練は与えない」
おそらくお芝居の中で覚えた言葉なのだろうが、これもまた天の声で、これはタカラの胸の奥に届いてその意味を考えさせることになる。
ショウタは、その中途半端な生き方をタカラとの出会いによって矯正される運命だったのだろうか?
しかしその伏線は高校時代に仕込まれていた。
これがこの物語を作る上で最初に思い付いたことなのではないかと感じた。
劇団が合宿に選んだ場所はショウタの地元だった。
そこの介護施設職員タカラ
逮捕された時、ショウタはタカラが最後に示した言動の意味がよくわからないままだった。
しかし、まじめに働き始めたショウタは、演劇にも端然と向き合い始めた。
最後のシーン 高校時代の演技を再確認している場面で、あの表現をする自分を発見した。
おそらくタカラは、彼と同じ高校の後輩、または先輩だったのだろう。
ショウタをショウタくんと呼んでいたので、先輩かもしれない。
父の所為で退学することになった彼女は、自分とは対照的に教室で楽しそうにしていたショウタのワンシーンが脳裏にしっかりと刻み付けられていたのだ。
ホテルのシーンは、彼女がそのことを憶えていて、同時にそれがショウタだったこと気にづいた。
それに気づいたのがいつのタイミングだったのかはわからないが、その事も彼女にとっては天の声だったに違いない。
そうやって彼女の中の天の声のパズルのピースが徐々に埋められていく。
そしてこのタイトルを示す神社の中の舞台 この場面を幻想的に演出している水
彼女の幻覚 あのお芝居の再現 幻想 両親…
幻覚の少女は、当時最初に傷ついたタカラだったのだろう。
その傷ついたはずの少女が笑っている。
あの舞台は赦しを意味していたのだろう。
そして妊娠したタカラは、未来の暗示だろう。
そう、
赦しと認識の変化によって、認知症の老婆という未来が変化したのだ。
しかし、それでもまだ当惑状態は続く。
橋の欄干を乗り越える勇気もなく、ひれ伏すように崩れ落ちたところに登場したショウタ
彼を見て「ひとりは嫌」と本心を叫ぶ
同時にショウタも自分自身を告白した。
逮捕される直前、タカラが言った「また見つけてよ」という言葉は、このシーンで最初に発した言葉だった。
つまり、意味的にはそれはショウタに自分自身を再発見して役者を目指せと言っているが、その根底にある彼女の望みは、「もう一度私を見つけてほしい」ということだろう。
それが彼女の願いだ。
そして最後のシーンでショウタはタカラを発見した。
あの日、あの時、廊下に彼女がいたのを認識した。
天の声
天の導き
天は乗り越えられない試練は与えない。
同時に別の道を示してくれる。
ショウタはこの世の中の不思議さを改めて感じたことで、タカラの心の声を読み取ったに違いない。
彼はこの先、もう一度彼女を見つけることになるのだろう。
いい作品だった。
しかし、ここでまで思考しなければたどり着けない難しさがある。
あくまで個人的な妄想でしかないのだが。
ただそれもまた楽しみかな。
もしかしたら「水」は、ここにたどり着いた時に得られるカタルシスの元々の意味である「浄化」だったのかもしれない。
芋生さん(悠)を観た-2
「左様なら」で書いた通り、キネカ大森の「芋生悠特集」で、「左様なら」と本作を観た。 東京に出て俳優に挑戦し続けるが生活のためにオレオレ詐欺にも手を染めている青年が、父親に乱暴され続けた過去を持ち、高齢者介護施設でひっそりと働く女性と出会い、あるきっかけで、父親を刺してしまった女性と逃避行をする話。 どうにもならない世界。「傷つくためだけに生まれたんじゃない!」という憤り。誰かの心に残りたい、という気持ち。「あんた、優秀だわ」という声をかけられる歓び。 全編通して、にっちもさっちもいかないのだが、その中を飛び交うこうした思いと言うか叫び。それらは根源的過ぎて、こちら心に次々と突き刺さる。 そしてにっちもさっちもいかない逃避行の中にも、小さな充実感と一時の幸福感があり、そしてまたいさかいと絶望が訪れる。 壮絶なエンディングも決して気持ちがいいわけではないが、なにか大切な映画を観たという気持ちは心の中に残った。 偶然だと思うが、こちらも海というか波の印象が残る映画だった。監督違うのにね。 おまけ ちなみにトークショー登壇者は、芋生さんに加えそれぞれの作品の監督である石橋監督(夕帆)と外山監督(文治)、「左様なら」での共演者である祷さん(キララ)と石川さん(瑠華)。「夏になると思い出す映画」という芋生さんの言葉が印象的だった。
今どき駆け落ち?『人の気持ち分かっていないのはこの監督だけ』
人物の相関関係や設定が短絡的。
だから、『雪に耐えて梅花麗しい』と言う言葉が生きてこない。
自虐的デカダンスで、日本のサブカルチャーはここでもまだ生きている。
40年以上前の若松孝◯の演出で、こんな映画沢山見た。
ネタバレさせても良いと思うが、それをやると何も残らない。
『いい加減、才能ある側のフリするのやめや』
実にその通りである。
男が描く『女性や人の生きざま』を鑑賞する時代は終わったと思う。
愛の無いAIでも人の感情を表せるとか言っている。つまり、これまでの作品はそんな程度なんだと思う。男やAIでも表現出来る単純な内容だったと言うことだ。さて、
ドザエモンが上下反転するように、女性の描く人の生き様は、男や愛の無いAIには理解出来るないものかもしれない?性の二元化が否定される時代なので、女、男を意識的に区別できやしない。しかし、男には物理的な生理は無いし、物理的な妊娠もないのだ。
つまり、男が理解出来ない経験を女は積んでいる。だから、女性が描く「人の生き様」は男やAIが描くそれよりもが深みがあると男の僕は断定する。
嗚呼、意外と呑気で気楽なロードムービーなのだ‼️❓
最初は、虐げられし者たちが憤怒の河を渡るかのようなものを想像していたのです。 何が目的で逃げるのかな、刑事の言葉どうりだと思います。 虐げられし、奪われしものの経験則として、逃げたり、奪い返そう、復讐しよう、そう考えると負のスパイラルに巻き込まれます。 だから、精神衛生上、この映画をボーイズミーツガールのロードムービーだとして観ました。 CMやホラー映画で良く観るヒロインには陰のある存在感があります、地味な輝きですが、今後の飛躍が期待できます。 映画の中ですが、二人が幸福になりますように、そう切に願う、祈念する、そんな映画でした。 近くのTSUTAYAが閉店します、こんなプチ良い映画が観れなくなります、映画館の守備範囲を広げて洩らさず観れるようにしよう、そう思いました。
お嬢さんお逃げなさい
外山文治作品初鑑賞 監督と脚本は外山文治 それまで短編だったが今回は2時間近くの中編映画 豊原功補と小泉今日子がプロデューサー 安倍が総理を辞めた途端にくだらない政治活動をやらなくなったがそれでいい パヨクなんてネトウヨと戯れてる無能の暇潰しだ 逃亡劇 売れない俳優翔太は故郷和歌山に戻り老人施設でお芝居の演技指導する仕事に携わる 施設の女性職員タカラが男に襲われているところを助けたことがきっかけで二人で逃げる羽目に 自称駆け落ち 単純なラブストーリーではない 少し不器用な若い男 近親者から性暴力を受け続けた若い女 芋生悠のヌードあり 特に良くもないが悪くもない 酷評する人の気持ちも絶賛する人の気持ちも何となくだがわからないではない 低カロリーのカレーを食べているような映画 岩松翔太に村上虹郎 山下タカラに芋生悠 刑事の西村薫に岡部たかし 施設の職員・小原茂雄に康すおん 施設に住んでいる認知症の老人・中町仁に花王おさむ 梅農家瀬山圭壱に塚原大助 圭壱の嫁・瀬山晶子に江口のりこ スナックのママ佐久間久美子に田川可奈美 タカラの母・山下寛子に石橋けい タカラの父・大久保建治に山本浩司 十津川だろうか エメラルドグリーンでとても綺麗だった 女子高生の皆さんが本当にうるさかった まさしく姦しいとはこのことだ 芋生悠が少女の前でぎこちない笑いをするシーンが一番良かった ちょっとしか出番がないが気怠い石橋けいが良かった やっぱり女子高生なんかより断然おばさんが好き あと翔太のオレオレ詐欺の件はどうなったの?
よい時間でした
内容は重たいが、 熱のこもったお芝居がよかったです。 芋生さんのような存在が身近にいるもんで すごくすごくリアリティと悲しさを共有して 胸が締め付けられる感覚を憶えました。 虹郎さん目当てでしたが、 また新しいよい役者さんを見つけてしまった。 嬉しい。 今後も楽しみです。 すてきな作品ありがとうございました。
秀作です
優しさと勇気を問われた気がしました。 「気付き」のラストシーンはグッときました。 とても良かったです。 エンドロールで名前を発見しましたがアソシエーションプロデューサーの小泉今日子って…あの❓
コマ切れ凡庸。尤もらしいが。
小さい風呂敷も畳めず散らかして幕。 キャラの成長解脱も分からぬまま何故か時々饒舌に成ってテーマらしき事を台詞で説明する始末。 逃避行ものは導入後の緩慢を如何にかわすかだが、コマ切れ凡庸。 期待との若手女優には可愛そうだが脱ぎ損、頑張れ。
芋生悠という計り知れぬポテンシャルを秘める女優
それを知るのに、この作品は非常に格好の試金石となったと思う。 一言でいえば、演技力半端ない。 単館・ミニシアターでの主演映画を数本こなしてきている彼女だが、いつ、どんな作品でメジャー作に登場してくるか?
作品の肌ざわりが好き
今年観た日本映画の中で一番好き! 暗闇の中・暗闇の世の中、ほんの僅かな光しか見えない それでも決して希望は捨てない 日本映画の希望、村上虹郎&芋生悠の二人が織りなす逃亡劇 時間が経てば経つほどじわじわ来て、あ〜もう一回観たい
芋生悠はヌードも素晴らしい
オレオレ詐欺のような事をして生活してる売れない役者の翔太(村上虹郎)が、刑務所帰りの父親に性的暴行されている娘のタカラ(芋生悠)に遭遇し、助けようとした時、タカラがとっさにハサミで父親を刺したため、2人で逃げる話。 逃げてる最中にも、翔太はバイト先の梅干し屋で引出しからお金を盗もうとして見つかったり、競輪やパチンコなどの賭け事で一攫千金を狙ったりのグダグダぶり。対するタカラはスナックでバイトするなど対象的。 タカラが翔太とのベッドシーンは父親のフラッシュバックで出来なくなり、タカラの深い傷がと悲しみが伝わってきた。 ラストシーンは次に繋がりそうで良かった。 芋生悠は逃亡中の走る姿が素晴らしく、また村上虹郎とのベッドシーンではトップレスヌードまで披露し、吉高由里子や二階堂ふみのような必要なら脱げる演技派女優になるかもしれない。今後も大注目の女優さんです。
粗我
とにかく重くて暗くて、悪い意味じゃなく体感16時間くらい見てた気分。 ところどころ悪い意味でとっちらかってたり、そこ有耶無耶にしちゃいかんでしょってとこもあったけど、基本的に主演二人の悪い意味じゃなくキモすぎる悲壮感の魅力がすごくて引き込まれた。 ただ終わり方はあんま好きじゃないし、やっぱり中途半端だった感は否めないし、単純にストーリー自体人を選ぶと思う。 あとなんか製作陣にやたらビッグネームが並んでた。
エンドロールに涙が滲み出てくる
見ている間は辛くて苦しくて 泣いてる場合ではないんだけど 最後に翔太が見つけたもの····· それは反則だよ、泣いちゃうって! 人生を上手に生きられない若い男女のおはなし。 翔太は可哀想なタカラを守る事で 自分の情けなさが薄くなる気がしたのかな? 自分だって人に言えない事してきてるのに お前のせいだ!って責め立てて、、酷い。 2人の関係性がもっと深く繋がる様な出来事とかあれば、 より二人の間に絆が出来て、離れる時の切なさがもっと増したのでは、と思いました。 刑期を終えて再開する所まで見たかったな〜
芋生悠の横顔が観音様に見えタカラそれで満足
村上虹郞&芋生悠 良かったです。 タカラは特養のおじいさんがさわった程度でもあの反応なので、スナックは無理かもと違和感。翔太はオレオレ詐欺でない方が良いし。 監督以下スタッフ多いですね~
予告編を観た時点で…
自分には苦手な映画だろうと予想しました。 妻が観たいと言わなければ、観なかったと思います。 観終わった後の評価も高いとは言い難いですが、唯一、観に来て良かったかもと思わせてくれたのは、芋生悠さんの存在です。彼女のことは初めてこの作品で知りましたが、今後も注目したいです。
絶望の中に見えてくる切ない光
久しぶりの映画館、この映画を選んで良かった。 美しく静かに始まるオープニングとは裏腹に、鬱屈とした気持ちにさせられるストーリーが続く。 種類は違えど、心に傷を持つ若い2人の逃避行。特に胸を打たれたのは、ひとりぼっちで生きてきたタカラの真っ暗な世界に、少しずつ光が差し込んでくる様子。 逃げるのを止めたとき、ようやく訪れた心からの笑顔に思わず涙が。 ちょっと自信を失くしたり、思うようにいかない日々を送る大人たちにお勧めしたい。
【続いてるということ、繋がっているということ】
舞台挨拶のある上映回の鑑賞。 それぞれ人にとって映画の持つ意味は異なると思う。 だが、出来たら、この作品の何かを訴えようとする力を感じて欲しいと思う。 タカラは、翔太と一緒に逃げるなかで初めて、生きていると実感出来たのではないのか。 父親からの暴力や性的虐待を受けながら、タカラはずっと、生きてはいなかったのだ。 そして、生きるとは何なのかさえ理解できなかったのだ。 タカラは、翔太と共に駆ける。 初めは逃れるために走っていたのが、いつのまにか、生きるために…生きていることを実感するように駆けるよつになっていた。 この作品中のタカラの駆ける姿は力強く印象的だ。 そして、ほんの数日の逃避行のなかで、タカラは、どこか逞しくなった。 翔太にもエールを送った。 翔太は、ふとしたことがきっかけで、タカラと前に出会っていたことを記憶の奥から手繰り寄せる。 そう、これは、終わりではないのだ。 翔太はタカラと、昔から繋がっていたと確信したのだ。 そして、タカラによって自分自身を見つめ直すきっかけを得た。 だから、この物語は、ここで終わりではない。 昔から繋がり、そして、これからも続いていくのだ。 そう願わずにはいられなくなる作品だ。 性的虐待の被害者と、どこか行き場を失った若者を優しい視点で見つめた力強い作品だ。
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