「家族も作品も優しさとさりげない愛情で築く」最初の晩餐 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
家族も作品も優しさとさりげない愛情で築く
最後の晩餐はいわば家族といえる使徒との食事。ならば「最初の晩餐」とは、これから家族になるものたちの食事だろう。
物語は父の葬儀の日から始まる。そこから父との思い出、家族との思い出を振り返りながら家族とは何かを見つめていく。
険悪な雰囲気で始まり、家族という枠に収まって、そこからどうなる?っていうのを、過去の五年間と現在の一日で同じことを繰り返している構成は面白い。
五人が食卓に並んだ日、家族の枠に収まっただけの、まだ家族とはいえないかもしれない生活が始まる。
父は嫌いなものも黙って食べ、母は料理に手間をかける。娘は母が不在の間の食事を準備し、長男は父と山に登る。
そうして形だけの家族から本当の家族になれたと思われた瞬間に長男シュンが家を出ていくことになり、家族は壊れてしまったようになる。
この日のまま時が止まり現在の葬儀の日に繋がる。
長女は自分の家庭を築いてはいるものの良好ではないようだ。末っ子は家族とは煩わしいだけのよくわからないものだと言う。
シュンが出ていった日に子どもだった二人は家族というものに怯え悩んでいるようだ。幸せな家族を期待しても、それは一瞬で壊れてしまうのではないかと。
一番寡黙で、一番家族の枠を嫌がっていたように見えたシュンの想いが本作の一番の見所だろう。
極端な言い方をすれば自分の実の父親を今の両親が殺したようなものだ。
それを受けて、良からぬ感情が芽生えるかもしれない。ふとした切っ掛けで爆発するかもしれない。今の両親を愛せないかもしれない。そんな事を考えても当たり前の状況だ。
しかし、今の新しい家族に対してちゃんと愛情があったからこそシュンは、東家の幸せを壊すかもしれない自分を遠ざけた。
父が嫌いなものを食べ、母が料理に手間をかけたように、家族に対してのちょっとした気遣いなのだ。
シュンの家族を守る行動が幼かった二人には壊したように見えるのは実に皮肉が効いてドラマチックだ。
しかし、家に帰って来たシュンが登山家をしていると聞き、あの日あの時、家族は壊れてなんかなかった事を知る。
父親の嫌いな食べ物のエピソードも聞き、家族とは、関係ない他人ではないからこそ、ちょっとした気を遣い、遣われ、そんな関係の集合体なのだと知る。
エンディング、麟太郎の恋人が父の好物を偶然とはいえ持ってきていた姿は、新しい善き家族を予感させるには十分だった。
家族の食事を通して絆を描いた良作だと思う。
台風の夜から一転して翌日の晴天は、実に効果的に清々しさを運んでくれた。