「等身大のムラドが家族や恋人と自分の夢の狭間で葛藤して『夢』を勝ち取る物語」ガリーボーイ 葵須さんの映画レビュー(感想・評価)
等身大のムラドが家族や恋人と自分の夢の狭間で葛藤して『夢』を勝ち取る物語
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自分にとって100%の満足度はない。テーマ性も物語も悪くないが今一歩という感じ。正邪の中間であえぐ等身大のムラドに共感はするが、その才能の開花は作品の持つテーマに対して少し矮小的で、その分彼の歌う力強さに少し肩透かし感を感じたからだと思う。
この作品を見ることで、素晴らしいテーマ性や社会問題の提示を行う楽曲や創作物について、今までと違う考えを得た。すなわち、一言で言えば、素晴らしい作品は作者に対して凄まじい逆境や素晴らしい人格と言ったものを必要としないということ。
一個人や団体の力によって発表され、その意図が視聴者や読者、ファンによって読み取られるという構図がある。その中でテーマが生きるのは作品が受け入れられる瞬間であって、決してそれはすべて製作者に還元されるものではない、すなわち、製作者は社会的悲劇の重荷を背負わずとも個人の経験を感情的に、テーマにそって描くことができればそれが普遍なテーマとして受け入れられるのだということを考えた。
どうしてこういうことを考えたかというと、ムラド=ガリーボーイはインドの身分差別の強いスラムで生き、その影響を受け生きているのは事実だが、彼が憤るのはいつも個人レベルであって、彼の怒りは手短かにあり、それは抽象的で大きな社会問題にはない。個人的な怒りをリリックとフローに乗せるとそれが大きな普遍的なものに様変わりするのは、声優がキャラクタに息を吹き込む行為ににているとも思った。そもそも歌や絵や映画やアニメは抽象的なテーマを持つが全て受容者に対してフィクションであるのだから当然ではあるが。
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