ウエスト・サイド・ストーリーのレビュー・感想・評価
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1961年のオリジナル版を子供のころから何度も観ていて、数年前にブロードウェイ・ミュージカルの来日公演を観て、改めて作品の素晴らしさを実感していたので、今作もとても楽しみにしていました。
故に、正直がっかり。歌、ダンス、映像は素晴らしかったですが、脚本?構成?が頂けなかった。
なくてもいいかな?と思うような追加シーンも多く、決闘シーンも長いし、決闘前に『cool』があってその後にマリアの職場でのシーンが入って…と話の流れも変わっていて、オリジナルが染みついている身としては後半部分は話に入り込めませんでした。特に『cool』はリフを失ったジェッツ団の悲壮感が好きだったので、なぜ決闘前のトニーとのシーンで歌われたのかがよくわからなかった。アニータが伝言を伝えに行くシーンも描写が生々しくて余計に辛かった。
やっぱりオリジナル版が好きだなぁ。
歌とダンスは良かった
元々ミュージカルは苦手なんですが、それは踏まえてタイトルしか知らなかったので、これはきっと知ってたほうがいいんだろうな、と思ってストーリーは知らずに見てみました。
現代版のロミジュリって感じなんですね。
話が分かるたびに歌が入るので話の腰を折られる感じがもったいないなぁと思いつつ、いや途中に何度も歌が入るのがミュージカルなんだから、とそこは気持ちを抑えながら最後まで見ました。
最初にトニーとマリアが待ちあわせ時間と場所を決める前に歌いだしたので、「お願い明日の約束ちゃんと決めて〜」と思ってたら歌の後で時間と場所をちゃんとセリフで言ってくれたので良かったです。
移民問題、きっと根深いからモチーフになったんだろうなぁ、と思いました。
マリアの歌声は綺麗だし、各ダンサー達のキレッキレの動きは流石だなと思いました。せっかく両想いなのに結果は悲恋になる脚本は切なかったです。。
名作のリメイクとして相応しい力作であると言い切れる
往年の名作「ウエストサイド・ストーリー」を、なぜ今、スピルバーグがリメイクするのか。
当時不可能だったことを現代の技術で再現するのか?あるいはデカプリオの「ロメをとジュリエット」のような現代版にリメイクするのか興味があった。
結論としては、当時の雰囲気を残しつつ現代の役者によるリビルドであった。
主役といえる音楽もあえてレナードバーンスタインのスコアを尊重しつつ、音楽監督と指揮者によるスコアの精査が効いている感じがして、非常にスピード感とクリアさが際立っていた。
また、ダンスはジャスティンベックの切れ味のいい振り付けが現代的で見応えがある。特にクールを担当するジェッツのダンスは最高だった。
ストーリーはあえて繰り返すまでもないが、「ロメオとジュリエット」である。
それを知っていれば、トニーとマリアは出会った日に恋に落ち、バルコニーのシーンがあり、翌日に教会で結婚し、その夜に決闘があり、悲劇が起きる。とまあたった二日間の話である。
様式としてミュージカルであり、歌とダンスとストーリーが融合されているので、単なる映画としてみるとなんでここで歌うの?ということになるが、舞台芸術を映像に翻案しているわけだからそれは受け止める必要がある。
なんでこんなことを言うかというと、トニーとマリアの出会いからキスするまでの時間の短さ、翌日には結婚を決意する性急さ、決闘によってそれぞれのリーダーが死に、逃げるトニーが向かった先がマリアの元で・・・寝る。はあん。
エンディングで死んだトニーをジェッツとシャークスのメンバーが棺を担ぐかのように抱え、マリアが葬列のように続く。まさに様式美。映画は2時間半と長丁場だが、本当に短くあっという間の時間だった。映画を見たという満足感が高い映画だった。
それでも、ちょっと減点したのは、全くのリメイクであったこと。
もちろん新しいアイデアはたくさんあった。象徴的なのはトニが死んだ時に、バレンティーナ(前作でアニータを演じたリタ・モレノ)が「Somewhere」を歌う。本来はトニーを抱えながらマリアが歌うパートであったはずだが、筋を精査した結果マリアが歌うのはおかしいということになったそうだ。バレンティーナはうまくはないがいい味を出していて納得はした。
それにしても、もっと現代的なウエストサイド・ストーリーを期待した人は多かったのではないかと思う。
しかし、音楽もフルオーケストラを全編に使うことで、古臭いイメージは払拭できなかった。曲調によっては新鮮なスコアにしても良かったのではないか?ジョン・ウイリアムズに手を入れさせるてもあったはず。
余計なことだが、あの短い間のMake Loveは必ずやBabyにつながったはずだ。その子供を見せてくれてもよかったのではないか?
役者はみんな上手かった。特にジェッツのリーダー「リフ」(マイク・ファイスト)は特にいいと思った。顔にちょっと傷があってそこもよかった。自分が女だったら惚れそうだった。
もう1つ蛇足
ヒロインのマリアは兄にあてがわれた好きでもないチノとダンパに行くが、そのチノにトニーを殺されてしまう。
でも実生活ではレイチェル・ゼグラーとジョシュ・アンドレスは恋人になったんだとさ😀
若者の縄張り争いといえばそこまでだけど
名作ウエストサイドストーリー、実は見たことがなく今さら感があったのですが、話題だしせっかく休みもあったので見ることに。
要はチンピラのテリトリー争い、愛憎にとらわれ、うっかり死んじゃった。そのあたりをミュージカルと映画を複合させてるだけ、それだけかもしれません。
人種差別、社会の底辺でしか生きられない人々、それらを描くのも今どきでは新鮮さには欠けます。
ただ現代ならではの美術、造形、音楽、ダンスは圧巻ですのでそこは見る価値ありだと思いました。
リタ・モレノが出演、プロデューサーとして入ってるのも素晴らしい。もう90才なのにあの演技、佇まい、素晴らしいです。
ミュージカルと映画を複合はうまくさせてるのでしょうが、やはりミュージカル作品であろうなと思います。たたミュージカルと違うのは表情がしっかりみえることでしょうね。
私はJET'S推し!
実は1961年のウエストサイドストーリーを見ないままこの作品を見たのですが、時代設定なども同じなんですね、スピルバーグ敢えて同じ設定できたのか!
ミュージカル映画って出だし超大事と思うのですが、それでいうとこのスタート、JET'Sのテーマで始まるの最高だったと思います!みんなとってもイキイキとウエストサイドの町を駆け抜けてJET'Sの面々が集まるシーン、すごくワクワクしました!特に、リーダーのリフ、最高に可愛かった✨リフの事ばかり目で追ってしまったと言っても過言ではありません!!
とは言ってもやはりトニー役のアンセル・エルゴードは背も高くて素敵でマリアとの「トゥナイト」はかなりグッときたし、見栄えがしました!リフと2人で「cool」を歌い、踊るシーンはもうイケメン2人がこれでもか!とかっこよさ爆発してくれて、はぁぁぁ💓
難癖をつけるならば、できたらプエルトリコ勢をもう少しカッコ良い面々にしてもらえたら。マリア役の子もまぁ歌も上手いし、可愛いんだけど、なんというか透明感とか初々しさがいまひとつだった気がして…あと、マリアの兄の恋人アニータも芸人のバービーに見えちゃうのがちょっと辛かったかな。
なんてミーハーな感想でホント申し訳ない!
リメイクの必要性とは
ロバートワイズ版が大好きな自分としては、
スピルバーグ版も物凄く楽しみだった
だが、主演俳優のゴタゴタがあり、
そして、時代は変わった
当時から全く変わらない真っ向勝負のストーリーだった
つまり、世間に配慮して必要以上に物語の枠を
超えてまで手を伸ばすことはしていない
そこに良さを感じた
もちろんだが、オリジナルを尊重している
というか、オリジナルが凄すぎる!
当時から前衛的なミュージカル映画だったのだろうが、
60年近く経った今でも十分心打つストーリーなのだ
だが。
また観るとしたら
ロバートワイズ版だろう。
ソウルバスのデザインが恋しい……
やっぱり、マネキンシーンは観たかったよ〜
あとAmericaはやっぱり屋上だ!
それでも、
リタモレノが出てくるのは憎いよーずるいよー
しかもバレンティナ役。素晴らしいでした。
アリアナ・デボーズがとにかく良かった!
どこかで見たことあるなと思ったら「プロム」でしたか。
全然印象が違う!!
彼女が映っただけで画面の空気全てを支配される
そんな華と力強さを兼ね備えている
全ての演技が情熱的で良かった。
「Ameriaca」がまた最高でしたな…。
もう彼女の虜です。彼女の映画です。
今んところは一番受賞してほしい人となりました…。
(ドリームプランとベルファストは未見)
あっという間に。
冒頭から、あっという間に
音楽とダンスと色彩の世界に
惹き込まれた。
街並みには時代背景とクラシック感、生活の空気感がきめ細やかに漂い、ミュージカルを目の当たりにしてる高揚感と映画技術による一体感を味わった。
マリアの表情の豊かさ、瞳の語り、美しい歌声は話が展開するごとに深みを増し、特に仕事先のシーンでは恋を通して弾けそうな新鮮な気持ちが膨らむ様子、とめられない感情が生き生きとつたわってきた。
アニータのたくましい存在感、大人の女性の魅力。
セリフの抑揚、ダンスの美しさ…そのエッジ効果には目が釘付け。
失意に陥っても自分を見失うことがない自立した性格は登場したときからのセリフの端々にわかり憧れさえかんじる。
一方、バレンティーナの佇まいは静けさの中にある強さとやさしさと慈しみに満ちている。
その滲みでる雰囲気は世代のちがう登場人物たちが遭遇する過ちや不条理な場面に、辛い過去も生きてきた心の経験値の尊さをもってひとつの光をあて、なにかを示す。
全体をながめつつ愛をもって対峙できることの貴重さというのか。
彼女の人生を写すような手がうつしだされた時にはざわざわとした心の中のなにかをなでられた気がした。
トニーのマリアをおもう純粋で真っ直ぐな気持ちもよく表現され愛おしいほど。彼の、仲間への気持ちは罪を償い更生しようとたちなおりつつあったところにふと動きをみせるが、これこそ人生にある予想したくない現実なのかも。マリアへの愛情との対比として見守る側はつらかった。
幸せとはなにか。
信じることとはなにか。
そして、簡単にすれ違いやすい人生。
運命とは。
今もなおある民族的な問題、経済格差、人間の心の濁りや清らかさ。
監督がいま、名作をリメイクしたのは後世に伝達しておきたかったことがふんだんに詰まっている作品だからだろう。
しばらくは粋な楽曲が耳リピートするなぁー、これ。
ウエストサイドストーリーのアパート間にたなびく洗濯物ともしかしたら落ちそうな古い階段のある窓辺の風景も。
大作であるのは認めるが、映画として何がいいのかさっぱり?
IMAXで見ました。
舞台や前作のノスタルジーがなければ楽しめない作品かと。
(ノスタルジーがあっても正直、これを映画として十分楽しめるのだろうか?)
歌もダンスも超一流、というのはわかるがそれだけで映画として素晴らしいかといえばそんなことはないでしょう。
舞台上の歌と踊りで完結する戯曲としてはアリだろうが、映画のプロットそしては無理がありすぎる。
それがミュージカル映画といえばそれまでだが、少し前に見たIn The Heightsは十分楽しめたし、Catsも猫コスプレの違和感に慣れるまでに少し時間がかかったが、没入してしまえば楽しめた。
しかし、この映画は全く別。
そもそもストーリ展開やキャラクターの感情の動きが不自然すぎるし、そこのギャップはいくら俳優の熱演があっても埋まらない。つまり、脚本以前のプロットの問題。
殺人や愛する者の死といったシーンと、ミュージカル(突然歌いだし感情を表す演出技法)は、シェイクスピアやオペラの舞台ならまだしも、映画の中では相性が悪すぎる。
単純に不自然さが大きすぎて覚めてしまう。
ダンスや歌のシーンはそれぞれ完璧で、映像作品として十分楽しめたし、代金分の元は取れた気がします。
しかし、何の先入観もなく見たら、映画としては金のかかった豪華で完璧な映像と才能のある俳優たちの演技で作られた駄作と言えます。
映画で一番大事なのは、上映時間中、日常を忘れて映画の世界に没入できることだと思うので、巨匠が作っても、自分にとってつまらない映画はつまらない。
リタ・モレノをみる
ウエスト・サイド物語は、初めて四季の演劇でみて、その後に61年版のリバイバルをスクリーンで観た口です。61年版は、演出・楽曲・振付・俳優陣すべてが「神」がかっています。私が20代で観てそう感じたのですから、今の20代の方が観ても同じ感じ方になるでしょう、というのは思い込みが過ぎるでしょうか。
さて、スピルバーグ版です。序曲までは付きませんでしたが、オープニングから61年版を敬愛しているのが伝わります。楽曲は、多少のアレンジがありますが、全く違和感なくバーンスタインほぼそのままで、嬉しくなります。振り付けは、洗練さからどうしても61年版のJ・ロビンスに軍配を上げざるを得ませんが、スピルバーグの”アメリカ”は、明るく開放的な分、ナンバーの中で一番冴えています。アニタ役の女優が好印象なのが理由なのかも知れません。
残念なのは、マリア役、ベルナルド役の俳優にもう少しスクリーン上の魅力が欲しかったところで、私は特にこの2人にあまり感情移入ができませんでした。あのN・ウッド、G・チャキリスと比べるのはあまりに酷でしょうか。また、”トゥナイト”はやたら四角格子が重なった画になって勿体ないし、映画的な見せ場の”クインテット”は少しあっさりしすぎ、”クール”はクールでなく砂埃のイメージになってしまったりと、今一つ跳ねない部分がいくつかあります。
ですが、たまり場の店主リタ・モレノが”サムウェア”を一人想い深く静かに唄う場面に胸を打たれます。61年版アニタ役がこの新作で唄うのです。ここだけで、もう満足しました。役柄も良く、とても90才には見えません。調べると、G・チャキリス、R・ベイマー、R・タンブリンもご存命のようで嬉しい限りです。神がかりの映画に挑戦したスピルバーグ監督の意思には、拍手を送りたいと思います。
(PS. ”westsidestory”のタイトルがどこで出たのか気づかず、また、チノ役の男優が終盤になって61年版のR・タンブリンの姿に見えてきた、のが不思議でした。)
昔の映画のような画質が良いね
ストーリーと歌はオリジナルだろうし(未見ですが)、背景、セット、衣装、音楽、カット割りに画角、全ての要素はスピルバーグ監督であれば当たり前と言える品質。ただねえ、なんで今これ感がヌグエなった。
豊かではないと言いつつもコーケイジアンであるアイルランド系移民からプエルトリコの移民に向けられた蔑視、東洋人はどこにも出てこないけど、もっと下級扱いだったのかなぁ。
付き合ってまだ短いのに兄の死よりも愛ってか。ムムム。
女性主人公にはちょっと南沙織を思い出したのであった。
スピルバーグ監督だからこその名作リメイク
まずこの作品、ラストは大元がロミジュリなので知らない人いない前提で書いてもやはりネタバレになるのかな?
私はミュージカルをずっとやってきたこともあり当然1961年版は何回も見ている。
東宝シネマズ渋谷でポイント鑑賞。土地柄若者多し。
言わずと知れたミュージカルの金字塔をリメイクしかもスピルバーグはミュージカルを撮ったことがないとな!楽曲やダンスのパワーはそのままに、より現代に生きる私たちへのメッセージが込められた素晴らしいミュージカル映画!
いや、もう…オープニングから大興奮!まとめきれないけど1961年の映画と比べると
・ベルナルドがなぜかボクシング選手の設定
・マリアがかなり積極的 職業はアニタの店のお針子ではなく夜勤の清掃(これはI feel prettyの歌われる時間帯と整合性が取れててとても良い。
・曲順を舞台版と映画版が違うのは割と知られているけどこのリメイク版はわりと舞台版に忠実
・振付は権利問題で大きくは変えてないけどいわゆるバレエをベースにしたシアターダンスから少し重心低めで現代的なダンスになってる てなところかな…
もう体育館のダンスの迫力、そして二人の出会いのシーンの美しさで既に涙…
言わずと知れた名ナンバー「アメリカ」は屋外でのダンスシーンになっており子供たちも集まって踊る新たな演出もお見事!ただ、若い人でオリジナルを知らない人はダンスシーンは若干饒舌に感じたかな?
エニィバディは元々ジェッツに入りたい女の子の設定でしたがこれも現代ならではのキャスティングにはなってました。
一番度肝を抜かれたのはこの作品のテーマともなってる美しい「サムウェア」を誰が歌うのかという所。ドクの店の主が女性のプエルトリコ人と言う設定でリタモレノが演じるバレンティーノという女性が歌っててびっくり!
スピルバーグのアクションをたくさん撮ってきた経験が乱闘のシーンの迫力という意味ではすごく生かされて、かつ「リンカーン」のような政治メッセージの強い作品も撮ったことで、このウエストサイドストーリーが現代の人々にも響く作品になったと思います。
ジェッツとシャークスの対立が言うまでもなく主軸になってるけど、実はジェッツを抜けたトニーとそのメンバー、マリアとアニタ、ベルナルドでの意見の食い違いなど仲間や家族間での対立が色々な問題を引き起こしてるんだなと改めて気付かされます。この時代より今の分断の方が深刻だと監督は話していて、普遍的どころか近しい人との分断を意識することここ二年間感じてる人は多いのではないでしょうか。
いつか平和で美しい世界がきっとくる…サムウェアに込められたこのメッセージが渋谷の映画館で見てた沢山の若者たちにも届いたはずです。ラストにマリアトニーの亡骸を抱えて歌うのはトゥナイトだというのも良かったと思います。
2時間半という長丁場でしたが、エンドロールで席を立つ人が本当に少なかったのは、ラストが予告編からは想像できない悲しいものだったこともあるけど、きっと一人一人が分断は悲しみと犠牲しか産まないということを深く心に刻んだからだと思うのです。
リメイク映画、以上
リメイク映画としては及第点かな
キャスト全然知らない人達だけど歌は上手かったし
特に主役の女性はなかなかの美声の持ち主で良かった
基本的に内容は一緒なので原作観てる人には特筆する事ない感じかも
古い映画をリメイクして新しい人達にも物語を伝えようという
試みとしては好きだけど
映画としては面白味が少しかけてたかな?
移民の問題はもっと複雑化してると思うので
現代にそぐわない感があるかなと思います
そこが気になった
悪くない映画だけど良くもない
そんな感じの映画でした
ミュージカル苦手でも楽しめます
ミュージカル苦手で、こんなに有名な作品でも触れたことが無いので、全く内容知らずにいました。
予告編で引き込まれたのとスピルバーグ作品なので楽しめそうと見てきました。
ミュージカルが2月な僕でも楽しめました。前半はいかにも映画で見るアメリカ!という感じで、ダンスも見ているだけで楽しくなります。
中盤からシリアスな場面が増えて最後はそんな結末だとは…
他の方のレビューなどを見ると現代風アレンジや解釈のない作品のようで、そこがシンプルに楽しめたのかもしれません。
絶望
出来が酷すぎて絶望した。
主人公のふたりが最低。
カッとなって彼女のお兄さんを刺し殺す男。
兄さんを殺した男と直後に寝る女。
愛があれば、のくだりは完全にサイコパス。
自分の子供を殺したDQN夫婦がそれでも私たちは愛で結ばれていると主張するのとほぼ同じ。異常。
ギャングの仲間連中も集団レイプ魔。環境や育ちが恵まれてなくてかわいそうが一気にぶっ飛んだ。
関係者全員ムショへどうぞ。
現代に通ずる分断の悲劇を描きたいのなら、共感できる人間を描いてください。これじゃあ分断して当然としか思えない。身から出たさび。
とにかく気分の悪い映画だった。
ミュージカル部分は良かった
ミュージカル部分は全部良かった。
ミュージカル映画だからストーリーあんま気にしちゃダメだと思うんだが、どうしても気になるとこがあった。
マリアが悪魔すぎるんだよ。アニータはおめぇの彼氏に自分の彼氏を殺されてんだよ。なのに、トニーは私を愛してるし、私も彼を愛してるとかほざくな。しかも、伝言をアニータに任すな。アニータもアニータでよく伝えに行こうと思えたな。
しかし、マリアが自室で歌うシーンまでは凄い良かったよ!
最後のトニーが殺されて、マリアがアップになるシーンで思ったことがある。
マリアの十字架ネックレスが服から出たり入ったりしてんだよな。スピルバーグ?俺は見逃さないわよ。
前半は楽しいミュージカルでも、後半からは...
歌とかダンスとか凄く楽しめました!!
歌声特に美しかったです。
ロミオとジュリエットにも似てました。死の連鎖でした。前半の二人が恋に落ち、愛に満ちている所はとても素敵でした。
しかし、お兄さん殺されてるのに愛があると言われても感情移入出来なかったので星3にしました。どうして殺してしまったのか、をゆっくり話して打ち解けていく展開だったら良かったのかも。
自分だったらしんどすぎて何も言えないかも。お兄さん死んでるのによくうっとり見つめ合ってられるな。お兄さん可愛そう。
そもそも決闘が起きる前になんとかならなかったのかって考えてしまいますね。
何一つ感情移入できない
私は映画は年に数回しか見ないため、技術や映画の根本は語れない。
そのため、ストーリーやキャラクター性についてでの評価となる。
まず、簡単に言えばこれは西成の住民と大阪府民が喧嘩を起こす話なのだろう。どちらのチームも教育が悪い少年の集まりで、貧困から生まれた治安の悪さを考えると皆んなが社会の被害者であるとも思える。
差別がなぜ良くないのか、属性の色が個人に必ずしも反映される訳ではないという事を根本的にどちらのチームも教えてこられなかった。だから個人なぞ見ずに"あいつらは邪魔だ"そういう風に捉えてしまうのだろう。
それは己が一人一人と向き合う力が話をする力がないだけだ。仲間が犠牲になっても、まだ相手を憎む事で頭がいっぱいで、誰一人として仲間を殺されてしまった原因は自分にもあると気付けていない。そんな愚かな事はあるのだろうか?
あまりにも愚かだ。人は考える力がある、それを集団の力に飲み込まれ過ぎて、機能停止してしまったいた。
そんな人が死んだところで、同情も憐みもない。また泣いているチームメイトを見ても、泣くなら己のアホさに泣けとしか言いようがない。
この物語の大きな要素でもある、ロミオとジュリエットを題材とした恋愛部分。
ここも全く共感はない。
そもそも愛とは運命的な出会いを言うとは私には思えない。愛とは信頼だ。
2人はとてつもなく大きな恋に落ちて、その衝撃に頭を打たれ愛だと勘違いをしていたのだ。
愛は2人で育てるものだ。その育てる時間があまりにも短いのに、恋人が死んで可哀想だとはどうしても思えない。正直兄がが死んでるのに、刺してるのにその直後に寝れるのはどうかしている。本気で驚いた、感動も何もない。そりゃアニータ怒ります、当然です。
ミュージカル部分においては、悪ガキ達がメインなのにダンスがストリート系などは一切なく、主にバレエや社交ダンスの綺麗な型を基礎にし過ぎておりミスマッチ感が拭えなかった。
スラムにいる少年があんな綺麗なバレエの型を踊れるのは違和感を抱いてしまう。もっと砕いたダンスで若者の力を感じられる群舞を見たかった。
曲はこの曲ってウエストサイドストーリーなんだ!と知れる曲も多く、それは楽しかった。そこだけ評価で星一つ。
60年代の米国ニューヨーク、マンハッタンのウエスト・サイド。 昔か...
60年代の米国ニューヨーク、マンハッタンのウエスト・サイド。
昔から人々が集う地区はハーレムとなり、いまや行政による再開発の波が押し寄せていた。
ハーレムに暮らす人々は多かれ少なかれ貧しい人々であり、早くから住み着いた白人たちと、新たな移民のプエルトリコ人たちの間で対立が起こっていた。
貧困白人たちは職を追われ、プエルトリコ人たち有色人種が、その職を得ていた。
そんな対立が顕著なのは、若者たちのグループ。
白人系の若者はジェット団、プエルトリコ人の若者はシャーク団と名乗って、残されたわずかばかりの縄張りでの勢力争いが繰り広げられていたのだった・・・
というところからはじまる物語で、その後、ジェット団の若者(ムショ帰りで相談役的立場)と、シャーク団のリーダの妹が恋仲になり、2日間のうちに悲劇が訪れるのは、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』を下敷きにしたもの。
で、前回の映画化『ウエスト・サイド物語』は同時代に観たのではないので、音楽・ダンスの素晴らしさはともかく、物語の古臭さに辟易したものでした。
今回も物語の大筋は変わっていないのだけれど、味付けがかなり変わっている。
人種間の対立の根本に、行政による政策を盛り込み、ニューヨークの街を半ば廃墟のように撮っている。
これは、前作のオープニングが、摩天楼の実景(その前にタイトルバックのデザインがあるが)から入っていたのと、大きく異なります。
(この前作の摩天楼は、エンドタイトルで、巧みにオマージュが捧げられており、エンドタイトルデザインはスピルバーグ監督がもうひとりのデザイナーとともに行っている)
つまり、荒廃した街での対立物語であり、一種のディストピア物語ともいえるでしょう。
で、そこでのリアリティを持たせるために、主役は、背の高い白人のアンチャン(見るからに白人という感じ)と、浅黒く目の大きい小娘(どう見てもプエルトリコ系)というふたり。
前作がリチャード・ベイマーとナタリー・ウッドだったので、そこんところは今回の配役が勝ち。
ジェット団vs.シャーク団、トニーとマリアの恋愛模様をスピルバーグ演出の縦横なカメラワークでエモーションを盛り上げていきます。
なので、映画半分ぐらいはすこぶる面白いのだが、後半、息切れ気味。
(というか、トニーとマリアの恋物語は、もともと、どこにも面白いところがなく、今回はその轍を踏んだよう)
ここで変わって比重を重くするのが、前作の生き証人リタ・モレノの役。
プエルトリコ人だが白人と結婚、トニーの育ての親的役割。
彼女が象徴するのが、人種対立のない未来で、役どころだけでなく、後半、彼女が歌うナンバーをそれを象徴しています。
(前作では、マリアが歌ったのだっけ? ちょっと覚えていません)
物語の決着の後、事件の鍵となる銃を拾い上げるのも彼女の役どころ(ここをさりげなく撮っているあたりがスピルバーグが名匠・巨匠たる所以)で、この年寄りが若いマリア(トニーの子どもを宿している)に未来を託していることがわかります。
(スピルバーグが若い人々に未来を託している、とも解釈できます)
音楽はもとより、ジェローム・ロビンスのオリジナルに敬意を表した振付に敬意を表しすぎた故か、コミックリリーフのナンバーはカットしてもよさそうだったけれど、残してしまったので、後半はやや冗長でした。
(ジェット団の警察署でのナンバーと、こちらは微妙だが、マリアのデパートでの夜勤のナンバー)
なお、ヤヌス・カミンスキーの撮影はすこぶる熟練の技で、艶のある画面は当然ながら、ジェット団とシャーク団の対決シーンとその後の警察到着の垂直俯瞰ショットのライトニングなどは、スリラー映画真っ青でした。
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