「様々な場面で考察できる何度も繰り返し観たい映画」ウエスト・サイド・ストーリー スクラさんの映画レビュー(感想・評価)
様々な場面で考察できる何度も繰り返し観たい映画
ようやく劇場で観てこれた!
ストーリー自体はロミジュリみたいな印象だった。
(実際、シェイクスピアの戯曲が下敷きらしい)
そこにアメリカの地で貧困や差別による社会への不満を抱えた若者たちという共通点があるのに、
ヨーロッパ系かプエルトリコ系かの違いで生じる対立が加えられることで
アメリカ版ロミジュリとして完成されていた。
個人的に面白く感じられたのは、
・S&W M10の使われ方
・色の比喩
・マリアとトニーの恋は神に許されていないことの暗示
らへんかな。
【S&W M10】
トニーの友人、リフが手にし、トニーの死因となる銃
まずは、ジェットたちの幼さを表現するアイコンになっていたなと。
コルトの口径すら知らず、M10を手に入れたあとも、
装弾数(6発)を無視したおふざけでの撃ち合いもあり、
彼らは悪党ではなく、ただの非行少年に過ぎない、社会の中でそうならざるを得なかった不良たちの側面が強調されたように感じられた。
トニーは彼らから銃を奪おうとするけど、結局、止めることができず、
ジェットたちから「バンッ」と撃つマネをされる場面は、
決闘ではM10は使われないこと、トニーがその後に撃たれることを意味していたのではないだろうか。
あんなに装弾数を無視して、ふざけていたのに、この場面だけジェット5人のうち、
あえて1人が「バン、バンッ」と2回撃つことでM10に入っている弾6発を使い切ってしまっている。つまり、銃には弾が入っていない状態で決闘の場に行ってることになるんだよね(口で撃つマネをしているだけなので、実際は6発入ってんだけどね)。
1人だけ2回撃ったのが、最終的にトニーがチノに撃たれた回数とも一致しているから、ここで既にトニーが2度撃たれた死ぬことを暗示していたのかな。
【色の比喩】
ジェットたちは寒色系、シャークたちは暖色系の色をまとっているのは一目瞭然。
トニーとマリアの服装の色の変化に注目すると面白かった。
二人が初めて会うダンスパーティー会場では、トニーもマリアも白が基調の服装。
互いの所属カラーには染まっていない、どちらにも属さない無垢な存在として出会っている。ジェットもシャークも関係ない二人だけの世界での出会いが表現されている。
それにも関わらず、初デートで愛を誓いあう場面では、マリアは暖色系、トニーは寒色系の服を着ている。所属に囚われない出会いだった彼らが恋の成就に伴い、
所属に囚われてはじめていることの示唆だと思う。
その後、マリアは最後の場面まで寒色系、ジェットのカラーを身にまとっている。
これはジェットとシャークの対立のなかでトニーと一つになろうとする彼女の望みの現れのようだった。
【神に許されない恋】
トニーはベルナルドを殺したあと、マリアのもとに行き、自首前に一目彼女に会いたかったことを告げ、別れようとする。しかし、彼女はそれを拒否して、二人はベッドをともにする。事後の彼らが映されるシーン、最初に焦点が当てられるのが、十字架にかけられたキリスト。それまでマリアの部屋に十字架があることすらしっかり映されていなかったのに、ここで焦点を当てるということは、どんな理由があるにせよ、人を殺したトニーとそれを許してしまったマリアの恋を神は祝福していないことを明らかにしているように感じられた。
この3つの点を考えるのがすごく楽しかったし、
ここからマリアとトニーの恋が悲劇で終わるのは既定路線だったと考察。
(そもそもロミジュリを下敷きにしているなら、悲劇は確定なんだろうけど)
様々な媒体でなんども取り上げられているこの作品をスピルバーグが
今あえて作り直し、世に送り出したかったのは、結局、現代も「1つになれていない世界」が広がっているからだろうか。
物語の最後にジェットとシャークが歩み寄ったように、アメリカが今抱えている分断の問題にも歩み寄りが必要だと監督なりのメッセージが込められているのかな。