「カーテンコール無きミュージカル」ウエスト・サイド・ストーリー 猿田猿太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
カーテンコール無きミュージカル
何故、ミュージカルなんだろう。なんで、町中で歌い出すの? どうして踊ってるの? ――いや、だって、ミュージカルじゃ無ければ、名曲「トゥナイト」が聴けないじゃ無いか。
正直言って、この名作ミュージカルのことはよく知りません。ああ、この歌がこれだったのかと、観てから知ったぐらいの無知蒙昧なもので、そんな私にとって、この映画は面白いのだろうかと不安でしたが、全てにおいて隙が無く、どの映画でも一度はトイレに立つ私が、最後の最後まで釘付けでした。ミュージカルのなんたるかは私には判らないけど、様々な登場人物が蠢く中に入り交じる、恋する二人の名曲「トゥナイト」の歌声が響き渡る様に、ああ、これぞミュージカルだ。ミュージカルで無ければならなかったのだと、理屈も道理もへったくれも無い妙な悟りを開いた心地です。是非とも、専門家の方に解説していただきたい。
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そういえば、ミュージカルといれば付きものの、出演者全員が勢揃いするカーテンコールが無かったのは意外でしたが、こういうお話ならば、無くて正解だったと思います。
私はカーテンコールのある映画が好きです。映画「レ・ミゼラブル」では亡くなった登場人物も再登場するカーテンコールがありました。映画「タイタニック」では年老いたヒロインの夢の中で、沈んだタイタニック号が蘇り、亡くなられた登場人物まで再登場、主人公との最後のラブシーンという、言うなれば素晴らしいカーテンコールだったと思います。映画「スターウォーズ」エピソード4では表彰式という形式で、エピソード6では、イォーク族と戦勝を祝ってのキャンプファイヤー(笑)にみんな集まり、ダースベイダーの火葬と共に、かつての父の姿と歴代のジェダイの戦士達が再登場しました。デヴィット・リンチ監督旧「砂の惑星」でも登場人物達の顔見せでカーテンコールの役割を果たしていました。そういえば、とんねるずの「そろばんずく」でも何故か舞台で勢揃い。もう一度みたいけど、DVDとかプレミアついてて高くて買えないw 北野武監督の座頭市ではタップダンスで締めくくられていましたが、あれもカーテンコールに入るのかな。
でも、このウェスト・サイド・ストーリーではそれは無かった。戦いを経て、次々と倒れて消えていった主要人物達、そして主人公までも。空しい戦い、果たし合い、敵討ちを重ねたら、もう何も残らない、誰も居なくなってしまった。それ故に、カーテンコールなど出来ません。だからこそ、最後は誰も居なくなった瓦礫の街で、光と影が移りゆく映像で締めくくられたのではないかと思うのです。そんな解釈を自分なりにしてみたのですが、如何でしょうか――。