「598万1407年後・・・」ANIARA アニアーラ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
598万1407年後・・・
原作は未読だが、スウェーデンではノーベル文学賞受賞者執筆とのことで広く認知されているらしい。どこまで原作に近似しているのかは不明だが、映画だけを観て感じるのは確かに今作品の無常さや哲学は永遠の真理探究として古今東西、特に先進国と呼ばれる社会では常に持ち併せる“不安”を写し取られていて、ノーベル文学の奥深さを感じ取れる内容である。そうではあるのだが、それだけ高度な思考内容故、ついて行けない部分もあったりしてクセもまた強い作品でもある。その手の飲み込みづらいモノは自分としては大好物だが、果たして一般受けするかどうかは難しい限りだ。
今作品がSFとはいえ、全体的な構図が読めないのは“神の視点”として俯瞰での視線ではなく、あくまで主人公の女性の目線でストーリー展開されることである。なので主人公の持つ知識やそれによる見解に対しては細かい説明をするのだが、色々なアクシデントに対しては一切解説が成されず、そしてフリの回収もされない。重大なインシデント(そもそもこの巨大船にぶつかってきた部品は何だったのか、事故なのか攻撃だったのだろうか、そして中盤回収されたあの“槍”は何だったのだろうか)等の答えは一切解明することなく、悠久の時間が幕毎にカウントされていく構成になっている。設定とすれば『マクロス』のようなイメージの船艦に近いが、8,000人収容のクルーズ客船の方向なのであろう。なのでその閉ざされた世界において、希望が得られない状況に陥った人類の思考や行動はどのように変化していくのかという実験的意味合いもプロットに含まれているのではないだろうか。その中で科学とは又別の柱である“スピリチュアル”やそれに伴う“宗教”観といったものがどのように人間の精神に影響を及ぼすのかも言及されている。そこで鍵となるのは『MIMA』と呼ばれる脳内映像投影システム(という表現で良いのかは分らないが、勝手に命名)。人間の精神を安定させるストッパー装置としての機能を果たしていたのだが、余りにも人間の負の念を浴びたことで自爆してしまい、人間はその代替をそれぞれで試行錯誤することに陥る。享楽に興じる者もいれば、新興宗教に嵌る者も出てくる。そしてその二つが惹かれ合う様に、“セックス教団”が誕生してしまう。もうそうなると艦内の秩序もへったくれもない。そんな中で宇宙間に漂う物体をみつけるのだが、結局これもエネルギーとしての変換は出来ない事が分ってしまい、一度首を持ち上げた希望が無残にも打ち砕かれる時の絶望感は筆舌に難い演出だ。絶望感の中、艦内の自殺率は悪化の一途を辿るが、もう為す術もない。宇宙の放射能汚染により、益々絶命者が増え、こうなると生存している事自体が表彰されるようなおかしな現状が起こる。それは静かな死への旅路として粛々と石棺化される船艦の何とも言えないカタストロフを見事に演出されていて、この無常観をどう表現すればよいか、深い深い悲しみに打ち拉がれる。そして、表題の年数に於いて、こと座付近の地球によく似た惑星に辿り着くこの船艦(しかしもう艦内には誰も生きてもせず、骨さえも残っていない)は余りにも皮肉めいた結論を叩き出して静かなエンディングを迎える。こんな年数まで宇宙船が外見をそれ程破壊されてもせずに存在するのかのツッコミは、今作品に於いてはそこが分水嶺かもしれない。さもありなんと思えるならば、この悠久の時間を一緒に旅が出来た事に万感の思いを抱くことが出来るだろう。あり得ないと思うのならば、今作品のラストで今までのストーリーが無に帰すことになってしまう。
素直な自分は間違いなく前者であるwとにかくこの圧倒的な時間経過や無常観、仏教観に親和性を感じる世界観にノックアウトさせられた作品であった。果て無き希望と失望の繰り返し、しかしその終焉が“糠喜び”の祭の後に訪れる本当の希望だった時の仏の掌で踊らされ続けた孫悟空に思いを馳せる、そんな荘厳で圧倒的な展開である。
地球上の現在の科学力で製造可能な金属非鉄金属は、一番耐久性があって高価なチタン合金がほぼ永久的に使えますので、何らかの方法で溶けて消滅しない限り、その製造された形のままです。金属非鉄金属は大気圏内は湿気が存在するので徐々に朽ち始めますが、現在は生産出来る国の技術力と種類によって耐用年数が違います。
例えて言うなら、日本製の鋼板のSM材は海岸付近に裸で置いても半世紀は錆が出ません。中国や南朝鮮製は、数年で穴開きます。
で、映画内容での時代設定は更に時代が進んでますので、人が乗ってようが滅びてようが、システムが稼働し続ける限り、そのまんまじゃないかと思われます。現代の大気圏内外のあらゆる艦船には慣性等一通りの防御用又は進路用コンピュータ搭載だから、物理学の法則通りに進み続けるかと思います。
樹木希林様
コメントありがとうございます。
そして大変恐縮しております。
今現在、映画は観る事が出来ません。仕事の関係で一切その時間が失われてしまいました。
そして思うことは、『映画』というのものは本当に贅沢な概念なのだなぁとことです
観れば感想を思い浮かべます。勿論、それを文章化するのは自由です。でもその気持を書き留めて置きたい、しかも出来れば文学的に綺麗に・・・・ なんて見栄も張ってしまうのも、人間的なのではないでしょうかw
私は本当に”馬鹿”なので、包み隠さずその薄っぺらさを披露することで笑われておるだろうと思っております。それでいいと思います。
是非とも貴殿はご自身の感想を躊躇なくご披露下さい。ご期待申し上げます。