「「解釈」という単語を免罪符にした作品」新解釈・三國志 はせさんの映画レビュー(感想・評価)
「解釈」という単語を免罪符にした作品
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そのまま、福田雄一節全開の三国志って感じだったけど期待外れだった。
役者がその場で生み出すエネルギーを爆発させて面白くさせるという作風だが、本作に至っては完全に滑ってる。
なぜ滑っているか。
「歴史の解釈」というワードだけでは済まない程に、本作では脚本を円滑に進行させる為に歴史が都合よく捻じ曲げられている事による圧倒的なリアリズムを感じてしまうことに尽きる。
解釈というものはいくつかの実際の事柄や結果などをもとに、過程を考えるものであり、エンターテインメントを作る上で欠かせない要素である。
実際の事柄や結果が一風変わった「新解釈」とやらを表現するために有り得ない状態になってしまっていることですべてが破綻してしまった。
最悪だったのはまだ劉備陣営にいないはずの趙雲が街でナンパした貂蝉を連れてくるくだりは心の底から要らなかった。そもそも趙雲はあの時点で劉備軍にいない。
三国志を作品とするのであれば、せめて史実か演義に寄せて欲しかった。
仮にも歴史学者という現代のメタ的な要素まで使って新解釈を発表する上で100%間違えている内容が「ひょっとしたらこういう歴史だったのかもね」と描かれていることが最初から最後まで喉の奥に引っかかった魚の骨のごとく脳裏によぎってしまった。
役者の演技や会話のテンポも福田雄一作品らしくて良かったし、戦のシーンやアクション、小道具などの舞台装置や世界観・背景の作り込みも良かっただけにとても残念だった。
おバカな三国志作品としては、(こちらはこちらで各所でボロクソ叩かれているが)香港の実写版三國無双のほうが随分と楽しめた。
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