静かな雨のレビュー・感想・評価
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マグカップ
何度かあるコーヒーを飲むシーンで何か違和感を感じたのだが、その違和感は日によって2人の使うマグカップが入れ替わっているというところだと気づいた。冒頭のシーンではゆきは緑のカップだったが、初めてこよみとコーヒを飲む時は白のカップだった。ここが妙に引っかかる。普通は普段使ってる緑を使うよね?それに次のシーンではゆきは緑のマグカップを使っている。どういう意味があるのかすごく気になった。
寒さが伝わる映画
この映画には冬がぴったり。食べ物、景色、物語。腸が記憶を宿すとは面白い。そうだったらほんといい話。ユキの生い立ちや素性が最後まで明かされないのはわざとかな。もうちょっと知りたかったけど。あんなに自分のことを語らないのはなぜ。
心地いいリズムの映画
全編、効果音的な音が掛かっていて、淡々と進む映画。
説明的なセリフもなく、淡々と進むけど役者が上手いのでずっと観てられる。
ちょうど「50回目のファーストキス」を観た後だったので同じネタに驚き。
雨の日の夜にちょっとは距離近づいたけど、連れ込まれたの私?みたいな感情をあの顔で表すの凄いよね。あと、その朝のやりとりの中で二人の本質的なやさしい感じが特に良かった。
西武源田おめでとう‼️良い感じの彼女ですね‼️
よくある記憶喪失ものです。
一日限りなら、本人が苦しみそうなものですが、私なら死ぬほどの恐怖。
淡々と進みます、記憶障害も、あまり気になりません、辻褄が合わないのも。
ヒロインの存在感が半端なくすごいです、初めて観た人ですが。
それだけで観る価値有りです、ありがとうございました😊😭
こういう話好きだよねーーーーーーーーーーーー というのが第一印象。...
こういう話好きだよねーーーーーーーーーーーー
というのが第一印象。
映画だ、エンタメだ、架空なんだ、と思いつつも、覚えていることと忘れることが都合良すぎないか?というのが全編観た感想。
片足の不自由な青年と事故で新しい記憶が一日で消えてしまう女性。 淡...
片足の不自由な青年と事故で新しい記憶が一日で消えてしまう女性。
淡々と物語は進むが、青年は毎朝同じ会話を繰り返すことが段々と面倒になってきたか、そして女性の元カレが登場したことにより、青年の嫉妬心が膨れ上がり、心無い言葉を女性に吐いてしまう。
ただ、女性の方はそんなことも一日で忘れてしまうのでまた元の生活に戻れる。
終わり方も爽やかでよかった。
静かなラブストーリー
主人公(仲野太賀)は大学の研究員で、障害により足を引きずっている。
屋台でたい焼きを売っている女性(衛藤美彩)と知り合うが、彼女は交通事故に遭い、記憶が一日だけになってしまう。
意気込みだけでは長続きせず、喧嘩を繰り返すことに。
とても静かなラブストーリーです。
なんか切ないです!
原作未読、仲野大賀さんは大注目、大躍進中の俳優さんですが衛藤さんは全くノーマーク。この作品で初めてお目にかかりました。乃木坂出身なんですね?!卒業後はアナウンサーになられたり女優さんになられたり人材豊富ですね!
全体に流れるゆったりまったりした雰囲気、好き嫌いははっきり分かれそうですが私は好きです。たい焼きの美味しそうな『あんこ』をみて映画『あん』を思い出しましたが…そういえば河瀨直美監督出てましたね~狙ったんでしょうか?! でもこうした映画は日本人にしか理解できそうにない気がします!
ただやっぱり仲野大賀さんは決してカッコよくないけど色々な役柄を演じられるとってもいい役者さんですね。一世風靡出身『愛という名のもとに』はじめトレンディドラマ(死語?)にちょくちょく出てたあの『チョロ』(中野英雄さん)のご子息であることは有名ですが、杏さんが渡辺謙さんの娘であること同様二世タレントの域をすっかり抜け出てますね。
最近では『桑田真澄』さんは『Matt』のお父さんの認識でしょうし、『宮沢氷魚』さんのお父さんが『島唄』歌ってたこともあとから知った子たちが多いんでしょうね~
全然関係ありませんが『積水ハウス』のCMソングも八代亜紀さんがオリジナルと思われてるんじゃないかと心配しています。(何の心配??)
映画のことに戻りますが、ユキさんはなぜ足に障害があるのか、こよみは以前パチプロだったのか、なぜ駐車場の片隅でたい焼きを焼いてるのか、(ここ『あん』に繋がりますね)萩原聖人とは歳離れ過ぎじゃない?、でんでんのお父さんの60年分の日記のくだりなども伏線を残したまま、それぞれ観た人の想像にまかせますよ的な感じが嫌いじゃないです。
静かで淡々と続くいかにもミニシアター系
いかにもミニシアター系
実際地元ではイオンシネマではなくフォーラム系で上映
映画館で観れなかった
人によっては眠くなるかもしれない
充分に睡眠をとってから鑑賞するべし
ビビさんは毎度のことながら例外に漏れずこれも評価が低い
具体的になにがダメかさっぱりわからないがそれほど悪くもない
好きでもないのに仙台でも上映されないようなミニシアター系の映画を片っ端から大量に観る変な人
そのほとんどが極端に短いかレビュー無し
仙台よりいろんな映画が観れる環境に関しては羨ましい限りだが引っ越すつもりはない
原作未読
原作は宮下奈都のデビュー作
山崎賢人主演鈴木亮介上白石姉妹などが出演し映画化された『羊と鋼の森』の宮下奈都
主演は最近なぜか引っ張りだこの印象がある仲野太賀
若手女優でいえば伊藤沙莉
父親は俳優中野英雄
自分はフジの連ドラ『愛という名のもとに』で首吊りの印象しかない
父にはそれほど力がありそうにないので100%彼の実力であり彼の魅力だろう
『今日から俺は!!』でいちばん印象に残ったのがW主演やWヒロインではなく彼だから
仲野太賀が今回演じたのは生まれつき左足に障害がありつねに靴を引きずって歩いている行介という男
大学で講師をしているのだろうか考古学研究助手
障害とはいえ雑音が鬱陶しい
現代医学でなんとかならないのか
靴がかわいそう
W主演のもう1人は元乃木坂で今回映画初出演らしい衛藤美彩
埼玉西武ライオンズのショート源田選手の嫁である
プロ野球ニュースのMCと選手という関係でビビっときたんだろうすぐに意気投合
この映画と一緒なのかな
今回彼女が演じたのは1人でたい焼屋を営んでいるこよみという役
交通事故で脳に障害を負ってしまい記憶力が極端に悪くなってしまう
だから同じようなやりとりの繰り返しになりがち
ホラー映画では定番の事故のシーンがない
鯛焼き屋の店主と客という関係ですぐに仲良くなってしまう
度胸があるのか無頓着なのか
心にバリアがないのだろう
羨ましい
話そのものが地味だし役者さんたちもどちらかといえば地味
BGMも地味
若い男女が一緒に暮らすならやること決まっているだろと思う人もいるだろうがそういうシーンはない
およげ!たいやきくんから半世紀近く経つが今となっては鯛焼き屋とか地味な商売
本編が終わらないうちにエンドロールが流れそれが終わると同時に本編終了
文豪夏目漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したらしいがそんな感じの世界観
昆布で出汁を取る国の映画です
ここユキさんち?雨、あがったんだね。
中川龍太郎監督の映画には、いつも慎み深い若者が出てくる。それは、遠慮なのか、卑屈なのか、諦めなのか、どこか精気の薄い印象から始まる。そしていつもそれとは異質の他者に触発されて、歩みだす。けして派手ではない。他人からしたらたいした進歩もみえないようなこともある。だけど、本人の内面は格段に成長を遂げている。心が豊かに。その静かな過程を見届けているこちら側の心を、たっぷりと温かな水で満たしてくれるように。
中川監督は、”過ぎる”演出はしない。そこは観客が自分の世界を作り上げるところ。だから、なぜ行助が足を患っているのか、こよみが鯛焼き屋を営んでいるのか、は不要。そのおかげで劇中の気づきのたびに、はっとする。時には胸が苦しくなるのだ。
まだ知り合ったばかりの行助が階段の下でサヨナラをしたのは、その足のせいだったのだろうか。僕はそこに彼の自尊心を見た。この人には蔑まれたくないという虚栄を。そしてそのとき、静かに雨が降り出したのだ。そこがうまいんだよなあ(ここは原作と描写が異なっていた。個人的には映画のほうが好み)。これで、毎朝聞いてくるこよみの問いかけが活きてくる。切なく、狂おしく。おまけに母親の「ああいい天気やなあ。何があっても、晴れるんやなあ。」までも脳でリフレインされて、餡子に足した絶妙な塩味のようになっているし。じゃなけりゃ、フライパンにポタっと落とした二つ目の卵で泣けるか?って思う。そして僕だったら、行助のように、また、いちから繰り返される日常に耐えられるのか?って自分に問いかけている。
”シーシュポスの岩”のような日常を受け入れていた行助。昔の恋人は忘れることがないのに、自分との思い出は毎日リセットされる苦痛が彼を襲う。それは屈辱でもある。だからあれほど感情をあらわにしたのだ。苦労を嫌がったのではなく、こよみの世界の中に自分が存在しない虚無感が、彼の心を荒らしたのだ。そこで目にしたブロッコリのメモが、リスの貯食行動とリンクされる。それはこよみの、行助の嗜好を忘れまいとする努力と、それが成さない無力。行助でなくたって胸が苦しくなってくる。それと同時に、隠し味のザリガニの話も老人の日記の話も、一緒に頭の中で煮込まれていく。そこに、ドローンでバーンと住宅街の向こうに現れる朝焼けだ。それはまるで、未知でまだほの暗い二人の未来。スクリーンに圧倒されて、眼を見開き、画面をも吸い込んでしまうかのように、大きく口を開けて息を呑んでしまった。落ち着いた僕は、大丈夫、二人の世界は同じじゃなくても、しっかりとお互いの世界にお互いは存在しているよ、と声を掛けたい気分だった。
帰り道、原作本と立原正秋『冬の旅』をさっそくポチり、スーパーで小豆とザラメ糖を買った。
静かなラブストーリー
緊急事態宣言解除により4月4日以来、41日振りに劇場鑑賞しました。
静かに淡々と進むせつないラブストーリーですが、メリハリがなく見せ場も特にないため途中で飽きてしまい眠気に襲われた。美味しそうなたい焼きが一番印象的でたい焼きが食べたくなった。
2020-71
【静やかな日常の中の”不連続性”を優しい視点で描いた品性ある作品。】
・こよみは、毎朝起きると不安そうな顔で戸を開け、
”ここ、ゆき君の家?。・・・雨上がったね・・。”と、呟く。
・行助は四角に並べたベーコンの真ん中に卵を落とす、特製ベーコンエッグを作りながら、明るい声で、”おはよう・・。”と返し、同じ話をする。(但し、劇中では冒頭しか描かれない・・・。)・・良い。
・こよみも、行助と出会った時から、彼が足を引き摺って歩く理由を聞かない。
・二人を結びつけたのは、こよみが”一個焼きの鯛焼き器”で丁寧に焼く、熱々の少し焦げのある、鯛焼き。
美味そうである。
・出会った当初、こよみが行助に語ったリスボンという名の栗鼠の話。
・そして、行助が苦手なブロッコリーが頻繁に夕食に出る。作るのは、こよみ(ブロッコリー好き)。
・行助がこよみの”昔の知りあい”に会った晩の夕餉に出されたポトフにもブロッコリーが浮かんでいる。
つい、声を荒げてしまう行助。戸惑い、哀しい目をして、家を飛び出すこよみ。
・行助が室内のあちこちで見つけた紙片に書かれていたこよみの”文字”・・。思い出す、”リスボン”の話。
ー この件で、切なさがぐんぐんと込み上げて来てしまう・・。 ー
・職を失い、カップ酒を煽り、虚ろな目をして公園のベンチに座るサラリーマンの姿。
・行助の担当教授の”知り合い”の老人が60年綴ってきた日記をある日、突然燃やすが、その後、何もなかったかのように、書き出す話。
◆薄ぼんやりとした朝日の光が川岸に座る、こよみと行助を照らすシーンが暗示することは何か・・。
そして、常に二人を照らす、下弦になりかけの月が語る事は何か・・。
<何気ない日常には多くの不連続な出来事が密やかに起きている・・。その事実を優しい視線で描いた作品。>
ー 衛藤美彩さんは、今作で初めて拝見したが、身に纏う品性の良さと、きりっとした眼差しと横顔の美しさに魅入られた女優さんであった。
又、どこかの劇場で出会いたい女優さんである。 ー
静かに流れる時空間
何の前情報もなく、ただ仲野太賀が出ているから観に行った作品。
皆さんも同じように仰ってますが、『50回目のファーストキス』と同じテーマか…と、でも、福田監督のようなコメディまじりのシリアスタッチではないので、ニコニコと明るい感じではない。日々淡々と時間が流れ、同じ毎日が繰り返される。
毎日、毎朝、こよみの病気で昨日の記憶がなくなり、同じ会話が繰り返され、それを必死に乗り越えていく、情熱的な愛の物語と言いたいとこだが、行助からのこよみに対しての好意は感じられるのだが、こよみから行助への気持ちはブロッコリー嫌いの付箋からだけしか感じられない。たい焼き屋にいる時も、家にいる時も淡々とした口調のせいなのか、元カレに対しても以前は恋人同士だったという感じが伝わらない。これは、演技の問題なのか、病気のせいなのか…
障がいを背負っている2人だからこそ、お互いを労り、思いやりを持って過ごしていけるのかもしれない。少しずつでも、この先2人の気持ちを育んでいけることをそっと願ってしまった。
私が1番好きなのは太賀が食べる姿、料理をする姿、本当に美味しそうにがっつり食べるし、台所が似合うんです。
そして、とにかくたい焼きをどうしても食べたくなります。
中川監督の新作に期待して
「わたしは光をにぎっている」「四月の永い夢」にみる中川監督の繊細さが、原作のある作品をどう描くのか 本屋大賞受賞作の著者の作品であるし、とても期待をしていました
主人公の女性は頭部外傷に伴う障害の残る症状である高次脳機能障害の中で、最近の記憶が損なわれる後遺症を持っている いわゆる高齢者の認知症と異なって本人に「忘れる」という自覚がしっかりとあるので、「忘れる」自分と向き合うことがとても苦しい 何と
か忘れないでおこうと「ブロッコリーが嫌い」というメモをノートに壁に、額の裏に貼りまくっていた場面は、この症状を自分で何とか克服したいというこよみの思いに他ならない
が、そういった障碍をわかっていても受け止めきれず、行助のように爆発させてしまうことはたくさんあるのだろう 行助も足に障碍があるが、自らの不得意さ、欠点、短所があることを自覚していても、パートナーや相手のそれを受け止めていくことの難しさ 時に嫉妬や自分の知らない相手の過去に苦しみながらも、こよみと一緒に生きていくことに期待を持たせるラストでした 大賀さんは葛藤に苦しむ役がとてもあっていますし、三浦透子さんもいい存在感でした(2月11日 MOVIX堺 にて鑑賞)
静かな雨でも、地は固まる。
無性に落ち着いた邦画を観たい気分になったので、気になっていた本作を急遽鑑賞。
片足が不自由な青年が、たい焼き屋を営む女性の元に通う内に親しくなるものの、その女性が事故に遭い新しい記憶が1日しか持たなくなってしまう物語。
事故に遭う前から、お互いの事を良く思っていたのが幸いし、同じ朝が始まってもパニックになることはない。
それでも、毎朝同じ事をいう彼女と、それに応える彼。喧嘩をしても、どんなに良い話をしても、また明日には全く忘れてしまう。…やりきれないですねぇ。。
劇中に出てくる何気ない良い話が後半になるといろいろ回収されていく様も良かったし、こうなってしまった彼女が、彼のために健気にできることをやろうとしていた姿には感動してしまった。その他、電話を待っているときのピアノのBGMとか、ホント、しんしんと降り続く雨を表現していてとても心地よかった。
終始哀し気なテンションで進行していき、起伏もないのだが、そんななかにあるささやかな幸せだとか暖かさのようなものをじんわりと感じることのできる良作だった。
記憶
昔、僕の友人が、レクレーション中に、誤って頭を強く打って、その前の二日くらいの記憶が無くなったことがある。
どうやってそこに行ったのか、誰とそこに行ったのか。
消失してしまったのだ。
その時、記憶のメカニズムについて少し本を読んだ。
短期記憶が、海馬を経て、大脳皮質にたどり着き、長い長い記憶になるのだ。
僕の友人は、頭を強く打って、海馬にたどり着く前に、記憶の電子が脳から放電してしまったのだ。
それだけでも、僕にとっては衝撃だったが、この映画のストーリーはなんか胸が締め付けられる。
行助とこよみの純愛の行末に不安を感じてしまったからだろうか。
この作品では、行助も、こよみも含めて登場人物の背景はほぼ語られない。
こよみの記憶に沿っているのだ。
人は人の何を好きになるのだろうか。
今だろうか。
過去だろうか。
人そのものだろうか。
取り巻くものだろうか。
行助やこよみに自分自身のことを重ねて切なくなる。
それに、ちょっと寓話のような感覚にも包まれる。
ただ、最近、認知症の初期症状が出た母親のことを思い出し、これは、こよみのような感じではないのかと、ふと思い、更に切なくなる。
短期記憶を司る脳の領域の血流が悪くなってしまったのだ。
でも、記憶って、脳だけではないような気もする。
映画でも腸の話は出てくるが、自分の手も勝手にキーボードの上を動いてるように感じることがある。
猫背を直そうと、一定の姿勢でウォーキングを繰り返したら、数年後にはそれじゃないと歩きづらくなった。
当然、猫背も直った。
まあ、こじつけであることは指摘されるまでもなく分かっているつもりだが、そう思って、行助とこよみには生きていってほしい気がするのだ。
きっと、60冊もの日記より重要なものがあるように思うのは僕だけではないだろう。
前向きだったら、背景なんて、大きな問題じゃない気がするのだ。
☆☆☆★★★ 『50回目のファースト・キス』&『博士の愛した数式』...
☆☆☆★★★
『50回目のファースト・キス』&『博士の愛した数式』
原作読了済み。簡単に。
原作は100頁強と短編に近い作品で。しかもエモーショナルな場面がまるでなく、僅かに事故に遭う場面ぐらい。それだけに、「これは映画には向いていないのでは…」と思っていた。
短い内容だけに。映画化にあたって、(何で仲野に改名したのかなあ?)太賀の勤め先の様子を入れ。でんでん演じる教授の父親に纏わる《記憶》の話を追加していた。
原作だと、こよみが語る《リスボン》の話による《記憶》に関する話だけだったので。この2つの話と。2人の同居生活が始まり。毎朝繰り返される挨拶によって。より《記憶》に対する意識付けを観客側にもたらす。
もう1つ、原作との大きな違いとして。こよみの過去の彼氏の存在。更には、飲めない酒を飲む村上淳の話等を入れていた。
映画は全体的に暗い場面がやや多く。この監督らしい光の描写は、今ひとつと言ったところではあるのですが。何よりも対象となる2人を中心として捉える、画面の静謐さであったり。余白を活かした台詞の間であったり。
それらの1つ1つの場面に被さっていて、2人を静かに見守っているかな様に、リリカルに奏でられるピアノの旋律が、胸の奥に静かに染み渡って来る思いでした。
こうなると、中川監督の次回作にも大いに期待をしてしまいます。
ところで、これも原作にはなかったと思う人物で河瀬直美が登場。観ていて(お母さん役?)嫌〜な人物を、まるで【素】の様に演じていた。
案外とこの先に需要があるんじゃないの?監督した作品なんかを観ても、根っからの嫌味な人の様に思えるし(u_u)
ラストはもう1つと言ったところ。
ここはやはり、原作にあった〝行さんはブロッコリーが嫌い〟を太賀自身で剥がす場面が欲しかったかなあ〜(´-`)
ちなみに、原作には記憶が直ぐになくなってしまう人の小説の話があった筈で。原作自体が『50回目の…』と、『博士の…』にインスパイアされて書かれたモノなのではないか?…と思ってはいるのですが果たして。
2020年2月10日 シネマート新宿/スクリーン1
全26件中、1~20件目を表示