劇場公開日 2020年10月23日

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「多くのキャラクターに寄り添える作りが見事」朝が来る つとみさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5多くのキャラクターに寄り添える作りが見事

2023年11月21日
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鑑賞方法:VOD

大きく時間軸をずらしているところと小さくずらしているところを織り交ぜ、一本道で変化のないドラマをサスペンスかミステリーのように仕上げている構成は面白い。
結果が先にあって、どうしてそうなったのかを見せる。片倉家に朝斗がいるところから始まる。片倉家に母親を名乗る人物が訪ねてくるところから始まる。大きな2つのずらしとその中に小さなずらしが挟まり、困惑することなく緊張感だけが高まる。
内容だけでなく物語構成でも娯楽性を生み出せているところはいい。実に刺激的だった。

監督の仕事の一つは誰の視点で撮るかを決めることだ。登場人物の誰かの視点。神の視点。誰でもない視点。例えばスピルバーグ監督は常に「私の視点」と言っている。これらを駆使して物語に厚みを持たせたりするわけだ。
多くの場合は、主人公の視点、あるいは主人公を見る視点が多い。スピルバーグ監督の場合は主人公を見るスピルバーグの視点ということになる。

前半を片倉夫妻の物語に、後半を朝斗の生みの親であるひかりの物語にしている構成。つまり前後半で主人公が変わっている。
注目すべきキャラクターが代わるということは、それだけ一人のキャラクターに寄り添える尺が短くなる。そうなるとその人物のことを理解するのが難しくなる。

スピルバーグ監督のある作品で、注目すべきキャラクターが変わり3部構成のようになっているものがある。
その作品の内容はいいものの観ているコチラがキャラクターに寄り添えずあまり良くなかった。平たく言えばエモーションがないのだ。
常に自分の視点で撮影するスピルバーグ監督はバラける主人公を捉えきれなかった。

その点本作の河瀨直美監督は実に上手くこなしてみせた。
途中ドキュメンタリータッチになるところがあるが、あれは登場人物の一人であるひかりが撮影していた場面と思われる。浅田美代子演じる浅見静恵が「撮るの?」と問う場面があったと思うのでひかりが過ごした間に撮影していたのだろう。
ひかりが見ているものと同じものを私たちが見ることで自然と気持ちがひかりに寄り添っていく。擬似的な同じ体験は、彼女が抱える想い、これから抱える想いに対する理解を深める。
これら地道な積み重ねによって、エンドロール後の朝斗の言葉があざとすぎたとしてもズドンと響いてしまうのだ。

最後にもう一つ。
子に対するスタンスをなるべく多く描いたのは好感が持てる。
子どもを産んだ人、産めない人。愛したい人、愛せない人。育てたい人、育てたくない人。
これが絶対の正義であるかのような一つに絞った押し付けではなかったのはいい。
結果として片倉夫妻とひかりが際立ったようにも思える。

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つとみ