鉄道運転士の花束のレビュー・感想・評価
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期待を外しまくり…
セルビア=クロアチア共同制作の作品。両国とも、政情が不安定であるため作品自体が、ブラックユーモアで笑えない作品だと思いきや一寸ユーモア色の濃い作品であった。イリヤが、列車運転士として轢き殺してしまった人間のため、運転席に花束を供えて運転している。評論家の解説にあったが、愛犬コロを同乗させていた場面しか記憶しかない。作品の題名(邦題)から察するにそうなのだろう。自宅には沢山の花を植え、やけに水を吹きかけている場面はあったが。しかし、ラスト彼に養子として育てられたシーマは、女性を同乗させていた。原題は、どうかわからないが、宣伝用のチラシを見る限り、感動物と思っていたが、個人的に180度騙された感が強い。この作品を真面目に捉えれば、人間を轢いた数で、その運転士の成長・技量を推し量るのはどうだろうかと思ってしまう。最後、シーマの運転する列車に、あえてイリヤが身を徹して線路に寝て待つ場面は、リューバのカットスマッシュで笑うしかなかった。邦題と作品の内容の陳腐さに感動した。
4代で締めまして75人!? なんのこっちゃ ???
この映画の始まりは、ディーゼル機関車の運転席を真正面からとらえた映像で、そこには、この映画の主人公である運転手のイリアと彼の相棒、チャイニーズ・クレステッド・ドッグの愛犬ロッコが列車の多少の揺れにはお構いなしに座布団に鎮座している。それと同時にイリアがある一室で男女2人の若い精神分析医の質問を受けている。昨日起こった緊急事態について(ここでは人身事故とは精神分析医は言っていない。)イリアが今後、職務に復帰できるかを判断するために彼らの質問を受けながら、昨日の場面を振り返る.........?
イリアは、重大な事故を起こしてもなぜか冷静に普段のように話している口調で事故後の被害者の身体がどのようにグッチャ・グッチャになったかを詳細に話すもんだからプロの精神分析医のはずなのに気分を悪くしてしまう。それに付け加えバックミラーに引っかかった首が !!!
Whenever the train trips,
it winks at you.
なんてダメ出しをするものだから、男性のほうが、とてもすぐれなくなりイリアが介抱し薬まであげちゃっている。
10歳の男の子、養護施設にいるシーマ。ある男から現実を突きつけられ、失望した挙句、施設を飛び出してしまい、鉄橋の線路を一人歩いている。そこをイリアの運転する列車が近づき、危うく十数人目かの犠牲者になるところだったシーマをイリアは彼を家に連れ帰り、落ち着かせるために「これを食え!」と言って料理を出す。話を聞くとシーマは自殺しようとしていたとイリアに話す。
シナリオとしては、シーマが施設にいるシーンで何故かあるものをわざわざ映していたのか少し疑問に思っていると、ア~ッ、そういうことかとわかる。大体、イリアが住んでいる場所が列車の車庫でしかも家と言えば客車を改造したものだなんてありえない。向かいに気のいいディゼル夫婦も線路を挟んで住んでいる。この映画をどういう映画なのかということを考えるのをやめたとき、なぜかシナリオが入りやすくなる。あらかじめ断っておきますよファンの皆さん!ケチをつけるわけではないが、以前観た村上龍原作の映画「ピアッシング(2018)」や「世界の涯ての鼓動(2017)」などお手上げで、自分の脳みそが"ウニ"状態になって楽しめないシリアスなバカバカしいものに比べるとこの映画はシチュエーションや背景、またモラルや常識というものにこだわらずに観ることが出きれば、正解が見えてくるといえる。大体十数人もの人身事故をしていてまだ運転手しているなんて、口あんぐり。そして、いつの間にかシーマがイリアの息子になっていた。え~ッ?
100キロ近く出ている列車から飛び降りて死なないなんて物理的にもおかしいし、イリアの恋人?のダニカが昔のままの姿で帰ってきて、今一緒なんだとマザマザというあたり、見ている自分も近所のディゼル夫婦も一緒になって気になってしようがなくなる。
あれほどシーマが機関車の運転手になるのを反対していたイリアだったが、シーマが人身事故をするのではないかと苦しんでいると「シーマはいっぺん人を引かないといけないな。」どういう意味?そんなこんなでイリヤが死にたい人を見つけるなんて発想はいったいどこから出てくるのか、不思議。しかし機関士仲間はみんな一人や二人引いちゃっている。なんぞやセルビア。そして鉄橋に行くとある男が立っていた。そして、こんなことを言い始める。この男の人、気味悪い。
Kiss me.
-What!?
Kiss me and I'll throw myself under his train.
And keep the hundred euros!
-I've never kissed a man.
さあ~ッ、イリアはシーマのためにこの謎の男とキスをするのか!?
以前からイリアに何かしらと好意を抱いていたおばちゃん、失礼、お姉さまヤゴダさんが「ボーナスが出たら旅行に行きたいわ♡」なんて誘われていたが、ヤゴダさんの思いが通じたのかラスト2人して列車のコンパートメントにお座りになっていると思っていると先ほどのディゼル夫婦もくっついてきてしまっている。その時、ヤゴダさんが、ある事を心配してイリアに尋ねる。
Where's Danica?
-Danica died 25 years ago! ア~ッレー?イリアさん、マ・ト・モ。
ディゼルさんが列車のレストランに飲みに誘うと劇中、さんざんワインを飲んでいた人が
A glass of rose' wine, if they have some?
-I don't drink.
その隣で聞いていたお姉さまヤゴダさんがポッカ~ッンとして、あたかも映画「卒業(1968)」のキャサリン・ロスを彷彿としたようなといえば言いすぎか?
列車事故というものを背景にしたコメディなんて笑えないと最初は思っていたが、この映画がセルビアが作ったものと知れば、今は平和になっていて、その事を謳歌し、内戦で多くの方がお亡くなりになっているのにもかかわらず"死"を題材にもできる環境という事と思えば、自ずと理解することが出きるものとなっている。
脇役の女性の方々は演技達者な方達で主演のイリヤ役のラザル・リストフスキーを支える形でディゼル夫人にはヤスナ・ジュリチッチ、イリヤに首ったけの婦人にはミリャナ・カラノヴィッチ、そして彼の昔の恋人ダニカをニナ・ヤンコヴィッチが演じていたが、ダニカ役のニナ・ヤンコヴィッチのいわゆるターコイズ色の瞳が映画「ウエストサイドストーリー(1961)」のマリヤ役を演じていたナタリー・ウッド(瞳はブラウン?)を思い出させてくれるようなオーソドックスな美形な方と言う事ができる。
最後は、軽い落ちで締めくくられている。映画全体が嫌みを微塵にも感じさせない心地よさが目立つ映画と言える。
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