「PTSDから解放されていく父親と、弱さゆえにその父親の生き甲斐になっていた息子シーマの物語」鉄道運転士の花束 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
PTSDから解放されていく父親と、弱さゆえにその父親の生き甲斐になっていた息子シーマの物語
ギャクとブラックユーモアの、機関車 重連チャンなのだが、
お父さんが息子を、こんなにも不器用に愛している様には、不覚にもじんわりと来てしまうんだなぁ。
子供のいなかったイリヤが、だんだんと父親になっていく姿が、たまらなく愛おしいのだ!
「もっと、あんなふうに息子を愛せれば良かった」
「もっともっと、愚直に息子の味方になってやれば良かった・・」って
自分の足りなさを振り返る父親たちは、きっといるだろう。
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【コミュニティの子育て】
心理カウンセラーのヤゴダさんが、父イリヤと息子シーマの両方を温かく見守り、
そして同じ機関区の運転士仲間が、家族のようにお互いの人生を支え合う・・
車輌基地の廃車車輌で暮らす人たちが、その本当に小さなコミュニティの中で 共に支え合い、共に生きているのです。
これは、口は悪いが人情にゃ厚い、「八っつぁん熊さんの、江戸落語の長屋」のスタイルだぜい!
俺は祖母を轢いたよ―というのは口から出任せかもしれないが、親友ディーゼルの17歳の息子を轢いてしまったというイリヤの一言は事実だったのだろう。
でも赦し、
でも赦され、
捨て子のシーマを機関庫の子供としてみんなで溺愛する。
「海の上のピアニスト」や
マルセリーノの「汚れなき悪戯」同様、親の無い子を育てる大人たちの物語は、どうしてこんなにも胸に沁みるのだろう。
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【編集カットが残念】
自殺願望者を何人も探して奔走するイリヤのエピソードは、(他サイトのレビューによれば劇場版ではもう少し尺があって、大切な部分であったらしいが)、DVD版では大方がカットされていたようでちょっと残念。
鉄橋の上に立つ男から「キスしてみろ」と迫られて、たじたじとなるイリヤ。
美しい妻ダニカを亡くして以来、数十年、男はおろか(※)新しい恋人にもイリヤはキスが出来ないのだ。
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【鉄ちゃん垂涎の鉄道もの】
「鉄道員」「地下鉄のザジ」、
そして
ジェーン・バーキン主演の鉄道映画
「彼女とTGV」など、《鉄道物の作品》を検索していたら、オススメで出てきたのが本作「鉄道運転士の花束」だったのでした。
珍しいセルビアの映画です。
セルビアにはあんな感じの人たちが住んでいて、笑いのツボとか、こういう映画が作られているのですね。
そしてこんなかたちで息子の自立と船出を助けてやるお父さんもいるのですねェ。
親の稼業を継ぐこと ―、それはどこの国でも昔から引き継がれてきた伝統です。
先輩から後輩へ、師匠から弟子へ、そして親から子や孫へ。
技や、知恵や、その業界のしきたり。
職場の空気や、大切な礼儀など、一緒に暮らす中で知らず知らずのうちに伝わっていく「良いもの」。
それが徒弟制。
ましてやその教える相手が最愛の息子であれば、
・幸せになってもらいたい
・苦労は少しでも避けさせてやりたい
・ピンチを脱出するための自分の経験も授けてやりたい
・一緒に苦しみたい
・出来ることなら苦しみを代わってやりたいのだ
・・こういう思いはまさに親心というものです。
「ヨレヨレのノイローゼ状態になって“アレ”を怖がるシーマのために、自分がひと肌脱ごう」と思ってしまう養父の論理の飛躍は、呆れてしまうのですが、
これが愛です。
Amazing Grace です。
捨て子を拾い、しょいこんでしまった新しい苦労が、隠退まえの年寄りのイリヤを新しく活かします。
「パパ!」と初めて呼ばれて抱きつかれて、やっと自分の事故のPTSDからも解き放たれたイリヤ。
― そういう傷付きやすい お父さん自身の物語なのでした。
お節介なキスシーンは最後までありませんでしたが、
けれど、やっと、イリヤがヤゴダの唇に触れたのであろうことは、車内のコンパートメントでの二人の雰囲気からわかります。
その日の運転は「我が子シーマ」という晴れがましいプレゼント付きなのでした。
機関車を運転しながら、冷や汗で錯乱していたシーマ。
曲がり角ごとに機関車を止めて藪の中を点検していた出来の悪いシーマ。
怖がりで、でも責任感の強かったシーマ。
出来の悪い子ほどこんなにも可愛い。
だから後悔もあるし、涙も笑いもある。
長屋には愛が満ちている。
映画ってホントにいいですね。
自分も、かくありたかったな。
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【おまけ情報※】
①シーマの卒業式で「我が家では男同士のキスは無しだ。それが伝統だ」って、息子を突き放すイリヤ。
でもセルビアユーゴスラビアを含む東欧では、男同士のキスの習慣がありますよね。
ソ連のブレジネフと東独のホーネッカーのキスは有名な写真ですし。
②そしてちなみに、我が長距離トラックの運転手業界では
「運転手はバツがついてようやく一人前さ」と言われています。家、帰れませんから。僕は年に10日ほどしか帰宅しませんでした。
父ちゃん運転手たちは、同じ運転手稼業になった息子に=バツイチになった息子に、「バツがついてようやく一人前なのさ」と、そう言って肩を叩いて慰めるんですよ。
コミュニティも仲間同士の支え合いも有ったものではない。全部崩壊です。
来年からは「2024年問題」で運転手の休息時間や帰宅確保が厳しく規定されます。
おはようございます。まさか、共感いただけるレビューと思っていなかったので、大変に嬉しいです。
しかし、レビューを書く時は名前と間柄を入れないと近親者に約束していまして、レビューを一箇所訂正しました、