鉄道運転士の花束のレビュー・感想・評価
全19件を表示
独特のブラックさと、ほのぼの系ハートウォーミングの谷間をゆく
大感動できたり、大笑いできたり、というわけでもないのだが、何だか妙に心をくすぐるものがある。それはひとえに、日本ならばブラックジョークの度合いが過ぎるとコンプラに引っかかりそうな内容が、このセルビア=ボスニア合作では実にユニークに味付けされて俎上に上がっているからだろうか。お国柄を感じさせる「笑える、笑えない」のラインには多少ヒヤヒヤ。でも決して人の生死を安易に持ち出しているわけでなく、映画の重要な柱として用いているので、嫌な後味が残ることはない。
これは少年の通過儀礼の物語だ。血は繋がってなくても、それ以上の絆で繋がった父と子がいる。初老の鉄道運転士は子どもに対して「恐れるな。きちんと前を見て、経験を重ねて、進んでいけ」と遺言にも近い意志を伝えようとする。かくも親から子へ「人生の踏み出し方」を伝授する意味では、レトリックはどうあれ、万国共通の普遍的なテーマとして受け取ることができた。
笑いと愛に満ちた作品
採点3.8
息子を一人前の運転士に仕立て上げたい父と、施設から逃げ出した死にたがりな少年との
鉄道運転士の避けられない部分にスポットを当てた作品。
轢いてないことが逆に苦しめる。
全体的にブラックユーモアに溢れた作りで、また音楽が実に良い。
何よりその視点が素晴らしかったですね。
段々と親子となる二人にも微笑ましかったです。
笑いと愛に満ちた作品でした。
PTSDから解放されていく父親と、弱さゆえにその父親の生き甲斐になっていた息子シーマの物語
ギャクとブラックユーモアの、機関車 重連チャンなのだが、
お父さんが息子を、こんなにも不器用に愛している様には、不覚にもじんわりと来てしまうんだなぁ。
子供のいなかったイリヤが、だんだんと父親になっていく姿が、たまらなく愛おしいのだ!
「もっと、あんなふうに息子を愛せれば良かった」
「もっともっと、愚直に息子の味方になってやれば良かった・・」って
自分の足りなさを振り返る父親たちは、きっといるだろう。
・・・・・・・・・・・・
【コミュニティの子育て】
心理カウンセラーのヤゴダさんが、父イリヤと息子シーマの両方を温かく見守り、
そして同じ機関区の運転士仲間が、家族のようにお互いの人生を支え合う・・
車輌基地の廃車車輌で暮らす人たちが、その本当に小さなコミュニティの中で 共に支え合い、共に生きているのです。
これは、口は悪いが人情にゃ厚い、「八っつぁん熊さんの、江戸落語の長屋」のスタイルだぜい!
俺は祖母を轢いたよ―というのは口から出任せかもしれないが、親友ディーゼルの17歳の息子を轢いてしまったというイリヤの一言は事実だったのだろう。
でも赦し、
でも赦され、
捨て子のシーマを機関庫の子供としてみんなで溺愛する。
「海の上のピアニスト」や
マルセリーノの「汚れなき悪戯」同様、親の無い子を育てる大人たちの物語は、どうしてこんなにも胸に沁みるのだろう。
・・・・・・・・・・・・・
【編集カットが残念】
自殺願望者を何人も探して奔走するイリヤのエピソードは、(他サイトのレビューによれば劇場版ではもう少し尺があって、大切な部分であったらしいが)、DVD版では大方がカットされていたようでちょっと残念。
鉄橋の上に立つ男から「キスしてみろ」と迫られて、たじたじとなるイリヤ。
美しい妻ダニカを亡くして以来、数十年、男はおろか(※)新しい恋人にもイリヤはキスが出来ないのだ。
・・・・・・・・・・・・
【鉄ちゃん垂涎の鉄道もの】
「鉄道員」「地下鉄のザジ」、
そして
ジェーン・バーキン主演の鉄道映画
「彼女とTGV」など、《鉄道物の作品》を検索していたら、オススメで出てきたのが本作「鉄道運転士の花束」だったのでした。
珍しいセルビアの映画です。
セルビアにはあんな感じの人たちが住んでいて、笑いのツボとか、こういう映画が作られているのですね。
そしてこんなかたちで息子の自立と船出を助けてやるお父さんもいるのですねェ。
親の稼業を継ぐこと ―、それはどこの国でも昔から引き継がれてきた伝統です。
先輩から後輩へ、師匠から弟子へ、そして親から子や孫へ。
技や、知恵や、その業界のしきたり。
職場の空気や、大切な礼儀など、一緒に暮らす中で知らず知らずのうちに伝わっていく「良いもの」。
それが徒弟制。
ましてやその教える相手が最愛の息子であれば、
・幸せになってもらいたい
・苦労は少しでも避けさせてやりたい
・ピンチを脱出するための自分の経験も授けてやりたい
・一緒に苦しみたい
・出来ることなら苦しみを代わってやりたいのだ
・・こういう思いはまさに親心というものです。
「ヨレヨレのノイローゼ状態になって“アレ”を怖がるシーマのために、自分がひと肌脱ごう」と思ってしまう養父の論理の飛躍は、呆れてしまうのですが、
これが愛です。
Amazing Grace です。
捨て子を拾い、しょいこんでしまった新しい苦労が、隠退まえの年寄りのイリヤを新しく活かします。
「パパ!」と初めて呼ばれて抱きつかれて、やっと自分の事故のPTSDからも解き放たれたイリヤ。
― そういう傷付きやすい お父さん自身の物語なのでした。
お節介なキスシーンは最後までありませんでしたが、
けれど、やっと、イリヤがヤゴダの唇に触れたのであろうことは、車内のコンパートメントでの二人の雰囲気からわかります。
その日の運転は「我が子シーマ」という晴れがましいプレゼント付きなのでした。
機関車を運転しながら、冷や汗で錯乱していたシーマ。
曲がり角ごとに機関車を止めて藪の中を点検していた出来の悪いシーマ。
怖がりで、でも責任感の強かったシーマ。
出来の悪い子ほどこんなにも可愛い。
だから後悔もあるし、涙も笑いもある。
長屋には愛が満ちている。
映画ってホントにいいですね。
自分も、かくありたかったな。
・・・・・・・・・・・・・
【おまけ情報※】
①シーマの卒業式で「我が家では男同士のキスは無しだ。それが伝統だ」って、息子を突き放すイリヤ。
でもセルビアユーゴスラビアを含む東欧では、男同士のキスの習慣がありますよね。
ソ連のブレジネフと東独のホーネッカーのキスは有名な写真ですし。
②そしてちなみに、我が長距離トラックの運転手業界では
「運転手はバツがついてようやく一人前さ」と言われています。家、帰れませんから。僕は年に10日ほどしか帰宅しませんでした。
父ちゃん運転手たちは、同じ運転手稼業になった息子に=バツイチになった息子に、「バツがついてようやく一人前なのさ」と、そう言って肩を叩いて慰めるんですよ。
コミュニティも仲間同士の支え合いも有ったものではない。全部崩壊です。
来年からは「2024年問題」で運転手の休息時間や帰宅確保が厳しく規定されます。
作り話じゃないよ!今は亡き我が親父は元運転士で、この話の通り
洒落た話で面白かった。
しかし!今は亡き我が親父は元運転士で、この話の通り。しかも、事故ばかりじゃなくて、自ら命を断つ方々が多かった。一日に二人の方々を天国に送った事もあったそうだ。だから、この主人公の様にノイローゼになった。それでやむなく電車の検査係に身を落としたと話していた。賃金が大幅に減ったのだ。だから、親父は『電車に身をなげる奴!』って怒っていたのを記憶する。以前の新聞は運転士に過ちがなくとも実名が載ったそうである。一週間に2回名前が載ったって話していた。それは兎も角、この話は面白い。僕は運転士ではないが、近親者が運転士になった。彼は幸い二人だけですんだ。
自ら天国に召されようとしている方々、気を確かにして、くれぐれも命を大切にしてもらいたい。
平和な時代にも人は殺されている
一介の鉄道運転士にしては刑事や軍人のように眼光の鋭い俳優。なんか見たことある人のような、、、
「アンダーグラウンド」のラザル・リストフスキーではないか。
平和な時代のセルビアでも人は死ぬ。いや、殺される。鉄道に。事故で死なせてしまった人数を自慢げに話す運転士仲間たちの描写に批判的な意見が多いが、これらの意見はすべて近代社会に生きる人間すべてに帰ってくるブーメランとなる。
鉄道に限らず、高速道路や航空機でも毎年のように死者が出ている。我々の社会は死者が出ることを前提としてこのようなインフラ整備に血税を注ぎ込み続け、むしろそれを発展や成長という誇るべき価値と認識しているのだ。
運転士になってまだ事故に遭っていない若者が、いずれ遭遇することになる事故と殺人におびえている姿は、近代社会に生きる者が、上の価値観に疑問を抱き人命の犠牲を畏れるとまともには生きてはいけないことの現れではなかろうか。
長い内戦で多くの死者を出したセルビアで、平和が訪れたあとでも人が殺され続けている。いや、我々の生きる世界そのものが、そのように絶えず人命を犠牲にして動き続けている皮肉。
主人公のシニカルなセリフの多くがこうした世界観から出ているものとして観ると実にすんなりと腑に落ちる映画となる。
しかし、車両基地らしきところで車両を改造した住居がなんとも魅力的だった。とくに図書室のようになっていた恋人の部屋。
線路は幸せを運んでくる、ごくたまに。
「俺は線路にいたガキを拾ってきただけだ」と言いながら、我が子以上の愛情でシーマを育てるイリヤ。これぞ東欧の映画と言わんばかりのシュールさが満載。
鉄道運転手は人を轢き殺してなんぼ、の価値観で生きる人々。確かに、避けきれない事故はあるだろうが、彼等の、電車が来るのに線路に入り込む方がわるいんだものしょうがないえじゃねえか、って開き直りが、なんだか誰かのために嫌な役回りを買って出てやっているんだって清々しさにすら感じてしまう。今の日本じゃ確実にコンプライアンスに引っかかり、メジャーで制作することなんてできないストーリー。だけど、そのなかに、不器用ながらも隣人を愛する人ばかりが出てくれば、これはもう子供にだって勧めたくなる。世の中悪いことばかりだけど、けして悪意ばかりではないよ。夢は大きくなくたっていい、誰かが幸せになるためならそれは素晴らしいことだよ、と。
ブラックなのにほのぼの
血のつながらない息子が「運転士になりたい!」っていう夢を叶えようとして、それで人間関係が変化してく話なのね。
「運転士とは人を轢くものだ」っていう定義になってて、そこを軸に物語が動くからブラックなんだよね。なのに、家族愛を中心としたほのぼのとした映画に観える。
そこが面白かったよ。
ダークで奇妙でハートフル
タイトルだけ見て、『ぽっぽや』みたいなハートフル映画かと思っていた。あらすじ確認してから見に行って良かった!危ない所だった。
強烈なブラックユーモア。運転士と轢死の話である。
冒頭からガツンと殴られる。主人公の老運転士が、轢殺事故後のカウンセリングを受ける。カウンセラーが気に食わない運転士は、殊更グロテスクに事故死体の様子を語る。反対にカウンセラーがパニック発作を起こし、主人公が介抱する羽目になる。外連味たっぷりに投げつけられる『死』と『殺人』の衝撃と、にも関わらず、専門家と患者の反転という滑稽な事態に誘われる苦笑。分類し辛い思考状態に追いやられ、あれあれ、これは胸糞悪いか面白がれるか、紙一重かも知れないぞ?と、少し身構える。
『死』と『殺人』は常につきまとう。運転士達はそれを笑いに紛らして心の傷と折り合いをつけ、職務をつづける。車庫に並んだ廃車両に住む隣人達。皆が互いの身内を轢き、轢かれているという異常事態。中盤加速度的に病んでいく登場人物。恐怖と不安、後悔と喪失の痛み。
ところが一方、人々の愛情は深く、逞しく豊かに人生を生き抜いている。気難しく頑固な老運転士の拾い子への愛情、孤児の少年の主人公への憧憬。家族のように集い思いやる隣人達、老いらくの恋心。
線路の上で出会った老運転士と少年は、最後に再び逆さ絵のように線路上で向き合い、円環は閉じらる。
数刻前までの不穏さを忘れ去ったかのように、暖かく寄り添い列車に揺られ、つかの間の休養に向かう人々。
…あれ?終わってみれば、思いの外ホッコリと悪くない気分に…?
切り口も、感触も、大変不思議な作品である。
ブラック極まりないネタなのに、あまり陰惨さはない。現実の容赦なさと併せ、人間の弱さ、強さ、哀しさ、いとおしさも描かれている。老人達は趣深く、お洒落で可愛く格好いい。極めて狭いコミュニティー内の話だが、1時間半とコンパクトに纏まっているのも丁度のボリュームだ。犬、ワイン、花、車両改造住宅…、小道具も効いている。
この映画のテーマとは何だろう。線路や列車は人生や宿命の比喩、避けられない困難も苦しみも、時には少しの幸せも、消化し折り合いをつけて人は生きるしかない。そんな表現なんだろうか。
ちょっと頭を捻ってみたりもしたけれど、今回はあまり論理的な答えを求めずに、あーあーと嘆息しながら、どこかホッと救われるような不思議な心持ちを、ただ味わっていたいと思った。
しかしながら、かように不謹慎なネタでもあり、台詞もシチュエーションも、ギリギリ紙一重、人によってはアウトな場合もあろう。受け止め方はピンキリかもしれない。
地雷回避は自己責任でどうぞよろしく。
めっちゃおもしろい!
評価は、好みも加味されて、大きく別れるだろう。
存在感を持てずに育った人間が強く生きていく?
成長ドラマ?強くなるって不条理を生きるってこと?
不条理を超えるには不条理に生きなければいけない?
変な世界を変わった描き方をしているという見方もできるけど、今生きている世界がこんなものという素直な見方もある。そう見れば、この作品は〜普通のブラックユーモアというより〜不条理作品の秀作のひとつ。
期待を外しまくり…
セルビア=クロアチア共同制作の作品。両国とも、政情が不安定であるため作品自体が、ブラックユーモアで笑えない作品だと思いきや一寸ユーモア色の濃い作品であった。イリヤが、列車運転士として轢き殺してしまった人間のため、運転席に花束を供えて運転している。評論家の解説にあったが、愛犬コロを同乗させていた場面しか記憶しかない。作品の題名(邦題)から察するにそうなのだろう。自宅には沢山の花を植え、やけに水を吹きかけている場面はあったが。しかし、ラスト彼に養子として育てられたシーマは、女性を同乗させていた。原題は、どうかわからないが、宣伝用のチラシを見る限り、感動物と思っていたが、個人的に180度騙された感が強い。この作品を真面目に捉えれば、人間を轢いた数で、その運転士の成長・技量を推し量るのはどうだろうかと思ってしまう。最後、シーマの運転する列車に、あえてイリヤが身を徹して線路に寝て待つ場面は、リューバのカットスマッシュで笑うしかなかった。邦題と作品の内容の陳腐さに感動した。
轢いてからこその一人前!?
JR職員、日本の鉄道関係者が観たら、爆笑の嵐になるのではないか!?
笑える内容がシュールに描かれている割りに、ソコを狙っているわけでは無い演出が目立っているような、轢いてナンボな価値観に奇想天外な世界観。
特に不条理で非常識な人物が出て来る訳ではないのに、何かが変で一人一人がズレている!?
最後は皆、ハッピーエンドってな不謹慎で不快な気持ちになるようなテーマをギリギリに、ホンワカと和んで鑑賞している自分に笑けてくる。
鉄分多めのセルビア産ブラックコメディ。
鉄道運転士のおじさんが、孤児を拾い運転士として教え共に生活する。
鉄道運転士は、いかに不幸と向き合って仕事をするかの矜持を感じる。
鉄分多めの結構な鉄道映画で、緑豊か大地を疾る機関車と単線のローカルな味わい。
車両を家にしている描写(結構豪華な内装)や車両基地付近に住む人など、質素な生活だが、ちょっと羨ましい。
セルビアとクロアチアの人々の雰囲気もいい。
しかし、冒頭でロマ民族の方々を轢いても復讐されないとは、フランス映画の「狼は天使の匂い」では、ジャン=ルイ・トランティニャンが事故でロマの子供たちを殺してしまった為に、どこまでも命を追われるのに・・
老人は別勘定
孤児院で暮らしていた少年を養子として迎え入れた独り身の鉄道運転士が、運転士に成りたいという息子に向き合う話。
過去に66人を事故で逝かせた主人公。
その重い経験から息子の運転士に成りたいという言葉に反対を示すストーリー。
いきなり事故のシーンから始まり、その後の職務復帰に際し心理療法士とのカウンセリングでは事故での人の体や血飛沫の様子を生々しく語りだすブラックさ。
つんけんしている様だけど、本心では息子を気にかける様子が伝わってくるし、隣人達の優しさも秀逸。黒いけど。
お仕置きは気持ち良かったけど川の汚さに唖然とするし、セルビアの鉄道事情も全然知らないが、セルビアってこういうセンスの国なのか!?という衝撃が。
ある意味豪快で寛容で、笑いと優しさ満載の楽しいコメディドラマだった。
ただ、映画として死を笑いにする不謹慎さが赦せない人にはオススメできないか。
アキ風味とブラックな笑いを絶妙にまぶしたファンタジックムービー
28名を轢いた老鉄道運転士は厳かに宣う。
「私は悪くない。が、お悔やみを申し上げる」
品の良いファンタジックコメディである。
初めて人を轢いて、プレッシャーから解放された息子同様のシーマを誉めるイリヤのセリフで場内から笑いが起きる。
不謹慎かも知れないが、私も笑った。
佳品である。
4代で締めまして75人!? なんのこっちゃ ???
この映画の始まりは、ディーゼル機関車の運転席を真正面からとらえた映像で、そこには、この映画の主人公である運転手のイリアと彼の相棒、チャイニーズ・クレステッド・ドッグの愛犬ロッコが列車の多少の揺れにはお構いなしに座布団に鎮座している。それと同時にイリアがある一室で男女2人の若い精神分析医の質問を受けている。昨日起こった緊急事態について(ここでは人身事故とは精神分析医は言っていない。)イリアが今後、職務に復帰できるかを判断するために彼らの質問を受けながら、昨日の場面を振り返る.........?
イリアは、重大な事故を起こしてもなぜか冷静に普段のように話している口調で事故後の被害者の身体がどのようにグッチャ・グッチャになったかを詳細に話すもんだからプロの精神分析医のはずなのに気分を悪くしてしまう。それに付け加えバックミラーに引っかかった首が !!!
Whenever the train trips,
it winks at you.
なんてダメ出しをするものだから、男性のほうが、とてもすぐれなくなりイリアが介抱し薬まであげちゃっている。
10歳の男の子、養護施設にいるシーマ。ある男から現実を突きつけられ、失望した挙句、施設を飛び出してしまい、鉄橋の線路を一人歩いている。そこをイリアの運転する列車が近づき、危うく十数人目かの犠牲者になるところだったシーマをイリアは彼を家に連れ帰り、落ち着かせるために「これを食え!」と言って料理を出す。話を聞くとシーマは自殺しようとしていたとイリアに話す。
シナリオとしては、シーマが施設にいるシーンで何故かあるものをわざわざ映していたのか少し疑問に思っていると、ア~ッ、そういうことかとわかる。大体、イリアが住んでいる場所が列車の車庫でしかも家と言えば客車を改造したものだなんてありえない。向かいに気のいいディゼル夫婦も線路を挟んで住んでいる。この映画をどういう映画なのかということを考えるのをやめたとき、なぜかシナリオが入りやすくなる。あらかじめ断っておきますよファンの皆さん!ケチをつけるわけではないが、以前観た村上龍原作の映画「ピアッシング(2018)」や「世界の涯ての鼓動(2017)」などお手上げで、自分の脳みそが"ウニ"状態になって楽しめないシリアスなバカバカしいものに比べるとこの映画はシチュエーションや背景、またモラルや常識というものにこだわらずに観ることが出きれば、正解が見えてくるといえる。大体十数人もの人身事故をしていてまだ運転手しているなんて、口あんぐり。そして、いつの間にかシーマがイリアの息子になっていた。え~ッ?
100キロ近く出ている列車から飛び降りて死なないなんて物理的にもおかしいし、イリアの恋人?のダニカが昔のままの姿で帰ってきて、今一緒なんだとマザマザというあたり、見ている自分も近所のディゼル夫婦も一緒になって気になってしようがなくなる。
あれほどシーマが機関車の運転手になるのを反対していたイリアだったが、シーマが人身事故をするのではないかと苦しんでいると「シーマはいっぺん人を引かないといけないな。」どういう意味?そんなこんなでイリヤが死にたい人を見つけるなんて発想はいったいどこから出てくるのか、不思議。しかし機関士仲間はみんな一人や二人引いちゃっている。なんぞやセルビア。そして鉄橋に行くとある男が立っていた。そして、こんなことを言い始める。この男の人、気味悪い。
Kiss me.
-What!?
Kiss me and I'll throw myself under his train.
And keep the hundred euros!
-I've never kissed a man.
さあ~ッ、イリアはシーマのためにこの謎の男とキスをするのか!?
以前からイリアに何かしらと好意を抱いていたおばちゃん、失礼、お姉さまヤゴダさんが「ボーナスが出たら旅行に行きたいわ♡」なんて誘われていたが、ヤゴダさんの思いが通じたのかラスト2人して列車のコンパートメントにお座りになっていると思っていると先ほどのディゼル夫婦もくっついてきてしまっている。その時、ヤゴダさんが、ある事を心配してイリアに尋ねる。
Where's Danica?
-Danica died 25 years ago! ア~ッレー?イリアさん、マ・ト・モ。
ディゼルさんが列車のレストランに飲みに誘うと劇中、さんざんワインを飲んでいた人が
A glass of rose' wine, if they have some?
-I don't drink.
その隣で聞いていたお姉さまヤゴダさんがポッカ~ッンとして、あたかも映画「卒業(1968)」のキャサリン・ロスを彷彿としたようなといえば言いすぎか?
列車事故というものを背景にしたコメディなんて笑えないと最初は思っていたが、この映画がセルビアが作ったものと知れば、今は平和になっていて、その事を謳歌し、内戦で多くの方がお亡くなりになっているのにもかかわらず"死"を題材にもできる環境という事と思えば、自ずと理解することが出きるものとなっている。
脇役の女性の方々は演技達者な方達で主演のイリヤ役のラザル・リストフスキーを支える形でディゼル夫人にはヤスナ・ジュリチッチ、イリヤに首ったけの婦人にはミリャナ・カラノヴィッチ、そして彼の昔の恋人ダニカをニナ・ヤンコヴィッチが演じていたが、ダニカ役のニナ・ヤンコヴィッチのいわゆるターコイズ色の瞳が映画「ウエストサイドストーリー(1961)」のマリヤ役を演じていたナタリー・ウッド(瞳はブラウン?)を思い出させてくれるようなオーソドックスな美形な方と言う事ができる。
最後は、軽い落ちで締めくくられている。映画全体が嫌みを微塵にも感じさせない心地よさが目立つ映画と言える。
全19件を表示