劇場公開日 2023年3月10日

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「世の中が良くなるのなら、私は有罪になっても構いません。」Winny 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5世の中が良くなるのなら、私は有罪になっても構いません。

2023年3月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

Winnyとは、なにか?
当時マスコミにこの事件が登場したとき、さっぱりわからなかった。そしてたいして関心もなかった。だけどこうして全容を知ると、自分を含めた世間全体の無関心が、ひいては今の日本の技術全般の停滞を生んでしまったのだと痛感する。悪意の欠片もない金子氏が、なぜ逮捕されなければいけなかったのかは、劇中の警察内部の闇が示している。いや、常に高圧的で他者の意見を聞こうともしない検察も、そしてテクノロジーと言うものを理解できようもないロートル裁判長を起用した裁判所でさえも、この事件を正義の方向へ向かう努力を放棄し、原告となった警察の思惑に加担したとしか思えなかった。
そんな司法の専門家たちにしてみたら、金子氏は"与しやすい敵"だったことだろう。世間知らずでお人よし。自分が犠牲になることよりも、世の中が良くなるのなら苦労を惜しまない善人。悪く言えば、世間に甘い。だけど、そういう人柄っていうのは、2ちゃんねるの住民たちは敏感に感じ取っていたのだろうな。だからこその善意の支援があれだけ集まってくるのだ。同じ思いの壇弁護士の「私は金子さんのために自分の人生の5年間を使うので、金子さんは、このあと出てくる技術者のために頑張ってください。」という言葉には震えたな。
彼の技術開発は、10年早かった(だから逮捕の憂き目にあった)のか、10年遅かったらいい(もう既に誰かが似たようなものを開発していて一定の世間的認知されている)のか。少なくとも、金子勇という天才の頭脳を、2年半も封印させてしまったこと自体が罪、ということだ。これを誰に償ってもらえるのだろう。この閉ざされた2年半で彼がどれだけのものを作り上げただろうか、後進たちの指標となったであろうか、そう思うとつらい。まるで、愚策"安政の大獄"で処刑されてしまった吉田松陰たちを思う気持ちと同じ悔恨が胸をよぎる。そして彼の早すぎた死に、この心労が大きく影響しているであろうことがなにより悔やまれる。
現在の日本は、かつての「技術大国日本」の光彩をとうに失っていて、テクノロジーはもとより、家電メーカーや自動車メーカーが諸外国にどんどん後れを取ってる。それは何も技術者たちがここ数十年を安穏と過ごしてきたからではなく、こうして彼らの足を平気で引っ張る世の中(正義を標榜しておきながら、権力におもねるマスコミしかり)のせい。そりゃあ彼らはアイデアを出す前に委縮してしまうし希望ももてないよ。そのせいで、それがまわりまわって自分たちが暮らす生活に損害、損失を与えていることに気づくこともない。哀れだな。

栗太郎