「天才の悲劇」Winny かぜさんの映画レビュー(感想・評価)
天才の悲劇
この映画を見終わってまず頭によぎったのは、ノーベル賞の事だった。ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルは、wikiで調べると、「ノーベルにとってダイナマイトが戦争で使われることは想定内であり、むしろ破壊力の大きな兵器は戦争抑止力として働くと予想していたが、実際には高性能爆薬の普及により戦争の激化を招いたことで世間的には「死の商人」というイメージが広まっていた。これらのことからノーベルは死後の評価を気にするようになったという。」と、ノーベル賞が創設された経緯が書かれている。この映画の金子勇氏もまさしくそうだ。著作権侵害を幇助するつもりなど、さらさらなく、世の中に貢献するために開発したwinnyが、一部の人間たちによって、悪利用され、金子氏自身も、悪事の隠蔽工作のために抹殺されたであろう事が、映画の中では暗示される。普通のプログラマーが3年かかるプログラミングを短時間でやってのける彼は、天才に他ならない。しかし多くの天才がそうであったように、金と欲にまみれた俗物の餌食にあい、不幸に見舞われるのだ。彼の一番の不幸は、不当な逮捕と裁判により、5年以上の時間を奪われたことだ。映画を見ると分かるが、プログラミングこそが彼の自己表現であり、それを禁じられた年月は、凡人からしてみたら、人間の五感を奪われるのと同じであり、凡人が何十年もかけて開発する偉業を成し遂げる機会を奪ったことになる。まさしく天才の悲劇である。
無実を証明するために奔走する弁護士の前で、「これからの開発者のためになるなら、どうぞ僕を有罪にして下さい」と言い放ってしまう金子氏は、その純粋さ故に、いわゆる一般社会での生活に不自由を感じていたのではないか?
今巷では盛んに多様性云々と言われているが、表面的な言葉だけでなく、この世の中にはおそらく非凡な才能を持ってはいるが、一般社会に適応しにくい人たちがいるのではないか?そういう人たちを早く見つけ出し、この世の中の悪感情や災難から守ってあげる、この映画の弁護士のような人間が本当に必要なんだなとつくづく思った。