「どんでん返しが足枷になっている惜しい作品」スペシャルアクターズ RJHさんの映画レビュー(感想・評価)
どんでん返しが足枷になっている惜しい作品
『カメラを止めるな!』
でその名を世間に知らしめた上田慎一郎監督の次作。
人見知りであがり症で気絶癖があるうだつの上がらない俳優志望の青年が主人公。
ある日再開した弟が所属する俳優事務所“スペシャルアクターズ”にて活動することになった主人公。その事務所に舞い込んだ依頼『(生家である)旅館を悪の教団から取り戻して欲しい。』
かくしてスペシャル・アクターズたちは依頼者の命を受け悪徳新興宗教団体『ムスビル』に“お芝居”で立ち向かうのであった。
と、言うのがあらすじ。
(以下ネタバレ含む)
まずこの粗筋のお話自体、要は悪徳宗教団体をぶっ潰して、旅館を取り戻すんだ!までが『お芝居でした』というのが
本作の白眉であり見どころであり、クライマックスからエンディングに至るまでのポイント。ではあり、恐らく多くの初見の人がそこに騙されたというか引っかかったんでは無いでしょうか?で、これは上田慎一郎監督が前作『カメラを止めるな!』にて提示した二重構造的な、物語の作り方というか進め方の手法を本作ではこのように設定した、言っちゃえば“大どんでん返しモノ”的な作り方なわけで、よく予告編で現れる『アナタはきっと騙される』とか『このラストは誰も予測不可能』的な作品の作りではあります。とはいえ、初見でこのエンディングの流れを予想した人は恐らくそんなに多くはないんじゃないかなとも思います。
お話そのものとしては前作と同じく、あまり著名ではない、所謂自分の知っている役者さん上田組を起用しているわけで、そういった意味ではやはりチームワークであったり、役者たちの呼吸といったものや統制は非常に取れていたと思いますし、多分ですけどこういう作品に所謂みんなが知っている様な役者さんは逆説的に不向きであるということの証明にもなったんでは無いでしょうか?
作品の問題点的なことをいえばこの作品のお話がどういう結末を迎えるのであれ、例えばクライマックスのところで終わるのであったとしても、まぁ多分誰の目から見ても明らかな違和感なのが劇中劇で主人公が少年の頃に憧れた洋モノヒーロー作品であろう『レスキューマン』これのクオリティが死ぬほど低いんですね。それの何が違和感かと言うと、結構単純に
『いや、なんぼなんでもコレには憧れないだろう』
というところだと思います。それくらいクオリティが低い。
恐らくワザとあえて、低クオリティにしているのだと思います。要は昔のヒーロー物、しかもどう見ても海外製って確かにふた昔前くらいは酷いクオリティの物が存在してましたし、それにしてもクオリティが低すぎです。
で、このクオリティの低さを主人公のキャラ付けとかにしようにも、なぜ主人公がこのヒーローにそんなに憧れているのか?という描写が特に描かれていないし、周りの人が『知ってる、知らない』描写もないので作中世界での知名度もよく分からないです。要はただ単に“主人公が憧れているヒーロー物”そしてクライマックスの展開のため、それだけのためにしか存在してないんですね。
で、当然クライマックスの展開としてこの作品の一部分を要はコピーしてアクションをするんですけど、そこの部分を見ていて思うのが『いや、そこの稽古部分が見たいんだけど』て事なんですよね。
で、このシーンはエンディングの途中で入れるべきだと思うんですよね。
それは何故かと言うと、エンディングで、主人公はこれまでのお話が実は、自分のことを気にしていた弟、社会的に成功を果たしているその弟が『兄の治療』と称して多くの人を巻き込んで行ったそれこそ“お芝居”として展開していたということを知るんですね。で、あればこそ主人公の成長を本当は描かないといけない。
ところがその主人公そのものの成長は精々『前ほど詰められても大丈夫になった』くらいなんですよね。
で、残念だなと思うのがそのちょっと大丈夫になったというシーンを描かれるのが作中冒頭で自分が失敗をしてしまった作品の続編のオーディションなんですよね、当然同じ人の前で同じような芝居をして同じような怒られ方をして、それで、まぁ、あの今回は失神しなかったね。くらいしかその程度しか要は成長してないんですよね。
で、このオーディションに受かったかどうかもハッキリ描かないし、かと言って、役者として多少は生活が出来るようになったか?と言うような描写もないまま、実は弟が全部仕組んでいたことでしたーという事を知っておしまいになるわけですよ。
で、本当にこのエンディングの辺りが違和感あるなーとかなんか納得いかねぇなーと思うんですけど、これが何故かと言うと、主人公は弟と再開してある期間行動も共にしていたにも関わらずこのエンディングの時点でようやく弟の名前をググるという行為に走るわけです。
更にそこで『あれ?これまさか?』となり事務所に向かうと事務所はもぬけの殻、それ自体はまぁ100歩譲って良しとしても、玄関マットの下に事務所の合鍵があって中に入って色々探したら実はこれ嘘でしたーっていう終わりなんですけど、
まず、このスペシャルアクターズって言う事務所自体の存在がこの時点でもう作中内で結局この事務所自体が実在するのかどうかが怪しいんですよね、セキュリティ最低だし、簡単にファイルというか台本見つかるし、要はこの事務所含めて嘘だったのか、この事務所自体は一応本当にあってこういう仕事をしていますよ、という部分が謎になってくるんです。
まぁとはいえ、この事務所が嘘でも本当でもそれ自体は一旦置いといて、しかしながら、しかしながらですよ?この事務所が稼働してたという事はクライマックスのあのシーン、あの立ち回りは稽古の一つでもしてるはずじゃないですか?これまでの事も含めて(だって作中ではまぁまぁちゃんと台本当てて稽古もしてるんだから)だったら、だからこそ、その稽古シーンをフラッシュバックで最後のシーンに少しでもいいから入れるべきだったのでは?と思います。
そして前述の通り、主人公自体は特にコレと言った成長はしてないし、役者として自立できた訳でもない、気絶耐性がちょっとだけ付いた程度のものです。
これは結局この作品自体がどんでん返し物という構造になっているが故に、主人公の成長やクライマックスの時のカタルシスをハッキリ描けない、描きにくいという構造上の足枷が邪魔をしているのではないかとおもいました。
作品内にて主人公が
『何に対して立ち向かうのか』
『何を成し遂げたいのか』
『自身がどうありたいのか』
ということよりもこの作品では『どんでん返し物』としてのひっくり返しに重きが置かれているが故に主人公が作中での行動や経験を自分のものにしていく、つまり“成長”する部分をあまり描けていないためクライマックスのシーンや所々のシーンでカタルシスが産まれていないのかと感じましたしそして、結局単純に『兄の治療出来てなくね?』になってしまいます、だって別に出来てないんだから実際!
だからこそ劇中劇である『レスキューマン』はもっとそれを見ている観客にも作中の登場人物にも納得のいく説得力のあるキャラクターにして描くべきだったのでは無いかと感じます、弟の言い方だけ聞いてると単純にただ主人公が好きだっただけのマイナードラマにしか見えないんですし、恐らくそういう狙いなんでしょうけどだったらもっとメジャーな感じの作品でも良かったんじゃないかなと思います、で、あれば作中の節々でそのキャラクターに喋らせられるし、他の人たちも知ってる体であんまり隠さずに話持ってけるのになぁと思いました。
とはいえ、2転3転というよりは一本通してしっかりひっくり返しをしてくる構造や最後の展開は一見の価値は十分にありますので!オススメです。