「トリックスタージャンル」スペシャルアクターズ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
トリックスタージャンル
前回の『イソップの思うツボ』は共同監督ということなので、単独での作品は“カメ止め”の次ということになる。あれだけ熱狂的な現象を巻き起こした次作ということに否応なしにハードルは上がる。その中で監督が拘っているようにみえる無名の俳優を起用し続けることの化学反応を今回も演出出来るか、そして十八番の奇抜なアイデアを今作でもぶち込んでくるのか、期待値がストップ高になる程の状況なのだが・・・ 日曜の鑑賞した箱は、10人も満たない人数・・・。自分の感覚と世間はズレているのだと認識を苦々しく噛みしめながらの鑑賞である。
テーマは兄弟愛と幼少期のトラウマの克服といったところだろうか。幼い時期と思われる時の父親からの過度なプレッシャーにより、極度の神経調節性失神と思われる症状を起こしてしまう主人公が、弟に勧められ所謂“サクラ”的な仕事に従事することになる。フラッシュモブ的なことから、アリバイ作りまで、劇中でいうところの「演じることを使った何でも屋」といった具合だ。そんな仕事に、新興宗教に嵌った旅館の女将を救いだし、ついでにその団体の悪事をバラして欲しいとの依頼がきて、解決すべく奮闘するという展開である。と言う訳で話の骨子は手垢の塗れた題材である。であるのだが、この陳腐な話自身が観客を欺く建付けになっていて、監督御得意の“入れ籠”構造を演出している。あくまでも主人公の目線が観客の目線で描かれているので、周りの風景が二転三転していくという“ビックリハウス”的展開方式に作り上げられているのだ。幾つかの観客への騙しカットが入っていたりと、“信用ならない語り部”的な背景を感じさせる演出が差し込まれる。仲間の3人が落ちあっていた場面を写真撮影されているカット、そして主人公が殺される演技後の、今まで明かされなかった実は仲間だったおばさんと男。なんとか症状に打ち勝って宗教団体を追い詰めることに成功した主人公が、たまたま街中で観た、弟と教祖とその父親の親しげな仲。そして気付く、そもそもこの顛末そのものがこの業務であって、自分がターゲットだったことへの驚愕。ネタバレとして解ってしまえば、かなりの手品的な入れ子構造と安っぽい作りとの相性の良さに、これは映画ではなく、タモリの『世にも奇妙な物語』臭が立ちこめる印象なのである。これは果たして映画館で観るべき内容なのであろうか?スクリーンを使って表現すべきストーリーと訴えたいアイデアなのだろうか?
テーマとしては奇しくも『ジョーカー』のように、周囲に理解しにくい精神疾患を抱えて、生きづらい人生を過ごす社会的弱者の立ち位置からの逆転的アプローチを描く構図なのだが、今作はあくまでも映像的トリックコメディに始終してしまい、じっくりとした深い人間ドラマは描かない。種になりそうな芽はそれこそ旅館名である『めぶき』の如く、ピョコピョコ出ているのだが、それは無視し、あくまでもチームワークの手際よさと、ドキドキハラハラのサスペンスに比重を置いた。まぁ、それもそもそも制作陣の狙いなのだろうから、そこを噛みついても意味がない。軽いウェイトで色合いを塗ったのだから、道徳的哲学的なことを埋める隙間はない。只、ならばラスト、事務所で全ての種明かしを主人公が発見した(このシーンさえも自分的には残念な蛇足と言わざるを得ない)あの苦々しい顔は演出として良かったのかどうかは迷うばかりだ。あのシーンに於いて、主人公はその全てを知って、改めて何もかも吹っ切った笑顔をスクリーン一杯に表現してこその、作品全体に流れるコメディとしての統一感なのではないだろうかと感じたのだが・・・。御得意のフリと回収も、あの“おっぱいボール”をそれほど拾い上げていないし、ギミックとして後に展開できることも捨ててしまっているような気がするのだが。
いずれにせよ、上田監督は今作に於いて自身のステージは完結すべきであり、次ステージでの展開に移行すべきであろう。ある程度世間が承知している俳優を起用し、トリックスターとしての立ち位置から、ヒューマンコメディと哲学的要素を盛り込んだ深みある内容を積み上げる作品を世に出して貰いたい。そう願うばかりである。今作では描ききっていない人と人の関係性の妙を巧みに映像化できて始めて真価を得られることであろう。