「あぜんとする」フリー・ガイ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
あぜんとする
トゥルーマン・ショーという1998年の映画に似た興奮を感じた。
構造から何からぜんぜん違うが「これを実写映画にしちまうのかよ」という驚きがおなじだった。
ゲーム内のNPCが自我をもってしまった──という話。
NPC(ノンプレイヤーキャラクター)は、謂わば映画のエキストラのようなものだが、ゲームなので役割が反復される。
いつも同じ所にいて、いつも同じ発言をして、いつも同じ行動をとる。
そんな一介のNPCが覚醒してしまったら・・・を実写映像化している。
──と言葉で書くだけでも無理ゲーだが、ほんとにやっている。
毎度の御託になってしまうが「よくもまあこんな映画つくる国と戦争やったもんだ」。
ライアンレイノルズはわたしのなかでは無個性な美男なのでNPC主人公はピッタリだった。
この映画で初めて見たヒロインのジョディ・カマーを検索したらブレイク坂をぐいぐい登っている感じの人だった。
SWやリドリースコットにも出演しているイギリス人。
童顔で溌剌としているが、ゲーム腐女子みたいな雰囲気も出ていて、いい感じ。
「ガイ」の覚醒にはロジックもあった。
映画中ゲーム「フリー・シティ」は、オタクだけど天才のキーズ(Joe Keery)がつくった習作「ライフ・イットセルフ」が元になっている。
「ライフ・イットセルフ」はゲーム内キャラクターが対話し勝手に進化する、たまごっちみたいな観賞型ゲーム。
そんな中の一人「ガイ」があるとき目を覚ます(自我を持つ)。
そのトリガーになっていたのがミリー/モトロフ(ジョディ・カマー)への愛。
人工知能「ガイ」の誕生はキーズの片思いが因子になっていた──という心憎い仕掛けだった。
そのロジックに加えて観衆を惹きつけるのは現実世界のゲームユーザーが日毎感じているあるある要素だろう。
つまり大手ゲーム企業の欺瞞。
続編と互換性、前発表の反故、バージョンアップに伴う改悪、バグ。
およそSteamのコメント欄で毎日繰り広げられているような攻防が映画内で繰り広げられる。あざとい&楽しい。
コンシューマとしてのあるある感とガイの運命をはかるドキドキ感が重なって二倍の楽しさ。
DUDEとの戦いは他作品版権を超越し、まるでレディプレイヤー1で森崎ウィンが「俺はガンダムで行く」と言ったときのような興奮があったし、ガイが橋を渡るシークエンスもエモーショナルだったが、さらにグッとくるクライマックスが待っていた。
畢竟、映画フリーガイはものすごいまどろっこしい方法で愛を告白する男の話──と言える。その舌を巻くメカニズム。で、また言ってしまうが「よくもまあこんな映画つくる国と戦争やったもんだ」だった。
ところで映画の博愛は現実世界に及ばない。
アメリカ銃社会は2022年に入ってまるでフリー・シティのように乱射事件が連発し何人もの若い命が奪われている。
Forbesによると今年既に22件、111人の死者を出している。
ガイ: What about gun violence? See a lot of gun violence in your world?
モトロフ: Actually, that is a big problem, Guy. That is a massive problem.
何か言えるほど社会派じゃないが、なぜ銃規制しないのか。
さて、じぶんもオープンワールドを探索することがあるが、そこは既存プレイヤーによってつねに殺伐としている。
だから個人的にはゲーム世界も現実世界もあまり変わりはない。
誰かを助けるだけのゲーム──人助けが主成分のプラットフォームが(もっと)あっていいと思う。