「ただの「モブキャラが自由に動く」映画じゃない」フリー・ガイ よしえさんの映画レビュー(感想・評価)
ただの「モブキャラが自由に動く」映画じゃない
予想の遥か上をいく最上級の映画だった。都合がつかなかったら観るのを諦めるかなどと軽く考えていたらとんでもない。IMAXの大きなスクリーンで観なかったら後悔していたかもしれないような良作。
「フリーシティ」というゲームのNPCとして、毎日決まった行動を繰り返すだけの主人公ガイ。「サングラス組」と呼ばれるプレイヤーキャラが破壊と略奪の限りを繰り返す中、朝起きて金魚に挨拶し、コーヒーを買い、勤め先である銀行で強盗に襲われるだけの毎日。そんな中、ある女性プレイヤーの姿を見かけた時に、彼の決まりきった日常に変化が訪れる。
まずこれは、予告で印象づけられた「ゲームのモブキャラに過ぎなかった無名キャラが勝手に動き出して巻き起こる騒動を描いたコメディ作品」などでは断じてない。ガイがそれまでの道を外れて自由に動き出すのにはちゃんとした理由があり、それはゲームの外側、現実世界で説明される。現実世界ではガイが想定外の動きを始めたことによりじ状況に変化が起き、その変化が今度はゲーム内世界にも影響を与えていく。事態はどんどんアンコントローラブルになってゆく。
実はガイたちは、元々別のゲームのキャラクターとして用意されていた。彼らはAI機能が搭載され、自立的に行動することが期待されていたが、企画自体がボツとされたはずだった。ところがそのゲームは丸ごと開発者には告げず「フリーシティ」の中に組み込まれており、機能していないはずのAI機能が、元の開発者がガイに仕込んでおいたトリガが作動することにより目覚めたのだった。こうしてガイはどんどん自律的にゲームの仕組みを学んでいき、元の開発者たちが予想もしていなかった成長を遂げるのだ。
このストーリーの素晴らしい点は、AIを持ったモブキャラたちが、自分がゲームのキャラクターであると認識しておらず、現実の人間のように振る舞っていることだ。彼らは「初戦俺たちはゲームの脇役だから」という諦念をもって動いているわけではない。世界というものはこのように成り立っていると解釈し、自由に動き回るプレイヤーキャラとは別に、毎日同じことを繰り返しているのが当然で、そこから外れたことをするのは悪いことだと認識している。AIがそのように行動するよう動機づけを行っているからそう動いているだけで、彼らにはちゃんとものを考える能力がある。だからこそ、突然目覚めて思うように動き出したガイに対して、最初は咎めたり反発したりしたものの、ガイの説得により彼らも自由に動いてよいのだと学習し、自ら考えて動き始める。
そして彼らは、このゲーム世界が消えてしまうことを知り、生き残ることはできないかとガイを中心に結束する。驚くべきことだが、彼らは学習の結果生存欲求を獲得したのだ。作中でも史上初めて動作したAIだという言及があるが、AIを描いたフィクションは数あれど、そしてそのAIがどのようにして学習を行うのかという描写が行われた作品も枚挙に暇がないけれども、AIの自我の目覚めとその理由をこれほど感動的に描いた作品はそう多くはない。なお、そもそものきっかけであるガイがどうして目覚めたのかについても現実世界側のドラマとしてしっかり描かれており、こっちはこっちでよく練られている。
AIというガジェットを、きちんと筋道の立った論理をもって説得力のある存在として描きながら、一方でエンターテインメントとして高い水準を保った、これは稀有な作品である。今年のベスト級の作品と言っても過言ではないし、少なくとも私にとっては現時点でベストといえる素晴らしい映画だった。
なお、いくらFOXがディズニー傘下になったからとはいえ、クライマックスであれとあれを持ち出すのはズルいよ(笑)。