典座 TENZOのレビュー・感想・評価
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責任を描いた作品
本作はもともと全国曹洞宗青年会が世界仏教徒会議というイベントで曹洞宗をプレゼンするため、空族とタッグを組んで作ったという経緯を持った作品です。なので、これまでの空族のテイストとはかなり異なる印象の作品です。60分と異例の短さも、元来プレゼン用の短編映画として作成されていたからだと思います。
登場人物が本人を演じるセミ・ドキュメンタリーの構造を持っており、それもまた異質な感触です。
空族と仏教はデビュー作『雲の上』から因縁があり、前作『バンコクナイツ』では周辺的ながらも信仰心が描かれていました。なので、個人的にこの流れはとても自然に感じます。
本作は2人の僧侶を中心に描かれます。山梨でアレルギー体質の息子を抱えて日常を生きる智賢と、寺も檀家も津波で流されたため土建業で汗を流す隆行。そこに、智賢の師である高僧・青山老師との対話が重なる構成となっています。
たいへんながらも比較的平穏な日々を送る智賢と、悲劇的な環境で歯を食いしばって生き抜く隆行はかなり違う世界を生きていますが、完璧に重なるポイントがあります。それは、自らの人生に訪れた、自分しか果たせない責任を真っ向から取り組んで果たしていることです。揺れたら悩み、師に教えを請うたり、酒を飲んで荒れたりします。しかし、責任を投げ出さずになんとか堪えて踏みとどまり、また厳しい日々に向かい合う。
曹洞宗では、日常が修行とのことです。その意味では、彼らは真っ当な禅僧だと思います。しかし、彼らの態度は僧侶としてではなく人として真っ当な印象を受けます。
空族は自分の人生の責任を取れない人々を描いてきました。人生に絶望してヤクや異性、空っぽな平和イデオロギーに逃げる人々。前作『バンコクナイツ』ではついにタイにまで逃げ込みました。
もちろん、彼らは運命に翻弄された被害者という側面があります。その怒りや悲しみを描くのが空族のテイストでしたが、本作では運命に翻弄された人々が自らの運命と力強く向かい合い、真っ向勝負を挑む姿が描かれていました。
それは、個を超えた大いなる存在の肯定があるからこそできるのだと感じています。つまり信仰心。人間万能主義からの脱却。大いなる存在を敬い畏れることで謙虚になれる。すると目の前にその人オリジナルの道ができ、それを歩んでいくことが、その人に課せられた責任ではないかと本作を鑑賞して直観しました。
それぞれ道が違うので課せられたものの重みも違います。智賢に比べて隆行の宿命は圧倒的に重い。なので智賢が感じた悟りへの一歩は、隆行にとって頭では解るものの実感はできない。だから「それ、この福島で言えるか?」の問いに現れているのだと思います。
しかし、それでも2人は夜の海をともに見つめます。違う道を歩むも、道を歩み続け同志であることは変わらないからです。
また、本作は本来の僧侶としての本分も描かれていたと感じます。彼らはいのちの電話のボランティアをやっているのです。
僧侶とか神職とは、あの世とこの世をつなぐ仕事です。その狭間で揺れる人々とともに在ることは、本来の仕事だと感じています。本質が損なわれた儀式だけの上っ面な僧侶の仕事ではない、僧侶の真の仕事に従事している姿を見て感動しました。隆行が相談を受けているとき、自らの感情が動き慟哭する場面が描かれていました。これは心理や福祉の専門家ではありえない態度だと思います。しかし、そのむきだしの態度こそが生と死の狭間で揺れる相談者に伝わるのかもしれない、とも思いました(ケースバイケースだとは思いますが)。
本作はとにかく誠実で力強い。短編だし劇映画としての魅力は弱く、CGの使い方などは悪い冗談にしか思えない等、欠点の多い作品だとは思います。しかし、人生においてある種の迷いを抱いている人にはズバッと届くガーエーかもしれません。個人的には、監督の富田克也がこれまで空族作品で描いてきた問いに自らアンサーしたような作品だと認識しています。
最後に、本作の中心にドカッと鎮座する青山老師の言葉を記します。
「一度は反発しないといかん。選ばないで授かっただけならば有り難くない。本気で選んで選び抜くことに価値がある。私も15年暇をいただいた。その15年があるから今の私がある」
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