ポルトガル、夏の終わりのレビュー・感想・評価
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人生の黄昏を象徴するラストショットが美しく味わい深い
これも「グッバイ、リチャード!」と同様、死期を悟った主人公をめぐる物語。ただしリチャードが自らの生き方を変えた結果として周囲の人々に影響を及ぼすのに対し、本作のフランキーは家族らの今後に積極的に関与しようとする。この対照が興味深いし、自分が終活するならどっちだろうと考えてみるのも一興。
イザベル・ユペールが演じるのは自身に重なるようなフランスの大女優で、ゴッドマザーよろしく欧米に散らばる家族と親友をポルトガルの風光明媚な避暑地シントラに呼び集める。国際色豊かなキャストのアンサンブルが楽しく、フランキーの思惑通りに事が運ばない皮肉っぽさも悪くない。
世界遺産に登録された地域だけあって、ロケーションのあちこちが魅力的。とりわけ、登場人物が一堂に会する山頂と夕陽で黄金に染まる大西洋をロングショットの長回しで見せるラストは、美しくも物悲しく、感傷的な気分とともに脳裏に残像が焼き付くようだ。
情景美
最後まで何も起こらない
退屈なのだけれど、不快でもないから最後まで見てしまった。最後に何かが物語があると思ったが、結局なかった。
フランキーは自分の恋人から子供たちの恋人選び、家族仲良くなることと何もかも自分の思い通りにしようとしてきたのかもしれない。
今回、家族や友人(アイリーンだけだが)をポルトガルに集めたのも全て自分がいなくなった後も、彼らが自分の思うような人生を歩むため。
ここに出てくるフランキーは口数も少なくて、物静かで、観ている側には何を考えているのか分からない人物に映る。そのキャラクターと、何もかも思い通りにしようとするところとが何ともミスマッチで違和感。
人生の終わりに会いたい人は誰?
何だか複雑な人生を送ってきたらしい=女優フランキー。
「相関図」が難しいのだ。国籍も人種も入り交じるし。
(どなたかのコメントにあったが「予告編」での事前学習が◎かと)。
で、
余命いくばくもない自らの「終活」の一大プログラムとして、
彼女は縁者たちを世界中から我が元に集めた、そういうバカンスなのだが・・・
死を目前にすると、人は何を成しておきたいと願うのであろうか、
・最後に食べたいものを味わい、
・最後に行っておきたい街を歩き、
・親友や、特別に心通わせた肉親、それも選りすぐりに愛情を交わした少数精鋭の縁者だけを枕元に呼んで、別れの言葉を遺すのであろうか。
ところがフランキーは違う。
せっかく集めた家族とは、行動は一緒にしない。
フランキーはひとりで森の小径を歩く。そしてひとりで旧市街の坂道を巡る。
フランキーは食事さえ、一度も家族とは取っていない。
何のために彼女は家族を呼んだのであろうか。
人は孤独だ。
ひとりで生まれて、ひとりで死んでいく。
(参加者たちも似たもんだ、
ポルトガルのヴィラに集まったけれど、それぞれメンバーは自分たちの生活と懸案で頭が一杯。
心そこにあらず)。
たったのひとつも思い通りにはならなかった家族をば、フランキーは主役として舞台の上から眺めて観察し、嘆息もし、
“共演者”たちを置き去りにしてとっとと舞台に登り、そしてステージを降りる。
ポルトガル・シントラへの旅は、
走馬灯のように、《己の生きてきた道とはどんなものだったのか》、それをフランキーは確かめておきたかっただけなのかも知れない。
海の見える丘の頂上で振り返ったこの女性の目をあなたは見ただろうか、
彼女は、家族を見ていない。
あの目の光は自分の人生を振り返っている。
強烈に印象に残るシーンだった。
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樹木希林
ドヌーブ
そしてイザベル・ユペール。
大女優は老いてなおその存在で周りを圧倒すると知った。
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最後に食べたいものは何だろう。
最後に枕辺に呼びたい人は誰だろう。
会いたくはないけれど、心にかかった人と言えば誰だろう。
人生の千秋楽を迎えるとき、このフランキーのように、輝き燃え上がる終演を迎えたいと、僕も思った。
いきなり脱ぎだすからびっくりしたー!
人生は思い通りにはいかない、でも思い通りにいかなかった結果の後に、思いもしなかった人生の奇跡が待っているような、ふとそんな気にさせる或る家族の物語。そしてその中心にイザベル・ユペールがいる。
①ほぼ家長と言ってもいい女優フランキーのある思惑によりポルトガルの美しい古都に集められた彼女の現在の家族と縁ある人々(一人予想外の人間が付いてきたが、途中で消える。グレッグ・キニアも老けたね。)。②彼らの人生もそれぞれ悩みや問題を抱えていてフランキーの思惑通りには事は進まない。不思議なのは、自己主張の強い筈のヨーロッパ人達(それも家族)が集まっているのに、何故か彼らに昔の日本映画の登場人物の様な奥ゆかしさを感じたこと。お互いに微妙な距離感を持って接しあっているように感じられること。それは思いやりであるようだし、やはり個人主義でもあるようだし。それとも古都を舞台にしているからだろうか?③マリサ・トメイは意外なキャスティングに思えたが、ラスト、フランキーの思惑通りには行かず然しある未来を予想させる人物としてピッタリの人選であることに納得させられる好演。⑤達者な演技陣の中で、マヤが海に行く途中で知り合うポルトガルの青年を演じた俳優の未熟な演技が目立ってしまったが、反面微笑ましくもあった。⑥そしてイザベル・ユペール。『エル』に比べると大分老いが目立って来ているが、顔の表情ひとつ、唇の動きひとつで内に有るものを表現しつくす演技は流石である。
【”イザベル・ユペールの若さ維持の秘訣とSWの脚本は守秘義務あり・・。”人生の末期を悟った映画大女優が神話の街で取った行動とは・・。水平線に落ち行く夕陽の長い光が海面に映る様が印象的である・・。”】
ー舞台は、”ここに地終わり海始まる”と刻まれた石碑が建つ、ポルトガルの避暑地シントラ。アダムとイブの伝説が残る神話の街でもある・・。
映画女優フランキー(イザベル・ユペール)は、ステージ進行が進んだ癌を抱えている。彼女は、友人、家族たちをシントラに集めて・・。-
■印象的なシーン
・冒頭、フランキー・・ーと言うか、脳内では完全にイザベル・ユペールとして観ている・・ー が、優雅に邸宅のプールで泳ぐシーン。リラックスチェアを広げ、ゆったり昼寝かな?と思ったら、さっさとトップレスになりプールで平泳ぎ・・。
<メイドとの会話>
”誰かに見られます・・”
”誰もいないわよ・・”
”写真に撮られたら・・”
”写真映えがするじゃない・・”
-流石でございます。イザベル姉さん。-
・中盤、フランキーが息子と友人を結び付けようと企んだこととか、町の人達との細やかな交流とか(フランキーのファンの80歳の女性の屋外での誕生日パーティー)、日常を離れた彼ら、彼女らの会話が心地よい。
フランキーの夫の孫の少女が、バスの中で知り合った少年と浜辺で口づけを交わすシーンとか・・。
神話の街での幾つかの出来事がさりげなく、描かれており、この作品の優雅さに華を添えている。
<ラスト、フランキーが”行くわよ‥”と、皆と近くの山の上まで足を運び、沈みゆく夕陽を断崖の上から皆で見るシーン。
”ここに大女優は終わり、海始まる”・・ということを無言で示すフランキー。そして、さっさと先頭を切って下山する姿。人生の終末を迎えてこの姿・・。
実に潔く、恰好が良い。
- 夕陽が水平線に落ちる瞬間を見せずに、夕陽の長細い光が海面に映る様を写し取った構図も絶妙に良い。- >
<2020年9月30日 ユナイテッドシネマ豊橋のレイトショーにて鑑賞>
チューバッカのヘアメイク・アーティスト(あ、それは内緒か)
ちょっとした観光映画でもあり、家族の本音がさらけ出される家族映画でもあった。最も印象に残るのが世界遺産の街シントラの海岸線を走る路面電車。赤くて小さくて可愛い電車でした。
最初は登場人物の相関図が分かりにくかったのですが、それは終盤になってフランキーの息子ポールが全て説明してくれていた。最も面白い人間関係はわざわざ息子とくっつけるために呼んだヘアメイクのアイリーン(マリサ・トメイ)。いくつになっても美しい彼女ですが、カメラマンと付き合っていて、息子とのお見合いなぞ知らずに彼氏を連れてきてしまう。
ほとんどが英語を中心とした会話劇であり、役者さんみんなバイリンガルなんだな~と尊敬してしまう。最初に出てきた水道が奇跡の泉なのかと思ってたけど、いったい泉はどこにあるんだ?森の中を散策したり、最後の丘の美しさとか、全てはフランキーの心象風景であったかのようにも思われるし、シントラの町が後々問題を残す場所だと知りながらも人生最期の場所に選んでしまったことなど、世界の中心にいるかのような大女優ぶりは興味深い存在。振り回されつつもフランキーに従う家族や友人たちも、やっぱり不思議な魔力によって引き付けられてるんだろうなぁ・・・と感じました。
フォトジェニックな終活
真綿紬みたいな映画
派手な事件は何も起こらない映画は好きですが、この映画は本当に何も起...
派手な事件は何も起こらない映画は好きですが、この映画は本当に何も起こらない。「思いがけないラスト!」とかどこかの映画評に書いてあったような気がするのですが、何か起こりましたか??(笑)それとも私が見過ごしたのでしょうか。
この映画は、ポルトガルのシントラが舞台、ということでポルトガルの美しい風景見たさに映画館に足を運びました。そういえば、「ポルト」というポルトガルのポルトという港町を舞台にしたラブストーリーがありましたが、こちらもポルト見たさに劇場に行きましたっけ。
この映画の見所はポルトガルのシントラの美しさでもって7割は占めているのではないでしょうか。
木々の緑と霧と古い建物の美しさを見るだけでも、暑い夏の一服の清涼剤となってくれます。また、イザベル・ユペールらの衣装の色使いも素敵です。木々の緑や海のブルーと相まって、涼やかでカラフルな画面を構成していて眺めているだけでも気持ちがいいです。
ただし、ストーリーはというと、予想はしていたけれど予告のあらすじ紹介以上の広がりも深みもなく、また脚本のひとつひとつもこれといって胸を打つセリフもなく、映画としては大変物足りないものです。
なんだか、映画製作を口実に監督をはじめ出演者、スタッフ皆がシントラで仕事を兼ねて休暇を過ごしたかったんじゃないの?と勘ぐってしまうような映画でした。
イザベル・ユペールはキャリアが長くて尊敬する女優さんですが、相変わらず無表情でガン末期という悲壮感もなくカトリーヌ・ドヌーブと並んで大根役者さんではないかと思ってしまうのですが(悪口ではありません、本心です)、私の見る目がないのでしょうか。どなたか教えてください。
とにかく、シントラが素敵だったので星3つです。
記憶に残らない
余韻が残る
勤め先の同期が死んだ。職場の電子掲示板で知った。何年も会っていなかった。本当は違う。去年の暮れ、ターミナル駅ですれ違っている。声を掛けようか躊躇して、そのまま人混みに紛れてしまった。若い頃は良く飲んだ。一緒に旅行も行った。人伝てに聞くと、前日も変わりなく過ごして就寝して、翌朝起きて来なかった。
若い頃は観念上の存在に過ぎなかった死が、すっかり身近になってしまった。ガン家系なので、自分はガンで死ぬものと決めつけている。幸か不幸か、ガンで死ぬまでには多少の猶予が与えられる。その間に行きたい場所へ行って、会いたい人にも会えるだろう。そんな甘ったれた幻想が、当たり前で無いことを思い知った。
「ポルトガル、夏の終わり」は、いわゆる「終活」映画である。死期を悟った国際的な名女優が、ポルトガルのシントラという避暑地に滞在して、ロンドン、パリ、ニューヨークに暮らす家族や元家族、親しい友人を「バカンス」と言って呼び寄せるのである。生前葬を意図していたかは分からない。
シントラは、バイロンに「この世のエデン」と称された古都で、生い茂る木々の緑が色濃くて美しい。彼らは世界遺産の迷路のような街並みを、三々五々、離合集散を繰り返しながら、散策し、食事し、会話を交わすことで、それぞれの関係や思惑が垣間見えて来る。その手法は見事だ。大の大人たちが、人生に迷い悩み苦しんでいる。
役柄そのままの名女優である、イザベル・ユペールの演技が素晴らしい。生前に解決しておきたかった家族問題は思うようにならず、内心忸怩たる思いがあるだろう。それでも、明るい大西洋を見下ろす山頂で、一人、愛する人たちの集合を待っている、凛とした佇まいに気概を感じた。
一方、唯一の若者である義理の孫娘は、理路整然として怖いもの知らず。聡明な眼差しと、褐色の伸びやかな肢体が印象的である。皮肉なまでに、大人たちとは対照的な存在。今や家族の形は様々であり、血縁なんて一つの要素に過ぎない。未来を、託したくなる。
劇的なことは何も起こらず、何の答えも示さない映画だけれど、それが正解だと思う。人間なんて、そんなもんだ。ただ余韻が残る。
また行きたくなった
画が綺麗で、それでいいじゃないか
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