「名もなき尊き生涯を」名もなき生涯 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
名もなき尊き生涯を
『シン・レッド・ライン』で美しい大自然の中で繰り広げられる人間たちの愚かな争いを描いていたが、本作はテレンス・マリック監督作の中で最も悲惨な物語と言えるだろう。
であると同時に、揺るぎない信念を貫いた物語…。
実在の人物と、彼の36年という短い生涯に基づく。
今でこそ彼の行いは称えられているが、当時はそうではなかった。寧ろ、周囲から見れば“裏切り者”であった。
高名でも著名でもない。“名もなき人物”。
フランツ・イェーガーシュテッター。
オーストリアの自然に囲まれた村で暮らす農夫。
妻と3人の娘、農業の仕事も黙々とこなし、平凡ながらも穏やかで満ち足りた日々。
それが終わりを告げる…。
オーストリアがナチス・ドイツに併合。国や村人たちもヒトラーに忠誠を誓う。
そんな中、フランツは一人、忠誠を拒む。
国中の人々が戦争に駆り出される。
フランツは兵役も拒否。
この当時、それが何を意味するか…。
今はヒトラーとナチス・ドイツの悪しき行いに対し、声を上げて否を唱えられる。
が、当時は…。ナチスと戦争という病に侵されていた当時は、それに従順する事が“正しかった”。
本当に歴史というものは不条理だ。当時は多くがそれに従い、時が流れ、今はそれが間違いだったと手のひらを返す。
当時からそれを訴える事は出来なかったのか…?
いや、出来た。揺るぎない信念があれば。
フランツは破壊や殺しが称えられる戦争に対し、疑念を持つ。
本当にそれが称えられる事なのか…? 栄誉な事なのか…? 破壊や殺しが。
そうである筈がない。間違っている。
誰に教わった訳でもない。自分自身で考え、そう信じる。
当時、誰もそうしなかった事を。
メル・ギブソン監督×アンドリュー・ガーフィールド主演で実在の医療兵を描いた『ハクソー・リッジ』を思い出した。
あちらは宗教の教えから他者を傷付ける銃すら持つ事を拒み、仲間や上官から蔑まされ、軍法会議に掛けられながらも、自分の信念を貫き通し、戦場で敵味方関係なく救出に奔走し、戦後英雄として称えられた。
似通っているが、決定的に違うのは、末路…。
もし、自分だったら…?
周囲に流されず、己の信念を貫けるか…?
無理だ。間違っている事に疑問を持ちながらも、それを言動にする勇気など無い。私はチキンなのだ。
きっと私も、愚かにも周囲に流されている連中と同類なのだろう。
皆と違う考えを持つ者は、いつだって疎外される。
村人たちの偏見、差別、迫害、蔑み、冷たい仕打ち…。言わば、村八分だ。
「お前は敵より悪質。裏切り者」
兵役を拒否していたが、徴兵される。しかしそこでも、自分の信念を貫く。
投獄、尋問、暴行、拷問…。生き地獄だ。
さらには裁判に掛けられ、最期は…。
フランツだけじゃない。村に残してきた妻や娘たちにも…!
嗚呼、時に人は、何て醜く愚かなのだろう。
今、この輩に問いたい。自分たちのした事は誇れるほど正しかったのか、と。
名もなき人物の生涯だが、フランツと妻のやり取りしていた手紙を基に構成。
夫はナチスによって投獄。つまりそれは…。
夫は獄中から妻を想う。
妻は村で夫を案じる。
それらが交錯。
処刑の前、最期の面会。
妥協すれば減刑もあり得る。しかし夫は信念を曲げない。
そんな夫に妻が掛けた最後の言葉が、この夫婦の絆を表した。
「正義を貫いて」
二人共、覚悟の上なのだ。
体現したアウグスト・ディールとバレリー・パフナーはもはや演じているのではなく、そこに生き、営んでいた。
そこまで信念を貫く事なのか…?
何処か何かを妥協すれば、この結末にはならなかったかもしれない。
自らも残された家族の苦しみ悲しみも和らげたかもしれない。
だが信念とは、如何なる時でも自分自身を偽らない。
どんなに不器用で、どんなに悲しい結末が目に見えててもいい。
自分を信じなかったら、自分じゃなくなる。
普通に撮ったら、悲しみや感動など激しく感情を揺さぶるものに。
が、本作の監督はテレンス・マリック。
詩的な映像、音楽、語りで、感情に訴えるのではなく、感情に委ねる。
難解で長尺が多く、人によっては全くハマらず、ただのヒーリング映像にも思えるだろう。
他の監督とは一線を画す作風、一貫したスタイル。監督自身も己を曲げない信念の持ち主だ。
時々崇高過ぎて、ついていけない作品もある。
初期の『天国の日々』や『シン・レッド・ライン』は勿論、『ツリー・オブ・ライフ』には圧倒された。寡黙な作家で知られるが、近年は突如のハイペース。ちょっと興味を惹かれない作品やまだ見てない作品もある中、本作は惹かれた。
紛う事なきテレンス・マリック作品。圧倒的な映像美、荘厳な音楽隊、哲学的な語りには、いつもいつも監督の深淵を覗いた気がする。
エンディングの文が胸を打つ。
本当にそうだ。素晴らしき事を訴えているが、ごくありふれた事だ。
伝説の監督とも呼ばれるテレンス・マリックだが、その思いや営みは我々と同じ事を願っている。
名もなき尊き生涯を。