「寡作だった作家の豊かな語り口。」名もなき生涯 yuiさんの映画レビュー(感想・評価)
寡作だった作家の豊かな語り口。
かつては寡作で知られていたテレンス・マリック監督ですが、ここ最近はかなり制作ペースが上がっています。何か心境の変化があったのでしょうか?マリック監督は最初期の作品から近作まで、比較的作風が一貫していて、それは例えば、信仰と人間の業、自然に包摂される人為といった二項対立を、人工光に頼らず描き出す、といった形で示されます。主題は時に内省的な傾向を強めるため、時には『ツリー・オブ・ライフ』の宇宙創生の描写のように、観客はおろか演じている俳優にも理解しきれない領域に達してしまいます。
翻って本作の主題は(こう言っては失礼かも知れませんが)、表面的にはマリック監督作品として異例なほど明確です。圧倒的な権力を握るナチスを前にして、配偶者にも理解しかねるほどに自らの信念を貫き通す無名の農夫フランツ、そして彼やその家族の存在を疎ましく思い、助けるどころか排除しようとする住民達、そうした不穏な状況下にあっても天使のように愛らしい娘達。信念に基づいた選択がどのような状況をもたらすか、誰の目にも明らかな状況でなお、フランツは引き返そうとはしません。
全てを犠牲にしてまでも信念を貫き通すフランツの真意は何か、実は主人公フランツの内面こそが本作最大の謎なのですが、その鍵を監督は、最序盤と幕切れでそれとなく示唆しています。その表現手腕に脱帽しました。本作を鑑賞後、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙ーサイレンスー』(2016)を見直したくなりました。
偶然とは思いますが、コロナ禍で感染者や特定の地域の人々が攻撃されたり排斥される状況、そして米国における人種差別に対する抗議運動という現状を鑑みると、本作のフランツやその一家と同じ境遇にある人々が世界各地で生じているのでは、と思わずにはいられませんでした。