レ・ミゼラブルのレビュー・感想・評価
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怒りと憎しみが、報復へと変わるメカニズム
2019年(フランス)
カンヌ国際映画祭審査員賞ほか多数受賞した作品。
有名なヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』とは題名だけ同じ。
レ・ミゼラブルの意味は「悲惨な人々」
この映画も悲惨だ。
子供を主役に置いてるが、手法がリアル。
子供も立派な社会の矛盾の被害者であり・・・また立派に犯罪予備軍で、
その後継者に育つ。
そのメカニズムが104分の映画の中で、見事に表現されている。
レミゼラブルの舞台となったモンフェルメイユは今は移民や難民の犯罪多発地区に
なっている。
ラジ・リ監督もモンフェルメイユに生まれ今も住む。監督もアフリカ系の移民2世。
《フランスの現在のカオスを伝える映画です》
フランスがサッカーのワールドカップ優勝にわく2018年。
子供がライオンを盗んだことなど、ほぼ実話だと言う。
モンフェルメイユの犯罪防止班に新しく赴任したステファンは、
正義感の強い真面目な警官。
そんな犯罪防止班をきりきり舞いさせるのが、イッサなどの、
子供たちなのだから、恐れ入る。
子供に右往左往させられる警官の図式が、この映画のテーマの根っこの深さを
物語っている。
純真な子供なんて視点は皆無。
子供は親をしょっぴく警官を生まれた時から見て育つ。
物心ついた頃から盗みを働く子も多い。
イッサは12歳くらいのアフリカ系の子供。
鶏を盗み父親にこっぴどく叱られるのを警察署でステファンは目撃する。
さらにヒヨコを盗み、なんとロマのサーカス団からライオンの子を盗み出したイッサの悪戯は、冗談では済まされなくなる。
更に仲間と騒いだイッサを犯罪防止班の警官がゴム弾で射撃してしまう。
意識を失うイッサ。警官は救急車さえ呼ばない。
有耶無耶にしたいのだ。
正義感から責任を感じるステファン。
更に悪いことに射撃の現場をドローンで撮影されていたのだ。
もうカオスです。
この後半の展開はギャング映画以上の凄まじさになる。
イッサの仲間の子供たちは神出鬼没のストリートギャング!!
迫撃砲に花火爆弾。
迫撃砲はまるでロケット爆弾のように派手に炸裂する。
警官の車は破壊の限りを尽くされ、スクラップ状態。
なぜ、なぜ、これほどまでの激しい怒りと憎しみが子供の心に育つのか?
サッカーでフランスを応援するイッサに祖国とは何処なのか?
生まれた国を憎み、生まれたことを呪う。
正しいことをする警官ステファンさえ、
彼の正義感を逆撫でする事態に・・・警官だって人間だ。
ラスト。
仁王立ちするイッサは悪魔(サタン)にしか見えなかった。
「悪い草も、悪い人間もいない。」
「育てる者が悪いだけだ」
by ヴィクトル・ユゴー
最後のシーンは最初でも良い
「誰が悪い」の議論を映像化したような。ただ、環境の悪さは確かに仕方のないことだが、終始誰もが環境のせいにしているので、中々共感はしづらい。
警察はなめられたら終わりなので=謝らないし、そんな警官を見て子どもらも同じように振る舞おうとするので「奪いあう」=舐められないようにするためなら「盗んでもいい」となり、ルールを守っているものは奪われて舐められっぱなしなので「弱者」となり、ある日弱者でいたくない!と奮起する=「ルールを守らない」人間へとなり、皮肉にも警察が取り締まる対象となる。
社会は大人が作っており、模範となる大人がいない社会では、これから学びの多い子供らが荒れるのは自然の摂理。
そんな「模範の大人」になるべく、悪家業から足を洗い飲食店を開いてる元ワルの人は、そんな現実をとても憂いているように思えた。
「俺ら“大人”が悪い」と感じられないのは、子どもの頃の精神のまま歳を重ねてしまったからなのか。「母親」を抜きに、出演者全員が意地を張り合う子どもに見えた。
最後のセリフのみのテロップは、映画の最初でも良い。
Teenage Riot
貧困に窮するコミュニティと公権力とが馴れ合う社会、大人が解決しない理不尽を、思春期の暴発がズッタズタに切り裂く。揮発性の高い少年イッサが抜群の存在感。「オォイ、オレだよ。薬局連れてったオレだよぉ」と良心に縋りついてひざまずいてしまう。社会を和する側に身を張るか、保身に張るか?ラストのフェードアウトが問いかける意味は大きい。
暴力の連鎖
暴力の連鎖と簡単に言えてしまうが根っこは深いものがある
途中警察に対する庶民の信頼の無さが浮かび上がっている
その原因でもある先輩警官の高圧的な態度が
問題を深刻化させている
結局この人が普段撒いていた憎悪の種が事件をきっかけに芽吹いたとも言える
最後火炎瓶を持った子供がどう行動するか?
わからないまま幕切れる
考えてみればこの子ライオン盗んでるくせに反省していないし
ろくなもんじゃない
そして何もわかってないまま警察への反発をし暴力に手を染める若者達も
ろくなもんじゃない
でも、実際ありそうだよね
勝手に正しいと信じ切って燃え上がってしまう人ってネットとか見てるといるものね
何かやるせない気分にさせられる映画だったが
フランス社会が抱える問題を垣間見た気分になった
そして解決できない問題を提起された感じだった
貧困スラムの現実を見た
本作レ・ミゼラブルはカンヌ国際映画祭でパラサイト半地下の家族と最優秀賞を争った他、数多くの映画賞を取り話題の映画です。
という宣伝なので鑑賞。
ストーリーはざっくり下記。
「レ・ミゼラブル」の舞台であるモンフェルメイユという街に転勤してきた警官ステファン。転勤理由は、同業者だった前妻と息子が引越したので、近くのこの街で働けば息子に会えるのだそう。
モンフェルメイユは貧困化していて黒人が多く住んでいる。市長も黒人だ。
ステファンは転勤先の警察署に出社すると、署長からクリスとグワダと一緒に街をパトロールするよう指示する。ステファン、クリス、グワダ3人のリーダーはクリスだが、彼の警官らしからぬ振る舞いに、ステファンは同じ警官なのかと信じられないようだ。
この街で生活する少年イッサがサーカスの子ライオンを盗む。ライオンを盗まれたサーカス団が市長の元に荒々しく押しかけると、クリス達はライオンを見つけると約束する。
クリスはライオンを盗んだ犯人が写真をアップするだろうとスマホを見ていると、盗まれたライオンと2ショット写真を上げているイッサを見つけ、彼の元へと向かう。イッサを捕まえると、周囲の子供達がイッサを解放するように要求しながらも、クリス達に空き缶を投げるなど収集がつかなくなる。
キレたグワダは至近距離でイッサにゴム弾を打ってしまう。死んだかと思われたが息はあるようだ。この事態を盗撮しているドローンにクリスは気付く。ステファンは倒れているイッサを病院に連れて行こうと提案するがクリスはドローンで撮影された動画の回収の方が先だと言う。
動画を撮影していた子供を追いかけていくと、街のボス?の店でボスとステファンが取引し誤発を有耶無耶なものとする。警官が子供を打ったとなると、その怒りから過去に起きた暴動を繰返すことになるというのが、今回の問題を無かったことにする理由である。
取引成立後、イッサはクリスらに解放される。クリスはイッサに顔の傷はコケたことにするよう強いる。
翌日、クリスらが街をパトロールすると、イッサが目前に現れてミサイルのような花火をパトカーに向かって打つ。クリスらはイッサを追い掛けてマンションに入っていくが、そこには大勢の少年達が待ち伏せていて、クリスらに暴行する。少年らの暴動は収集が付かない。
ステファンの目前に、火炎瓶を持ったイッサが現れる。すぐにステファンは銃を取り出しイッサに向ける。火炎瓶を床に置けと指示するが、、、終わり。
火炎瓶は最低の兵器
いや、ミリヲタとして言わせてもらえば、あんなアホな兵器は無いから。簡単すぎ、残虐すぎ、安全装置なし。知恵のない、ただの人殺しが使う殺人兵器です。
2018年7月15日。FIFAワールドカップの決勝で、フランスはクロアチアを4-2で下して優勝。フランスチームでゴールしたのは4人。マリオ・マンジュキッチは旧ユーゴ、クロアチアの移民。アントワーヌ・グリーズマンはブルゴーニュ地域出身。ポール・ボグバはフランスとギニアの国籍を持つ。当時19歳のエムバッペは、フランス・カメルーン・アルジェリアの三重国籍。多国籍のフランスらしいチームを応援する群衆の中には、アルジェリアの国旗を体に巻いた男もいました。出自の違いを一瞬でも忘れ、フランスの優勝に歓喜した人々。
1998年、自国開催の大会で初優勝した後、フランス人記者は、こんな記事を書いて世界中に発信しました。「朝、窓の下を見ると、サッカーボールを蹴りながら学校へと向かう子供たちの姿がある。これが、この大会で優勝した、最大の意義である」。二回目の優勝を果たしたロシア大会で、かの国は何を得たんだろうか。なんて事を思うサカヲタが一人。いや、たまたまなんですが、映画鑑賞した日、フランス代表チームのレプリカユニ着てたもんで。背番号は11でナスリのネーム入りw フランス代表ユニって、ポロシャツみたいに襟が付いてるんで好きなんです!
◆「子供の悪さは大人の責任」。全くもって仰せの通りです。
"Lead" でしょうね。親が、大人が、「子供達にはこういう大人になって欲しい」と思う姿に、まずは自分がなる。それが全てだと思います。ちょっと気になって「しつけ」を英語辞書で調べてみると「discipline」「train」「teach」なんかが出て来ます。しつけも教育も「Lead」と言う単語は表示されなくて。我が国の概念でも、「教える事」「躾けること」は、一方向の矢印なんだ、って思った次第です。
いずれにせよ。
逆恨みで暴動を起こし、火炎瓶まで持ち出した少年を、撃てるか、撃てないか。見る人に問いかける手法は、ちょっと嫌かも。撃てずに火炎瓶に三人が焼かれれば、少年たちへの憎悪を招く。SIG SAUER Proの9mm弾に少年が倒れれば、おそらく、意見が分かれ議論になる。映画的にはですね、個人的には、撃つべきだったと思います。撃って議論を巻き起こすと言う選択もあるのではないでしょうか。
◆俺たちは本当にフランス人なのか?
サッカーで活躍すれば、称賛され英雄になる。落ちぶれれば、手のひらを返したような扱いを受ける。それが移民であれ、生粋のフランス人であれ、同じだと思うんですが。ただ、移民の子の場合、「国へ帰れ」と罵られる。どれだけ頑張って社会に貢献しようとも、その国に迎え入れられていないかの様に錯覚する、いや、疎外され違和感を感じる人の話は、良く聞く訳で。ジオディーヌ・ジダン(同じ移民である姉を侮辱されて頭突き退場した話はあまりにも有名)も、マリオ・バロテッリ(彼はイタリア代表。差別に悩むも、養父母の愛でドロップアウトから立ち直る)も。
出自による差別は無くならない。そうした数多の実例の中から、パリの移民団地の現実が描かれているのであろう、って所が結構刺さりました。
良かった。救世主がいないところがリアルで。
問いかけ
「悪い草も悪い人間もいない。ただ育てるものが悪いだけだ。」
冒頭のW杯、フランスのナショナルチームがプレーする様に連帯して興奮するシーン。しかしこの連帯は、本編で社会に根ざす分離の側面を炙り出す中で、見せかけのものなのではないかと、観終えた私に深く問いかけた。
一つ、特に印象に残ったシーンを挙げると、それは警官らが一連の少年にかかる諸々をひとまず終えて、彼らがそれぞれの家に帰って、彼らとその家族との関わりを描いた箇所である。
事をしでかした思いを、怒りを隠しながら家族とひたむきに向き合う者もいれば、泣きながら母親と話す者、少々癇癪を持ちながら子と接する者もいる。事の後のそれぞれの家族との向き合い方を通して、彼らがどのような意識を持っているのか、よくわかったような気がした(家族には人は正直になることが多いと思う)。
最後のシーン、出来れば、希望を持ちたい。
育てるものが悪く、ああした復讐に走った彼らである。育てるものを悪くしたもの、悪いものの源は一体何だろうか?社会に問いかける。
現実を考えさせられる最後
最後、イッサは火炎瓶を投げるのか。
ポマード刑事は銃を構えた先に何があるのか。
いろんなことを考えさせられる映画でした。
実際にこの一つの事件がどんな最後だったかを伝えないことで、この一つが解決しても、同じような事件が次から次から起こる世界を感じた。
大人が隠蔽する世界に子供達が反抗する。
模範となる世界がないことで、
世界が良い方向に進むにはどうしたらいいのか、
考えることのたくさんある映画でした。
すごかった
ちょうどイタリアやフランスがコロナで大変な時期に見たので、冒頭のサッカーの応援で濃厚接触しているのを見て、これはひどく感染が広まるはずだと思う。
一番意地悪な刑事が、自分にも子どもがいるのに団地の子らに対してあまりにひどいので一体なぜなのか、そこまで想像力がないのは一体何なのか気になる。
ゴム弾で顔を撃たれた子が死んだり、失明していなくてよかったようなもので、なぜ病院に連れて行かないのだ、薬局で済ますなんてどういう神経をしているのだ。その上ライオンの檻にまで入れられて気の毒としか言いようがない。
クライマックスの団地の階段の攻防がすごい。
ラストシーンの意味
「子どもはいいもんだ」と前夜にいっていたステファン。
「あそこはやばい。盗んだだけで人を焼くんだぜ!」と故郷を笑っていたイッサ。
そのふたりが銃と火炎瓶をもって向かい合うラストシーン。
どちらか、いやどちらもが絶命しかねない瞬間に、映像は暗転して修羅場を離れる。いわば、観客を〝安全な場所に置く〟俯瞰映像をもたらしてくれるのだ。
とはいえ観客は、完全な意味での安全な場所にはいられない。結末はどうなるんだ?と気になり、発端は〝子どもらしい〟悪戯だったことを思い出し、猛獣のエサにされてしまう少年の恐怖を思い出し、自我ともいえるチップを奪われた少年の喪失感を思い出し、それぞれの家族の営みを思い出し、大人の事情で翌日にはなかったことのようになる名ばかりの正義を思い出す。ステファンが同僚にいう「やるべきことをやれ」という一言は、ラストシーンのステファン自身に必要な言葉だ。その瞬間、スクリーンの中の世界が自分たちの現実の象徴であることに観客は気付かされる。
ラストシーンの続きは観客それぞれの現実世界なのだ。
ヴィクトル・ユゴー作「レ・ミゼラブル」でも描かれた、些細なことから悲劇をもたらしてしまう人間の愚かさは、21世紀でも変わらない。本作でラジ・リ監督は、登場人物の誰にも肩入れしない。解決策は、俯瞰力ではないか。ドローンを効果的に使いながら、監督はそう言っている。アパートを上空から俯瞰した映像では、子どもたちの遊びも決定的な事件が起きてしまう瞬間も、どちらも戯れにみえる光景なのだから。
当事者にならずにその場を理解する力、俯瞰力を観客の手にじかに握らせてくれる作品だ。
ミゼラぶる余韻
書き忘れてた。
良かったですよ。スクリーンに釘付け🔨とはいかずとも強めのクリップ付けで、常にこの後の展開はどうなるのかな~?と見守る緊張感があって。
あんなチーマーのチーボスみたいな市長が仕切ってるような町には住みたくないなぁ‥ と率直に感じてしまうのですが‥内容はチームの縄張り争いみたいなもので、アフリカ系移民を連れて来て働かせた仏🇫🇷のそのへんのややこしい図式は、日本の被差別部落の問題と近い感じか。
お話には前半ちゃんと食い付いていましたものの、大きなトラブルを一旦収束させたあたり以降で不覚にも寝落ちしてしまい、目が覚めたら🔥の🔥ラストシーン。
一緒に観た同伴者に事の成り行きは聞きましたし、最初からラストは観客への投げ掛け系なのは監督の談話を目にして知っていましたが、まあそこらの物をかっぱらっても構わないというDNA持ちの人種と、そうでない民度民の争い交わりに、クソ真面目な正義感で正論を説いて相手とすんなり和解できるほど、人類もまだ物分かりのいい生き物ではありませんですね🤨
勧善懲悪な世界でもない限り、ライト or ダークサイド判定も、誰かのある時点のある視点からの判断になりますので、立場やTPOによって変わりかねないものですし。
まあ私は単純にライオンをパクるなど調子コイて何かとトラブルをメイクするあの悪ガキにムカついてしまうのですが😠
あまりの展開に、観客は唖然とするしかない。
フランスの貧困を描いた映画は、ダルデンヌ兄弟がまず頭に浮かぶ。彼らの厳しい現実の中にかすかにも希望を見出そうとするのとは対照に、ただあるがままの現実を目の当たりにさせ、結論は観客に委ねる展開に唖然。
たった2日間であり得ないほどの急展開を見せるストーリーに全く違和感がなく、観客はただ傍観するしかない。
序盤、目まぐるしいカメラワークに、アップの連続が多く、力業で押してくるかと思いきや、盗みを働くイッサが、故郷のアフリカで「泥棒が焼き殺されるのを見た。盗みは重罪だ」と語る場面が最後大きな意味を持つなど、伏線もしっかり張ってあり、見終わった後に胸にズシリとくる。
全編を通して感じたのが、なぜ誰も冷静に話し合おうとしないのか。大人たちは絶えず不機嫌で威圧的で、怒鳴り合い責任をなすりつけ合う。子供が犯した罪を言い聞かせて嗜めるのではなく、威嚇し力で押さえ込もうとするばかり。
鬱屈した負のエネルギーは、いつも身近な弱者に向かう。
日本の通り魔事件などでもそうだけど、自身を苦しめる人間では無く、自分が力を振るいやすい人間に憎しみが向くのは、なんて悲しい事だろうと思う。
この映画で、騒動の原因を作ったイッサが復讐の相手に選んだのは、騒動を沈めるべく奔走した警察官たち。警察官たちにも大きな落ち度はあったけれど、大きな抗争さえ起きかねなかった事態を発生させた自分の行為は棚に上げた逆恨みに、地域の子供たちを巻き込んで凄まじい暴動を起こしていく様は、まさに地獄絵図。
さらに怖いのは、子供たち一人一人に明確な意思がなく、集団心理で暴走していくこと。
最後に流れる、「世の中には悪い草も悪い人間もいない。ただ育てるものが悪いだけだ」という、ユーゴーの言葉があまりにも重い。
シンドイ作品
レミゼラブルの舞台になったフランスは、モンフェルメイユ。そこに赴任した警察官。
移民や貧困で、犯罪は低年齢化
その街を牛耳る2つの勢力
そして警官。
ある事故から
彼らの怒りが爆発した!
もう止められない!
権力に暴力で抵抗する。
ラストは、シンドイな!
愛なき街パリ・モンフェルメイユ
カンヌ国際映画祭審査員賞授賞作品。
『噫無情』の邦訳タイトルでも知られるヴィクトル・ユーゴーの同名小説と同じタイトルなので、はじめは、てっきり現代版のアレンジ作品かと思っていました。
小説の舞台となったパリ郊外のモンフェルメイユが舞台なだけで、小説とは関係ありません。
移民や低所得者が多く住むパリ郊外のモンフェルメイユ。
シェルブールから新たに配属された警官のステファン(ダミアン・ボナール)は、ふたりの先輩警官とともに地域パトロールに加わり、ここが犯罪多発地域であることを実感する。
そんな中、ロマのサーカス団からライオンの子どもが何者かによって盗まれる事件が発生。
事件の調査に乗り出し、犯人の少年を特定し尋問するも、不意を突いて少年は逃げ出してしまう。
先輩警官のひとりが咄嗟にゴム弾を放ったが、そのゴム弾は少年の顔を直撃してしまう。
さらに運悪く、一機のドローンがその一部始終を撮影していた・・・
という物語。
黒人、ムスリム、ロマなど多人種が入り乱れ、それぞれがそれぞれの縄張りを持っていて、とにかく厄介な地域であることがわかるが、監督のラジ・リは、このモンフェルメイユの出身であり、空気感を実に見事に撮らまえている。
新配属されたステファンが倫理的で、ふたりの先輩警官は腕ずく派(特に、リーダー格の警官)というあたりは、この手の警官もの映画では定石的がだ、その定石が舞台となる地域の不安定さを描くのにはいい方に働いている。
ドローンで撮影された映像データを取り戻そうとふたりの警官たちは躍起になっていくうちに、事態は複雑化し、最終的には住民の一部(若者)が暴徒化していく。
そして・・・
と、この後がどうなるのか興味津々だけれども、映画はユーゴーの言葉、「悪い草も悪い人間もいない。育てるものが悪いのだ」を引用して終わるが、うーむ、この結末はいかがなものかしらん。
フェルナンド・メイレレス監督の『シティ・オブ・ゴッド』を少し思い出しましたが、さて、どうでしょうか。
なお、ポスターに使われている凱旋門前の群衆シーンは、ワールドカップでのフランスの活躍に沸き立つ群衆のもの。
なんだかちょっと宣伝方法としてはズルいのではないかしらん。
こんな警官やだ。
フランスの闇の世界。
映画を観てる側としては、フランスという事を忘れる。
名前忘れてしまったけど、BACの黒人の警官を見た時は
チンピラかと思いました。
何だろ公務員感ゼロなんですよね(笑)
子供達とのシーンでは、まさにチンピラ感満載で
こんな警官いたら最悪なんですけど(;゚д゚)ェ…
って思ってました。
物語としては、見やすいと思いますが。
えっ、そこまでやるの?
と言うか
事を大きくし過ぎじゃない?
みんなもっと冷静になってみよう。
無能な人達は、語り合う事が不可能だから
暴力や武器に頼るんですね。
と突っ込みたくたなる。
ラストシーンはモヤモヤが残ったのは私だけでしょうか。
トラのTシャツ
2018年サッカーワールドカップ優勝に沸くパリ郊外モンフェルメイユのスラム化したボスケ地区を受け持つ警察官、BACと住民達のトラブルの話。
市長と呼ばれるボスのグループとケバブ屋を営むイスラム教グループにBACと繋がるグループ、更にロマが入り乱れる混沌とした地域で、イッサという悪ガキがロマのサーカスからライオンの子供を盗んだことでことが起こって行くストーリー。
バス停で大麻を吸う15歳の少女への対応や少女のリアクションを見るに、日本人の常識では測れない彼らの日常が背景にあるのがみてとれる。
(フランスでは喫煙は18歳以上、大麻は違法だけど含まれてる成分量によってはOK)
背景を知ってか知らずか判らないけど、ただひたすらイッサの擁護をするどころか後を追い物を投げつける仲間の少年達とか、この件は別としてもそれまでの横柄さが背景にあるとはいえど、仕事として真っ当に対応している警察官に対する子供達のリアクションが強烈だし、恐ろしさを感じる。
そこからのBACの対応の黒さと、問題を提起してのぶん投げっ放しっぷりは、知っているつもりな輩の鼻っ柱を折るには充分だし、投げっ放しなのにここまでの衝撃を与える流れに興奮した。
途中までは悪くないがラストが嫌い
子ライオンが盗まれた事件を巡り巻き起こる騒動。盗んだのは手癖の悪い少年。彼を捕まえたはいいが、周りには彼の友人たちが数多く抗議している。そこで起こったゴム弾の発射。問題はいろいろあるが、1番大きな問題はドローンで撮影されたらしい動画の存在。なんと現代的!
その事件が収まったあとに待ち受けていたのは発射されたゴム弾で怪我をおった少年とその仲間による復讐だったってオチ。
なかなか緊迫感があるし、ドキュメンタリーみたいなカメラワークも悪くない。どっちに転んでも嫌な結末が待ってるだろうなと思っていたが、観てる人間に丸投げのラストだった。そんなんありかよ!
しかもその後の字幕はかなり説教臭くて好きじゃない。書いてある内容はわかるけど、あそこでドヤ顔でドーンッ!って出されると拒否反応を示してしまう。
移民、宗教、ドラッグ、貧困、様々な問題が絡み合う地域ってことはわかるんだけど、そこまで貧しいとか移民差別や宗教差別が激しいという描写もなかったような。刑事がそれらしきこと言ってるけど、刑事の言うことだからな。信用ならねーやって感じがして、事態の深刻さを伝える意味ではやや物足りなかった。
相手を敬う気持ち
予告で見て興味を持って鑑賞したのだが、予告を見て思い描いてた通りの展開でとても見やすかった。
パリ郊外の犯罪が多い一つの街をリアルに描いた作品。
なぜ犯罪がなかなか減らないのか…いろんな原因はあると思うが、その原因の一つが理解できるそんな作品に思えた。
おそらく多くのものが主人公のステファン目線でこの作品を鑑賞する事になると思う。
犯罪者の多くはもちろん大人達なのだがこの街の怖いところは子供達もまた現時点で多くの問題を抱えており、近い将来の犯罪者予備軍と化しているところだ。
ではなぜそんな子供達を救うことができないのか。
決して大人達が彼らを放置しているわけではない。
しかし大人達もまた余裕がない。大人達は互いに力を見せつけ合い、力で互いを制圧し事を解決していく。
そんな姿を子供達は見て育つ。そして子供達が悪いことしても大人達は暴力や暴言で彼らの非行を否定する。
暴力、暴言、権力で相手を抑えつけた先には、そこに生まれるのは改心ではなく復讐となり暴力、暴動、犯罪といった負の連鎖はさらに続いていくのである。
大人から子供へ、そしてそのまた子供へと暴力や復讐心
は受け継がれていくのである。戦争時代となにも変わっていない。
最後はステファンは自分たちの命を子供に奪われかけるシーンで終わる。
引き金を引けば命は助かるかもしれない。しかし彼を撃ったり殺せば、残された者たちの復讐の火はまた燃え上がりこの負の連鎖はさらに続いていくだろう。
最後のシーンの様に、窮地に立たされてからではなにが正しい選択なのかわからない。どちらを選択するにしても犠牲が付き物になってしまい、事が解決しない可能性が非常に高いと思われる。
結果として、暴力や暴言で一時的に相手を抑えつけても、そこには尊敬や敬意は生まれない。
どんなに平和な社会でも、人と人がぶつかり合うのはもちろん避けられないことだ。
しかし、そこには相手を敬う気持ちがないと解決に進まないことが改めて感じされた。
【フランス・スラム街に住む有色人種の子供達の激しい怒りの理由。現代世界への鋭い警句を発信する映画でもある。】
冒頭、ワールドカップ優勝に沸く人々が集う、凱旋門前。はためくトリコロールの旗。
だが、そこに浮かび上がってくる、映画タイトル・・。
それ以降は、
”ここは本当に世界一等国のフランスか?”と思う映像が続く。
主舞台のボスケ団地に住まう人々は
・“市長”が纏めるアフリカ系移民グループ
・ケバブ屋をリーダーとしたムスリムグループ
・怪しげな麻薬を扱っているらしき人々
・サーカス団を率いるロマたち(昔風に言うと”ジプシー”ね・・。)
と、多岐にわたっているが、微妙なバランスを何とか保っている事が伺える。
彼らを取り締まる、フランス警察クリス(彼らに対する態度たるや・・)、グワダ、そしてシェルブール地区から異動してきたステファン。
上記背景の中で、”ある事件”が起き、彼らのバランスが徐々に破綻していく・・。
自分たちの失態を隠そうとするクリス&グワダ。(けれど、ショックは隠せない。)
事件を引き起こしたがためにゴム弾を顔面に受け、失神するアフリカ系移民イッサ少年。
ステファンのみが、イッサの救急手当てをするが・・。
今作で印象的な場面は多々あるが、
・警官たちとスラム街住人たち(ほぼ成人前の子供達に見える。教育環境の劣悪さも垣間見える。)とのリアリティ感溢れる緊迫した争いの連続シーンには引き込まれるし、
・上手いのは非道な警官として描かれるクリスは家庭に戻れば父親の姿になるし(幼い二人の娘)、グワダには料理を作って待っている年老いた母がいる(彼が母親に涙を流しながら縋り付く場面は、グッとくる)場面を挿入している所。
・更に登場人物が、”ほぼ”有色人種であること。
・そして、フランスだけではなく、世界各国での喫緊の課題がリアルに作中で描かれているところだろう。
<イッサが怒りに燃えた目で、警官たち(ピストルをイッサに向けるステファン、目に怪我を負ったクリス・・)を見据え、火炎瓶を手に持つシーンで映画は黒くフェード・アウトし、
”ヴィクトル・ユゴーの警句:”友よ・・・、悪い草も人間もいない、育てるものが悪いだけだ”
がテロップで流れるラスト。
見事である。
ー ここからは私見であるが、イッサは最後どうしたのか?
”甘い!!”と言われるのを覚悟して、私は且つて自分を助けたステファンの必死の姿を目にし、敢えて火炎瓶を
”厳しい現状を諦観を持って、甘んじて受け入れている自分たちの親世代”に投げた。
と思いたい・・。
出なければ、この映画自体が、本当に”悲惨な人々”を描いたものになってしまうではないか。
厳しい現実が横行する現世界だが、”救い”が欲しいと感じた映画でもある。-
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