レ・ミゼラブルのレビュー・感想・評価
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ミュージカルでもないしフランスのW杯優勝パレードを追うドキュメンタリーでもない
タイトルとポスターが中身と乖離していて(まあタイトルはラストに繋がってるけど)
興行的にメリットが出ているか疑わしい。
ビクトルユゴー作レミゼより
「よく覚えておきなさい、世には悪い草も悪い人間もいるものではない。
ただ育てる者が悪いばかりだ。」
2018年FIFAワールドカップでフランスが優勝した夏の日の出来事
パリから20㌔弱の「レ・ミゼラブル」の舞台にもなっているモンフェルメイユ。
犯罪多発地域の移民が集うゲットー
2005年10月27日、モンフェルメイユの隣クリシー・ス・ボワでアフリカ系とアラブ系の少年2人がパトカーに追われ、逃げ込んだ変電所で感電死。それをきっかけに暴動が全土に飛び火するきっかけになった街でもある。劇中でも言及されるのがコレ
レ・ボスケ団地はアフリカ系の監督が在住している場所
公式サイトによれば、
本作で描かれているすべてが実際に起きたことに基づいています。
ワールドカップ勝利の歓喜はもちろん、地域に新しい警官が来た時のこと、ドローン、盗まれたライオンまですべてです。
この地域の素晴らしい多様性を見せたかったんです。
とのこと。
団地を仕切る地回り的な市長はニセモノ市でもみかじめ取ってる
ヘロインを取り仕切るハイエナは警官と懇意
ムスリム同胞団上がりの黒人はケバブ屋でイスラム教徒の親玉
警官も関わりたくないというロマは空き地でサーカス団をやっている
警察の「犯罪防止班」(BAC)には白人のベテラン、10年ここに住んでるアフリカ系移民二世、別れた息子に会うため田舎から転属してきた新人が主役というか我々の目の代わりというか
シティオブゴッドというよりか
イタリア映画のバスターズ、低所得者団地バンリューが舞台のディーパンの闘いを思い出す
一番舐めてた子供たちにしてやられるという展開がいい
ラストも火炎瓶vs実弾(もうゴム銃ではない)どうなるかわからんまま消えてくのいい
すぐそこにあるスラム
作中の文字や台詞がフランス語でなければ、アフリカの貧困国の話にしか見えない凄まじい治安の悪さ。
おシャンティなフランス・パリのイメージはカケラもなく、終始暴力と貧乏の連鎖。まさに無情。気持ちが落ち着く暇がなく、観ていてめちゃくちゃ疲れました。
パラサイトとパルムドールを争ったとのことで、個人的にはシリアスなこちらの方が好きですが、話がやや単調なので、多重構造でユーモアも取り込んだパラサイトに軍配が上がったのはまぁ分かるかなと(ただアカデミー賞までなるとそこまでかぁ?とは今でも思いますが…)
しかしこういう題材の良作が次々出てくるってのは、見応えがあって嬉しい反面、世界はどこいくねん…という不安も滾りますねぇ…
レ・ミゼラブル見なければ
レ・ミゼラブルの話がベースになってるのかしら、もしそうなら知ってるほうが良かったかも。シティオブゴッド見たときも思ったけど、子どもが凶暴な社会が一番怖い。限度を知らないし、情もない。
そのプロセスから目が離せない。
ラジ・リ監督の体験に基づいた物語であり、ドキュメンタリー的な要素も含まれている。が、この作品が素晴らしいのは紛れもない劇映画であると言う点だろう。ちゃんと、いや、無類に面白いのだ。
コミュニケーションの喪失がボタンのかけ違いを呼び、その小さな摩擦がやがて大きな暴動に発展していく。。
その細かなプロセスはドキュメンタリーでは映し出すことは出来ない。映っているのはカオスだ。しかし、これは相当綿密に作られている。
ラストシーンがあそこで終わるのも素晴らしい。白黒つける必要はなく、あのギリギリのとこで終わるからこそ、こんなことになってしまったという、絶望が我々に突きつけられるのだから。
「パラサイト」と同じく、世界中どの国でも起こりうる
日本でも低所得者向けの団地、集合住宅は数多い。
その中には、治安が悪化しているモノもあるだろう。
もちろんフランス、イギリス、アメリカのスラムほどじゃないのは分かる。
でも「関係ない」と言えるのかな?
少し景気が悪くなって、失業者が増えて、社会的な不安・不満が高まって、本作のようなコトが起きないと言えるだろうか?
本作の怖いところは、「暴動を起こすのが、『子供たち』」ということ。
計算とか打算とかなく、感情的に行動を起こす。
言い換えると、それだけ不満が溜まっている、ということ。
自分の子供の頃なんか、家とか学校とかに多少の不満はあっただろうが、
本作のように、警察官や顔役(ヤクザ?)をボコろうなんてあり得ない。
子供の視野・行動範囲は狭く、経験も短いのに、それほどの不満を抱えていることに、深い闇を感じた。
興奮させられるけど、思慮がなさ過ぎ
展開や編集、カメラワーク、そしてキャラ設定やセリフなどなど、違和感を覚えるところが盛りだくさんでした。
大体読める内容なので、単純で思慮がないキャラばかり出てこられると、さすがに呆れてしまう。何のひねりのない結末に見えたし、スクリーンの中の事柄はみな制作者のコマでしかないように感じます。まぁそうなんだろうけど、その世界の中で生きている感じが全くもってしなかった…
個人的にはツッコミどころ満載な映画でした。結構ハラハラドキドキさせられたけれど、決して作品として肯定したくはありません。
ぶっ飛ばされました!
レ・ミゼラブル。ユゴーの有名な話じゃなくて、その話が設定された街の移民の子どもたちとそれを取り締まる警察官の話。
コロナ?外出禁止要請のおかげで私が行った映画館はガラガラで、気にもなりません。
私は、完全にぶっ飛ばされました。
憎悪と暴力の起源を見せつけられ、小市民的な善なんか完全に粉砕されてしまう。自分はその憎悪の対象になりうるという恐怖や、それも受け入れるしかない現実に生きてるとい受容というか、覚悟というか、諦めというか…見終わった後は、そういう感情がないまぜになって、ガツンとやられちゃったと思いました。
圧倒的な映画パワー。移民出身と思われるラジ・リ監督の初監督作品というから驚きます。
映画には救いがもちろん挟み込まれてはいましたが、現実はそんなものないかもというヒリヒリしたものを感じさせます。
日本の現実だって凄まじいけれど、作られる映画はその現実にまるで届かない。貧しい国だとつくづく思います。
ドキュメンタリーみたいな緊張
パリ凱旋門前の路上でのサッカー観戦、ワールドカップ 優勝に沸く少年たちを含んだ大群衆...という、本来であれば歓喜のシーンに、被さってくる不穏な音楽。タイトルが出る前の、この一連の映像と効果音が、この映画の中身を予想させる、秀逸なオープニング。
そして本編。スラムでの緊張は高まっていき、終盤に爆発する。決していい子たちとは言えない少年少女たちが。それだけにリアリティ。とても褒められたことではないことをきっかけに、悪いことが重なる。というか、子供たちは、大人たちの行動が、すべて自分たち子供の為ではなく、それぞれの大人が自分のことだけを考えての行動であることをちゃんと嗅ぎ分けている。だからこそフラストレーションであり、それは、主人公が必死で事を落ち着かせようとする行動さえも許さない。
「世には、悪い草も悪い人間もいるものではない。ただ、育てる者が悪いばかりだ」というビクトルユーゴーの「レミゼラブル」での一文が、これほど重くのしかかる。
この映画は、観た大統領に「この地区は、何とかしないといけないな」と重い腰を上げさせるという "大成功" を収めたそうだが、これは果たして、この地域だけの話なのだろうか。
俺は、果たして、子供たちの将来を考えて行動しているだろうか。綺麗事を言いつつ、実は自分のことだけ考えていないか。
いや重たい映画だった。でも、とても面白い映画ですよ。おすすめします。
さらに、いかに自分が、「何かが起きて当たり前」という映画的感覚に、どっぷり浸かっているかも痛感させてくれる映画でした。
終盤の展開は素晴らしい
発端となる事件はあまりにもグダグダな展開で、またしてもフランス人の倫理観や感覚は分からないとまた思ってしまった…
しかし終盤の展開は素晴らしい。大人たちに対する怒りがヒシヒシと感じられた。終わり方は意外だったけど…
赤ちゃんライオン
先にサーカス団に捕まっていたら、ゴム弾では済まされない本当にライオンの餌食になっていたであろう!?そんなお漏らしイッサは、終盤から特殊な能力でも身に付けたかのように子供たちを従えて、大人達への復讐が始まる。
警察側からの「エンド・オブ・ウォッチ」子供側の「シティ・オブ・ゴッド」って要素は頷けるが、全体的には「憎しみ」を、移民や集合団地は「ディーパンの闘い」だったり!?
リアルな現状、理不尽な権力、そこに生きる弱者から力を持つ者と相反する関係性からの争い、徒党を組んだ子供に翻弄される大人達が滑稽に見えて、この展開はギャグなの?チョットしたホラー、ファンタジー、サスペンス?と娯楽要素が目立ち始め、オチを含めて戸惑ってしまう。
怖い。
わたしは海外の社会情勢など全く知らないので、映画を通して知れることに凄く価値を感じます。
高圧的な警察たちも、反抗するこどもたちも、悪さに対する報復も全てが度を超してるので、日本がいかに平和かを心底実感しました。
これを観て何か出来るわけではないけれど、知ること、関心を持つだけでもわたしは意味があると思いたいので、これからもこういう映画に出会えたらなあ、と思います。
フランス映画らしい
警察物ならハリウッドだと勧善懲悪でカーアクションがあり最後はめでたしめでたしとなるのだが、ことフランス映画となると一筋縄でいかないのが常です。多種多様な人種が入り混じる社会を背景に、怒れる子供達。この2つが複雑に絡み合って最後の最後まで観る者をひき付けるストーリー展開は見事でした。カンヌ映画祭審査員賞受賞作品。
現代社会の問題の本質を浮き彫りにした傑作
「シェルブールの雨傘」デジタルリマスター版を観たばかりだからだと思うが、主人公の警察官ステファンがシェルブールから来たというだけで、不思議な親近感があった。
移民を受け入れているフランスでは、人種と宗教の入り混じった難民問題があり、時に事件や事故に発展している。加えて世界的な傾向である経済的な格差もあり、自由・平等・友愛を表わす三色旗を戴いて他人に寛容なはずのフランスが、ファシズムの国みたいに不寛容になりつつあるようだ。最近の新型コロナウイルスの流行では中国人が経営する日本レストランの壁に酷い落書きをされているのが報道された。大変に懸念される事態である。
フランスでは哲学が必須科目となるのは高校生からだが、小学校や中学校でも自分で物事を考えさせるのが授業の基本的なやり方となっている。答えの出ない問題についても考えさせる。哲学の国フランスならではである。
自分で考えるのは持続力と忍耐力、要は精神的な強さが必要だ。フランスは教育のおかげで精神的に強い人を育てることが出来ていた筈なのだが、今世紀に入ってからのIT技術の向上が裏目に出てしまい、自分で考えることが出来ない人を増やしてしまった気がする。ネットで調べれば簡単に解るのであれば、何も苦労して自分で考えることもない。我慢強くひとつのテーマを考え続けることで精神力が鍛えられて、他人に寛容な人間になれるのだが、人によってはIT技術がそれを阻害しているという訳だ。
IT技術が悪いと言っているのではない。テレビが世間に広まったときは「一億総白痴化」などと騒ぐ人もいたが、テレビのせいで日本人の全員が劣化したとも思えない。一部の人だけだ。同様にIT技術のせいで人類すべてが劣化することもないだろう。ただ、一部の人々は自分で考えることを放棄しインターネットの情報を鵜呑みにする傾向がある。
以前には「宗教は麻薬」という言い方もあった。それも同じことだ。宗教の教義を無条件に盲目的に守るだけで救われるなら、そんな簡単なことはない。信仰は悩みを放棄することに等しい。最後の最後まで自分で悩む人間だけが公平で公正な見方ができる。
ビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」で主人公ジャン・バルジャンがマドレーヌと名乗って市長を務めたモントルイユの、更に郊外にあるモンフェルメイユが本作品の舞台である。ファンティーヌが娘コゼットを悪党のテナルディエ夫婦に預けた街だ。ジャン・バルジャンはミリエル司教の寛容によって救われる。自らも、市長となった後にファンテーヌを救い、テナルディエ夫婦から酷い虐待を受けていたコゼットを救い出す。
本作品の登場人物のイスラム教徒が言い放つ「怒りはいつまでも残る」という言葉に象徴されるように現代のモンフェルメイユは怒りの巣窟である。人間を肌の色や宗教、出自などで差別する人々が、互いに憎み合い、いまにも暴動へと発展しかねないほど沸騰している。その危ういバランスの中で権力を振りかざすのが先任の警察官たちだ。最後は俺が法律だとまで叫ぶ。
ステファンは新任の一日目にその光景を目にして、彼らの人間性のレベルの低さにげんなりしつつも、警察官としての職務を果たそうとする。しかし住民たちの怒りはもはや収まりがつかない温度に達している。
怒りが充満した作品で、観ているこちらが息が詰まる。哲学の国らしい寛容さはもはや影も形もない。パリからそう遠くないモンフェルメイユがこのような状態であるなら、パリも推して知るべしだ。教育の低下は過激な暴力に直結する。
映画の冒頭でサッカーのフランス代表が優勝したシーンが映し出され、熱狂し換気する人々が映し出される。自国のチームを応援するのはナショナリズムである。ナショナリズムは往々にして熱狂と歓喜を生むが、それは同時に他国への憎悪、他の共同体への憎悪、他人への憎悪を生む。サッカーでフランスチームを応援した人々が、今度は互いに憎しみ合うのは当然だ。同じ精神性なのである。
暴力の連鎖は憎しみの連鎖であり、怒りの継続である。どこかで誰かが勇気を出して非暴力の姿勢を明らかにし、寛容を訴えなければ、争いは収まらない。しかしこの状況でそんなことができる人間が現れる可能性はかなり低い。モンフェルメイユに平和が訪れるのはかなり先になりそうだ。
ラストシーンの評価は分かれるだろう。唐突なラストに見えるかもしれないが、これでいいと思う。それ以上描くことは何もない。だからここで終わる。説明過剰なハリウッドのB級作品に慣れた方々には不満かもしれないが、フランス映画らしいラストだと言えるだろう。現代社会の問題の本質を浮き彫りにした傑作である。
ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」にも登場するパリ郊外のモン...
ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」にも登場するパリ郊外のモンフェルメイユが舞台。監督はそのモンフェルメイユ出身で現在もそこに暮らしているラジ・リ監督。
作品はミュージカルでは無く、少し重めの内容だとは感じていたけれど、上映時間104分があっという間。
けれど想像以上に考えさせられるテーマで余韻が強く140分位の作品を観たような感覚。
観る前は、タイトルややこしいんちゃう?なんて思っておりましたがタイトルの意味がはっきりとわかる瞬間( ゚д゚)ハッ!
下手な副題が無くて良かったです😌
フランスは移民社会であるという点からするとストーリーは解りやすいし、登場人物の関係性も比較的理解しやすい。
とはいえ、終盤の展開は驚きましたしスクリーンから全く目が離せませんでした。
冒頭のあの歓喜と一体感は何処にいってしまったのか。いや、一体感というか連帯感は残っていたんですよね。この連帯感、そうさせてしまったのは彼らであり土壌は違えど僕にも通ずるところがあるのかもしれません。
登場人物たちの言い分も多少は理解できることもありました。彼、彼らなりの正義もあったんでしょう(あの警官とあの団長は論外だけど)でもつもり積もった土壌は簡単には崩せないし、余裕が無いと自分本位になる。結局あの人も本人に委ねちゃいましたもんね。そんな人々を見ていたらそうなりますわな。
悲しいのはそれを打破する術が見出だせないことかもしれない。。
これがどうなるのかは観た側に委ねられますけど、僕は……イッサがアフリカに帰郷したときの話しを思い出したので苦しいし何も生まれないけれど、そういう事なんだと理解しました。
映画としては冒頭と終盤、とくにラストの対比が印象的で辛いけれども観てよかったと思える作品でした。
「ラスト30分」はガッカリ
「ラスト30分」がスゴいという触れ込みで、何を見せてくれるのかと期待したのだが、ガッカリだった。
おそらく、監督自身の実経験が盛り込まれた、リアルなシーンだろう。
しかし、“物理的”な騒乱で、映像効果を上げるのはたやすい。
本当に怖く、かつ、描写する価値があるのは、“精神的”な騒乱や荒廃ではないだろうか?
むしろ、この作品の優れているところは、半分、“ドキュメンタリー”のような部分だと思う。
警官、“市長”、ムスリム同胞団、子ども達・・・。
いろいろな立場の人間が出てきて、各自の思惑の中で勝手に行動しているところが、とても自然だ。
誰がどういうキャラクターなのか、なかなか把握できずに錯綜するので、忙しくて目が回る。
あからさまな犯罪者を登場させることなく、普通の人間の寄せ集めから、“不穏”な状況を描き出しているところが素晴らしい。
環境が人を悪くする。周りがワルなのでワルくなるという、負の連鎖が見て取れる。
警官も毎日毎日なので、ムチャクチャな行為が、いつのまにか当然の権利のようになる。“恐怖”を“敬意”と勘違いするのは、ヤクザと変わらない。
新しく赴任した警官の“ポマード”は、その状況を見て取って、正しく行動しようと努める。
それが、本作品のテーマのはずだ。
「ラスト30分」では、やはり暴動まで描かないと、人々の心の沈殿した“ダークエナジー”を表現できないという意図があったのだろう。
“市長”も、実は警官と同じレベルで憎まれていたということも、ここで明らかにされる。
しかし、意図がどうであれ、結果的には、「希望などない」という“オチ”を付けただけに思える。
このラストのせいで、「結局、自分は何の映画を観たのだろう?」という残念な気持ちの方が大きい。
“バイオレンス系の娯楽もの”ではあるまい。
監督が本当に訴えたかったのは、何なのだろうか?
突然ですが、グローバル人材ってなに⁉️
私は、世の中のことは今もよく分かってないのですが、今よりももっと分かっていなかった10年くらい前まで、正直に言うと『経済成長』とか『グローバル化』というものを何となく正しいものだと思ってました。それで税収が増えて年金や健康保険の財政基盤が安定するなら、みんなハッピーだし、何かの事情で経済的に困っている人たちにも、増えた税収のなかから制度的に補填ができれば、概ね世の中は上手くいくはずだ、と呑気に納得してました。
ところが。
もとより政治的な思想信条を持たず(つまり都合のいい自分好みの解釈はしないように心掛けているということです)、専門的知識も持ち合わせていない超素人の私から見ても、企業のグローバル化とか最適化というのは、要は世界で一番安いコストで物を作れるところでつくり、なるべく物価水準の高いところでそれを売る。そういうことらしい、ということが最近(遅過ぎる❗️)分かってきました。
だから、例えば、UNIQLOが世界に冠たる衣料メーカーになるためには、日本のような先進国の人間に払う給料は極力少ない方がいい、ということになる。
UNIQLOを批判しているのではなく、グローバル競争で勝とうとすれば、そういうことが起きる、ということだと思うのです。
かつてはフランス国内で比較的人件費のかからなかった旧植民地からの移民やその子孫も、グローバル化の中では、フランス国内に取り残されたまま、雇用も、いくあてもなく困窮してしまう。
日本では移民受け入れ自体がそもそも制度的に殆どないので、グローバル化の弊害が顕在化しづらいのですが、職がなくて困っている人は、ヘタをすれば自助努力が足りない、とか自業自得による〝負け組〟扱いされてしまいます。
しつこいようですが、別に企業を批判しているのではなく、企業だって生き残りのために海外展開しているのであって、国内の雇用を他意があって減らしてるわけではないはずです。
経済成長とかグローバル競争に勝つ、ということを企業活動から、就職・入社後の昇格などの個人レベルに掘り下げていくと、結局は自分さえ勝てば、自分さえ生き残れば安心できる、ということになって、周りの人のことを思い遣ることが〝勝ち残るため〟のメソッドとしては不要になるような怖さがあります。
メディアで喧伝されている絆とか繋がりという優しい概念との共存関係が、私にはうまく想像できないもどかしさがあります。たぶんメディア関係者は、あなたはどっち?と問われれば、みんな勝ち残ってきた側だと口にはしないけれど、心のうちでは自覚している人たちだと思うのですが。
勝ち残るメンタルの人が、成長戦略を推進する国や企業から求められる人材の指標のひとつとなって定着しているのだとしたら、中堅の人たちや若年層において一定割合でメンタルを病む人が生まれてしまうのは、もうグローバル化を目指す経済の中では構造化してるということではないでしょうか。
この映画のラストシーンは、あとは自分の想像力で考えなさい、と我々自身に委ねられましたが、以上のようなことを脈絡なくつらつらと考えてしまいました。
六月暴動
ヴィクトル・ユーゴーのレ・ミゼラブルのクライマックスは、七月革命に続く六月暴動(1948年の六月蜂起とは異なります)だ。
この映画レ・ミゼラブルは、この六月暴動を現代に置き換えたストーリーなのではないかと思う。
七月革命で誕生した王政は日和見主義で、既に冷夏による不作やコレラの蔓延でパリ市民の多くは困窮しており、コレラで亡くなった貧困層寄りの指導者を弔う葬列が暴徒化したのが六月暴動だった。
映画のレ・ミゼラブルでも、子供達にとって本来は味方であるはずの白人以外のマイノリティの大人達も、自分の都合や利益を優先して行動する、ある意味日和見的な人間として描かれている。
貧困や格差は問題だと言いながら、何も変わらない現在の世界。
七月革命でも事態が改善しなかったフランスと同じではないのか。
「よく覚えておきなさい。世の中には悪い草も悪い人間もいない。ただ、育てるものが悪いだけだ」
そう、悪いのは、事態を真剣に変えようとしない人間達なのだ。
この映画の物語は、ユーゴーのレ・ミゼラブルが綴るパリの貧民地区を舞台にしただけでなく、当時の労働者や農民の階級闘争を、不正を嫌うステファンの視点から、現代の貧困や格差、差別、そして、大人達のご都合主義を見つめ、更に、こうした鬱屈した状況に対する子供達の抵抗に置き換え、昇華させた佳作だと思うのだ。
イッサは、火炎瓶を投げたのか。
自分を救ったポマード刑事(=ステファン。太陽にほえろばりのニックネームで笑ってしまった)に対して、思い止まることが出来たのか。
感情に支配されてしまっては、イッサをゴム弾で撃ったグワダと同じではないのか。
僕がイッサだったら、どうするだろうか。
衝動が勝つのか。
理性が衝動を抑えるのか。
いろいろ考えさせられる作品だった。
フランスの闇をリアルに描いた作品。
試写会に行ってきました。
「レ・ミゼラブル」と言えば有名なあの作品を思い出す方が多いと思いますが、それとは違うとても衝撃的な作品。
パリからわずか15kmしか離れていないモンフェルメイユは移民や低所得者が多く住み、大人から子供まで危険な犯罪地域となっている。
窃盗にドラッグ。
それを取り締まる警察と市民と政治家とギャングの対立。
日々、一触即発の街の今を映し出している。
監督の出身地であり、現在もそこで生活しているからこそのリアル。
「ちゃんと向き合って話し合えば解決できるのでは…」なんて甘い考えは通用しない程、根は深く複雑で一条の光も感じられない。
決してテレビや雑誌で観る事はないフランスの闇を観た。
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